第八十四話 ねこまんま亭
岩倉邸を出て、屯所までの帰り道にある「ねこまんま亭」という茶屋に寄ってみることになった。
陸援隊の屯所の間近にあり、隊士さん達が多く利用しているという話だ。
潮くんの情報によると、矢生一派の標的の一つとなっていたそうだけど、どんなお店なのだろうか。
店先まで到着すると、私たちは足を止め、目を見張った。
なにせのれんの前に長蛇の列ができているのだ。ざっと数えたところ、二十数人。
「すごい列ですね。どうしましょう。並びますか?」
お店に入るまでに日が暮れてしまうのではないかと、不安がよぎる。
「ここはいつもこうらしいですよ。並んでみましょう」
大橋さんは、にこやかに列の最後尾に立って手招きをする。
せっかちな田中先輩は、並ぶのをしぶっていたけれど、私が腕を引っ張って大橋さんの後ろまで連れていく。
「おいおい、何刻待ちゃいいんだよ!」
先輩が口を尖らせながら不満を吐き出すと、前に陣取っていた西山さんがこちらを振り返った。
「先客たちがなかなか退席しないので、二刻は待つと思ってくださーい」
「……マジかよ」
田中先輩の隣で、私もうなだれる。帰りは本当に日暮れになってしまう。
「ここは菓子の種類も豊富で、接客も風変わりらしく、最近特に人気だそうですよ」
大橋さんは、待つのが苦ではないようだ。おいしいお菓子への情熱が迸っている。
ようし、ここはおしゃべりして時間を潰そう!!
二刻ほど経過した頃、ちょうど店内へと案内された。さて、風変わりな接客とはどんなものなのか。
「三名様、ご案内しますにゃん!」
……にゃん?
耳を疑った私と田中先輩は、猫のように手を握り、頬をさするような動きでこちらに視線を送る娘さんを凝視した。
容姿は文句なしに可愛い。彼女が動くたびに、お客さんが熱烈な声をあげる。
「ひなこちゃん、かわいいよおおお!!!」
「みたらし一皿お願いしますにゃん!!!」
「ひなちゃん、こっち向いてほしいにゃあああああん!!!」
席に通された私たちは、店内の熱気にのまれて頭がどうにかなりそうだった。
このお店では語尾に「にゃん」をつけるのが決まりなのだろうか。異様な盛り上がりに、いささか居心地の悪さを感じてしまう。
お客さんの大半が男の人だ。どうやらお店は、ひなこちゃん一人で切り盛りしているらしく、お菓子を盛り付けて配膳までせっせとこなす姿に胸をうたれる。
「みたらしを9本、三色団子を9本、ぼたもちを12個、桜餅を12個お願い致します」
大橋さんの豪快な注文に、ひなこちゃんは「ありがとうございますにゃん」と満面の笑みを向けてくれた。かわいい……!
「客は全員あの子目当てかよ。確かに良い子そうだけどよぉ、にゃんはやめてほしいよなァ」
熱々のお茶をすすりながら、先輩が肩を浮かせて眉を寄せた。
「なんだか、聞いてるうちに猛烈に可愛い気がしてきました」
「おめぇ、ちょろいな」
「えへへ、可愛い女の子は老若男女から愛されるものなんですよ」
そう。茶屋娘は町の人気者。その初々しく愛嬌のある姿は、しばしば錦絵として残される。
大抵はお店ごとに、熱烈な支持者がいるものだ。かすみさんにも数多く熱をあげていた男の人がいたから分かる。
「おまたせしましたにゃん」
たくさんの団子やお餅が乗った大皿を置いて、ひなこちゃんはとびきりの笑顔を炸裂させた。
周囲からむさ苦しい雄たけびが上がる。皆さん、ひなこちゃんの可愛さに悶絶している様子だ。
「さて、いただきましょうか」
甘味を前にしてご機嫌な大橋さんは、好物のみたらし団子を手にとり、頬張る。幸せそうなお顔だなぁ。見てるこちらも嬉しくなってしまう。
「じゃあ私、三色団子いただきまーす!」
「オレは、ぼたもち貰うわ」
空腹だったお腹を満たすべく、私たちは飢えた狼のように甘味に食らいついた。評判通り、なかなかの味だ!!おいしい!!
次々に甘味を味わいながら、店内を見渡す。男だらけの空間に、一席だけ女子三人の場所がある。あそこ浮いてるな。
ちらちらと見つめていると、こちらの視線に気付いた女の子が席を立って、歩み寄ってきた。
「あなた、いずみ屋で働いてた子じゃない?」
一番背が高く痩せ型の女の子は、私の顔を覗き込むようにして問う。
「そうです。どこかでお会いしました?」
「いずみ屋が焼ける前に行ってみたことあるわ。私は、つばき屋のフミ。知らない?」
「知りません、ごめんなさい」
「はぁぁぁぁ!? なんで知らないの!? 私、茶屋娘の番付にも載ってるんだけど!!」
「番付? 見たことないです」
何でも番付にしてしまうご時世だ。そんなものがあってもおかしくない。
私が知らないだけでフミさんは名の知れた方なのかもしれない。
「つばき屋さんには、幾度か通ったことがあります。フミさんも細やかなお気遣いで知られていますね」
大橋さんが、お菓子に伸ばした手を止めて、フミさんに語りかける。
「ありがとうございます…! ええ、確かに見知ったお顔だわ! 橋本さんですよね?」
「そうです。覚えてくださっていて嬉しいです」
「橋本さんも、この店によくいらっしゃるのかしら?」
「いえ、今日が初めてです」
「そうですか……」
フミさんは何か言おうとして、口をつぐんだ。
何だかワケありな様子だ。
そうこうしていると、こちらの話を聞きつけたのか、残りの女の子二人までやってきた。
「あら本当! 橋本さん! あたし、大和屋のキセです」
「橋本さんはうちの店にも来てくださってたわ! ウチ、明石屋のサエです!」
「お二人とも存じ上げております。大和屋さんは汁粉が美味でしたね。明石屋さんは、甘味の種類が豊富で、よくお土産を包んでもらっていました」
さすが大橋さん……! 私よりも茶屋に詳しい。
私もそれなりに詳しいつもりでいたけれど、いずみ屋やかぐら屋周辺のお店しか知らないからなぁ。
話に入っていけない田中先輩は、黙々と両手に持った甘味に食らいついている。
「橋本さんもここのお店にとりこんでしまわれたら寂しいわ」
フミさんがそう言うと、サエさん、キセさんも深々と頷く。
「とりこまれる……?」
どういうことだろうと首を傾げると、フミさんは小声になって、私たちに耳打ちした。
「私たち、ねこまんま亭からほど近い場所に店を構えているのよ」
「そうですね。ねこまんま亭は最近できたお店だったはずです」
「そうなの。そして私たちの店の常連さんを、ことごとく虜にしてしまった。おかげでこちらは連日閑古鳥よ」
「なるほど、それでお三方はお店を閉めてここにいらしている、と」
大橋さんがまとめると、三人は袖で涙をぬぐうようにしながら頷いてみせる。
ねこまんま亭の人気は、行列に並んだ私たちもよく知っている。それにしても、他店舗のお客さんを奪うまでとは。
「それでうちら、この店に常連さんが来るたびに、毎夜五寸釘で呪っているわけよ」
「……え!?」
サエさんが懐から藁人形を取り出したのを見て、私たち三人は目を疑った。この人たち病んでる……!!
「許せないのよね、連日あたし達に囁いていた甘い言葉を、今はひなこの耳に届けてるあの男たちを見ると……」
「男なんて所詮、移り気な生き物よ。ひなこの名を叫んだぶんだけ、釘を打つことにしているの」
「うちらを裏切る不埒者は、くたばってしまえばいい」
私たちはもはや、乾いた笑いを漏らすしかない。滲み出る憎悪を隠しきれない三人は、鬼の形相だ。
「私は、どこのお店にも美点があると思っています。もちろん、茶屋で働くみなさんにも、それぞれ長所があります。私はあなた達のお店も好きですよ」
大橋さんがそう言って微笑むと、茶屋三人娘は滝のように涙を流しながら、大橋さんにすがりついた。
「本当にそう思ってくださってるの!? 本当なのね!?」
「あたし達、これからもやっていけるかしら!!?」
「橋本さん好き!! 抱いて!!!」
雪崩のように大橋さんにまとわりつく三人は、神仏を拝むかのようなまなざしだ。神様仏様、大橋様!!
「お三方に会うのを楽しみにしている常連さんは、他にもいらっしゃるはずです。私もまたお店にうかがうので、ここでくだを巻くよりも、お店を開けてみては?」
「そうかしら、そうだったらいいわね……」
「ねぇ、お店、明日は開けてみない?」
「そうね、ここにとりこまれたお客さんがすべてではないはずよ」
大橋さんの言葉によって、三人は生まれ変わったように前向きな言葉を吐き出した。いいぞ、この調子……!
「どうか、笑っていてください。私は、あなた達の笑顔を覚えていますよ。それで元気をもらった方も数多くいるはずです。応援しています」
この発言がトドメを刺したのか、茶屋三人娘はぎこちないながらも、笑顔を見せてくれた。
暗い考えが頭をよぎる時、どんどん悪い方向に頭が働いて、抜け出せなくなってしまうことは多い。
この三人も、こうしてねこまんま亭に監視に来てしまっていること自体が、悪感情を生んでしまっていたに違いない。
「ありがとう橋本さん、明日からまた頑張ってみるわ」
「そうね、頑張る。でも藁人形を打つのはやめない」
「やめられないわ。快感なんだもの。でも安心して、橋本さんは呪わないから」
にっと陰のある笑みを見せてくれた三人を、私たちは手を振って見送った。染み付いてしまった心の闇は、そう簡単には晴れないらしい。
茶屋三人娘が店を出たのを見送って、私たちは大きく息をついた。
「女って怖ぇ……」
田中先輩は最後のひとつとなったぼたもちを頬張りながら、肩をすぼめてみせた。
「怖かったけど、元々は明るい人たちなんだろうなって感じました」
「そうですね。根は明るく元気の良い娘さんたちでしたよ。今度彼女達のお店にも行ってみましょう」
「はい!」
もともと茶屋巡りは大好きだ。それぞれの店舗の味を楽しむのはもちろん、それに華を添えてくれるのが茶屋娘達の存在だ。
いつでも明るく、お客様に寄り添うように。かすみさんがよく言ってたな。
「矢生一派が潜り込んでねぇか心配だったが、この熱気なら取り入るのは難しいだろうよ」
田中先輩が、店内の様子を見渡しながら苦笑をもらす。
「確かに、お客さん全員がギラギラしていて、誰かがひなこちゃんに近づいて抜け駆けしないか監視してる感じですもんね」
「そうですね。ここで何か騒動が起こることはないと思います。お客さんが、ひなこさんを護ってくれるでしょう」
矢生一派絡みに関しては、ひとまず安心だ。
お客さんの中には陸援隊士も多いし、深門達が姿を見せた時は彼らが黙っていないだろう。
「あとは、ひなこさんに近況を聞けるといいのですが。不審者から声をかけられることがなかったか……」
「そうですね。それは女の私が聞くのがいいかもしれません」
「だな。店が落ち着くまで待ってみっか」
「はい!」
私たちは更に甘味を追加注文し、店じまいを待つことにした。
じっと店内を見渡していると、西山さんが頻繁に注文し、ひなこちゃんの気を引こうとしているのが目に入る。
それに負けじと周囲の男性たちも盛り上がるものだから、ひなこちゃんは常時忙しなく動いている。
これを一日中続けているのだとしたら、体力がもたないのではないか。
日が暮れて、店じまいの時間がやってきた。
「みなさん、今日も来てくれてありがとにゃん。気をつけてお帰りくださいにゃ」
ひなこちゃんが可愛らしくお辞儀をすると、男性達は次々に席を立ち、会計へと並ぶ。
退席をしぶるお客さんもおらず、すんなりと行列ははけていった。
最後に残ったのは、私たち三人だ。よし、ひなこちゃんに話しかける絶好の機会だ!!
「ひなこちゃん、お疲れ様です。わたし、天野美湖といいます」
「美湖……みぃちゃんって呼んでもいいかにゃ?」
「もちろん! それで一つ聞きたいことがあるんですけど……」
「なんでしょうにゃ?」
ひなこちゃんは、小首を傾げて大きな瞳を瞬かせる。一挙一動がとても愛くるしい。
「ここ最近、店じまいの時間なんかに遅くまで残って、あなたに言い寄る男の人はいなかったですか?」
「ええと……そういう人はたまにいますにゃ」
「そうですよね。特にしつこくしてきた人はいませんか?」
「いましたにゃ……でも、助けてくれた人がいて……」
と、ひなこちゃんは俯いて頬を染めた。
深門は表面上真摯に振舞う男だ。もしかしたら助けに入ったのは奴かもしれない。
「その人って、耳を怪我していて、高い位置で髪を結った優男じゃなかったですか!?」
「……違いますにゃ。髪は短くて、黒い外套を羽織った殿方で、とても優しくしてくださいましたにゃん」
「く、黒い外套!?」
大橋さんや田中先輩と顔を見合わせて、仰天する。
間違いない、この辺りでその特徴を持った人といえば、中岡隊長だ!!
田中先輩が懐から写真を取り出して、中岡隊長を指差しながら問う。
「それって、この人じゃねぇか?」
「わぁ! そうですにゃん! この方とお知り合いなのですにゃ?」
ひなこちゃんは両手で頬を覆って、恋する乙女の表情だ。
「知り合いっつうか、仲間だ。へぇ、中岡さんもここに来てたのか」
「中岡さまというのですにゃ……では、中岡さまにお伝えしてほしいにゃん。ひなこがお慕い申しておりますと」
「お、お慕い……!?」
そんな大切な言葉を人に託していいものかと、一瞬戸惑う。
けれど、ひなこちゃんの眼差しはいたって真剣だ。
「おう、伝えとくぜ。他に言伝はねぇか?」
「えっと……またお店に来てほしいにゃん」
「了解。それも伝えとく。ひなこちゃんよ、中岡さんはなかなか落ちねぇと思うが、頑張ってな」
「私は、お会いできるだけで嬉しいですにゃ。高望みはしませんにゃん」
なんて健気なのだろう。私も応援したくなってきた。
「ひなこちゃん、好きな人のお顔を見るだけでも幸せだよね。一緒に頑張ろうね!」
「はいですにゃん。みぃちゃんも、好きな殿方がいるのですかにゃ?」
「え!? あ、その……うん……! それじゃ、お会計を!」
頭の中に田中先輩の顔がよぎって、赤面する。話をそらすように、潮くんから貰ったお金でお代を払う。
「また来てくださいにゃん! みぃちゃん、仲良くしてくれると嬉しいにゃ」
「うん。仲良くしよう! また来るね、ひなこちゃん!!
「はいですにゃん!!」
ひなこちゃんは、にこにこと晴れやかな笑顔で私たちを見送ってくれた。
好きな人がいるのなら、深門に口説かれてその気になるなんてことはないだろう。一安心だ。
「――で、おめぇの好きな相手って誰だよ?」
からかうように肘で私の横腹をつつきながら、田中先輩が問う。
いじわるな人だなぁ。
「ひみつです!」
「ほう。当ててやろうか?」
「もう、この話はやめにしましょうっ!」
「おうおう、顔真っ赤にして何だよ? 耳まで赤いぜ」
私の耳たぶを指でつまむと、先輩はふうっと息をふきかけてきた。
「ひゃぁっ!? な、なにするんですか! せんぱいのバカ!!」
恥ずかしさが限界を振り切って、私は屯所の門へと一人駆け出した。
明かりが漏れるあたたかな門を潜り抜けると、隊士さん達が次々に声をかけてくれる。
「天野ちゃん、おかえり!」
「夕餉の時間だなぁ! おかず分けてやるから後で来いよ!」
「天野ちゃん、今日も元気だな! 腕相撲すっか!?」
ああ、ここは私の帰る場所なのだと実感して、胸の奥があたたかくなる。
ほっと一息ついたところで、背後から聞こえる田中先輩の足音に、どくんと胸がはずむ。
はぁ……やっぱり私、田中先輩のことが好きみたい。
初めての感情に、心がついていかない。この気持ち、どうすればいいんだろう。
ひなこちゃんみたいに、真っすぐに伝えることができたらな。
〝あなたをお慕いしています〟って――。




