第七十八話 根城探索
先輩の目的地は、矢生一派の潜伏先だった。
この間の戦い以降はさすがに根城を移しているはずだけれど、何か手がかりが残されているかもしれない。
早足で歩くこと四半刻。草深い獣道を抜けて、私達は目的地に到着した。
「あの晩から時が止まったみてぇだな」
入り口となる戸は破壊されたまま、あけっぴろげの玄関口には蜘蛛の巣が張っていた。
そっと中を覗き込んでみるものの、灯りもない廊下は墨で塗りつぶされたように真っ暗だった。
「うう、こわいなぁ。中に誰かいたらどうしよう」
「そん時ゃ遠慮せずに引き金を引け」
「は、はい」
震える手で撃鉄を起こす。
ずかずかと内部に侵入する先輩の背中を追いかけて、私も闇の中に足を踏み入れた。
「あちこちに蜘蛛や蛇がいんなぁ。噛まれたらマズイから慎重に動けよ」
「毒を持ってますしね。視界が悪くて不安です」
「ちょっと待ってな」
そう言って脇の部屋に入った先輩は、提灯を持って戻ってきた。
あたたかな灯で、ぼんやりとお互いの顔が浮かび上がる。
「明るくなるとほっとしますね」
「おうよ。ちょっくら天井裏を見てくるが、おめぇも来るか?」
「行きます!」
一人で待っているのは怖い。先輩の袖口をぎゅっとつかんで、押入れのほうに向かう。
天井裏に上がってみると、思いのほか広々とした空間が広がっていた。
盗品で溢れて足の踏み場もないくらいだと思ってたんだけど……。
「前に来た時は木箱や長持が積まれてたんだが、やっぱ持ち出されてるみてぇだな」
「そうですねぇ。盗品を別の場所に移すために、あの後もここに来てたかも……」
間取りとしては十畳以上あるだろう。
そんな空間を埋め尽くすほどの物量なら、数日かけて運び出す必要がありそうだ。
「もしかしたら未だにこの辺うろついてっかもな」
「怖いこと言わないでくださいよぉ」
一通り見て回ったものの、わずかに残った木箱の中は空っぽだった。
収穫なしということで、私達はふたたび階下に戻り、探索をはじめる。
「ここはたぶん、りくの部屋です」
女ものの家具が置かれ、華やかな錦絵が飾ってある。
念のため鏡台の引き出しを調べてみたけれど、中には何も入っていなかった。
以前調べたときは化粧道具なんかが隙間なく詰め込まれていたから、りくも一度荷物をとりに来たのだろう。
「オレはそいつの顔を見てねぇが、どんなヤツなんだ?」
可愛らしい模様が入った長持ちの蓋を足で蹴り上げながら、先輩が問うた。
「考え方が盗人そのもので、物騒な相手です。矢生のためならなんでもしそうな子でした」
「矢生の女か?」
「そこは疑問です。ただ利用されてるだけなのかも」
彼らの関係性は分からないことだらけだ。
けれど、りくが矢生に心酔していることは確かで……。
そのきっかけが何だったのか、いつから一派の仲間になったのか、気になるところは多い。
「アイツら謎だらけだもんな。早いとこ新しい根城を見つけて壊滅させてぇぜ」
「そうですね。できれば次の放火殺人を予測して止めたいですが……」
「おう。ちんたらやってらんねぇな。気合入れて聞き込みしねぇと」
顔を見合わせて、大きく頷く。
奉行所ばかりに任せてはいられない。この事件は陸援隊が解決するんだ。
一通りの部屋を回り終えるも、これといった収穫はなかった。
ガランとして物も少なく、人の気配を感じない。完全に空き家だ。
少しばかり拍子抜けして、私達は地下の抜け道を歩いていた。
「……止まれ」
先を歩いていた先輩が足を止める。そして、提灯を私に手渡し、代わりにピストールを寄越すよう指示した。
「足音がする。進行方向からだ。静かに後退しろ」
瞬時に緊張が走る。
がくがくと震えはじめた足に鞭打って、出来るだけ音を立てないように後ずさる。
やがて開けた空間に出ると、私達は脇道の穴へと体を隠した。
心臓がばくばくと脈打っている。
こんな時分に、一体何者だろう? まだ残党が出入りしているのかな。
灯りを消し、息を殺して相手方の気配に耳を傾ける。
やがて、足音とともに気味の悪い声が聞こえてきた。
「くそお……あいつら覚えてろよ……」
呪詛を吐くようなどろりとした口調。
声色にはまだ幼さが残っている。きっと子供だ。
どうすべきかと先輩の袖を引けば、彼は小声で「姿を確認するまで待つ」と答えた。
こんな場所に、こんな時分に、無関係な子供が迷い込んでしまったのだとしたら一大事だ。
「ううう……暗いのやだよぉ」
声の主が広間に姿を現した。提灯の明かりで浮かび上がった輪郭は、どうやら少年のようだ。見たところ十歳前後だろうか。
両の手には刃物が握られている。
見る限り後続もいないようなので、先輩が少年に向けて声を上げた。
「おいガキんちょ。ここに何しに来た?」
「ひっ……!!!」
ピストールを片手にずかずかと歩み寄る先輩を見て、少年はすくみあがる。
ぎゅっと身を縮め、やがてぼろぼろと涙を流しながらその場にへたりこんだ。
「質問に答えろ。何しに来た?」
低くうなる獣のような声色でそうつぶやくと、先輩は銃口を少年へと向ける。
少年はますます萎縮し、頭を抱えるようにして地面に伏せた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!!!! ぼくは悪くない! 何もしてない!! そっちこそ何だよおおお!!!」
ヤケになったのか、両手で地面を叩きながら、少年は号泣する。
間近に寄ってみれば、私よりもずっと背が低い。こんなに幼い子がなぜこの場にいるのだろう。
なんだか可哀想になってきた。
「きみ、お名前は?」
怖い顔の先輩には一歩下がってもらい、私が対応する。
膝をついて頭を撫でてあげると、少年はゆっくり顔を上げてくれた。
「かわいいお顔。まだ小さいのにこんなところまで、怖かったでしょう?」
大人でも一人では足がすくむような道のりだ。
この子はどんな思いでここまで歩いてきたのだろう。
「うっ……ううう、あれ? 姉ちゃんは、もしかして……」
目に大粒の涙をためた少年は、私の顔を見るなりハッとして息を呑む。
「ん? なあに? どこかで会ったことあるかな?」
「姉ちゃん、いずみやに下宿してた子でしょ。店が燃えたあとに、神楽木家にいた……」
「え!? どうしてそれを知ってるの!!? あなた、何者!?」
仰天して立ち上がり、一歩二歩と後ずされば、少年は袖で涙をぬぐったあと、私の目を見て口を開いた。
「ぼくは潮。ここに陣取ってた盗賊団団長の息子だ」
それを聞いた瞬間、先輩の表情がいっそう険しくなった。
けれど、話は最後まで聞いてみなければ分からない。
今にも発砲しそうな先輩をなだめ、潮くんから更なる情報を引き出そうと言葉を選ぶ。
「団長というのは、矢生のこと?」
「ちがう。うちの団は先代からここに陣取って盗みを働いてた。矢生たちは今年に入ってから姿を見せて……」
そこまで言って、潮くんはふたたび大粒の涙を流しながら顔を伏せた。
「どうしたの? 矢生たちが来て、何か変わった?」
「ぜんぶ変わった。盗みのやり方にもいちいち注文をつけてくるし、いつの間にか団員たちを言いくるめてあいつらが統率するようになって……」
あいつら、というのは水瀬、深門を含む三人組だろうか。
人の懐に入るのが上手い連中だ。本気で動けば集団を乗っ取ることも可能だろう。
話を聞く限り、この子は矢生たちに恨みを持っているようだ。
こちらの事情を明かしたほうが話は早いかもしれない。
先輩のほうを振り返り確認すると、彼はコクコクと頷いてくれた。
「あのね、私達は矢生に盗まれたものがあって、それを取り返すためにやつらを追ってるの。きみは矢生の敵? 味方?」
「敵だよ! 父さんを殺して、姉ちゃんをたぶらかして、うちの団を乗っ取った! 絶対に許さない!!」
「お姉ちゃんがいるの? それってもしかして……」
「りく姉ちゃん。ぼくは妾の子で、姉ちゃんは正妻の子。どっちの母もとうに亡くなってるんだけどね」
「それは苦労したでしょうね」
あんなに高圧的でわがままな女は、他に見たことがない。
そばにいれば家族でも振り回されるに違いない。
「うん。姉ちゃんには逆らえなかった。今でも怖い」
「そっか……潮くんは今、矢生たちと行動を共にしてるの?」
「ううん。あいつらのやり方が気にくわなくて、一人で脱走した」
「そうなんだ……それで、私のことを知っていたのはなぜ?」
「矢生達が、いずみやに下宿してた娘が神楽木家に逃げ込んで事情を話しただろうって危惧してたからね。姉ちゃんはやつらに警戒されてた」
「そっか。でも私の顔を見たこともないのに、知ってるのが不思議だな」
この子に顔を見られた記憶はない。会った瞬間に素性がばれるのはおかしな話だ。
「神楽木家といえば知らぬ人はいない京でも有数の豪商だからね。神楽木かすみが捕らえられたとあればすぐさま動くだろうと思って……これに見覚えない?」
と、潮くんが懐から出したのはぎらりと光るクナイ……。そうか、これは確か……
「私が神楽木家の離れにいた時、これにくくりつけられた文が飛んできたことがあったっけ」
「そう。あの文はぼくが書いて投げた。ひっそり一部始終を見てたから、姉ちゃんの顔は覚えてる」
「あれって、潮くんが書いてくれたんだね! おかげでかすみさんを助け出すことができたよ!」
「ぼくとしては矢生一派に壊滅してほしかったからさ。どうにかして神楽木家に動いてもらおうと思って……でもあの晩、ここに来たのは神楽木家が雇った人間じゃなかったみたいだね」
と、ここまで話したところで、田中先輩が私と潮くんの間に入り、眉間にシワを寄せながら不良じみた表情で口をひらいた。
「矢生一派を蹴散らしたのは、オレら陸援隊だ。覚えとけクソガキ」
「りくえんたい……っていうと確か、矢生達が銃を調達するために潜り込んでたとこか。大打撃くらったでしょ? ご愁傷様」
「ほとんど取り返してはいるんだがよぉ、まだ一部の銃とオレの刀が盗られたまんまなんだわ。心当たりねぇか?」
「うーん、そういう貴重な品はあの晩持ち出されてるはずだよ。今矢生達がどこに陣取ってるのかは、ぼくも調べてるとこ」
潮くんは難しい顔をして、腕を組みながら唸る。
核心に触れられそうな気がして一瞬胸が騒いだけれど、肝心な部分はやっぱり闇の中か……。
「それにしてもさ、こんなところに一人で来るなんて勇気あるね。残党がうろついてるかもしれないのに」
「ウチの団は一度暴かれた拠点には二度と戻らないよ。運びきれなかった荷物は切り捨てたはず」
「そうなんだ。じゃあ持ち出せなかった盗品は奉行所が押収したのかな?」
「そうだと思う。念入りに隠しておいたものは残ってるかもだけど」
そう言って潮くんは立ち上がり、建物に繋がる通路を進んでいく。
私達も無言でそれに続く。
やがてたどり着いたのは、りくの部屋の向かい。
文机のみがぽつんと置かれた殺風景な部屋だ。
「ここがぼくの部屋。この畳の下に……」
と、畳を持ち上げると、一枚の板きれが乗っている。
それを取り外せば大きな空洞が姿をあらわした。
「この穴に、へそくりが隠してある」
空洞に半身を突っ込んでガサゴソと漁っていた潮くんが顔をあげた。
彼が掘り起こしたのは、一抱えもある壷。
壷の蓋をとりはずしてみれば、中には……
「わぁぁっ!!すごい!!!!」
「びっしり詰まってんなァ」
覗きこんだ私と田中先輩は、驚嘆の声をあげる。
中身はまさに金銀財宝。あふれんばかりの小判が顔をのぞかせている。
「この壷の中身は、好きなだけあげる。そのかわり一つ頼みごとを聞いてほしい」
壷を私達に差し出して、潮君は深々と頭を下げる。
「おいマジでこれもらえんのか? 頼みごとって何だよ?」
「ぼくをきみたちの仲間に入れてほしい」
「仲間に……」
どうすべきか、先輩に目線を投げて言葉を待つ。
この子の話を信頼していいものか。
「まだ信じきれねぇ部分があるなァ。仲間にっつっても、こんなガキを連れて帰るわけには……」
「兄ちゃんたちの拠点で世話してほしいとは言わない。ただ、たまに会って情報交換とかできたら助かる」
「ふぅん。意外と控えめな提案だな。その程度なら構わねぇぜ」
先輩が了承すると、潮くんは飛び上がって喜んだ。
「やったぁ! ありがとう! ずっと一人で不安だったから、こうして誰かと話ができるだけでも嬉しいよ」
「おう。よろしくな!」
そうして、お互いに持っている情報を共有しあう。
先日燃えたなかの屋は、ずいぶん前から矢生達が狙っていたらしい。
女店主が単独で切り盛りしている店を調べ上げ、順に食いものにしているそうだ。
「ということは、そういうお店をしらみつぶしに当たっていけば、有力な情報が得られるんじゃないかな?」
「うん、ぼくもそう思う」
「次に狙われそうな店は分かるか?」
先輩が問うと、潮くんは残念そうに首を振った。
「結構な数を候補に入れてたみたいだから分からない。よく話題に出てたのは、なかの屋の他に十件くらい」
「多いなぁ。どっか覚えてる店はあるか?」
「うーん、ほとんど覚えてないなぁ。あ、ねこまんま亭とかいう変な名前の店もあったっけ」
「!!!」
思わず先輩と顔を見合わせる。
ねこまんま亭は確か、西山さん行きつけの茶屋だ。
陸援隊の屯所からほど近いところにあるとの話だったっけ。
「なぁるほど。そんじゃその店はオレ達が調べる。潮は他に心当たりのある場所を探ってくれ」
「分かった! よろしくね兄ちゃんたち……あ、そういえば名前聞いてなかったね」
「オレは田中顕助だ」
「私は天野美湖。よろしくね」
「ケン兄にみこ姉!よろしく!!」
妥当矢生一派同盟成立ということで、私達は拳をコツンと打ちつけあって団結した。
潮くんの素性はまだよく分からない部分があるけれど、今夜得られた情報は有益だ。
少しだけ警戒心を残して、彼とは手を組もう。
その後、抜け道を通って私達は帰路についた。
無事に穴倉を抜けて、静まり返った夜の路地を歩いていく。
「冷えるねー。風邪ひきそうだ」
手のひらに息を吹きかけながら、潮くんは身を縮めて歩いている。
そういえば最近急激に冷えてきた気がする。重ね着が必要な季節だ。
「潮くん、このあたりに宿とってるって言ったよね。帰ったらあったかくして寝るんだよ」
「うん! ほら、そこに見えてる如月屋って宿だよ」
指された方向に目を向けてみれば、なんとまぁ立派な建物がそびえ立っている。
お高い店だと瞬時に分かる。けれど先ほどのへそくりがあれば、どんな宿にでも連泊できるだろう。
「奮発してんなぁ。うらやましいぜ」
「へへへ、儲かる家業なもんで」
屈託のない笑みを浮かべる潮くんの頭に、先輩は容赦なくゲンコツを落とす。
大事なものを盗まれた側としては、笑えない。
「えーーーん! みこ姉ちゃん、いじめられた~」
潮くんは目に涙を浮かべて私にしがみついてきた。
抱きとめてそっと頭を撫でながら、あやしてあげる。
「こわいお兄ちゃんでごめんね。でもね、盗みはよくないことだよ」
「うん、ごめん。みこ姉ちゃん意外とおっぱい大きいんだね」
「てめーーーー!!!反省してねぇだろ!!」
怒り心頭な先輩が、襟元を掴んで潮くんをひっぺがす。すごい勢いだ。
「ぼく、みこ姉ちゃんくらいのおっぱいが好き」
「おめぇ許さねぇからな。何しれっと顔うずめてんだよ」
襟首をつかんだまま、ずるずると如月屋さんまで引きずられていく潮くんの顔は幸せそうだ。
子供のしたことだから、私はそう嫌でもないんだけどなぁ。
「なんでケン兄が怒るのさ? もしかして二人って……」
「んな関係じゃねぇよ。ただ、なんつーかこう……軽々しく触られんのはムカつくっつうか……」
「そっか。みこ姉ちゃんのこと好きなんだ」
「そうじゃねーーー!! もういい。今日んとこはサヨナラだ。またここに話聞きにくるからよ」
そっぽを向いた先輩は、いかにも不機嫌そうにずかずかと帰り道を歩いていく。
こうなったら立ち直ってもらうまで気をつかうんだよね。
「じゃあ潮くん、また会いにくるね」
「うん! 今日はいろいろ話聞いてくれてありがとう。これ、少ないけど資金の足しにして」
と、懐から包みを取り出して私の手に握らせてくれた。
硬いしずっしりとしている。中身は小判だろう。
「ありがとう! いざというときのためにとっておくね。それじゃ!!」
去っていく先輩の背中を見失いそうだ。私もそろそろ行かなきゃ。
走り出して振り返れば、潮くんがぶんぶんと手を振ってくれていた。
いい子だなぁ……盗賊だった過去以外は。




