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よあけまえのキミへ  作者: 三咲ゆま
二章 陸援隊編
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第七十五話:進展

 今日はいつもより早くに起きて朝餉をたいらげ、洗濯物の山と向かい合った。

 一日置いただけでもそうとうな量の洗い物が溜まっており、それらが放つ雄臭さに鼻が曲がるかと思ったほどだ。

 どうしてこんなにも強烈に汗のにおいが染み付くんだろう。

 若い男の人って、そういうものなのかな。

 うちの父は家の中で書き物ばかりしてたからそうそう汗だくにはならなかったし、そのあたりはよく分からない。


 色とりどりの着物やふんどしをとっかえひっかえ洗うこと一刻半。

 ようやくすべてを干し終わって、私はぐっと腰を伸ばしながら達成感に浸っていた。

 ――天国のお父さん、見てくれていますか。

 わたし、毎朝こんなにたくさんのふんどしに囲まれて充実した生活を送っています!



「天野、訓練終わったぜ!」


 空を見上げて目を細めていた私の背後から、聞きなれた威勢のいい声が飛ぶ。田中先輩だ。

 彼はいつも通り肩にかけた手ぬぐいで汗を拭きながら、こちらに歩み寄ってくる。


「先輩、おつかれさまです! 見てください、洗濯がんばりました!」


「おう、ごくろうさん! さて、オレのふんどしはどれでしょう!」


 にっと口角を上げながら、先輩は風ではためくふんどしたちを指差した。

 どれでしょうと言われても……。

 そういえば、ふんどしにも名前の刺繍がしてあるって聞いたような。

 遠目からではぜんぜん分からないけれど。


「えっと……赤いやつ、ですか?」


「ざんねーん、左から二番目の紺のヤツな。中岡さんとお揃いなんだぜ?」


「へぇぇ……」


 隊長が紺なのはなんとなく分からなくもないな。

 でも先輩は……やっぱり赤が似合うと思うけどなぁ。


「おいおい、オレに合うか想像すんのやめてくれよな」


「べ、べつにそんな……! もう、はやく仕度して出かけましょう」


 仰るとおりちょっとだけ頭の中で着せ替えして遊んでいただけに、思わず赤面して玄関へと歩を進める。




 仕度を整えて玄関を出る私たちを、大橋さんが見送ってくれた。

 葉月ちゃんを抱いて、にこやかに手を振ってくれている。


「天野さんとは、ここ最近ゆっくりお話もできませんねぇ」


「そういえば、そうですよね。連日泊まりになっちゃって。帰ってきたら大橋さんとお茶でもしたいです」


「中岡さんや田中くんに先を越されてしまいましたが、次は私と二人でお出かけしてみましょうか」


「はいっ!! ぜひ!!」


 笑顔で返事をして、彼の腕の中で丸くなる葉月ちゃんのおつむに手をのばした。

 軽く触れたいだけだったのに、ぱしんと可愛らしい手ではじかれてしまった。

 まだお触りは許してくれないみたい。


「葉月とも、またゆっくり遊んであげてください」


「はいっ。仲良くなりたいです」


「あせらずゆっくりと馴らしていけば、きっと懐いてくれますよ」


「ほんとですか? わたしも、大橋さんみたいに母性を磨いていかなきゃいけません」


「……私は男ですけどね」


 母性という言葉がひっかかったのか、大橋さんは苦笑いだ。田中先輩も肩を震わせて笑っている。

 けれど常々思う。彼の言葉には母のような思いやりと包容力が含まれていると。


「えへへへ、ごめんなさい。でも大橋さんと話していると、ほっとします」


「そう言っていただけると嬉しいですが……忘れ物はありませんか? 出先で風邪をひかないように気をつけてくださいね」


「もう完全にカーチャンの見送りだわ」


 玄関先で長々と会話を続ける私たちを黙って見守っていた先輩が、みかねてやれやれと首を振る。

 彼の一言に、私と大橋さんは顔を見合わせて笑い声をあげた。


「それでは、いってらっしゃい」


「はぁい! いってきます!!」


「いってくんぜー! ハシさん、留守番よろしくな!!」


 二人してぶんぶんと手を振りながら、玄関先に立つ大橋さんに別れを告げる。

 彼は極力私用での外出を避けて、屯所を守ってくれている。

 部屋をたずねればいつだって笑顔で迎えてくれて、外から帰ってきたらやわらかく「おかえりなさい」とねぎらってくれる。

 隊長が陸援隊の父なら、大橋さんは母だ。

 隊として、うまく役割分担ができているなぁと今更ながら関心してしまう。




「さぁて、まずは螢静堂から行くか」


「はい!」


「うっしゃ、今日は久々に走るぜ!」


「おっしゃー! いきましょう!!」


 門を抜けてしばらく歩いたところで、先輩は足をとめてぐっと足腰を曲げ、柔軟をはじめた。

 私もそれにならって、なまった体を伸ばしながら気合いを入れる。

 長らくお休みしていたけど、きちんと走りきれるかな……。

 ここから先は、逃げ足の速さがものを言う危険な調査になる。頑張ってついていこう。



 屯所から疾走を重ねた私たちは、いつもよりずいぶん早く螢静堂に到着した。

 途中何度か休憩を挟んだものの、私の息は完全に上がってしまっている。足腰がぐにゃぐにゃだ。

 対して先輩は、いい汗をかいたと髪をかきあげながら、笑顔で水筒の水を飲んでいる。

 いつもながら余裕だ。どれだけ力を抜いて走っているんだろう。


「が、がんばりました……」


「おう、上出来だ! ただ後半ちょっとダレちまったなぁ」


「うう、ごめんなさい。体力が尽きちゃって……」


「まず、毎食たらふく食え! おめぇはおかずもたいして食わねぇだろ? それじゃもたねぇよ」


「はい……!」


 ばしんと背中を叩かれて、背筋が伸びる。

 彼はそのまま螢静堂の門をくぐっていく。元気だなぁ。


 たらふく食え、か。

 そういえば先輩は、いつも食べきれないほどのおかずを用意してくれてるな。

 私ももっとよく食べて、力をつけるべきなのかも。

 最近は、いずみ屋にいた頃の数倍動き回っているから。今までの量じゃ足りないよね。




 診察室に足を踏み入れると、読みかけの分厚い洋書を机に伏せながら、むた兄が迎えてくれた。

 見るかぎりゆきちゃんの姿が見えないけれど、どうしたんだろう。


「むた兄、こんにちは! ゆきちゃんは?」


「美湖ちゃん、いらっしゃい。雪子なぁ、今日は藤原さんと出かけてるんや」


「えええ!? 本当!?」


 二人きりでお出かけ……!!

 そんなにも彼らの距離は縮まっていたのか、知らなかった。

 順調そうでなによりなにより。


「たしか甘味処をめぐる言うてたな。藤原さんも甘味好きなんやて」


「へぇぇぇ……! そっかそっかぁ。仲良さそうでいいなぁ」


 二人が並んで歩いているところを想像して、ほんわかと胸の奥があたたかくなる。

 好きな子が隣で笑ってくれている間は、藤原さんも病気のことを忘れられるだろう。


「おいおい、藤原さんって誰だよ? もしかしてゆきちゃんの……」


 一人だけ事情を知らずに置いてけぼりな先輩は、困惑顔で話に割って入ってくる。


「ゆきちゃんといい感じの患者さんです」


「おおっ! やっぱりかぁ。なんだよゆきちゃん、やるなぁ」


「ゆきちゃんは、もてるんです!」


「なんでおめぇが誇らしげなんだよ」


「だって、親友ですから。ゆきちゃんのいいところを分かってくれる人がいたら、嬉しいですもん」


 しっかり者で気が利くし、誰にでも分け隔てなく優しい。

 その上愛嬌があって可愛らしいし、世の男性にとってお嫁さんにしたい条件が揃っているんじゃないだろうか。

 藤原さん以外にも、ひそかにゆきちゃんを慕う殿方は多いに違いない。


「ふぅん。けど、霧太郎さん的にはどうよ? 妹が嫁いじまったらやっぱ寂しくなるんじゃねぇ?」


「そらそうやなぁ。うちの診療所、雪子のおかげでもってるようなとこあるし……僕一人になったらアカンかもしれん」


「ゆきちゃん、てきぱき動いてくれるもんなぁ。霧太郎さんも、あの子のかわりに手伝ってくれそうな嫁さん探さねぇとな!」


「……いやぁ、僕、ほんまにぜんぜん縁がのうてなぁ……」


 がくりと肩を落とすむた兄に、そんなんじゃダメだと先輩が説教をはじめる。

 ――そっか。螢静堂は兄妹でなりたっているから、ゆきちゃんが欠けるとむた兄の負担が増してしまうのか。

 先輩の言うとおり、むた兄にもいいご縁があればいいんだけど。



「……それじゃ、私はかすみさんのお見舞いに行ってきますね」


 目の前で恋愛相談がはじまってしまったので、そっと席を立って廊下に出る。

 かすみさんは元気にしているかな。



 静かに部屋の前で名前を告げて、障子を開ける。

 彼女は、穏やかな笑顔で迎えてくれた。

 ほっとしながら布団のそばに腰を下ろし、ふと脇の机に目をやると、綺麗な竹細工の一輪挿しに、鮮やかな黄色が揺れている。

 小ぶりの花がまとまって形よく開く姿は、見ていて心やすらぐようだ。


「これ、どうしたの?」


「山村先生からいただいたの」


 可愛らしくはにかんで、かすみさんは懐から一通の文を取り出した。

 手渡されたそれを広げて読んでみると、長々とした本文の最後のほうに「ぼくのすきなはなです」と一言添えてある。


「文にお花が沿えられてたんだ。むた兄、気がきくねぇ」


「うん、とっても優しい方ね。私もこの花好きなの。女郎花おみなえし


「たまに咲いてるの見るよ。あったかい黄色で、かすみさんみたいな花だなぁって思ってた」


「ふふふ、ありがとう」


 かすみさんのこんな表情を見たのは、いつぶりだろう。

 心穏やかに過ごしていた時代に、いつも私を迎えてくれた懐かしい笑顔だ。

 女郎花がよっぽど気にいったのかな。

 むた兄の心遣いは、いつも的確に患者さんの弱った心に響く。

 この細やかさをおなごに向ければ、すぐさま縁談もまとまるんじゃないかなぁ。


「むた兄、ほんとにいいお医者さまでしょ」


「ええ、私もそう思う。だからね、明日か明後日あたり、怪我の具合を診てもらおうかなって思ってるの」


「……えええっ!! ほんと!!?」


 そろそろ頃合いなんじゃないかとは思っていたけど、まさかかすみさんの方から切り出してくれるなんて!!


「うん。今夜兄さまに相談して、お昼に出てこられるよう調整してもらうつもり。まだ少し不安だから、美湖ちゃんと兄さまについていてほしくって」


「私はいつでも大丈夫だから! やったやった! むた兄もきっと喜ぶよぉ!!」


 感激のあまり、かすみさんの両手をぎゅっと握って静かに揺らす。

 冷たく翳っていた彼女の気持ちが、ここまで上向きになってくれたことが何より嬉しい。


「これから山村先生に、そのことも含めてお返事を書くね」


「うんっ! かすみさん、本当によかった! 当日は私がついてるし、むた兄もこわくないからね!!」


 勇気づける言葉もうまく浮かばない私は、ぎゅっと彼女に抱きついて、その背中をさすった。

 むかし、泣き虫だった私をなだめながら、かすみさんがこうしてくれたように。


「ありがとう美湖ちゃん。私もね、文をやりとりしているうちに、不思議と先生のことを怖いと思わなくなったの」


「そっかぁ。実物はさらにいい人だから安心してね。最初は顔を見て話せなくても大丈夫だから」


「うん……実際に会ってみたら、まともに会話もできないかもしれないけれど。それでも、頑張ってみる」


「うん、うん。私たちもできるかぎり支えていくからね」


 私はこうして昼間のほんのひととき言葉を交わすだけだったから、彼女の心の変化に鈍感だった。

 日々少しずつ、確実に快方に向かっていたんだな。体だけではなく、心も。

 これはやっぱり、そばでずっと見守ってくれていた螢静堂のみなさんの力が何より大きい。

 

 ……私は、だめな妹だ。

 もしかしたら、多忙でわずかな時間しか顔を出せない雨京さんも、同じ思いでいるかもしれない。


 ――それでも、これから彼女が踏み出そうとする一歩を、間近で見守ってあげる役目は私と雨京さんのものだ。

 彼女自身が指名してくれたのだから。

 そして何より、家族だから。

 初診が滞りなく済むように、全力で気を配っていかなきゃ。




「よかったな、かすみさんが決意してくれて」


 螢静堂を出て、シノさんの写真館までの道中。

 休まず走ってきた私と先輩は、お寺さんの一角にある木陰で休憩をとっていた。


「そうですね、あとはむた兄次第です」


「霧太郎さん、めちゃくちゃそわそわしてたな。当日大丈夫かよ、アレで」


「うーん……もしかしたら、かすみさんよりも緊張してるかもしれません」


 三人で手を打って喜び合ったあと、むた兄は急にそわそわしながら「大丈夫や、今度は大丈夫」と自分に言い聞かせるように呟いた。

 今度は、か――。

 むた兄は、かすみさんが目覚めてすぐ、彼女に強く拒絶されている。

 その場にいなかったから詳しくは分からないけれど、かすみさんはしばらく取り乱して、正気を失ってしまうほどだったと聞く。

 自分のせいで、という想いが彼の胸のうちには消えずに残っていることだろう。


「不安かもしんねぇが、今度の診察がうまく行けば、二人とも胸のつかえがとれんじゃねぇの?」


「私もそう思います。二人のために、当日はしっかりそばで見守っているつもりです」


「おう、それがいい。おっしゃ、そろそろ行こうぜ」


 いくらか汗がひいて呼吸が整ってきたころ、先輩はぐっと伸びをして木陰をあとにした。

 ああ、名残惜しいな。気持ち良さそうに丸くなっている猫ちゃんたちがうらやましい。

 後ろ髪をひかれながら、私も大股で日差しの中に飛び出していく。

 今日は風呂敷を背負っているから、余計に背中が汗ばんでくる。

 けれど弱音を吐く暇もない。先を行く背中はもう手が届かない距離まで駆けている。

 ようし、走るぞお!!




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