第七十二話:隊長の寓居探し(五)
「……ねぇ、はるちゃん」
途切れ途切れに交わしていた言葉は、いつしかぷっつりと切れてしまっていた。
首をのばして彼女に声をかけると、隣からは可愛らしい寝息が聞こえてくるのみだった。
ぎゅっと刀を抱きしめて、それはもう幸せそうな表情で、はるちゃんは熟睡している。
かわいい寝顔だ。年相応の。
ふっと自然に笑顔がこぼれ落ちて、ごろりと寝返りをうつ。
今日もまた、いろんなことがあったなぁ。
隊長にとっても多難な一日だったと思う。
財布はからっぽになったし、卵と泥にまみれるし……ああ、思い返しただけでもひどい。
彼は今どうしているだろうかと、体を起こして奥の部屋へ視線を向ける。
物音ひとつ聞こえてはこない。もう眠ってしまっただろうか。
そういえば、おやすみなさいの挨拶もしていなかったな。
無性に隊長の声が聞きたくなって、私はそっと布団から抜け出した。
そしてわずかに襖を開けて向かいの一室に目をこらせば、隙間からほのかな灯りが漏れている。
――まだ起きているんだ。
それが分かった途端、自然に体が動いていた。
部屋を出て、ゆっくりと障子を閉め、忍び足で隊長の部屋へ向かう。
「……たいちょう、少しお話いいですか……?」
無音で障子を開け、そこからぬっと顔を出した私を振り返って、彼はぎょっとしながら肩をこわばらせた。
怪談じみた登場で申し訳ないけれど、はるちゃんを起こさないためにも極力静かに動きたい。
「……どうした、眠れないのか? とりあえず入ってこい」
窓際に置かれた文机に向かって書き物をしていた隊長は、硯に筆を置いてこちらに向き直ってくれた。
歓迎の姿勢にほっと胸をなでおろし、お言葉に甘えてそそくさと彼のそばまで寄っていく。
机の脇で煌々と燃える行灯の灯りが、優しく心を落ち着けてくれる。
「ごめんなさい、こんな時間に。今日はいろいろと大変でしたから、おつかれさまでしたって言っておきたくて」
目の前に敷かれた座布団に腰をおろしながら、正面にあぐらをかく隊長にはにかんでみせる。
八畳ほどの一室には箪笥も衣紋掛けもなく、年季の入った文机がぽつりと備え付けてあるのみ。
どこか屯所の隊長の部屋に似ている。ただ帰ってきて寝るためだけの、質素な空間。
「たしかに疲れはしたが、心地いい疲れだ。おはるちゃんも話せば分かってくれる子だったしな」
「はい……でも、やっぱりあちこちで浪士は嫌われてしまいますね。なんだかあらためて思い知らされた気がして……」
子供たちから不逞浪士と罵られたことや、はるちゃんの強い拒絶の姿勢に、京に住む人間の不安と警戒心の高まりを感じた。
次々にあちこちの商家が燃える現状。
そしてその事件に浪士が関わっているという事実。
いずみ屋までもが被害に遭って、私やかすみさんと懇意だった人達は特に厳しい目で浪士を見るようになった。
「無理もないことだ。いずみ屋があんな目に遭ってしまってはな……おはるちゃんの反応もまっとうなものだと思うぞ」
「そうなのかもしれません……でも私は、やっぱり隊長や陸援隊のみなさんが悪く言われるのは嫌です」
「浪士は悪だと言われても、俺は特に不快に感じることはないな。町民からすればそう思うこともあるだろう。実際にただの無法者と化した輩もいるわけだからな」
「でも、隊長は違いますよね……? 悪いことしたりしませんよね?」
町の人々が言う、乱暴で無鉄砲でその日暮らしな浪士像とはまるで違う。
人を困らせるようなことはしないし、いつだって私の話を真剣に聞いてくれた。
身分や肩書きなんてどうだっていいと思わせてくれるほど彼らには恩があって、ついていきたいと心から思っている。
「悪いこと――か。難しいな、見方によってはしているだろう」
「え……? 見方によっては?」
「ああ。幕府打倒を掲げて隊を率いるということが、どういうことか分かるか?」
「う……それは、はい。幕府寄りの人達にとっては嫌なことだと思います」
幕府をたおすぞ、なんて壮大な計画すぎてまるでピンとこないけれど。
でも、隊長や雨京さんの話を聞いていると、近いうちに情勢がひっくり返ってもおかしくないほど、世の中はぐらついているようだ。
そんな不安定な時代の中打倒に向けて動くというのであれば、幕府からは当然危険視されてしまうだろう。
「嫌なこと程度ではすまされない。先に言っておくが、陸援隊は幕軍と一戦まじえるつもりでいる」
「それは分かります。銃を揃えて、訓練して、毎日戦う準備をしていますから」
「ああ。戦ってはっきりと白黒つけたあとに、まっさらな状態から新しい体制を作っていこうというのが俺たちの考えだ」
「……戦わずに新しい世の中はできませんか?」
「そういう路線を目指す人間もいるな。だが、戦は避けられぬというのが陸援隊が出した結論だ。時代の変わり目にはいつの世もどこの国でも大きな戦いが起こるものだからな」
……難しい話だ。
いつの間にか話が膨らんで、私の想像の及ばないところまで行き着いてしまう。
前にもこんなことがあったっけ。
雨京さんと陸援隊の屯所を訪ねたときだ。
「戦うということは、相手側を傷つけてしまうということですね」
「そうだな、命の奪い合いになる。討幕の意思があるということは、幕府側の人間をいつでも撃つ覚悟があるということだ。そりゃ相手から見れば危険人物だろう」
「なるほど……隊長は半分わるいやつなんですね」
「ははは、面白いことを言うな。その通りだ。半分わるいやつな俺は、佐幕派の新選組に見つかれば斬られてもおかしくない」
「彼らとあまり仲がよろしくないというのはそういうことだったんですねぇ」
新選組は会津藩お預かりの治安維持組織だから、京で悪さをする浪士や、幕府に害をなそうとする人々を取り締まっている。
彼らに捕まってしまっては、討幕組織の首魁たる隊長の命はないだろう。
だからこそ、こうして潜伏先で息をひそめ、変名を駆使して捕縛吏の目をかいくぐる必要があるわけか。
――あの晩いずみ屋を助けてくれた永倉さんや山崎さんも、陸援隊から見ればはっきりと敵なんだなぁ。
私にとっては、どちらも悪い人ではないんだけど。
思想というのはそこまではっきりと敵と味方を分けてしまうものなのか。
「言っておくが、現実には絵草紙のようにはっきりとした善悪はないからな」
「……というと?」
「くそたろうのように誰からも賞賛される正義の味方などいないということさ。特にこの時勢の中心で動いているような奴らはな。誰しも人に言えない過去を一つや二つ持っているものだ」
「うう……分かる気がします。私も幼いころ、近所の次郎くんを落とし穴に落としてしまったことがあって……」
「可愛いな、お前の悪事は」
それまで真面目な顔をして腕を組んでいた隊長が、声を出して笑いながら表情を崩した。
いけない、話の腰を折ってしまった。
「ごめんなさい。でもなんとなく、隊長たちのことが分かった気がします」
「……俺たちを怖いとは思わないか?」
「思いません。みなさんいつも優しいから。半分わるいやつだっていわれても、もう半分の善意はたしかなものだって分かってます」
「そう言ってもらえるのはありがたいが、お前は少し妄信が過ぎるな」
「……え?」
もうしん? どういうことだろう?
「俺たちはまだまだお前にとって得体の知れない集団であるはずだ。こうして機会があれば説明はするが、それでも言葉だけで信用しろというのは無理な話だろう」
「でも……私は今陸援隊にお世話になっているんですから。信じなくちゃはじまらないですよ!」
「そうだな。唯一縋ることの出来る場所としてお前は陸援隊に来た。信じたいだろう。そうしなければ恐ろしくて仕方がないだろう」
「隊長たちは私の恩人だから。今もこうして支えてくれるから。いい人だって思いたいに決まってるじゃないですか!」
懐いていたご主人に擦り寄って、冷たくあしらわれる飼い猫のようなみじめさだ。
私がこれまで寄せてきた信頼が、薄っぺらく中身のないものだとでも言うのだろうか。
「妄信というのはな、深く相手の事を知ろうともせず、安易に受け入れて信じ込んでしまうことだ。お前には出会った当初からその傾向があった」
「それはその、写真を見て隊長のことは知っていましたし、会いたいって思ってたからで……」
「知っていたのは顔だけだろう。夜更けに何者かに追われて逃げ回っている男は怪しいと思うのが普通だ。その後も、お前は陸援隊について聞くたびにあちこちではぐらかされたにも関わらずのんきに信用していたな?」
「だってわたし……疑いたくなるようなこと、一度もなくて……」
「いや、あったはずだぞ。俺がお前だったらあちこちで怪しんでいたな。まず陸援隊は見るからに物騒だ。町娘の立場では接触をためらって当たり前だろう」
そういわれてみればそうなのかもしれない。
物騒だし、これから起こそうとしていることは恐ろしいことだ。
でも、不思議とそう思わせない何かをこの人達は持っている。
一緒に過ごしたのはまだほんの十数日だけど、一つ屋根の下で暮らしてみてあらためて感じる。優しい心根を持ったあたたかな人達だと。
「私、分かりません。この信頼が妄信かどうかなんて」
「分からないのは、これまで深く人間を探ることを放棄してきたせいかもしれないな。最初から信頼しきって、人の悪意を感じ取ることを避けてきたということだ」
「……たしかに、私は幼い時分から親切な人々に囲まれて、疑うことを知らずに育ちました。何か不審なことがあっても、疑っちゃ悪いなって自分に言い聞かせて……」
ああ、そうだ。
思い返してみればずっとそう。
物心つく前から、父からは正直に生きなさいと育てられた。
正直に堂々と人と向き合っていれば、相手も真心で答えてくれるものだって。
実の姉同然だったかすみさんも、おおらかで純粋で、人の裏を探るようなまねは決してしなかった。
私の生き方に影響を与えた人達は、皆のびのびとゆったり、裏表なく生きていて。
ずっとずっと、そんな小さな世界が私のすべてだった。
「まぁ、俺はお前のそんな純粋さは好きだがな」
うつむいて肩をすぼめたまま言葉を発しなくなった私を見かねたのか、頭上で聞こえてきたのはやわらかな声色だった。
恐る恐る顔を上げると、隊長は穏やかに笑ってくれている。
「うう……あの、疑えって言われてもわたし、やっぱりみなさんのこと好きだから、信じたくて……」
「ああ。何も無理に不審がれと言ってるわけじゃない。ただ、おかしいと思うことがあったらその都度相手を問いただしていくといい。疑問も遠慮せず口にしてくれ」
「……はい。隊長のことずっと正義の味方だって思ってましたけど、危険人物だって思われても仕方がない側面もあるって分かりました」
「そうやって少しずつ理解していけばいい。俺も、お前に心から信頼してもらえるように努めていく」
「はいっ。よろしくお願いしますっ」
思わず背筋を正して、頭を下げる。
なんだか心のモヤモヤが晴れて少しだけ成長できた気がするな。
そういえば、これまでにも何度か同じ忠告を受けたことがあったっけ。
あさひ屋のおかみさんや、雨京さん、ついさっき、はるちゃんからも。
みんな私が考えなしに人を信頼するものだから、それを危なっかしいと心配してくれていたんだ。
出来る限り妄信はやめる。
けれど、陸援隊のことはやっぱり信じていたい。
たとえその思想の先に血が流れることがあろうとも、この人達が命がけで貫こうという道なら、学んで支えていきたいと思う。
だからこそ、浮かんだ疑問は素直に口に出していかなきゃ。
うわべだけじゃなく、理解していこう。彼らのことをもっと――。
「さて、他になにか話したいことや聞きたいことはあるか?」
なんでもこいといった様子で、隊長は小さく両手を広げた。
私が飼い猫だったら、喜んで懐に飛び込んでいきたくなる優しい表情だ。
「話したいこと……あ、そうだ! さっきはるちゃんから聞いたんですけど……」
「何だ、どうした?」
「四条河原町のなかの屋という茶屋が、昨晩燃やされたそうです。直前に浪士の出入りもあったと」
「矢生一派が活動を再開したか……」
一転してしぶい表情を見せる隊長は、顎に手を添えて深く考えをめぐらせている様子だ。
茶屋には詳しいつもりだけど、なかの屋さんには行ったことがなかったな。
おかみさんが子連れで切り盛りしている店となれば、そう大きくもないだろうに。
陥落しやすそうな条件であれば見境なしに目をつけられてしまうということだろうか。
「なかの屋さんについて、これから調べてみます?」
「そうだな。明日、屯所に戻ったら幹部たちと話し合おう。お前にも立ち会ってもらう」
「分かりました。何か新しい手がかりがつかめるといいですね」
「ああ」
と、頷いて隊長は小さく息をついた。
そしてそのまま机のほうを振り返って筆をとり、それを硯の中でさらさらと泳がせている。
長く時間をとらせてしまったから、筆先が固まってしまったみたいだ。
せっかく摺った墨が乾いてしまってはもったいないし、そろそろおいとましようかな。
「それじゃ隊長、部屋に戻ります。長居してしまってすみません」
「いや、すまん。もう少しゆっくりしていっても構わないぞ?」
己の行動が退室を促すようなものだったと気づいたのか、彼は手をとめて立ち上がった私を引き止めてくれる。
けれど、さすがにこれ以上邪魔してしまっては悪い。
何か書きものの途中のようだし、隊長もそう暇ではないのだから。
「いえいえ、たくさんお話できてよかったです。隊長はいつもいろんな助言をくれるから、私、気づかされることばかりで……」
「お前は自分で思っているよりもずっと物覚えがよくて賢い子だ。ただ危なっかしいところばかりが目立つから、周囲は心配してしまうんだ」
「う……それは、ごめんなさい」
「神楽木殿からの文は、半分お前の心配だったぞ。これまで相当困らせてきたようだな」
くすりと笑って、隊長はその場から立ち上がった。
そして、肩をすぼめて立っている私の背をぽんと叩き、襖の前まで並んで歩いてくれる。
ほんの少しの距離だけど、お見送りをしてくれるようだ。
「雨京さんに心配をかけないように、元気でがんばってますってお返事を書かなきゃいけません」
「そうだな。詳しく日々の報告を書けばきっと喜んでもらえるぞ。俺からも、いい子で頑張っていると伝えておこう」
「……いいこにできてますか?」
陸援隊にとって、私は予期せぬ居候だから。
お世話になることで何か迷惑をかけていないか、ときどき心配になる。
「ああ、いい子だ。もっと傍で見守っていてやりたいが、あまり構ってやれなくてすまない」
恐る恐る上目遣いで意見をうかがった私に、隊長はふっとやわらかく笑みを見せながら頭を撫でてくれた。
ほんわかとあたたかくて、心が軽くなる穏やかな手つき。
隊長に誉められると胸の奥にぽっと火が灯るようだ。すごくうれしくて、自然に口元がゆるんでしまう。
「隊長は忙しい人だから、たまにこうしてお話できるだけで十分です。また屯所に帰ったら肩をたたきにいきますね」
「――ああ、たのむ。今日一日で更に凝ってしまった」
眉間にしわを寄せてトントンと肩を叩いてみせる隊長を見て、肩たたき係の使命感に火がついた。
次回は手ごわい凝りとの激戦になりそうだ。
「ふふふ、がんばります。それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ。ゆっくり休むんだぞ」
「はぁい」
にっこりと笑みを見せたあと、軽く頭を下げて部屋の敷居をまたぐ。
暗く冷たい隣室に数歩踏み出せば、隊長はこちらに軽く手を振って静かに襖を閉めた。
一人になって暗闇の中静かに息を吐く。
夜風に吹かれて、雨戸がカタカタと音を立てている。
会話に夢中になっていると、外の気配に鈍感になってしまうものだな。
ふと窓側まで寄って、格子の隙間から正面の通りに目を落とす。
人っ子ひとりいない、静まり返った夜の町。
矢生一派が行動を起こすなら、今くらいの時間帯か――。
耳をすませて、夜空を睨む。
今夜は半鐘も響かない。
話によれば、大規模な窃盗事件は数日またいで起こるとのこと。
次の被害は、明日か明後日か……。
どうにか食い止められはしないものだろうか。
明日、幹部のみなさんと本格的に対策を練らなきゃいけないな――。




