第七十話:隊長の寓居探し(三)
雑談まじりの作戦会議を終えて、店を出るころにはすっかり陽は落ちてしまっていた。
帰りがけにお勘定をすませようとした隊長の顔色が死人のようになっていたので、ここは私が支払いを申し出た。
今の隊長の懐事情、私よりひどいんじゃないかな……。
ミネくんと別れ、暗いながらも人通りは少なくない道を、肩をならべて歩いていく。
提灯をさげて歩く人が多いおかげで、あちこちにぽつりぽつりと灯りがともって心強い。
私も隊長も矢生一派から狙われている身だからできれば夜道を歩くことは避けたいけれど、今回ばかりは仕方ない。
何かあれば迷わず土佐藩邸まで駆け込む手筈になっている。
やがて人通りのない一本道に入ると、遠くにみすぎ屋さんが見えてきた。
周囲の気配に神経をとぎすまし、じりじりと慎重に前進していく。
「さすがにもう子供たちはいないな」
「そうみたいですね」
先程平太くん達から囲まれた地点を通過し、しばらく歩いてもあたりからは物音ひとつ聞こえてはこない。
みすぎ屋さんの屋根の上にも人影はなし。
見る限り全方位異状なしだ。
「子供は夜になると自然に引っ込むからな」
「みんな一日中走り回ってるから、疲れてすぐ寝ちゃうんですよ」
「さすがのお春ちゃんも家で大人しくしているだろう」
ちょろい、とでも言いたげに隊長は口角を上げる。
私もつられて笑みをつくろうとしたその時――。
ズボッッ!!
足元の砂地が円形に深く沈みこみ、私たちは思いきり体勢を崩した。
「きゃあぁぁっ!」
「……っ!!」
唐突な浮遊感にぎゅっと身を縮める。
――どうやら落とし穴に落ちてしまったようだ。
深さは胸の位置よりも少し浅いくらい。屈むとすっぽり穴におさまってしまう。かなりの大作だ。
「……怪我はないか?」
「え、あっ、はいっ!! ごめんなさいっ!!」
よくよく見てみれば、隊長は私をかばうようにして外套の中にかくまい、ぎゅっと抱えこんでくれていた。
頭を打ったりせずに尻餅程度で済んだのは、とっさに彼がかばってくれたおかげみたい。
それにしても、狭い穴の中でくっついているこの状況は少し恥ずかしいな……。
「……やられたな。まさか穴まで掘るとは」
やれやれと、隊長は頭に降り積もった土を払う。
お風呂に入ったばかりだというのに、彼は私のぶんまで泥にまみれている。
「隊長、ありがとうございます。守ってくれて」
「気にするな。どこも痛くはないな? 腹の傷は?」
「大丈夫です。それより隊長、砂まみれで……」
肩にかぶさった砂と泥を手で払いながら、置かれた状況のあまりのみじめさに目を伏せる。
「このくらいは何ともない。特に罠もないただの穴でよかったじゃないか」
「罠って……」
「下から突き刺したりな」
「それはもういたずらの域を越えてますよぉ」
「……まぁ、どちらにせよ油断は禁物ということだ。そろそろ立とうか」
「あ、はいっ! ごめんなさい!」
はっとして、はじかれるように立ち上がる。
すっかり隊長の懐の中でくつろいじゃってたよ……!
あらためて穴の深さを見てみると、相当なものだ。
短時間で作れるようなものだとはとても思えない。
しかも、何事もなく突破できると気をゆるめたところでのこの仕打ち――さすがにこたえる。
「信じられないです、店先にこんなものを作るなんて」
ふたたび怒りに火をともしながら、私は穴から這い上がった。
続いて出てきた隊長も、どうしたものかと思案しながらあたりを見回す。
みすぎ屋さんは、もう目と鼻の先なんだけどなぁ。
大股歩きで六、七歩くらいかな。頑張れば辿り着けそうだ。
「天野、目の前の道をよく見てみろ」
「え? なんですか?」
促されるままに、地面へと目をやる。
脇の家々から漏れでる灯りに照らされて、ぼんやりとあちこちに記号のようなものが見える。
「丸印が点々と。あれをどう見る?」
隊長がうなる。
言われてみれば、描かれた記号は丸だ。
みすぎ屋までの道に大小いくつも散らばっている。
「落とし穴の目印でしょうか?」
「全部というのは考えにくいな。いくつかはハッタリだろう」
「ええぇ……!? そんなの見分けられませんよぉ!!」
ざっと数えてみても二十以上あるそれは、びっしりと隙間なくみすぎ屋さん周辺を囲んでいる。
この中のどれが本物か、子供たちは覚えていられるのだろうか。
「……これは偽、か」
「わー! 隊長、危ないですって!」
前方に描かれた丸印に歩み寄った隊長が、周辺の土を強めに踏みしめて確かめている。
そうしてそのままその場にしゃがみ込み、指先で軽く土を掘り返したあと、彼は何か納得したように大きく頷いた。
「やはり土が硬い。あの空白の時間でこの穴を掘るのは大人でも難しいぞ」
「ですよね……でも、穴はたしかにできてるわけですし……」
「落とし穴周辺の土は比較的やわらかいものだったからな。あそこはおそらく一度深く掘られたことがあるんだろう」
「一度掘られて……」
と、そこまで言われてひとつ思い出した。
「そういえば、前にはるちゃん達が落とし穴に雨京さんを落とそうとしたことがあったそうです」
「神楽木殿を……? どういうことだ?」
「雨京さんの驚く顔が見たいって、近所の子供達が集まってみすぎ屋付近にいくつか穴を掘ったそうなんです。数日かけて準備したわりに、ひっかかったのは全く関係ないお客さんばかりだったとか」
そのあと店のまわりを掘り返されたみすぎ屋のおかみさんが激怒して、はるちゃんは泣きながらいずみ屋に逃げこんできたっけ。
このあたりの子供たちは、悪ふざけの度がすぎていることで有名だ。
大人たちに何度注意されても、自分たちが面白そうだと思ったことを最優先に動く。
「それで、穴はすぐに埋めたのか? 全部でいくつあったか分かるか?」
「すぐ埋めたはずですよ。数は聞いてませんけど、三つか四つくらいじゃないでしょうか?」
「……そうか。となるとやはり、この中にまだいくつか本物があるな」
「そう……ですねぇ」
あらためて前方を見回して、大きくため息をつく。
掘った穴の上にやわらかい土をかぶせて、いざという時に再利用できるように備えていたわけか。
どこまでも厄介な子供たちだ――。
二人して沈黙していると、背後からガラリと戸を引く音が聞こえてきた。
振り返ってみれば、すぐそばに建つ小間物屋さんの戸口が開いている。
このあたりは店じまいが早い店舗が多いけれど、特にここのお店は真っ先に店を閉め、朝一番にのれんを出すことで知られている。
外から見ればお店の中は灯りもなく真っ暗だ。こんな時間に誰かお出かけかな?
隊長と顔を合わせ、少し後退して出てくる人影を待つ。
この付近には顔がきくから、出てきたのがご主人やおかみさんだったら事情を話して助けてもらおう。
――なんて思っていたら、運悪く出てきたのは子供だった。
そっと店の外へと抜け出して、音をたてないように慎重に戸を閉めている。
この子はたしか、正太郎くん。歳は十歳くらいだったかな。
正太郎くんは懐に何やら紙の束を抱えて、こちらを振り返る。
そして私たちと視線がぶつかると、全身を硬直させてひきつったような声を上げた。
「ひいぃっっ!!」
このままだと泣き出すか叫ぶかしてあたりを騒がせてしまいそうだ。
どうすべきか意見をうかがってみようと隊長のほうに視線を向ければ、彼はずかずかと正太郎くんのほうへ歩み寄っていく。
正太郎くんはかわいそうなくらいに怯えきって、涙を浮かべている。
「こんばんは。こんな時間にどうした?」
できるかぎり優しく穏やかな声色で話しかけながら、隊長は膝を折ってその場に屈んだ。
正太郎くんと目線を合わせて話すためだろう。
けれど、そうして間近に悪名高い男が詰め寄ってきたという事実は、恐怖でしかないようで……。
「あうう……ひいいぃ」
「しょうたろくん、あのね。お昼はいろいろと騒がせちゃったけど、ほんとうにこのお兄ちゃんは悪いひとじゃないんだよ」
ガタガタと震えながらその場に尻餅をつく少年があまりにもかわいそうで、私はそっと隣に腰を落とし、正太郎くんの頭を撫でた。
この子とはあまり話をしたことがないけれど、ちびっこ集団の中ではたしか、いつもうしろのほうでおどおどと自信なさげにしていたっけ。
臆病な子なのだ。たった一人で悪者と対峙するのはそれはもう恐ろしくてたまらないだろう。
「……みこ姉ちゃん、ほんまに? みんな、そのひと悪いやつやって言うてた」
「でも、全員初対面でしょ? このお兄ちゃんは、はるちゃんともまだ会ったことがないんだよ。それなのに悪人だって分かるものかな?」
「うう……でも、ろうしとか、ろうにんとか、そんなやつなんやろ?」
「えっとね、この人は京の人じゃないけど、藩の人に許されて、お仕事もきちんとあって、それでここにいるの」
「……ほんまに?」
半信半疑で、正太郎くんは隊長を見上げる。
私の説明が下手なせいでいまいち納得してもらえないなぁと、言葉足らずを反省。
厳密に言うと、脱藩は許されていても浪士集団の親玉なわけだから。
そのあたりをありのまま伝えると、ますますこの子を震え上がらせてしまいそうで、深い事情をうかつにはこぼせない。
浪士と聞くやいなや嫌な顔を見せがちな京の人には、あたりさわりなく藩所属であることを盾にしていくのが一番だ。
陸援隊についてまだ何も知らなかった頃、長岡さんが私にそう説明してくれたように。
「ああ。仕事の関係でそこの土佐藩邸に行く用事が多くてな、それで、便利がいいから時々みすぎ屋さんに宿を借りたいと思っているんだ」
「藩のおしごと……兄ちゃんて、もしやお偉いさん……?」
「偉くはないさ。かしこまらなくていい。ちなみに極悪人でもないぞ」
「ふふふ、うん……」
くすりと、ようやく正太郎くんが笑みを見せてくれた。
場をほぐすために隊長が少し悪そうな顔で、がおーと襲いかかるようなしぐさをとってくれたおかげだろうか。
よかったぁ。
一時はどうなることかと思ったけど、これなら落ち着いて話ができそうだ。
「ところでしょうたろくん、こんな時間にどうしたの? 一人で外に出てあぶないよ?」
「う、それは……」
「なになに? もしかして皆から見張りを頼まれたりしてた?」
ばつが悪そうに身を縮めてみせる正太郎くんの姿を見て、何かうしろめたいことがあると確信。
私はずいと少年に顔を近づけて、正直に話すよう詰め寄った。
「あわわ……そんなんやないよ。ただ、ちょっと……」
「ちょっと、何?」
「うう……」
懐に抱えた紙束を強く抱きしめるようにして、正太郎くんはふたたび目尻に涙を浮かべる。
あ、いけない。このままだとまた泣いてしまいそう……。
「持っているそれは、人に見られたくないものか?」
大事そうに抱えている厚みのある束を指差して、隊長は訊ねる。
指摘を受けて一瞬正太郎君の肩がはねる。
「見られてもええけど……でも、夜に抜け出しとるんは知られたなかった」
「――そうか。抜け出して何をしようとしていたんだ? 誰にも言わないから話してくれ」
「ううう……ほんまに秘密?」
「約束だ。なぁ、天野」
「もちろんです。三人だけのひみつ!」
こそこそと肩を寄せ合って密談していると、なんだか楽しい。
子供の頃は、こういうの大好きだったな。夜にこっそりと家を抜け出したりだとか、ささいな秘密の共有だとか。
「ほんなら話すけど……ぼく、本が好きで。寺子屋では難しい本はたまに素読するくらいやけど、ほんまはもっと読みたいんよ。ほんで、先生にたのんで少しずつ習うてるんや」
――と、見せてくれたのはぼろぼろになった手習い用の草紙だった。
びっしりと文字で埋められている。
内容は……漢学? 難しすぎて私にはよく分からない。
「論語か」
ぺらぺらと草紙をめくって、隊長はふっと笑みをうかべた。
ろんご……そう言われれば昔、寺子屋で素読したことがあるようなないような。
「兄ちゃん、わかるん? まずはこれからやて先生が言うて。四書とか五経いうのが学問の入り口やって」
「その通りだな。論語はどこまで覚えた?」
「えっとな、述而。先生に書いてもろて、読んでみてるんやけど……」
どこまでいったかと草紙に目をおとす正太郎くん。
そんな彼を見て、隊長がすらすらと何かをつぶやいてみせた。
「多く聞きて其の善き者を択びて之に従い、多く見て之を識すは、知るの次なり」
「あ! それ、きのう読んだやつやぁ!」
「俺はここが特に好きでな。意味は分かるか?」
「うーーんと、いろんな話を聞いて、そん中のええと思ったんに従って、そんで……識す、いうんは……」
たどたどしくも自分なりに意味を考えて言葉にする正太郎君は立派だ。
私なんか、隊長が何を言ったのかさっぱり分からなかったというのに……。
「識は記憶するとか、覚えておくという意味。之は経験したこと、実際に見たこと。さて、多く見て之を識すとは?」
「ぎょうさん見て経験して覚えとく、いうこと……?」
「ほとんど正解。多くの書物を読み、そして自分の足で歩いて実際に見て経験したことを記憶しておく、といった意味合いだな」
「ふわぁぁ……! ちょ、まって兄ちゃん、書きとめとく!」
そう言って立ち上がると、正太郎君はぱたぱたと走ってはす向かいの宿屋の店先に立つ木灯籠のそばにしゃがみ込んだ。
なるほど、あそこなら明るそうだ。
私と隊長が立ち上がって彼を囲むように座れば、正太郎くんは矢立に筆をおさめてにっこりと笑みをみせた。
「兄ちゃん、おおきに。勉強になりました」
「どういたしまして。正太郎くんは、この灯りを目当てに外に出ているわけだな?」
「うん。うち、けちやから夜はすぐ明かり消してしもうて。ここのお宿は遅うまで明々としとるから」
「なるほど、勉強熱心だな。立派じゃないか」
心底関心した様子で、隊長は正太郎くんの頭をさらりと撫でる。
確かに、えらいよね。こうまでして勉強したいなんて。私も少しは見習わなきゃ。
「りっぱ? ほんまに?」
「ああ。こうして、暇を惜しんで学ぼうという気持ちが何より大切なんだ」
「……でもぼく、絵草紙よう読まんからしょっちゅう仲間はずれにされてしもうて……」
「そうか。しかし気にすることはない。それぞれ読みたい本も好きな本も違って当たり前なんだ。無理に周りに合わせる必要はないさ」
「うう……せやろか? くそたろう知らんとすぐ馬鹿にされるけど、なんや話に聞く人物名がぜんぶ汚いから、読みたないなぁって思ってて……」
正太郎くんは、いくらかうんざりしたような口調で本音をこぼす。
日頃から強引にくそたろうを押し付けられることが多いのかな。
流行に敏感で好きなものを共有したがる難儀な友達関係が、正太郎くんにとっては窮屈に感じるようだ。
「それじゃ正太郎くんは、あの子達と遊ぶの楽しくないのかな?」
昼間は平太くんたちに混じって私たちを囲んでいたけれど、それもしぶしぶ付き合っていただけかな。
「うう……そうかもしれん。ぼく、悪さするんは好きやない」
「そっか。正太郎くんにとって、皆についていくのは負担なんだね」
「うん。みんな正義の味方に憧れてるみたいで、なんでもええから悪者退治したいんやと思う」
「なーるほど」
納得して頷きながら、どうしたものかと隊長に視線を送る。
すると彼は、宿屋の店先に立ててあった箒を手にして足早にみすぎ屋のほうへと進んでいく。
「あ、兄ちゃんあかん……! そこ、落とし穴が」
あわてて立ち上がった正太郎くんが、背後から隊長の外套を掴む。
そうして彼が立ち止まったのは、先ほど私たちが落ちた穴から、みすぎ屋に向かって三歩ほど歩いたところだった。
「ここも落とし穴なのか」
目の前の地面に刻み付けられた丸印を逆さにした箒で突いてみれば、土がはじける軽快な音とともに、それは深々と突き刺さった。
空洞の端を探るようにしてそのまま箒の柄を動かせば、ざあっと足元の土が崩れ落ち、あっという間に丸い大穴が姿を現した。
――二つ目発見。危機一髪だったな。
穴の上から橋を渡すように細枝を組み、その上にはじょうぶな紙を敷く。そこにうすーく土をかぶせて、この落とし穴は作られているようだ。
軽く足を乗せただけで沈むような仕組みだから、出来としては脆い。
この調子で箒で突きながら探っていけば、安全な道を探すのも難しくはなさそうだ。
「……あ、あそこもう穴あいてるな。もしかして兄ちゃんら、落ちた?」
正太郎くんが申し訳なさそうに瞳を揺らす。
「ああ、落ちた。他にも穴があるか探っていたところで正太郎くんが出てきたんだ」
「そやったんか……すんまへん。やりすぎやし、また大人から怒られるからぼくは嫌やったんやけど……」
「気にしないでくれ。二度落ちる前に教えてくれただけで充分だ」
「うう……みんなにはナイショな」
「ああ、約束する。ついでに残りの穴の場所を教えてくれたら最高なんだがな」
にっとかすかに口角をあげながら、隊長は箒の柄についた土を手で払った。
正太郎くんはもうほとんどこちらの味方だ。こうなったらとことん助けてもらっちゃおう。
「うーん……けどもし皆にバレたら……」
「大丈夫、秘密は守りぬく。それに、ここに寓居が決まればまた正太郎くんに漢学を教えてあげられるしな」
「あ、ほんまに!? 教えてくれるん!?」
「うまく話がまとまれば、な。手助けしてくれるか?」
「……う、うん! 約束な! ほんならついてきて。戸口のそばまでは他の穴はないんや」
――やった! 交渉成立!!
忍び足で前進する小さな背中に続いて、私と隊長も足音を殺しながらみすぎ屋の戸口付近まで歩く。
そうして、手をのばせば木戸に手が届きそうな位置で立ち止まった。
「ここ、戸のまん前にトドメの穴があるんや。急ごしらえやから浅いけど、下に馬糞詰まってるから気ぃつけてな」
「ひえぇぇ……こんなの絶対ひっかかるよ……」
隊長から箒を受け取り、正太郎くんはその柄でざりざりと穴の周辺を囲んで目印をつける。
玄関戸から大人の足で二歩ぶんくらいかな。
どの方向から来ても来訪者は必ず踏むであろう範囲をあまさず覆っている。
やっとたどり着いたー! と安心しきったところで馬糞にまみれる絶望はいかほどのものか。
あまりに強烈な拒絶の姿勢に震えあがる。
はるちゃん一味、おそるべし……!
「ようやくたどり着けたな。正太郎くんありがとう、これはほんの気持ちだ」
と、隊長は買ったばかりのおせんべいの包みを解いて、中から三枚を取りだした。
それを懐紙に乗せて、正太郎くんへと差し出す。
「わ、ほんまにええの?」
「恩人だからな、これくらいは。今日は本当に助かった」
「う、うん。こっちこそおおきに。兄ちゃん、またいろいろ教えてな」
「ああ。それじゃあな、念のため今夜は早めに帰ったほうがいいぞ」
「せやな、今日はもうしまいにする。 みこねえちゃんも、またなぁ」
可愛らしく手を振りながら、正太郎くんは借りていた箒を元の位置に戻すべく宿屋の店先まで走る。
それから親御さんにばれないようにそろりそろりと家の中へと戻っていくまで、私たちは静かに見守った。
――見つかった時はどうなるものかとはらはらしたけれど、うまくまとまってくれてよかった。
誤解を受けている相手と話し合って打ち解けることは難しい。
けれど、きちんと気持ちが通じた時はこんなにも清々しいものなんだ。




