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よあけまえのキミへ  作者: 三咲ゆま
二章 陸援隊編
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第七十七話:探索

 引札作りは、コツさえつかめば一枚にかける時間をずっと短縮することができた。

 簡単な絵を描いて、文字を入れて、手渡された瞬間にパッと内容が目につくよう体裁をととのえながら仕上げていく。

 慣れると楽しいし、三人であれこれ雑談しながら筆を動かしている時間は笑い声が絶えなかった。


 そうしてわいわいと作業を続けること約二刻。

 夕餉もごちそうになり、お腹も膨れてだんだんと眠くなってきたけれど、割り当ての大半は消化できた。

 残りは八枚。思いのほか早く床につけそうで一安心だ。


 私の画力のなさはさておき、シノさんの腕はかなりのものだった。

 何でも、写真師を志す前は売れない絵師だったとの話だ。

 紙の上でうっすらと笑みを浮かべる小町は、さらりと迷いのない線で綺麗に整っている。

 シノさんいわく「整っているだけの地味な絵だったから売れなかった」そうだけど、そのあたりの難しい話は私にはよく分からない。

 

「やっぱシノさんはうめぇなぁ。オレも真似て描いてみたんすけど、どうすか?」


「おお! うまいうまいっ! その調子で頑張りな!」


「へっへっへ、誉められちまった! なぁなぁ天野、どうよ? おめぇよりうめぇだろ?」


 意外にも絵心のある先輩が、次々と味のある絵を量産していくのが、ちょっと悔しい。

 シノさんの絵の模写は本当によく描けているし、適当に描いたと言い張る浪士風の男の人の絵もうまい。

 さっきから勝ち誇った顔を見せられっぱなしで、言い返す言葉も浮かばない。


「わたしよりずーーーっとお上手ですね。すごーーい」


「おい、もうちょい心こめて誉めてくれよ」


「心こめてますよぉ。今描いてる途中だから、じっくりお相手できないだけです」


「そっか。じゃあ描き終わったら褒めちぎってもらおっと」


「えーー? もう充分誉めましたよ」


 先輩は一枚描き終えるたびに誉めろ誉めろと声をかけてくるからか、割り当ての半分ほどしか消化できていない。

 このままだと一人居残りで深夜まで作業しなければならないだろう。かわいそうに。



「ところでさ、二人とも夕方どこに行ってたんだい?」


 手の動きを止めず、紙の上に視線を落としたまま、シノさんが問うた。

 そういえば、まだそのあたりの事情を話していなかったっけ。


「実は、ここが幽霊屋敷と呼ばれるようになった経緯が詳しく知りたくて、近所に聞き込みしてたんすよ」


「なんだ、そんなことならアタシが教えたのに」


「シノさんが店を開く前のことを聞いときたかったんで」


「へぇ。何か分かったかい?」


「それが――」


 先輩は、前の住人の後家さんのことや、その後頻繁に人の出入りがあったらしいことなどを詳しくシノさんに説明する。

 話の大半はすでに耳に入っていたようだけど、浪士風の男の特徴を軽く話したところで彼女は思いきり眉をひそめた。


「京なまりで人相悪め、おまけに腕に彫り物。その男、一昨日店に来たよ」


「ええええっ!? シノさん、大丈夫でした!?」


「うん。客だと思って愛想よく対応したんだけど、結局また来るとか言ってその日は帰ってった」


「また来る……? シャレになってねぇな。気ぃつけた方がいいっすよ」


 神妙な面持ちで立ち上がった先輩は、戸口に駆け寄って戸締りをたしかめる。

 正面戸も勝手口も、夕餉のあと厳重に戸締りをしたからぬかりはないはずだ。

 

「……確かに後家さんを殺したのはその人なんだろうね?」


「ほぼ間違いねぇと思いますよ。そいつとどんな話をしました?」


「いつも店にいるのかとか、儲かってるかとか……やっぱ器材は高いのかとか、まぁ他愛ない雑談だよ」


「いえ、それって危ないと思います。高い器材を盗むつもりかもしれません」


 矢生一派がいずみ屋を狙っている時もそうだった。

 何気ない日常会話に見せかけて、あらゆるものを値踏みしている。

 金目のものを持っていると分かればすぐさま目をつけられてしまうだろう。


「アレはアタシの命も同然だから、盗られるわけにはいかないねぇ」


「そうですよね。でも、最近はここらで火付け盗賊が暴れまわってますよね。狙われるのは女店主ばかりだとか」


「店主に取り入って店に居つくらしいっすからね。例の彫り物男はそいつらの仲間だと俺らはふんでます」


「……笑えないね、そりゃ。まぁ、アタシは男にたぶらかされるような事だけはないから安心して」


 と、傍らに据えてあった湯飲みを手に取りながらシノさんは笑みを見せる。

 経験豊富な大人の表情だ。言われてみれば確かに、シノさんは異性を翻弄する側に見えるけど……。


「いやいや、慣れてる相手はナメない方がいいっすよ。きっと巧みに口説き落としてきますって」


「いや、アタシ興味ないから。なびくことはないよ」


「一見好みじゃなくても、話術に優れたヤツは距離縮めんの上手いっすからねぇ……」


「……ふう。言ってなかったけどさ、アタシの興味の対象って女なのさ」


「……ええええええ!!?」


 先輩と共に驚愕の声をあげる。

 興味の対象が女……?

 そう言われてみれば、女の人のきわどい写真を持ってるって鼻の下をのばしていたことがあったっけ。

 まさかそういうことだったなんて。


「ま、ま、マジすか……? え、まさかシノさん、女と付き合ったことあったり……?」


「これまで四人と付き合ったねぇ。ま、そう長続きはしなかったんだけどさ」


「うおおおお……!! すげぇ、未知の世界だぜ!」


「へっへっへ。アタシの夢はね、昼にも言ったけど京中の……いや、日本中のかわいこちゃんを写真におさめることなのさ!」


 指に挟んだ筆をくるくると回しながら、シノさんはしみじみと語る。

 熱心に女の子の写真を撮りたがるのは、そういう理由からだったんだ。

 そういえば初対面の時も、女の子だから特別だって、いろいろよくしてもらったなぁ。


「でも、その人をあまりお店に入れないほうがいいのは確かです。いざとなったら力ずくで盗みを働くかもしれませんから」


 こちらが拒絶の姿勢を見せると、やつらは強硬手段に出る。

 そのせいでいずみ屋が燃えたのだから、教訓として胸に刻んでおかなければならない。


「そうだね、気をつける。教えてくれてありがと、二人とも」


「いえいえ! ここにいる間はオレが用心棒がわりになりますんで安心してください」


「私も、小町屋が上手く繁盛するようにお手伝いします!」


 あらためて気合を入れなおした私たちは、おー! と拳を突き上げて引札作りを再開する。

 格子の窓からひんやりとした夜風が吹き込んで、こもった熱気が押し出されていく。

 隣家の生活音も止んで、そろそろご近所さんも寝入る時間帯だ。

 私たちも、早く作業を終わらせて体を休めなきゃ。




 急ぎで引札を書き終えて、私とシノさんは疲れた体を布団の上に投げ出した。

 六十六枚、頑張れば一日で仕上がるものなんだなぁ。

 私の作はとんでもなく手抜きで拙い出来だけれど「それはそれで可愛い」とシノさんは許容してくれた。太っ腹だ。


「ケンちゃん、先に寝るよ~。半刻くらい粘って終わらなかったらもう休んでいいからね」


「了解っす!」


 先輩の声は、隣室から聞こえてくる。

 戸口から入ってすぐの殺風景な部屋に、机と灯りを持ち込んで彼は居残りで作業を続けているところだ。

 やっぱりこうなっちゃったか。手より口のほうが動いてるんだもの、自業自得だ。


「さぁて、アタシたちはもう寝よっか。明日は忙しくなるよ」


「あ、それなんですけどね、少し用事がありまして……シノさんのお手伝いはお昼からでいいですか?」


「うん、構わないよ。手伝ってもらえるだけで嬉しいからさ」


「ありがとうございます。私たちも、泊めていただけて助かりました」


「何日でもいていいからね。美湖ちゃん達がいてくれると賑やかで楽しいよ」


 うつらうつらと半分夢の世界に落ちているシノさんは、そう呟いて瞼をとじた。

 くすりと笑みをこぼして、私もすっぽりと布団をかぶる。

 最近はこうして頭まで覆っていたほうがよく眠れるのだ。


 真っ暗な部屋の中で少しずつ意識が霞んでいく。

 もしここが本当に幽霊屋敷で、後家さんの霊が枕元に立ったら……

 なんて想像が一瞬頭をよぎったけれど、隣から上がる能天気ないびきを耳にしていたらどうでもよくなった。

 本当に怖いのは、生きている人間だ。

 刃物を向け、火を放ち、すべてを奪い去って卑しく嗤う矢生一派のような。

 そんな残忍でおぞましい存在は、野放しになんてしておけない。

 明日は、もっと聞き込みを頑張ろう。もう少しで決定的な何かをつかめそうな気がする。




 ――穏やかで心地いいまどろみの中、うっすらと私の意識は覚醒した。

 寝入ってから、どのくらいの時間が経っただろう。

 外はまだ暗い。屋根の上で、烏が不気味に鳴いている。


 目を開いて隣室につながる障子へと目をやる。

 灯りは消えているようだ。先輩ももう寝ちゃったかな。


 「……ふう」


 体を起こして、隣に積まれている布団の山に手をのばす。

 先輩は、何も敷かずに畳の上に横になっているみたいだ。

 起こさないように、そっと布団をかけに行こう。


 掛け布団を抱えて、障子に手をかけたところで、はっとする。

 今、向こうの部屋で人影が動いた気がする。

 先輩が起きているのかと思ったけれど、違う。浮かび上がった影はふたつだった。


 ぞくりと悪寒が走り、全身の毛が逆立つ。

 もしかして、侵入者……?

 戸締りはしたはずだし、大きな物音がすればさすがに気づくはずだ。

 向こうにいるのは何者だろう……。


 ばくばくと早鐘のように打ち付ける鼓動に息が詰まる。

 武器一つ持たない私は、障子を隔てた隣室に潜む何者かの気配に、気が狂う想いだった。


 シノさんに知らせようか……でも、でも……どうしよう。

 もたついている間に、先輩が傷つけられてしまうかもしれない!


 ガタガタと震えだした両足は、もう立っているのがやっとなほど。

 強く拳を握り締めて一歩踏み出したそのとき。


 スッと、目の前の障子が開いた。


「――っっ……!!!!」


 眼前で爛々と光る双眸は、ぎらついた野良猫のようだった。

 声にならない悲鳴をあげて逃げようとする私の手首を掴んで、相手は囁くように言葉を発する。


「しーっ。姉ちゃん、わいらや。夕方会うたやろ」


「……へ……?」


「こっち来てや」


 そのまま手をひかれて、隣室へと導かれる。

 格子の窓から差し込む月明かりに照らされて、二人の顔がはっきりと目にうつった。


「へへ……驚かせてすまんかったな」


「あ、あなたたち……どうしてここに?」


 夕方言葉を交わした悪がき二人組だ。

 木刀を手にした彼らは、にっと笑みをうかべて顔を見合わせる。


「幽霊おらんかそのへん見回ってたら、兄ちゃんから声かけられてなぁ。留守番頼まれた」


「るすばん……? 先輩はどこに?」


「さあ。なんや用事あるって出てった」


「そう……なんだ。出ていったのはいつ?」


「ちょっと前やな。東山のほう行くみたいやった」


 東山。いい思い出がまるでない場所だ。

 特にこんな夜中にふらふらと出て行くなんて、あんまりだ。一言の相談もなく。


 ふと目について、机の上の紙束を手に取る。

 あれから何枚か描いたようで、力作の山が出来上がっている。

 そして、そのてっぺんにあるのはどうやら置手紙らしかった。


『ちょっと、しょうべんにいってくる』


 この家にだって厠くらいあるのに。

 わざわざ外に出ていく口実としてはあまりにも苦しすぎる。

 先輩はきっと、一人で危険な場所に踏み込むつもりだ。

 さすがに放ってはおけない。


「――二人とも、このまま留守番してて。私もちょっと出てくる」


「ええんか、姉ちゃん? 一人で平気か?」


「ちょっと怖いけどね。そうだ、その木刀貸してくれる?」


「ええで。早めに帰ってきてなぁ」


「うん、ありがとう。二人も、もし幽霊が出たら戦ってね!」


 そう言って木刀を掲げると、少年二人はぐっとこちらに拳を突き出して任せろと頷いてくれた。

 深い事情は聞かないんだな。

 深夜の頼みごととか、幽霊退治とか、非日常のど真ん中で興奮しているんだろう。



 できるだけ静かに戸を開けて、外へと飛び出す。

 私が出るとすぐに、中で心張りしんばりぼうをあてがう音が聞こえた。戸締りは万全だ。

 ちびっこ二人を深夜まで振り回すのはなんだか悪い気がするけれど、事情が事情だ。こうする他に道はない。


 顔を上げて町を見渡せば、周囲を不気味な闇がおおっている。

 人っ子ひとり歩いていない。

 家々の明かりも消え、あたりは静まり返っている。

 震える足を強めに叩いて、私は駆け出した。


 子供たちの証言によると、先輩が向かったのは東山方面。

 大きな通りに出て視界が広がると、いくらかほっとして地を蹴る爪先に力が入る。

 疾走、疾走、とにかく力尽きるまで疾走!

 先輩は足が速いから、もし駆け足で現場に向かっていたら到底追いつくことはできないだろう。

 それでも、追いかけなきゃ。

 一人でいかせるわけにはいかない!!





 走って走って、息もきれてきた頃。

 はるか先に人影を発見した。

 商家の軒下にそっと身を潜める怪しい影。体格から見ておそらく男だ。

 背格好は先輩に似ているけれど、真っ黒な輪郭をかろうじて捉えられる程度の距離なので、別人の可能性も高い。

 人違いだった場合、相手は不審者だから少し怖いなぁと肝をつぶしながら、ぎゅっと木刀を握り締める。

 そうしてじりじりと前進していくと、例の人影が大きく動いた。

 こちらに目を向けたかと思うと、少しずつ歩み寄り……やがて、走って距離をつめてきた。


「ひぃぃぃ……!!!」


 もう少し近づけば相手の顔立ちもはっきりと見えるかもしれないけれど、さすがに怖い。

 暗闇の中得体の知れない影に追いかけられる恐怖といったら、それはもう計り知れない。

 ガチガチと奥歯が鳴り、目尻からは涙がこぼれた。もつれる足に鞭打って、私は全速力で来た道を引き返す。


「――おい、待てって天野!」


「……え……?」


「オレだ、田中だ!」


「えええ……!?」


 足を止めて振り返ると、すぐ後ろに先輩が立っていた。

 彼はやれやれと呆れたような表情で髪をかきあげている。


「せ、せんぱぁぁぁい! 探したんですよぉー!!!」


「バカヤロー! 夜に一人で出歩くんじゃねえ! 危ねぇだろうが!!」


「それはこっちの台詞です! 隊長たちからもそう言われたじゃないですか! 帰ったら言いつけてやりますっ」


「……あ、いや、そりゃ困る。それだけは勘弁してくれ」


 一転して両手を合わせ、ぺこぺこと頭を下げる先輩。

 やっぱりこの人の弱点は隊長か。


「どうして一人で出たんですか? 声をかけてくれたらよかったのに」


「危ねぇから置いてきたんだよ。どこであいつらに出くわすか分かんねぇだろ」


「危ないのは先輩だって一緒ですよ。だから一人では行かせられません。ついていきます!」


「……しゃあねぇなぁ」


 隊長や大橋さんからの言いつけもあり、先輩は思いのほかすんなりと同行を許可してくれた。

 小さく一息ついた彼は、私の背をかるく叩いて脇の細道に入るよう促す。

 幅が狭くじめじめとして、居心地のわるいところだ。

 こんな道を通るのかと先輩の顔色をうかがえば、彼は私を壁に押しつけるようにして腕をのばし、顔を近づけて口をひらいた。


「いいか、とりあえずコレ持っとけ。弾は三発入ってる。いざって時は撃っていい」


 そうして手渡されたのはピストール。

 久々に触れる、冷たくずしりとした感触。

 手にした途端に気が引き締まるようだ。


「かわりに、この木刀はオレが持つ」


「わかりました。先輩、剣術の心得は?」


「そこそこだ。でも基本は戦いになる前に逃げる作戦でいこうぜ」


「はいっ」


 先輩は受け取った木刀を軽く振ってみたあと、くるりと返して帯に差した。

 先輩といえばライフルという印象だったから、なんだか新鮮だな。


「あと、人目についた時は恋仲を演じる。場合によっちゃあちこち触るけど、暴れたりすんなよ」


「う……」


「なんだよ、その嫌そうな目はよ」


「いえ。誰にも見つからないように気をつけましょうね」


「そうだな、建物に沿ってひっそり動くぞ。んじゃ、出発だ」


 そうして私達は、静かな闇の中を歩き出した。




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