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よあけまえのキミへ  作者: 三咲ゆま
二章 陸援隊編
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第七十三話:隊長の寓居探し(六)

 商家の朝は早い。

 とくにこのあたり一帯の古い店舗は、どこも早くからのれんを出して営業をはじめている。

 みすぎ屋さんで一晩明かした私と隊長も、朝餉をごちそうになって帰り支度をすませたところだ。


「天野、準備はできたか? そろそろ出よう」


「はいっ! いきましょう!」


 元気に返事をして、廊下のほうへと向かう。

 荷物はほとんど屯所に置いてきたから、準備といっても鏡の前で軽く身支度を整える程度だ。


 昨晩は真っ暗闇で部屋の様子もいまいち見て取れなかったけれど、明るくなった室内はずいぶんと賑やかに飾り立てられているのが分かる。

 壁に飾られている鮮やかな玩具絵の数々は、父がはるちゃんに贈ったものだ。何点かはかすみさんからかな。

 それとは別に、はるちゃんの直筆らしい「しんぎたい」の字が躍る半紙も貼ってある。



「いやぁ、朝から大変だったな」


 廊下で待ってくれていた隊長が、やれやれとため息混じりに刀の柄を撫でる。


「はるちゃん、起きてからもずっとそれを抱いてましたもんねぇ」


 預けておいた刀を返してもらうまでに、思いのほか時間がかかってしまったのだ。

 しぶるはるちゃんの強情さを見かねたおじさんがゲンコツをおみまいし、さらにおばさんからは朝餉抜きを言い渡され、彼女はようやく刀を手放した。

 たんこぶをさすりながら涙目で、名残惜しそうに隊長のもとへ戻るそれを見送っていたっけ。


「次はいつ来るのか聞かれたしな、あの子なりに俺を受け入れてはくれているみたいだ」


「ふふ、そうですねぇ。ところで、隊長は剣術の心得あるんですか?」


 階段を降りて、履物に足を通しながらふと浮かんだ疑問を口にする。

 もしも励んでいた期間があるのなら、そこから話が膨らみそうなものだけど。


「一応習いはしたが、たいした腕じゃない」


「習ってはいたんですね。はるちゃんは剣術大好きだから、そういうお話喜ぶと思いますけど」


「俺がそういった話をすると、手合わせする展開になりそうでどうもな……剣術といえば、龍馬の腕は確かだぞ。あいつがこっちに戻ってきたら、おはるちゃんに会わせてみるか」


「あ、それいいと思います! 坂本さんならはるちゃんともすぐに打ち解けられる気がするなぁ」


「ああ。当分先になるだろうが、連れてきてみよう」


 隊長自身も二人の顔合わせが楽しみなようで、いつになく愉快そうな笑みを浮かべている。

 そうやって言葉を交わしている間に足元も整って、私たちは揃って腰を上げた。


 おじさんとおばさんには先ほど一通りの挨拶を済ませておいたから、仕度が整えば声かけなしに出ていってかまわないとの話だった。

 紙屋さんも仕入れた品をお店に出すまであれこれと手順があるみたいだし、仕事をはじめたらそちらにかかりきりなんだろう。

 彼らに届くかは分からないけれど、隊長と二人して奥の部屋まで「お世話になりました」と一声かけておく。


 そうして戸口に手をかけながら、思い出したように隊長がこちらを振り返った。


「落とし穴に気をつけるんだぞ。一歩目は大股でな」


「わ、そうでした! 気をつけますっ!」


 あぶない、言われなければ完全に踏み抜いてしまっていた……!

 馬糞が詰まった凶悪な穴が目の前に待ち構えているんだった。


 木戸を引き、あらためて足元を観察してみると、昨夜正太郎くんが教えてくれたあたりの土が真新しく濃い色合いに浮いている。

 こうしてお天道様に照らされた地面を見れば、掘り返された場所が一目瞭然だ。

 大きく変色した部分をまたいだ隊長に続いて、私もぴょこんと飛んで地獄を回避する。




「なんや、落とし穴の場所知ってたんか?」


「全部朝イチで埋めたからどこにも落ちゃせんで」


「おかんに怒られてまうからな~」


 みすぎ屋の前には、平太くん率いる近所の悪がき軍団が集結していた。

 それぞれ棒切れや箒で武装して、ニヤニヤと私たちを取り囲む。

 ……朝早くから元気だなぁ、もう。



「みんな、おはよう。その様子だと、はるちゃんから私たちのこと聞いた?」


「聞いたわ。くそ浪士、結局みすぎ屋さんにとり憑いたんやてなぁ」


「はるちゃん泣きそうやったで。こうなったらわいらがこらしめたらなあかん」


 はるちゃんが涙目だったのは、刀とのお別れが寂しいからだと思うんだけどな……。

 けれど少年たちはそんな裏事情も知らずに男として奮い立ったようで、棒きれの先をいっせいに隊長へと突きつけた。

 宿を借りにくるたびにこんな風に絡まれてしまっては、さすがの隊長も参るよね。

 処置に困って彼のほうを見れば、何やら難しい顔で大きく息をついて、その場にしゃがみこんだ。


「皆、くそたろう問答は知っているな?」


「おうおう! 当ったり前や! わいらが問題考えてるんやからな!」


「では答案を見てもらおう。昨夜すべて解いた」


 と、隊長が懐から用紙を取り出して平太くんに手渡した。

 周囲を囲む子供たちも、一目見ようと背伸びして覗き込んでいる。


「げっ……なんや、全問あたっとる」


「うそやろ!? 大人が解けるはずないわ!!」


 悪がき集団は声を張り上げて驚愕する。

 すごいな隊長。どれだけ真剣にくそたろうを読み込んだんだろう。


「一生懸命考えたのは伝わってきたが、軽く流し読みしただけで答えが分かった。もうひとひねり欲しい所だ」


「ぬぐぐぐ……! なんや! 初心者向けに答えられたくらいで威張りちらさんでほしいわ!」


「もう少し真面目に勉強したほうがいいな。誤字が目立ってせっかくの力作が台無しだ」


「ムカつくわーコイツ!!! 朱墨で修正入れとる!」


 よくよく見てみれば、誤字や言い回しの指摘の朱があちこちに。

 得意げに製作した子供達からすれば、恥ずかしいことこの上ないだろう。



「そしてこっちは、俺が考えた問題だ。詰めの甘いちびっこ達に解けるかな?」


 懐から丁寧に折られた文を取り出すや、隊長はそれをひらひらと振ってみせた。

 平太くんは目の色を変えて、乱暴にそれを奪い取る。


「な、なんやこの問題!! なんで孔子や孫子が出てくんねん!」


「くそたろうを読み込めば気づくことだが、あの話は孔子や老子、韓非子からの引用も多く、戦闘においては孫子や六韜も踏まえている」


「…………はぁぁぁ?」


 ちびっこ達は口をぽかんと開いたまま固まった。

 私も同様にぽかんとして言葉が出ない。

 あの奇想天外でお下品な作品のどこに、そんな深みがあるのだろう。


「きちんと勉学に励んでいる子ならば、気づくように易しく取り入れられているぞ」


「そ、そんなん知らん! くそたろうは難しいこと知らんでも読めるんや! 大人が知ったふうな口きくなや!」


「知らないことを恥じる気持ちは大事だぞ。分からなければ、知っている相手に聞けばいい」


「ぐぬぬぬ……お前なんぞに聞くくらいなら死んだほうがマシや!!」


 平太くんは隊長作の問答をぐしゃぐしゃに丸めて地面に叩き付けた。

 顔が真っ赤だ。悔しくてたまらないんだろう。



「正太郎君には解けるかもな」


 と、隊長は微笑みながら手招きをする。

 悪がきの輪から少し離れたところに立っていた正太郎くんは、おどおどしながら歩み寄ってくる。

 同じ内容のものを幾つか持っているのか、隊長は懐から二枚目の問答を取り出し、正太郎くんに手渡した。


「あ、これ論語や。くそたろうにもこの話が出てくるん?」


「そうだ。噛み砕いて分かりやすく書かれているが、土台は論語なんだ」


「へぇ! 面白そうや。ボク、これ解いてみたい」


「おお! ではくそたろうを全巻貸そう。問題が解けたら教えてくれ」


「うん!! 兄ちゃん、また来てな」


「ああ。近いうちにまた来る」


 そうして、ミネくんが貸してくれたくそたろう全巻は、正太郎くんのもとに渡った。

 私達を囲むようにして立っていたちびっこ達は、思わぬ展開に納得いかないようで、ギリギリと歯噛みしている。


「さて、そういうわけで、今日のところは帰る。平太くん、悔しいと思うなら正太郎くんと力を合わせて問題をといてみろ」


「……ほんまムカつくわ。全問正解したら何かくれるんやろな?」


「仙寿堂のせんべいを進呈しよう」


「言うたな! おい正太郎!! ワイに協力せえ!!皆で全問解くで!!」


「う、うん。頑張ろな。力を合わせたらきっと解けるはずや」


 これまでおどおどとしていた正太郎くんは、ほんの少し自信を持てたのか、顔を上げて平太くんと向かい合っている。

 相容れない性格であろう二人が手を取り合うことになるだなんて、誰が想像しただろう。

 狙ってこの流れを作ったのだとしたら、隊長はなかなかの策士だ。


「絶対またココに来いや! 忘れたら承知せんからなクソ浪士!!」


「ああ。また会おう。解答を楽しみにしている」


 ひらひらと手を振って、私と隊長は帰路につく。

 朝から熱い展開だったなぁ。思わずふっと笑みがもれる。



 子供たちに見送られて古びた通りを抜けた私たちは、その足で螢静堂に寄り、早めにかすみさんと面会して帰路についた。

 かすみさんの様子は変わりなく、むた兄からの返事を楽しみに待っているとのことだった。

 心の傷は、ふとしたことをきっかけにぶり返すことがあるそうだから、まだまだ油断はできない。

 傍にいてあげることはできないながら、せめて毎日休まず彼女のもとへ通おう――。




 

 お互いの用事も無事に済ませて、気持ちもゆったりと落ち着いた帰り道。

 よく晴れた風の気持ちいい日だ。

 隊長は、私の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれている。


 螢静堂での彼は、雨京さん宛ての文をむた兄に託していた。

 少しばかり物騒な内容を含むので、万が一にもかすみさんの目には触れないようにとの配慮だそうだ。

 きっと陸援隊の現状や、矢生一派がふたたび動き始めたことなんかについて書かれているんだろう。



「――それにしても、隊長があんなに子供の扱い上手だなんて知らなかったです」


 人通りの多い通りを抜けて建物の密度が減った視界は、鮮やかに澄み渡った青で塗りつぶされている。

 ちゅんちゅんと、のどかにさえずる鳥の声が耳に心地いい。

 朝の出来事を思い出してふっと笑みをこぼしながら彼のほうを見上げれば、返って来たのは照れまじりの苦笑いだった。


「半分本当で半分こじつけな論法だったがな。子供は嫌いじゃない。平太くんと正太郎くんが仲良くしてくれるといいんだが」


「きっと、問題を解き終える頃には親友になってますよ」


 力を合わせて一つのことに取り組めば、必ず強い絆ができる。

 賢いけれど引っ込み思案な正太郎君と、元気で猪突猛進な平太くん。

 陸奥さんと田中先輩に似てるかも。あの二人も、どうにか仲良くなってはくれないものか。


「どんな本でも読んでおいて損はないと思ってはいるが、まさか絵草紙が道をひらいてくれるとはな」


「なにが助けになるか分からないものですね」


「その通りだ。お前もできるだけたくさん本を読むといい」


「はい。まずは私もくそたろうから読んでみます」


 と、手にしていた風呂敷包みを持ち上げてみせる。

 じつは今日、ゆきちゃんから巻の二以降をすべて借りてきたのだ。

 夜にでも田中先輩と読もうっと。



 ――それにしても不思議だな。

 昨日屯所を出るまでは、隊長と二人きりだと少し緊張していたのに。

 丸一日一緒に過ごしてみたら、思っていたよりもずっと面白くて親しみやすい人だって分かったから。

 今はもう緊張なんかしない。かわりに尊敬の念が強まった気がする。


「それと隊長、やけど、もう痛みませんか?」


 そっと手をのばして、脇を歩く彼の腕に触れる。

 袖口から覗く火傷のあとが目に焼きついて、きゅっと胸の奥が締まった。

 いずみ屋のためにと動いてくれた隊長が負った傷。きっとこのまま痕になって残ってしまうだろう。


「ん? ……ああ、痛みはないしもうほぼ完治している。気にするな」


「すみません、怪我させてしまって」


「どうした、今更謝ることじゃないだろ? 俺は気にしてないぞ」


 目を伏せて言葉をえらぶ私を見下ろして、彼はくすりと笑いながら頭を撫でてくれた。

 助けてもらってばかりで何一つお返しできていない私に、陸援隊のみなさんはいつも優しさで応えてくれる。


「……うう、ありがとうございます。もしもこれから先隊長が危険な目に遭ったら、真っ先に助けに行きますから」


「ありがとう。俺も、お前に何かあれば隊を率いて駆けつけるからな」


「わぁぁ、そんなご迷惑かけられません!」


「だったら、いつも俺たちにくっついていろ。お前は特にケンに懐いているようだから、あいつの傍がいいだろう」


 すこし意地悪な笑みを浮かべて、彼は私の額をツンと指先でつついた。

 まるで、田中先輩がするように。

 それがからかいの意味を含むものだと気づいて、思わずかっと頬が熱くなる。


「ううう……変な言い方しないでくださいよぉ」


「はは、どうした、赤くなって。ケンと仲良くしてほしいとは言ったが、思った以上に親密になってくれているみたいだな」


 愉快そうに笑い声を上げ、間近に見えてきた門のほうへ彼は足取りを速めた。

 その背中をあわてて追いかけながら、私はほてった顔をぱたぱたと手のひらであおぐ。


 昨日一日で、だいぶ田中先輩のことを落ち着いて考えられるようになったと思ったのに……!

 これじゃ、帰って顔を合わせた途端にまたドキドキして目をそらしてしまいそうだ。



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