第七十一話:隊長の寓居探し(四)
「さて、遅くなったが行こう」
落とし穴の範囲から距離をとったまま、隊長は手をのばしてみすぎ屋さんの戸をたたく。
やがて、奥のほうから下駄をつっかける音とともに声がかかった。
「どちらはんで?」
「夜分に申し訳ない、神楽木殿から紹介を受けて参った中岡という者です」
「おじさん、美湖です! 私もお供してきました」
私の名を出しておけば少しは警戒もやわらぐかなと、隊長の言葉に続けて声をあげる。
どんな反応がかえってくるかとヒヤヒヤしながら待っていると、思っていたよりもずっと早く戸が開いた。
「おー! みこちゃん久しぶりやなぁ。中岡はんも、お入りやす」
「……どうも。では失礼します」
「おじゃましまぁす」
おじさんは朗らかな笑顔で迎え入れてくれた。
もともと明るく裏表のない人だったけれど、こんなにも歓迎してくれるなんて。
はるちゃんの態度とあまりに違いすぎて面食らってしまうな。
二人して落とし穴を避けながら大股で戸口をくぐれば、おじさんはかすかに首を傾げながらふたたび戸締まりをする。
そうして、すぐさま奥の部屋へと案内してくれた。
「おいでやす~。みこちゃんも中岡はんも、まずは座ってなぁ」
通された部屋で出迎えてくれたのは、みすぎ屋のおかみさんだった。
若々しく、おおらかで懐の広い人だ。
彼女は急須でお茶を注ぎながら、部屋の中央に並べてある座布団に座るよう促した。
「ありがとうございます。お二人とも、神楽木殿からすでに私についての説明は受けておられるのですね?」
四人が向かい合って腰をおろしたところで、隊長が話をきりだした。
「聞いとります、雨京くんの友達やて。最近知り合うて意気投合したいうてなぁ」
「雨京ちゃんがそない言うて付き合うお人は初めてやから、うちらも歓迎しますえ」
友達……って本当に雨京さんが言ったのかな。だとしたら驚きだ。
隊長も、予想外の反応に複雑な表情をしている。
「友達といいますか、その……」
「――ああ、詳しゅうは聞きまへん。ただ、この時流に乗って命をかけとるお人に対して私らは味方でありたいと思てます」
言葉をはさもうとした隊長の台詞をさえぎって、おじさんは断言した。
隣に座るおかみさんも微笑みながら頷いてみせる。
二人とも、きちんと隊長の素性について知っているみたいだ。
「もともとこの通りに軒をつらねる古い店は、そちらさん寄りが多いんですわ。中岡はんらは、今のように天子さまをないがしろにする体制をよう思うてへんのでしょう?」
「……そうですね。まずは将軍職を廃し、帝を中心とした国づくりを進めていくべきだと考えています」
「そうなったらええて、ほんまに思いますわ。町で暴れる浪人は困りもんやけど、そんな人らも中岡はんが引き取ってまっとうな志士に鍛えなおしてはるんやろ? 立派やぁ」
「ほんになぁ。なにより雨京ちゃんからの紹介やし、遠慮のういくらでも泊まっとくれやす」
「それはどうも……ありがとうございます。そこまでご理解を示してくださるとは」
誉めちぎられて恐縮といった表情で、隊長は頭を下げた。
天子さまがおわす京に生まれ育った人々の中には、幕府に相対する勢力をひいきにする層が少なからずいるそうだ。
けれど、不審な浪士たちと個別に関わりを持つことは避けたいというのが本音だろう。
そのあたりの絶妙な心のうちを汲みとって、雨京さんがうまく説得してくれたのかな。
もう感謝の言葉しかない。
「――あらためてお世話になります、中岡慎太郎です。つまらぬものですが、これは土産に」
買ってきたお酒とおせんべいを取り出して、おじさんの手の届く位置に差し出す。
一度開封したおせんべいだけど、厳重に包みなおしたからなんとかばれずにすむ……といいな。
「わざわざすんまへんなぁ。ほな今夜はこれで一杯いきまひょか。晩酌の用意たのむわ」
「はいはい、待っとくれやす」
おじさんの指示で、おかみさんは厨に引っ込んでいった。
ご挨拶の時間も終わって、これからは世間話でもしながら大人の付き合いがはじまるんだろう。
呑みの席では私は邪魔だよね、どうしよう。
今のうちに少しはるちゃんと話をしておこうかな。
「おじさん、はるちゃんはもう寝ました?」
「ああ、それがなぁみこちゃん……実は中岡はんの寄宿に、はるだけは納得してくれんでな……」
「知ってます。昼間話をしたので」
「そやったんか……実は夕餉のあと言い合いになってしもうて、今は部屋でむくれとるはずや」
「なるほど、わかりました。少し私から話をしてきます」
その場を立って、おじさんに軽く頭を下げる。
こういう場合はきっと、大人の立ち会いなしで話し合ったほうがいい。
「ほんならみこちゃん、このせんべい、はるに渡したってや」
「はい! それじゃ中岡さん、二階にいってきますね」
「ああ。あとから俺もいく」
おせんべいの包みを受け取り、隊長と目線を交わしあって、私は部屋を出た。
……とっさに中岡さんと名前が出てきてよかったな。ここでは隊長呼びだと浮きそうだから。
暗くて狭い階段を上がると、ひやりとした空気に包まれて三つの部屋が並んでいる。
たしか階段に一番近い一室が、はるちゃんの部屋だったはずだ。
襖にそっと耳を寄せて、中の様子をうかがう。
静まり返って物音ひとつしない。もう寝ちゃったのかも。
「はるちゃーん、美湖だよ。入ってもいいかな?」
起こしてしまうと悪いけれど、できるだけ二人きりで話をしておきたい。
声をかけてしばらくしても返事がないので、私はゆっくりと襖を開けながら部屋の中を覗きこんだ。
中は真っ暗だ。
部屋の中央には布団が敷いてあるけれど、人のふくらみはない。
はるちゃんはどこにいるんだろう。二階にいるはずなんだけどな……。
「はーるちゃん、私一人だから出てきて? 仙寿堂さんのおせんべいもあるよぉ」
そう言って包みを掲げてみせると、押し入れのほうからかすかに物音が聞こえた。
――さすが仙寿堂さん。効果てきめんだ。
そっと押し入れへ近づいて襖を引くと、木刀を抱いてあぐらをかいたはるちゃんと真っ向から視線がぶつかった。
ギラギラとして、今にも飛びかかってきそうだ。
「……ほんまに一人?」
しっかりと両手で木刀を握り直し、はるちゃんは押し入れから顔を出して廊下のほうへと目をやる。
そしてそこに人影がないことを確認すると小さく息を吐き、私に木刀をつきつけた。
「せやけど下にはおるんやろ? みぃちゃんのアホ、悪の手先」
たしかはるちゃんは、近所の道場で男の子に混じって剣術を習っているんだっけ。
木刀とはいえ、こうして切っ先が自分に向くとさすがにこわいなぁ……。
「あのね、あの人はいずみ屋を襲ったやつらとは違うよ。むしろ命の恩人」
「恩人? 騙されとるだけやろ。浪人にええやつなんぞおらへんわ」
「中岡さんはね、脱藩したけどその罪を赦されて、藩の外でお仕事をしてるの。はるちゃんが思ってるような悪い人間じゃないよ」
「どーせ嘘や。みぃちゃん、浪人らに騙されてひどい目にあったんとちゃうん? なんで懲りひんの?」
同じようなことを前に雨京さんからも言われたな。
浪士は嘘つきばかりだから、その言葉を信じるなって。
みんながみんな、矢生一派のように害しかもたらさない厄介者だと思い込んでいる。
その凝り固まった思考を溶かすのは、簡単なことじゃない。
この子にはどう話せばいいだろう――。
考えぬいて、慎重に言葉を選びながら言葉をつむぐ。
「行方知れずになって誰も居場所をつきとめられなくて、生きているのかすら分からないって言われていたかすみさんを連れ帰ったのは誰だと思う?」
「みぃちゃんやろ? あとお供が何人かおったらしいな」
「違う、中岡さんたちが助けてくれたの。お供は私のほう。体を張ってかすみさんを守り抜いてくれた。信用してくれない人も多いと思うけど、私は間近で見ていたから彼らを信頼してる……!」
あの時のことを思い出すと、じわりと胸に込み上げてくるものがある。
みんなみんな、命がけで戦ってくれた。守ってくれた。
私の懇願を受け入れて、手をさしのべて、そして今日までずっと見守ってくれている。
私とかすみさんにとって、これ以上ないほどの恩人だから。
いずみ屋の事件に胸を痛める人には理解してほしい。
私たちがこうして今も生きていることは当たり前じゃないということを。
あの人たちだけが、嘘偽りなく行動で真心を示してくれたのだということを。
あの夜の奮闘を思い返しながら、こらえきれずに涙がこぼれ落ちた。
「うわ、泣かんといてや、みぃちゃん……うちはただ、またみぃちゃんやかすみ姉がひどい目におうて悲しむんを見とうないだけや」
ぐすりと鼻をすすりながら涙をぬぐう私の姿を見て、はるちゃんは木刀を手放した。
普段私は近所の子供たちに対して、お姉ちゃんらしくあろうと背伸びして振る舞っていたから、泣き顔にびっくりしちゃったかな。
「……あのね、実を言うとまだいずみ屋を襲ったやつらから追われていて、一度神楽木家も襲撃されたの」
「え、ほんまに!? 聞いてへん!」
「かぐら屋の評判にも関わるから、できるだけ表に出ないようにしてるはず。だけど本当だよ。そのことがあって、私は今中岡さんの仲間に面倒を見てもらってるんだ」
「……仲間? まっとうなやつらなん?」
「雨京さんも信じて任せてくれてるしね、私にとっては安心して付き合っていける人たちだよ」
一息ついて、持参したおせんべいの包みをはるちゃんに手渡す。
すると彼女はすかさず包みをとき、中から大きめの香ばしい一枚を取り出して大口で頬張った。
ばりばりと小気味良く噛み砕く音だけが、薄闇の中響き渡る。
おせんべい一枚で、深く刻まれていたはるちゃんの眉間のシワが目に見えてやわらいだ。さすがだなぁ仙寿堂さん。
「うーーん……まぁたしかにな、あの疑り深い雨京兄からの紹介いうんは意外やと思たんよ」
「町の人に危害を加えるような野蛮な人じゃないから。はるちゃんも受け入れてくれたら嬉しいな。そのおせんべいも、中岡さんからだよ」
と、差出人を明かした途端、はるちゃんは大げさに食べたものを吐き出すふりをしてみせた。
「うげぇ、餌付けとかほんまにゲスの極みやな」
「はるちゃん……そんなひどい言い方しないでよぉ」
「まぁええわ、もろとく。みぃちゃんと雨京兄の頼みやししゃあないな、しばらく我慢して泊まらせたるわ」
「――ほ、ほんと!? ありがとうっ!!」
思わず押し入れの中に飛び込むようにして、はるちゃんを抱きしめる。
よかった、話せばきちんと分かってくれる子で!
「――けど、泊まるんやったらうち監視しとくからな。少しでも怪しい動きしたらボコボコにして追い出したる」
「う、うん……」
ぎらりとした目付きでこちらを一睨みしたはるちゃんは、ふたたびぎゅっと木刀を握りしめる。
大丈夫……だよね。
隊長のことだから、怪しまれるようなそぶりを見せることはないはずだ。
「浪士が出入りするようになった店は、ろくなことにならんからな」
「そうかな。悪い人かどうかは身なりや肩書きだけじゃ分からないよ」
「……じっさい、いずみ屋はやられたやん」
「それはそう……だけど……」
矢生たちが浪士なのかは、結局のところよく分からない。
身なりは浪士風だけど正体はただの盗人だから。
もし脱藩者だとするなら、元いた藩で盗みがバレて、逃げ出してきたという感じかな。
矢生や深門は一見人当たりがいいから悪人には見えなかったけれど、水瀬なんかは見るからに悪そうな雰囲気だったし……できることならくわしく出自を調べてみたい。
私が言葉をにごしたのを確認して、ほれ見ろとでも言わんばかりに、はるちゃんはゆがんだ笑みをうかべる。
そして格子窓の向こうへと目をやって、ぽつりとつぶやいた。
「それにまた一軒燃えたやろ、昨日」
「え……っ」
どくり。
言葉が耳を抜けた瞬間、肝を握りつぶされたような気がした。
平穏を手にして幾日か。
忘れかけていた冷たく重い夜の再来を、こんな形で耳にするなんて……。
「みぃちゃん知らんの? やられたんは四条河原町の茶屋で、女店主と坊やが店ごと焼かれたそうや」
「女店主……」
前に木村さんから聞いたな。
女手ひとつで切り盛りする店に入り浸って、いい仲になって、少しずつ金品を絞りとって……最後は相手を殺して焼いておしまい。
そんなことを繰り返す窃盗団がいると。
そしてそれは矢生一派だと、私たちはなかば確信している。
「なんていうお店!? それ、浪士がからんでる!?」
自然と怒鳴るような口調になっていることも気にとめず、はるちゃんの肩に掴みかかる。
なんでもいいから、もっと情報がほしい!!
「う、うん。何日か前から浪士が出入りしとったって聞いた。店は、なかの屋っちゅうとこ」
「そっか、なかの屋さん……! ありがとう!!」
「なんやみぃちゃん、えらい剣幕やな……今にも乗り込んでいきそや」
「そいつらに盗られたものがあるからね、私も中岡さんも!」
「そうなん……? 浪士同士で争うこともあるんやなぁ」
目を丸くして話に聞き入っているはるちゃんは、事態をいまいち飲み込めていないみたいだ。
……けれどここで陸援隊の銃が盗まれた話をしたら、矢生一派ではなく隊長への不信がつのりかねないな。詳しくは伏せておこう。
そうして押し入れの中と外で向かい合っていた私たちは、自分たち以外の足音と話し声が近づいてくるのに気づいて言葉をとめた。
おじさんと隊長の声だ。
階段をのぼりきった二人はこの部屋を通過して、一番奥の部屋へと入っていった。
奥の部屋ということは、はるちゃんの部屋との間には一室空きができるわけだよね。
よかった。隣り合わせだったら一触即発だ。
「父ちゃん、機嫌よさげやなぁ。早くも懐柔されてもうたか」
はるちゃんが表情をゆがめて舌打ちしながら、押入れから飛び降りる。
奥の部屋から漏れ聞こえてくるのは、穏やかな談笑だ。
どうやら今は窓をあけて、周辺の店舗や住人についての説明を受けているところらしい。
――そして一通り話し終えると
「せや。一室あけて、その奥の部屋は娘が使うとるんですわ。軽く面を通してもろときまひょか」
と、襖を開く音が上がる。
同時にはるちゃんが目を細めて木刀を構え直した。
……このままだとマズイな。顔を見た瞬間に飛びかかってしまいそうだ。
「はるちゃん、落ち着いて。まずは武器を置いてご挨拶からはじめよう?」
「アカンな、武器を構えて挨拶や」
「うう……私、いざとなったら割ってはいるからね」
極限まで張り詰めた空気に肩を震わせながら、私たちは向かいから顔を出すであろう二人を待った。
それからほとんど間を置かずに、目の前の襖が動く。
「はる、入るで~。中岡はんにご挨拶しぃ」
「おはるちゃん、こんばんは。夜分にすまないな」
真っ暗だった室内に奥の部屋の灯りが届いて、ぼんやりとあたたかな色合いに視界が染まる。
おじちゃんと中岡隊長は、鴨居の下に立って優しく笑いかけてくれていた。
対して私とはるちゃんは、押入れを背にして警戒心丸出しの態勢だ。
隣で木刀の切っ先がわずかにのびるのを感じ、肝が縮む。
「来たな、不逞浪士。ハッキリ言うとくわ。うちはあんたを信用してへんし反吐が出るほど大嫌いや」
牙をむき出して威嚇する獣のごとく、はるちゃんは正面を睨む。
そんな対応を受けながらも、隊長は口元に笑みを浮かべたままゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
はるちゃんは、ぐっと腰を落としてさらに警戒を強める。
「てっきりすぐさま襲いかかってくるものだと思っていたよ。存外おとなしい子なんだな」
隊長はくすくすと笑いながら帯から刀を抜き取り、それを畳の上へと置く。
そうして軽く両手を挙げてみせ、丸腰であることを強調する……けれど、おそらく懐にはピストールが収まっていることだろう。
「あんなぁ、言うとくけどウチみたいなボロい店、たいして貯えもあらへんで。盗むんも利用するんも価値ナシや」
じりじりと間合いを詰め、木刀の切っ先を隊長の顔面に突きつけながら、少女が眼光をぎらつかせる。
「俺はただ宿を借りたいだけだ。それ以外にここに求めるものはない」
「せやから、それが信用でけへん言うてるやろ」
「だったら、ここにいる間刀はおはるちゃんに預けよう。それで少しは安心してもらえるかな?」
「……ほんまにええんか?」
「いいとも。さぁ、拾ってくれ」
どうそどうぞと促されて、はるちゃんは足元に置かれた刀に恐る恐る手をのばす。
そしてその鞘を掴んで持ち上げるや、木刀を背後に投げ捨てて刀を構え直した。
「おおお……なんや、真剣て思うてたより重いな。抜いてもええやろか」
「アカン、ここで抜刀するんは許さへんで、はる」
そわそわと刀の重みに好奇心を膨らませるはるちゃんを、おじさんは慌てて静止する。
何年も剣術に打ち込んできた子だからなぁ。真剣に対する憧れが強かったんだろう。
ついさっきまでの殺気が嘘のように消し飛んで、今はきらきらと目を輝かせている。
「振り回さないと約束するなら、抜いて刀身を観察してみてもかまわない」
「ほんまか!? うっしゃ、じっくり見ながら抱いて寝よ!!」
隊長の言葉にぐっと拳を握って喜びを爆発させる姿を見ていると、思っていたよりも単純で御しやすい子なのかもしれない。
そこは、子供ならではの隠しきれない素直さかな。
「ただし預かってもらっている間は、ここに泊まらせてもらうぞ?」
「ええで。妙な動きしたらこれでまっぷたつにしたるからな!」
「ああ。交渉成立だな。これからよろしく、おはるちゃん」
「まぁ、よろしゅうな。今度うちの部屋の敷居越えてきたら容赦のうぶった斬ったるから覚悟しときや」
「はは……了解だ」
苦笑しながら肩をすくめてみせた隊長が、はるちゃんの部屋をあとにする。
敵意むき出しの相手に刀を預けてしまうなんて、思い切ったことをするなぁ。
滅多なことでは直接襲いかかってくるようなことはないと、信頼しているのかな。
「――ほんで、今夜はどないすんの? みぃちゃんこのまま泊まっていかへん?」
刀を脇に抱えて上機嫌なはるちゃんは、私の隣まで距離をつめて誘うように袖を引っ張る。
もう陽もどっぷり暮れて、歩いて帰るには危険な時間帯だ。
隊長はどうするつもりなんだろう?
意見をうかがうようにして首をかしげてみせれば、彼はすぐさま答えをくれた。
「今夜は天野と二人で泊めてもらう予定だ」
「そうですか、よかったぁ。これから歩くのはやっぱり怖いですし……」
「ああ。大橋くんやケンには、泊まりになるかもしれないとあらかじめ伝えてあるから心配はいらない」
「はいっ! それじゃ今夜は早めに寝ましょうか」
一件落着したことだし、全身に疲れがたまってさすがに体が重い。
すぐにでも布団に入ってしまいたい私は、ぱたぱたと隊長のもとへ駆け寄る。
「――は? ちょ、どこ行くんみぃちゃん」
退室しようとする私の肩を掴んで足止めするはるちゃんの表情は、今まで以上に険しい。どうしたんだろう。
「ん? もう寝ようかと思って」
「いやいやいやいや、アカンやろ、こいつと同室は」
「どうして? あっちが来客用のお部屋でしょ?」
「はぁぁ……? なんなん、二人ともデキてるん?」
仰天するはるちゃんの顔を見て、さすがに言わんとしていることを察する。
隊長と私なんて大人と子供だから、そんな目で見られることはないと思うんだけど……。
どうしましょうと隊長のほうに目をやれば、彼は少し困ったように肩をすくめてみせた。
「お前も年頃の娘さんだ、同室はよくないかもな。今夜はおはるちゃんの部屋で布団を並べて寝るといい」
「せやなぁ、みぃちゃん年頃やもんな。ほんならそゆことで、出てってや~」
隊長の対応にいくらかほっとした様子で、はるちゃんは彼らの背を押して部屋から遠ざけた。
そしてふたたび襖を閉めて、大きく一息つく。
「――で、ほんまに変な関係やないな?」
神妙な顔つきでこちらに再確認するはるちゃんに向かって、私はぶんぶんと両手を振りながら否定する。
「ちがうちがうっ! 中岡さんはただの恩人! 尊敬してるけど全然そんな関係じゃないからね!」
「……ふぅん、ほんなら一安心や。うっしゃ、布団敷こか」
刀を一旦置いて、はるちゃんは押入れからてきぱきと布団を出しながら寝床の準備をはじめる。
それを手伝いながら、あらためて陸援隊のみなさんとの距離のとり方について考えた。
最近は男の人のとなりにくっついて行動することが増えたせいか、男女の意識が薄れがちになってしまっている。
夜まで無遠慮にくっついていくのは、さすがに隊長としても迷惑だったかな。
べたべたと頼りすぎないように気をつけていかなきゃ。
互いの寝床をくっつけて布団に入った私たちは、向かい合っておやすみの挨拶をした後も眠れずにいた。
この部屋に灯りはないので、室内は真っ暗だ。月明かりもほとんど届かない。
涼しい秋の夜。暗闇の中で虫の声を聞いていれば、自然と睡魔も寄ってくるというもの。
けれど、今夜は少しばかり状況がちがう。
刀を抱いて眠るという非日常に、はるちゃんは興奮しているようだ。
「刀、かっこええな~。うちんとこ来たほうが万倍大事にしたるのになぁ」
「はるちゃん剣術娘だもんね。そういうのやっぱり興味あるんだ」
「そらそうや! 真剣なんぞ一生手にできんと思てたからなぁ。持ってみるとやっぱ身が引き締まるもんやわ~」
大嫌いだと宣言した隊長の持ち物だというのに、はるちゃんは愛おしそうに刀を抱いて頬ずりをしている。
このまま愛着が増せば増すほど、返してもらえなくなるんじゃないかとうっすら不安に思う。
約束は守ってくれる義理堅い子だから、しぶしぶでも返却はしてくれるはず……だよね。
うん、そうであることを祈ろう。
「剣術は楽しい?」
「うん! うち筋がええってよう誉められるんよ。女だてらに、とか馬鹿にされることもあるけど、好きやから突き詰めていきたいわ」
「すごいねぇ、そんなに強い気持ちだったらきっと上達すると思うよ!」
羨ましいなぁ。
この子も、打ちこめるものを持っているんだ。
これと決めた道にまっすぐ向かっている人達の表情は、いつだってきらきらと輝いていて、私にはまぶしすぎるくらい。
生き生きと道場のあれこれを語ってくれるはるちゃんの言葉に相づちをうちながら、同時に自分のからっぽさを虚しく思う。
ゆきちゃんも、はるちゃんも、シノさんも。
私の周りにいる女の人は皆、まっすぐでひたむきで、強い心を持っている。
きっとそれは、自分にはこれがあるという揺るがない自信からくるもので――。
自信のない私は、そうした男の人に負けない気概や信念めいたものに憧れてしまう。
……私にもあるかなぁ、夢中になれること。
誰にも負けないって、胸を張って言えるくらいに打ちこめること――。




