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よあけまえのキミへ  作者: 三咲ゆま
二章 陸援隊編
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第七十九話 かすみ診察

 今日は、かすみさんの傷の具合をむた兄に診てもらう日だ。

 彼女の脇を固めるようにして、私と雨京さん、やえさんが座っている。


「かすみさん、そろそろ入ってもええ?」


 障子の向こうからゆきちゃんの声が響く。

 わずかに表情を固くしたかすみさんが、そっとうなずいてみせた。


「ゆきちゃん、入って大丈夫だよ」


 そう声をかけると、障子が開いて穏やかな笑みのゆきちゃんが部屋へと入ってきた。

 そして、廊下のほうに向かって頷いてみせる。いよいよむた兄とのご対面だ。



「こ、こんにちは……」


 ガチガチに緊張している様子のむた兄は、ぎこちなく笑みを浮かべながら一礼する。


「こんにちは、先生。先日は取り乱してしまい、大変失礼いたしました」


 かすみさんが、ゆるやかな挙動で深く頭を下げた。


「い、いえ! こちらこそ、医者として支えてあげることもできず、力不足を痛感しております」


「そんなことはありません。いただいたお手紙はいつもやさしい語り口で、読むたび救われておりました」


 むた兄は敷居をまたいですぐのところに立ったまま、随分と距離を開けて会話が進む。

 かすみさんの表情は、穏やかだ。

 私達がついているからか、それともむた兄のことを信頼しているからか……。



「花、飾ってくれはったんですね」


 と、むた兄の視線は机の上の一輪挿しへと向かう。

 そこにふわりと鎮座するのは鮮やかで心やすらぐ黄色い花。女郎花。


「はい。とっても嬉しくて。私もこの花がすきなんです」


「それはよかった。神楽木さんに似合うと思って……」


「ふふ。ありがとうございます」


 だんだんと二人の表情がやわらかくなってきた。

 この調子だと大丈夫だろう。隣に座る雨京さんと顔を見合わせて、互いに微笑んだ。


「先生、傷の具合はどうでしょうか。診ていただけますか?」


「もちろんです。失礼します」


 むた兄は、かすみさんの足元に腰をおとし、かすかに震える手で傷を覆う包帯を解いていく。


「たまに痛みや痒みがありますが、それも稀なことです」


「なるほど。順調にふさがっているようですね」


 傷口をじっくりと観察しながら、むた兄が安心したように息を吐いた。

 その一言で、この場にいる全員がほっと胸をなでおろした。

 よかったぁ。悪くなっていなくて。



 むた兄の診察と治療はとても丁寧だった。

 痛くないか、不安はないかと逐一尋ねながら、慎重に手を動かしてくれた。

 その心配りはかすみさんにとっても安心できるもののようで、双方最後まで落ち着いた様子だった。



 一通りの治療を終えたあと、むた兄がかすみさんの方を向いて小さく礼をした。


「無事に治療が済みました。明日からも僕が見てよろしいですか?」


「はい。あの、やえさんや雪子さんに付き添ってもらっても……?」


「もちろんです。神楽木さんが安心できる状態で診察させてください」


「ありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします」


 むた兄とかすみさんが顔を見合わせて、互いに頭を下げる。

 昨日からずっと心配していたのか、むた兄の隣でゆきちゃんが大きく息をついた。

 ほっとしたよね。いつもそばで支えてくれてありがとう。



 そうして、今日の診察は無事に終わった。

 思いのほかかすみさんが落ち着いていたことが救いだ。

 この調子でむた兄から診てもらうことができれば、ますます快方に向かうだろう。


 その後、私と雨京さんを残してみなさんが席を立ち、ゆっくりと話す時間が出来た。


「かすみさん、どうだった? 怖くなかった?」


「うん、大丈夫。先生とお話するまでは少し不安だったんだけど、とっても優しい方だったから、落ち着いていられた」


「そっかそっか! よかったよぉ。むた兄は本当に優しくってね、理想のお兄ちゃんなんだ! だから安心して任せてね」


 かすみさんの手をぎゅっと握って、ここぞとばかりにむた兄を推しておく。

 理想のお兄ちゃんという言葉に反応したのか、途中で雨京さんの眉がぴくりと動いたのが気になるな。少し補足しておこう。


「雨京さんも、とってもいいお兄ちゃんですよ!」


「世辞は必要ない」


 ……あれ? 雨京さん、やっぱりこういうの苦手なのかな。


「かすみさん、お世辞じゃないよね。お兄ちゃん大好きだよね?」


「ふふふ、そうね。私は兄さまも、美湖ちゃんも大好きよ」


「えへへ、私も! かすみさんと雨京さんが大好き!!」


 二人して笑顔になって、雨京さんに視線を向ける。

 なんとも面映い様子の雨京さんは、反応に困ったのかコホンと小さく咳払いをした。


「何はともあれ、かすみの怪我が順調に回復していることは喜ばしいな」


 耐え切れなくなって話題を変えたな。

 雨京さんは意外と恥ずかしがりやなんだなぁ。


「そうですよね。この調子でいけばすぐに歩けるようになるよ」


「それを目標に頑張ってみるね。美湖ちゃん、兄さま、今日はそばについててくれてありがとう」


「また何か不安に思うことがあれば、いつでも呼びなさい。おまえの体調と心の平穏が何より大事だ」


 雨京さん、いいこと言う!

 全面的に大賛成ですと頷いてみせると、かすみさんはふわりと優しい笑顔を見せてくれた。


「うん。今は元通り回復することだけを考えて頑張るね」


 かすみさんの笑顔、前は少しぎこちなく弱々しかったけれど、今はとても自然だ。

 気持ちが上向きになってきた証拠かな。日々快方に向かっていることが実感できて嬉しい。

 これからも、雨京さんや螢静堂のみなさんと一緒にかすみさんを支えていこう。



 かすみさんとの面会を終えて診察室へ足を向ければ、むた兄が皆から囲まれておおいに褒めちぎられているところだった。

 私もその輪に加わって、思い切り賞賛する。


「むた兄、今日は本当にありがとう! かすみさん、むた兄のことすごく信頼してくれてるよ!」


「美湖ちゃん、おおきに。怖い思いさせてへんかったらええんやけど……大丈夫やったかな?」


「うん。むた兄が優しいから安心できたって。ね、雨京さん?」


 と、雨京さんに話を振れば、彼は深く頷きながらゆっくりと口を開いた。


「今日に至るまで根気強く文で意思疎通をはかってくださったことに感謝いたします。おかげでかすみも落ち着いて治療にのぞめたようです」


「心の傷は治るまでに長い時間を要します。今後また不安が襲ってくることもあるかと思います。皆で支えていきましょう」


「そうですな。あなたにかすみを任せて良かった。引き続きよろしくお願いいたします」


 雨京さんの口調は相変わらず固い。

 けれど、その奥にあるあたたかい感情は、しっかりと言葉の端々から伝わってくる。

 家族思いなのだ。とても。





 螢静堂を出た私と田中先輩は、急いでシノさんの写場へと戻った。

 昨日書いた引札を配って客寄せをしなければならない。

 

「おっ! 美湖ちゃんにケンちゃん、おかえりぃ!!」


 お店ののれんをくぐれば、ぱっと華やかな笑顔でシノさんが迎えてくれた。

 片手に大量の引札を抱えているところを見ると、配布を切り上げて休憩中かな?


「ただいまっす。これから配るんすか? 手伝いますよ」


「それじゃ、ケンちゃんは祇園のほうまで足をのばして配ってみて。美湖ちゃんはアタシと一緒にいこう」


 引札の山は三等分されて、それぞれの手元に渡った。

 けっこうな束になるなぁ。さばききれるかな?


「おっしゃあ!! 行ってくるっす! 配り終えたらココに戻りますんで、今夜も泊めてください!」


「お安いご用だよ。それじゃ、お願い。健闘を祈る!」


「任しといてください! 天野も頑張れよ!」


 私の額に軽く指をはじいて当てたあと、先輩は風のように出て行った。

 今日はずっと大人しくしていたからか、いつもの何倍も元気だなぁ。


「さぁて、アタシ達もいこっか! 大通りで配ろうね」


「はぁい!!」


 そうしてシノさんのあとについていく。

 ちょっと緊張するなぁ。




「そこの美人のおねえさん! ほとがら撮っていかない!?」


「たくましいおにいさーん!! あなたの姿を後世に残しませんか!?」


「おっとそこ行く仲良し家族! 家族でほとがら撮らない? 安くしとくよぉ!!」


 呼び込みに次ぐ呼び込み。

 私達はかれこれ一刻ほど大通りに陣取って客寄せに精を出していた。

 が、まるで成果ナシ!!!

 たまに引札を受け取ってくれる人もいるけれど、大半が素通りだ。

 特に私が描いた引札の人気がない。それもそうか。へたくそな絵と整った絵を比べたら誰だって後者を選ぶ。



「美湖ちゃん、あの子さっきからずっとあそこに立ってるけど、どう思う?」


 シノさんが目線で示した先には、薄暗い路地からじっとこちらを見つめる少女が立っている。

 歳は私より少し下くらいだろうか。幼子をおんぶして、時折あやすように揺すっている。


「もしかして写真が気になってるんでしょうか?」


「かもしれない。美湖ちゃん行ってみて!」


 と、背中を押された私は彼女のほうをむいて軽く頭を下げる。

 路地裏の女の子は小さく肩を浮かせて、気づかれたことに狼狽しているようだ。

 逃げられないように急ぎ足で彼女の元に向かい、大きく一礼する。


「こんにちは! 私、写真処小町屋のお手伝いをさせていただいている者です」


「は、はあ……」


 間近で見るとかわいらしい女の子だ。対応に困ったのかじりじりと後ずさりをはじめている。

 いけない。警戒されてるな。


「もしかして写真に興味がおありなのかなぁと思って。背中で寝てるかわいい子と一緒に一枚どうですか?」


「お高いんですよね、ほとがらって。私には手が出ません」


 おずおずと戸惑いがちに、少女の瞳がゆれる。

 ほつれた布地を何度も縫い合わせたような格好で立つ少女は、貧しい家の生まれのようだ。


「でも、気になってはいます?」


「そう、ですね。興味はあります。何でも見たままの姿を写せるというのは本当ですか?」


「はい! 撮りたいものがあれば教えてください!」


「……」


 少女は目を伏せて俯いた。

 聞いちゃいけないことだったかな。


「すみません、強引に勧誘しちゃって。これだけでももらってください」


 そうして引札を差し出せば、嫌な顔もせず素直に受け取ってくれた。


「ありがとうございます。では……」


 少女が暗い小路を駆けて行くのを見守って、私はシノさんの元へ戻った。



「どうだった?」


「興味はあるけどお金がないそうです」


「なるほど。最近景気よくないしねぇ」


 二人顔を見合わせて大きくためいきをつく。

 生活に余裕がないと、こうしたものには目がいかないよね。


「半分くらい配り終わったし、そろそろ帰ろうか」


「はい!」


 残りは明日配ろうということで、帰路に着く。




 小町屋まで戻って、私達は仰天した。

 なんと、戸口の周辺に人だかりができているのだ。


「何事!? みなさん、もしかして客!?」


 シノさんが問うと、ごった返す人波は口を揃えて「そうだ」と答えた。

 これが全部お客さんだなんて……二十人近くいるんじゃないだろうか。


「おう、シノさん! 客連れてきたっすよ」


 店の奥から出てきた田中先輩は、誇らしげに胸を張る。


「ケンちゃん! ありがとよー!!すごい! えらいっ!!」


「へへへ、あのあたり脱藩者がよくうろついてるんで、まとめて連れてきました」


「そう言われてみりゃ、志士っぽい男ばっかだねぇ」


 確かにそうだ。列をなすお客さんたちは総じて着古した格好で全体的にくたっとしている。

 無法者のようないでたちの彼らにも、信念というものがあるのだろうか。



「よし、それじゃ撮っていこう。先頭のお客さん! こちらへどうぞ」


 腕の見せどころだ。シノさんは覇気のある表情をしている。

 その後田中先輩は列をなすお客さんにお茶をだす係を任され、私はシノさんの助手に任命された。





「美湖ちゃん、器材見たいって言ってたよね。写真を写す道具がコレだよ。写真鏡ってんだ」


 そうして見せられたのは、足がついて背の高い四角い箱。

 箱の側面には対になるよう二つの穴があいている。

 それを覗き込めば、向かいの穴の中に対象が写る。

 その像を写しとるのが写真という技術だそうで、一枚撮るまでに細やかに神経を張っていなければならない。


「写す前に、お客さんにはじっくりお日様にあたってもらうんだよ。だから撮影は雲のない晴れの日にするのがいいんだ」


「へぇぇ。一枚どのくらいの時間で撮れますか?」


「昔の型だと四半刻くらいかかってたみたいだけど、今なら一瞬だよ。十数える程度」


「わぁ、そんなに早く! すっごいですねぇ」


 絵だったら、あんなに繊細な筆遣いで描かれたものは数日かかるだろう。

 ほんの一瞬。その時刻をありのまま紙の上に残してくれる技術。考えただけでもわくわくしてきちゃうな。



 写真は「ガラス取り」と呼ばれる方法で撮られるそうだ。

 まずコロヂヨンという液をガラスの板にムラなく張り、その後それを銀液に浸し、濡れているうちに写真鏡に挿入する。

 そうして少しの間露光させ、その後暗室でそれを現像するという流れだ。

 暗室というのは、黒い布で覆って即席で作ったものだ。が、十分に中は暗い。

 中は薬品の匂いに満ちていて、てきぱきと作業するシノさんの手元はよく見えなかった。


 そうして、一枚の写真が完成。

 浪士さん二人組がこちらを向いてキリリとにらむ様な迫力ある構図だ。

 すごいなぁ。実際に撮影者側に立ってみると、気づかされることばかりだ。

 たいしたお手伝いはできなかったというのに、お客さんが写真を手にとりワッと盛り上がっているのを見ると、やっぱり嬉しい!


「すげぇ! オレが紙の中にいる!!」


「こんなに鮮明なのか! 自慢の刀もしっかり写ってる!!」


 写真を手にしたお客さんは、二人して満面の笑みだ。

 田中先輩みたいに、写りに納得がいかないと騒がれたりしなくてよかったぁ。


「さぁて、次のお客さんいくよ! 美湖ちゃん、準備いい?」


「はぁい!!」


 休む間もなく二組目だ。ここまでの行列は今後もなかなか見られるものではないだろう。

 この機会に稼いでおかなきゃ! 頑張るぞ!!




 すべての撮影が終わる頃には夕方になっていた。

 これ以上引き受けると空の明るさの問題で写りが悪くなるとのことで、残る五人のお客さんには明日また来てほしいと頼んでおいた。

 本日の稼ぎは上々ということで、人気のなくなった部屋の中三人で祝杯を上げる。


「いやー、働いた働いた! 仕事のあとに飲む酒ってのは格別だねぇ」


「そうっすね! 皆満足してくれたみてぇだし」


「写真の撮り方もたくさんお勉強できて嬉しかったです!」


 三者三様。それぞれが満ち足りた表情だ。

 私にとっても今日は有意義な時間だったな。撮影用の器材にも触れたし、間近でその工程を見せてもらうことができた。

 やっぱり写真はすばらしい!! もっともっと詳しく知って行きたい!!


「やっぱり志士達に写真は人気だねぇ。どういう心理で撮るものなんだい?」


 ちびちびと手酌で飲みながら、シノさんは先輩に目線を向けた。

 確かに私もそこは気になる。


「そうっすねぇ。オレの場合、なんとなく話題だから撮ってみたのが最初っす。んで、写り良くなかったんで、次こそはの精神で何枚か……」


「そんなに写り悪いのかい? たまにゴネるお客さんもいるけどさ、大抵はありのまま写ってるもんよ」


「マジすか……いや、あれが普段のオレだとは認められねぇ! あんなんが現実だったらオレは清水の舞台から飛ぶぜ!!」


 苦悩するように唸りながら、先輩は頭を抱える。うーん。よっぽど気に入らないんだな。


「でも羨ましいですよ、何枚も写真撮ってて。私はまだ一枚も撮ったことないから……」


「美湖ちゃんならいつでも撮ったげるよ。可愛いし」


「いえ、私、初めての写真は家族とって決めてるんです。今度雨京さんとかすみさんを連れてきますね!」


「へぇ、そいつは楽しみだ! 美男美女に撮ったげるから期待してて!」


「はいっ!!!」


 楽しみだな。

 かすみさんもむた兄に診察してもらえるようになったし、退院の日も遠くないだろう。

 二人にも、写真の素晴らしさを実感してほしい。そのためにも、もっと写真について勉強していかなきゃ。





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