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よあけまえのキミへ  作者: 三咲ゆま
二章 陸援隊編
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第八十二話 久しぶりの帰還


 夜もふけて、町に人影がなくなる頃。私と田中先輩は小町屋を出て、潮くんが連泊している宿へと向かう。

 藤堂さんとも話し合って、そこを集合場所にしようという話になっているのだった。


「やべ、向こうから来んのはたぶん奉行所の奴らだ。変な詮索されねぇように路地裏に隠れっぞ」


「は、はい!」


 見れば確かに、前方から数人で列を成す集団が近づいてくる。格好を見るに、お役人さんで間違いないだろう。

 背中を押されて細い小路に姿を隠した私たちは、向かい合って顔を近づける。


「約束したの覚えてるよな? 恋仲を演じるぞ」


「……はい」


 顔が近くて恥ずかしいと俯いた私を壁際に押しつけて、先輩は首元に顔をうずめる。


「んっ……」


 くすぐったくてぞわぞわして、思わず漏れた声を封じ込めるように、私は口元を手で覆った。

 あちこち触るとは事前に言われていたけれど、これはあまりにも恥ずかしい……。

 やがて下から着物をまさぐるように先輩の手が伸びてきて、胸元を触ろうとした頃、ちょうどお役人さん方の列が隣を通った。


「ただの逢引やな」


「ご両人、最近物騒やから、はよ家に帰り」


 呆れたように投げかけられる言葉に、私はコクコクと頷いてみせる。

 田中先輩は私の首元から顔を動かさずに「ご親切にどうも」と返した。


 やがて足音も聞こえなくなった頃、先輩はようやく顔を上げてニッといたずらに笑みを見せた。


「やりすごせたな。ちゃんと恋仲に見えたみたいだぜ」


「……うう、恥ずかしかったです」


「これでもだいぶ加減したんだがな。胸は触ってねぇだろうがよ」


「先輩のばか。早く行きましょうっ」


 これ以上密着した状態で話をするのは恥ずかしすぎる。私は先輩の手をすり抜けて、大路へと小走りで出て行った。


「おいおい待てよ! 顔真っ赤じゃねぇか。潮達にそんな状態で会う気か?」


「夜風に当たってれば治りますっ!」


 早歩きで歩いていく。先輩の顔を恥ずかしくて見られないからだ。

 胸がばくばくと音を立てて、静まってくれない。

 先輩のこと、こんなに意識してるのは私だけなのかな。先輩は私のこと、なんとも思ってないみたいに普段通りだ。




 宿の前まで着くと、すでに藤堂さんと潮くんが待ってくれていた。


「こんばんはー! 今夜はちょっと遅かったね!」


「おう、奉行所のやつらに目ぇつけられてよぉ、ちょっくら恋――」


「あーーっ!! なんでもない! なんでもないの! いいから行こう!!」


 余計なことまでべらべらとしゃべってしまいそうな先輩の足を踏んづけながら、私は無理やりに話をそらす。


「え、何? 奉行所? 大丈夫だった?」


「だいじょぶだいじょぶ!! それより、今夜はどうする?」


 今にも口を開きそうな先輩の足をぐりぐりと踏みにじりながら牽制すれば、彼は観念して手をあげた。


「今夜は商家が連なる大通りを見回ってみるか。新選組が通らねぇ道筋を教えてやる」


 出会いがしらに騒々しいドタバタを見せられて呆れ気味の藤堂さんが、ため息混じりに口を開いた。さすが元新選組隊士。頼もしい!!


「そいつは助かる。よっしゃ、行こうぜ!」


 藤堂さんの案内で、私たちは歩き出した。新選組はもちろん、奉行所のお役人さんも滅多に通らない細い道を進んでいく。


「確かこのへんにも、矢生一派の中継地点があるんだよな。かぐら屋の近くじゃねぇか」


「そうだよ。矢生一派もかぐら屋は狙ってたんだけど、さすがに最近警固が厳しくなってるからさ、他に目をつけてるはず」


 潮くんの言葉にぞっとする。もしいずみ屋の一件がなくて警備が薄かったら、次に狙われていたのはかぐら屋だったかもしれない。


「この辺は料亭や宿が多いから、こんな時間でも結構人通りがあるよね。だから中継地点もほとんど使われないんだ」


 潮君いわく、中継地点に盗品が持ち込まれるのは、朝方だそうだ。

 私たちはさすがにそんな時間まで張り込むことができないから、ざっと中継地点の場所だけ教えてもらって、来た道を引き返した。


「かぐら屋とは一本道を挟んで近い場所にあるんだな」


「あんなに近いなんて思ってなかったです。怖いなぁ」


 できるなら、これ以上中継地点に物が運ばれることがないよう祈るしかない。

 果たして矢生一派の根城はどこにあるのか、次はどの商家が狙われているのかなど、議論を交わしながら私たちは細道を進んだ。

 今日は戦闘にならないようにと、藤堂さんが安全な道を選んでくれたおかげで、私たちはすんなり元の宿へと戻ることができた。



「じゃあ、私たちはねこまんま亭について調べてみるね」


「何かあったらまた潮の宿に集合な。定期的に情報交換しようぜ」


 ある程度の情報は得られたことだし、私たちは明日陸援隊の屯所に戻ることにした。

 潮くんと藤堂さんとも、情報を共有しようと約束し、今夜は解散となった。

 頼れる仲間も増えたことだし、これから矢生一派の根城が見つかるまで全力で探っていこう。




 朝日がのぼり、すがすがしい空気に満たされた小町屋の店先で、私と田中先輩は深々と頭を下げた。


「本当にお世話になりました。これ、宿賃っす」


 先輩が、小判を三枚ほどシノさんの手に握らせる。潮君にもらったものなので、遠慮なく使っていこうという方針だ。


「こんなにいらないよ! 二人にはいろいろと手伝ってもらったしさ」


「いえいえ、もらってください。お金では買えない経験を積ませてもらいましたし」


「うーん、本当にいいのかねぇ。またこっちに来たらウチに寄ってよ」


「はいっ!! 必ず!! ではシノさん、お元気で」


「美湖ちゃんたちも! 達者でねー!」


 ブンブンと大きく手を振りながら、狭い小道を歩いていく。

 小町屋では本当にたくさんの経験を積ませてもらった。

 何も知らなかった私が、写真を撮るまでの工程をほとんど覚えてしまったなんて、かすみさんに話したら喜んでくれるに違いない。



 螢静堂では、昨日に引き続きかすみさんの歩く練習を手伝った。

 補助無しでもだいぶ歩けるようになっていたので、退院の日は近いだろう。

 かすみさんが寝床に戻ったあと、庭の掃き掃除をしていたやえさんの元に駆け寄った。


「やえさん、いつも神楽木家を支えてくれてありがとうございます! これ、貰ってください」


「美湖さま、とんでもございません。このようなもの、いただくわけには……」


「まぁまぁ、とにかく中身を見てください!」


 紙袋で包んだ写真をグイグイとやえさんに押しつける。日頃の感謝の気持ちだ。受け取ってもらわなければ。


「はぁ。では、失礼して…………!!!!」


 中身を取り出して視線を落とすなり、やえさんは目を見開いて硬直した。

 写真に写っているのはめかしこんで決め顔の雪之丞さんだ。予想通りの反応がもらえて嬉しいな。


「こ、こ、これは、なぜ美湖さまが……?」


「私、最近写真屋さんのお手伝いをしていて。たまたま雪之丞さん親子を撮ることになったので、やえさんに贈ろうと一枚貰ってきたんです」


「雪様のお隣は、お父上の雪之助さんですね。その隣のお子さんは……?」


「雪之丞さんの妹の、あやめちゃんです」


「妹御までご一緒に……貴重な品を、私などがいただいてもよろしいのでしょうか?」


 感動と困惑が入り混じった表情で、やえさんは瞳を揺らす。


「もちろんです! やえさんにもらってほしいんです!!」


「……ありがとうございます。肌身離さず持ち歩きます」


 やえさんはぎゅっと胸元で写真を包み、目にうっすらと涙を浮かべて頭を下げた。

 こんなにも喜んでくれるだなんて、思っていなかった。本当に雪之丞さんのことが大好きなんだな。


「写真ってやっぱりすごいですよね。いつ見ても、紙の中にご本人が立っててくれる。切り取ったその瞬間は永遠なんですから」


「はい。舞台の上に立つ雪様と変わりなく、美しいです。家宝に致します」


「ふふふ、そこまで喜んでくれるなんて私も嬉しいです! かすみさんが退院したら、みんなで雪之丞さんのお芝居を見にいきましょうね!」


「はい、必ず」


「きっと、もうすぐ行けますよ! それまでかすみさんを支えていきましょうね!」


「もちろんでございます」


 一際丁寧に、やえさんは深々と頭を下げた。それに応じるようにして私も頭を下げる。

 顔を上げたやえさんは、優しく柔らかな笑みを見せてくれた。やえさんのこんな顔、はじめて見たな。

 やっぱり、写真は人に幸福を与えてくれる。この数日間で、ますます写真への興味と関心が膨れ上がってしまった。

 またシノさんの所に行くときは、お手伝いをさせてもらおう!




 螢静堂でむた兄やゆきちゃんと雑談をしたあと、私たちは久しぶりに陸援隊の屯所へと帰還した。


「兄さん! 天野ちゃん! おかえり!!」


 門番をしていた西山さんとヤマダさんが笑顔で迎えてくれる。こうして帰りを待っててくれる人がいるのは嬉しいなぁ。


「何か変わりはなかったか?」


「いえ、何も! 二人がいないと少し寂しかったってくらいです」


「ははは、可愛いこと言うじゃねぇか。今夜は一緒にメシでも食うか?」


「食いましょう食いましょうっ!!」


 あいかわらす田中先輩は人気者だな。門を抜けたところで西山さん達と雑談していると、周囲に人が集まってきた。


「兄さん! 俺、今日の腕相撲で優勝したんすよ!」


「兄さん兄さん、あとで射撃姿勢見てください!」


「兄さん、聞いてくださいよ~!」


 次々に飛んでくる言葉に一言ずつ返事をしながら、先輩は朗らかに笑う。

 ああ、こうして仲間たちから信頼されてる先輩を見ると、なんだか気持ちがあったかくなるな。


「先輩、みなさんがお話したがってるみたいですから、私は先に部屋に戻ります」


「おお、悪ぃな。先行っといてくれ!」


「はいっ! ごゆっくり!」


 そう告げると、人の波をかき分けて屋敷のほうまで駆け出した。

 青く澄み渡った空が清々しい。私は懐かしい空気を胸いっぱいに吸い込みながら、玄関へと足を踏み入れた。


「おかえりなさい。お待ちしていましたよ」


 穏やかな口調で出迎えてくれたのは大橋さんだ。

 腕の中には小さな身体を丸めた葉月ちゃんがおさまっている。可愛いなぁ。


「ただいま戻りました! 情報、たくさん集めてきましたよ!」


「それはお疲れ様でした。どうぞ私の部屋へ。お茶を淹れますので」


「わぁっ! ありがとうございます!!」


 急いで履物を脱いで、部屋へと戻っていく大橋さんの背中を追う。

 大橋さんのお部屋はほんのりお香がただよっていて、とても落ち着く空間だ。座布団を差し出され、そこに腰を下ろす。


 潮くんや藤堂さんとの出会い、そして小町屋がかつて矢生一派の中継地点として使われていたことなどを話すと、大橋さんはその都度深く頷きながら聞き入ってくれた。


「この短期間でそこまで収穫があったのは大きいですね。藤堂さんは私もよく知っているので信頼できますが、その潮くんという子は……」


「矢生一派のことを憎んでいるのは確かなようなので、裏切られたりする心配はないと思います」


「なるほど。あとで田中くんにも話を聞いてみましょう。ひとまず当分は潮くんに対して情報を開示しすぎないようにお願いします」


「分かりました」


「お疲れでしょう。甘味でも食べてゆっくりなさってください」


 と、大橋さんは山のようにお菓子が盛られた器を差し出してくれた。


「ありがとうございますっ! んー! おいしいっ!!」


 私は遠慮なくおまんじゅうに手をのばし、思い切り頬張る。久しぶりに甘味を食べたなぁ。生き返る思いだ。


「天野さん、次は私とお出かけしてみようと約束していたのを覚えていますか?」


「もちろんです! どこにお出かけしましょうか」


「明日、公家の岩倉具視いわくらともみ様に会いにいく予定でして。岩倉様にあなたのことを話したら、興味を持ってくださったのです。一緒に来てくださいますか?」


「わ、お公家様にお会いできるんですか!? お邪魔にならなければ、ぜひ!」


 お公家さまというからには、きっと豪邸に住んで優雅な暮らしをなさっているのだろう。何の変哲もない町娘の私とは縁のない生活をしているに違いない。


「それでは、明日は螢静堂に寄った後、岩倉様の屋敷までご案内しますね」


「はいっ!! 楽しみにしています!!」


 岩倉さまは、どんな人だろう? 私に興味を持ってくださったことは光栄だ。粗相のないように気をつけよう。

 さて、今日は疲れたし、夕餉を食べたら早めに寝てしまうことにしよう。






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