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よあけまえのキミへ  作者: 三咲ゆま
二章 陸援隊編
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第八十六話 かすみ退院


 ぐっすりと眠って起きた朝は、気分がいい。

 大きく伸びをして布団から出ると、そのまま隣の部屋にいるはずの田中先輩に声をかける。


「先輩、おはようございますー」


 応答が無い。部屋の外に出ているのだろうか。

 朝餉の時間には少し早いと思うけれど、先輩は朝から元気だからなぁ。

 そっと襖を開けてみると、まだ布団の中で寝息を立てている姿が目に入った。


「せんぱい……」


 間近まで寄って、小声で語りかけてみる。

 ぐっすり眠っている様子の先輩は、心地良さそうに寝息を立てている。

 前髪が下りていて、どこか幼く見える寝顔だ。かわいい……。


「朝ですよぉ、せんぱい」


 耳元で囁くと、先輩は目を見開いて布団に私を押し倒した。

 腕を拘束され身動きがとれない。


「……なんだよ、おめぇか」


 私の顔を見て安堵した様子の先輩は、押さえつけていた手を放して、大きく溜息をついた。

 私は何が起こったのか一瞬理解できず、布団に横になったままぽかんとしていた。


「悪ぃ。敵襲かと思った。ほら、起きろ」


 ぐいと私の手を引っ張って、起きるのを手伝ってくれる。

 先輩の布団はお日様の匂いがして、きゅっと胸の奥が切なく疼いた。


「あの、驚かせてしまってすみませんでした」


「いや、気にすんな」


「先輩の寝顔可愛かったです」


「はぁ!? うっせぇ! 変なこと言うな!」


「ふふふ、おはようございます」


 照れているのか、わしゃわしゃと頭を掻く仕草がまた可愛い。

 昨日は私の寝顔を見られちゃったから、お返しだ。


「んじゃ、顔洗いに行くか」


「はいっ!」


 二人して、井戸へ向かう。

 いつもより早起きしたから、井戸端で出会う面々も違っていた。


「兄さん、天野ちゃん、おはようございます!」


「おう、良い朝だなァ!」


「おはようございますっ!」


 互いに挨拶を交わし、桶にためた水で顔を洗う。冷たい水がきゅっと心まで引き締めてくれるようだ。

 顔を洗い終えると、そのまま雑談が始まる。


「兄さんと天野ちゃんも、ねこまんま亭に行ってみたらしいっすね」


「おうよ。店ん中ウチの隊士だらけだったぜ」


「いやぁ、普段女に縁のねぇ生活してますから。ひなこちゃんに癒されに行ってるんすよ」


「ひなこちゃあああん!! 抱きしめたいよぉぉぉ!!!」


「うるせぇ、ひなこちゃんは俺のだ!!」


 と、ひなこちゃんを巡って火花が散る。朝から元気だなぁ、みんな。


「残念なお知らせだがよ、ひなこちゃんには想い人がいるらしいぜ」


 先輩が無慈悲な宣告をすると、隊士さんたちは顔色を変えることなく、ニカっと笑みを見せる。


「知ってますよ。俺のこと気になってるみたいなんで」


「いや、おれっすよ。ひなこちゃんいつもチラチラ視線送ってくるんで」


「ああー! やっぱオレのこと好きなんだろうなーー!! オレに対してだけちょっと声色違うもんなー!!」


 全員が自信満々だった。とんでもなく前向きな人たちだな。

 相手が隊長だと知ったら阿鼻叫喚間違いなしだ。黙っておこう。


「まぁ、おめぇらも頑張ってくれや」


 先輩はそう言い残して、屋敷へと歩を進める。

 その背中に駆け寄って、肩を並べて歩く。


「先輩、今日は短刀持ってどうしたんですか?」


 帯に差すようにして短刀を持ち歩いている先輩を見て、首を傾げる。

 朱鞘に白い柄の、綺麗な刀だ。


「おう、こいつを持ってるとなんつうか、気力が漲ってくるんだよ」


「へぇ、それはすごいですね。色合いも良くて見入っちゃいます」


「だろ? オレのお気に入りだ」


 刀を自慢する先輩は、心底満たされた顔をしている。そういえば前に言ってたな、刀は家族同然の存在なのだと。


 屋敷に戻ってあさげの準備でもしようかと話していたら、前方から中岡隊長が歩いてきた。


「二人とも、おはよう」


「はよっす!」


「おはようございます!」


 元気良く挨拶をすれば、隊長はくすりと笑って頷いてくれた。

 そして、先輩が腰に差している刀を見るや、顔色を変えて距離をつめる。


信国(のぶくに)は今日も美しいな」


「こいつはいつでもピカピカに手入れしてるんで」


「そうだな。朱色がよく映えて優美な姿を強調している。鞘の中もさぞ丹念に鍛えられているんだろう。ああ、いつ見てもこの刀は俺の元にあるべきだ」


 うっとりとした目で刀に語りかける隊長は、やけに大胆なことを言う。

 信国っていう刀、よっぽど価値のあるものなのかな。刀を譲れと、無言の圧を感じる。


「見るたびに刀を口説くのやめてくんねぇかなー」


 先輩は、渡すまいとしっかり刀を握って、やれやれと嘆息する。

 言われてみれば確かに、口説いているかのような声色だ。


「隊長は、この刀が欲しいんですか?」


「ああ、欲しい。俺の元に来てくれたらケンの倍大切にすることを誓おう。なぁケン、そろそろ譲ってくれてもいいんじゃないか?」


 隊長は熟練の商人のように交渉を始める。ここまで言われちゃうと、私なら渡してしまうかもしれない。


「コレはマジで大切にしてるんで、誰にも譲らねぇっすよ。いろいろ思い入れもあるし」


「その思い入れごと受け止めてみせよう」


「いやいや、全然引かねぇな! とにかくこれだけは渡せないんすよ! 残念でした!」


 大事そうに短刀を抱えると、先輩は足早に自室に戻っていった。

 このまま交渉に入ると、最終的に言いくるめられそうな気がしたのだろう。


「また逃げられてしまった」


 隊長は名残惜しそうに先輩の背中を目で追い、溜め息をついた。


「本当に大切なものみたいですよ。さすがになかなか譲ってはもらえないと思います」


「それは分かってる。だがな、いつかも言ったが、俺は片思いでも押しきる派だ」


「そのめげない考え方、見習いたいです」


 誰に何と言われようと諦めない姿勢は素直に尊敬できる。けれど、毎度あんな風にグイグイ来られると、さすがに逃げたくもなるだろう。


「隊長は、これからお出かけですか?」


「ああ。今夜はここに帰ってくるつもりだ。また肩たたきを頼む」


「はいっ! 了解です。いってらっしゃいませ!」


「行ってくる。そうだ、神楽木殿に会ったら、近くまた文を書くと伝えておいてくれ」


「分かりました!」


 草鞋を履いて出ていく隊長を、笑顔で見送る。

 連日あちこちを渡り歩いて疲れがたまっているだろうに、いつも気力が漲った顔をしている。人に弱みを見せず、常に堂々と振る舞う姿は立派だと思う。

 帰ってきたら、肩でも叩きながら全力でねぎらってあげよう。



 お昼になり、田中先輩と二人で螢静堂へと向かった。

 昨日はお見舞いに行くことができなかったけど、かすみさんの様子はどうかな。


「こんにちはー!」


 元気な挨拶と共にお邪魔すると、むた兄とゆきちゃんがあたたかく迎えてくれた。


「みこちん、昨日は何かあったん? 顔出さへんかったけど」


「ちょっと遠出しててね。かすみさんの退院はいつになった?」


「今日やで! 殿ももうじき来るはずや」


「そっか、雨京さんも!」


 かすみさんを迎えに来てくれるのだろう。

 にこにこと嬉しそうにしているゆきちゃんの隣で、むた兄は少し眉を下げて何やら考え込んでいる様子だ。


「むた兄、どうしたの?」


「いや、かすみさん、怪我の具合はええんやけどな、気持ちの面でまだ不安らしいんや。退院させるんは少し早いかもなって、不安もあんねん」


「そっか、そうだよね。でも、いつかは退院しなきゃいけないわけだし、それなら早く男の人が周りにいる生活に慣れたほうがいいのかも」


「せやなぁ。昨日お兄さんとも話し合うたんやけど、美湖ちゃんと同意見やったわ」


「うんうん。神楽木家での生活が辛いようだったら、また新しく策を練ればいいんじゃないかな?」


「……せやな。そう考えるしかないな」


 よし、と覚悟を決めた様子で、むた兄は頷いた。

 体についた傷は治すことができても、心の傷はそうはいかない。誰にも触れられない一番深いところで、かすみさんは苦しんでいる。

 これから周囲にいる人間たちで、何も不安はないと実感させるべく動いていく必要がある。私もそれに力を貸さなきゃ。


 それから四半刻ほど経って、雨京さんが到着した。

 駕籠に乗って来たらしく、駕籠の担い手や護衛人はことごとく頭巾を被って顔が見えないように配慮してあるそうだ。


「雨京さん、ついにかすみさんも退院ですね」


「ああ。予想よりも早く退院できるのは喜ばしいことだ。いくつか懸念も残るがな」


「神楽木家では何か対策を打ってありますか?」


「一応な。女中と女の警固人を数人雇った」


「警固人さんも! それは頼もしいですね」


 かすみさんの脇を固めるのはやはり女性でないと、不安が残る。

 雨京さんは出来る限りの対策を講じて、妹を引き取ることを選んだのだろう。さすがだ。


「ほんなら、かすみさんを呼びにいこか! みこちんもついてき!」


「うん!」


 ゆきちゃんに手を引っ張られて、廊下を突っ切っていく。

 その途中でふと思い出して、田中先輩に声をかけた。


「すみません、先輩はちょっと居間に隠れててください!」


「おう、了解だ!!」


 威勢の良い声が背中に響く。この状況で初対面の男性に会わせるのは良くないだろう。先輩は物分かりが良くて助かる。


 かすみさんの部屋に到着し、障子を開けると、彼女は既に荷物をまとめ、立ち上がっていた。

 隣にはやえさんが立ち、身体を支えている。


「かすみさん、やえさん、こんにちは! 準備は良いかな?」


「ええ、いつでも出ていけそうよ」


「そんなら、ぼちぼち行きましょか。かすみさん、荷物はうちが持ちます!」


 かすみさんの所持品は少なく、風呂敷で軽く包んでしまえる程度だ。

 ゆきちゃんがそれを持ち、私はかすみさんの脇に立って彼女を支える。

 やえさんにはやえさんの荷物があるので、彼女にはそれを持つことに専念してもらう。


「やえさんの足の傷も、もういいんですか?」


「はい。おかげさまで、すっかり塞がっております」


「それは良かったです」


 やえさんの傷は私を護るためにつけられたものだ。そう思い出すたびに心が痛む。

 けれど、彼女は愚痴の一つもこぼさずに、常に神楽木家のことを一番に考えて動いてくれた。感謝の念が尽きない。

 雨京さんからも、特別に手当てと休暇を与えるつもりでいるそうだ。


 かすみさんの手を引いて診療所の玄関まで来ると、雨京さんとむた兄が待っていてくれた。


「兄さま、迎えに来てくれてありがとう」


「ああ。怪我の具合はどうだ? 痛みは無いか?」


「だいじょうぶよ。山村先生も、これまでお世話になりました」


 深々とお辞儀をするかすみさんを見て、むた兄も頭を下げる。


「これからも一緒に傷をなおしていきましょう。この退院が日常生活への第一歩です」


「……はい。先生にお任せできるなら安心です」


 こんなにも近い距離で、かすみさんとむた兄が会話できているのはたいした進歩だ。

 かすみさんも怯えている様子はなく、むた兄に対して自然体で接している。


「では、そろそろ行くか。山村先生、今後ともどうぞよろしくお願い致します」


 雨京さんが一礼したあと、かすみさんは皆に囲まれて駕籠に乗る。

 今のところ、怯えた様子はない。一同はほっと胸をなでおろした。


「かすみさん、それじゃあね。また神楽木家に会いにいくから!!」


 ぎゅっとかすみさんの手を握る。

 これからは毎日とはいかないかもしれないけれど、様子を見に行きたい。


「美湖ちゃん、ありがとう。元気でね。また会いにきてね」


「うん! もう少し元気になったら、皆で写真を撮りに行こう!」


「ええ。楽しみにしてるわね」


 駕籠の戸が閉まると、皆が一斉に「お元気で」と声をかけた。

 雨京さんは、かすみさんに一番近い場所に立って、彼女に寄り添っている。

 やえさんも、雨京さんの背後に立ち、駕籠を護るようにして立ってくれている。かすみさんの視界に入るのは二人のみのはず。一安心だ。


「雨京さんも、また会いましょう。中岡隊長が、文を書くと言ってました」


「そうか。こちらからもすぐに返事を書くと伝えておいてくれ」


「はいっ!!」


 こちらに一瞥して、雨京さん一行はゆっくりと歩き出した。

 かすみさん、どうか向こうでも平穏に過ごせますように。


 あの晩、必死で店を護ろうと水瀬達に立ち向かったかすみさん。

 店が燃えて、自身も傷つけられて、ふたたび会えた時にはぼろぼろだった。

 辛い思い出を私たちに語ることはなかったぶん、きっと心の中は暗く沈んでいたに違いない。

 涙に暮れた日々を越えて、彼女はまた歩き出すことが出来た。そのことが、まるで奇跡のようだ。


「かすみさぁぁぁん!! 私、新しい場所で頑張るからー! かすみさんも頑張って!! 私はいつでも、かすみさんのこと想ってるからー!!」


 去り行く駕籠に向かって、思い切り叫ぶ。

 きっと届いてくれたと思う。私の今の気持ち。


 あの日、平穏が崩れ去って、思い知った。

 当たり前だと思っていた穏やかで優しい生活は、指一本で突き崩せるほど脆いものだったことを。

 笑顔で言葉を交わした隣人が、心の奥底にどす黒い感情を飼っていたことを。

 身の毛がよだつほどの悪人が、平気な顔をして日常の裏に罠を張っていたことを。

 なにもかも、私が生きてきた中で初めて目にするものだった。

 そして、そんな残酷な歯車に私がのまれないよう、かすみさんはいつも護ってくれた。


 ――ねぇ、かすみさん。

 これからは私がかすみさんを護るから。

 だから待っていてね。

 いつかまた、二人で肩を並べて笑い合おう。





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