第六十九話:隊長の寓居探し(二)
螢静堂を出た私たちは山乃屋さんでお酒を買い、たった今仙寿堂さんで買い物を済ませたところだ。
「まさか酒よりせんべいが高くつくとはな……!」
隊長は木枯らしの吹きすさぶ懐をぐっと押さえつつ、苦々しい声をあげた。
仙寿堂さんは、かぐら屋とも懇意で京では名の知れた高級店だ。
庶民では手のとどかないお菓子がずらりと並ぶ店内は、お公家さまご用達なだけあってやんごとない雰囲気がただよっている。
「でも、すごくおいしいらしいですよ。雨京さんやかすみさんがみすぎ屋さんを訪ねる時は、必ずお土産にしてました」
「それで舌が肥えたんだな」
「そうですね、普通ならなかなか買えるものじゃないですし」
「しかしこういう時は最初が肝心だ。できるかぎり真心を尽くそう」
そうして万全の体勢を整えた私たちは、満を持してみすぎ屋さんへと向かう。
隊長は地図を広げて場所を確認しているけれど、私はもともと頭に入っている。
みすぎ屋さんは、古い商家が軒をつらねる寂れた場所にひっそりと建っていた。
土佐藩邸は、たしかに近い。二階の窓から覗けば見える距離だ。
ずらりと立ち並ぶ玄人好みの商店たちを脇目に見ながら、私たちは目的地へと続く細道を歩いていく。
奥へ奥へと進み、やがてみすぎ屋さんの全景が視界におさまろうという頃――。
「ここは通さへんぞ、不逞浪士ーーー!!」
「帰れ帰れ帰れーー!!!」
どこからともなくぞろぞろと飛び出してきた少年たちに、包囲された。
その数八人。
全員が盗人のように手ぬぐいで顔をかくし、棒っきれや箒などを手にしている。
しかも、よくよく見てみれば見覚えのある顔ばかりだ。
「ちょっとみんな! 悪さはやめなさい!!」
少年の顔を覆う手ぬぐいを取り去ってみれば、やはり出てきたのは見知った顔だった。
近所で有名な悪がき、平太くんだ。
「みこ姉、こいつアカンって! はるちゃんが言うてたで、近々みこ姉があやしいヤツ連れて来るって」
「……ええっ!?」
「せやから追い返す!! 死ね、極悪浪士!!」
平太くん一味は隊長を容赦なくつつき回しながら罵声を浴びせている。
まさかここまで浪士への悪感情が膨れ上がっているなんて……。
「近所の子供達か? 俺は神楽木雨京さんの紹介で、みすぎ屋さんに宿を借りるつもりでな」
隊長は彼らに視線を合わせるように膝を折る。
「雨京兄の紹介? ウソやウソ!!雨京兄かてヨソモン嫌いやし」
「この文を見てもらおうか。ここに雨京さんの署名があるだろう」
長々とした文をばさりと広げ、文末を指すと、子供達は揃って首をひねった。
「なんて書いてあるんや? 難しい字は読めん」
この子たち、さては寺子屋でろくに話を聞いてないな。
私自身そうだったから分かる。漢字が五つも連なってたらもうお手上げ。勉強熱心な子にしか読めない領域だ。
「あのね皆。この人は雨京さんのお友達。あやしい人じゃないんだよ」
平太くんの頭にそっと手をのせて撫でてあげると、彼はなんとも落ち着かない様子でモゴモゴと口を動かした。
「雨京兄に友達なんぞおらんやろ」
「う、ひどいなぁ平太くん。このお兄ちゃんは雨京さんの大親友なんだから!」
胸を張って宣言してみる。あながち間違ってはいないと思う。
平太くん一味は胡散臭そうに眉を寄せて隊長の顔を見る。
「……ほんなら兄ちゃん、悪いやつとちゃうんか?」
「悪者じゃないさ。その証拠に、美湖姉ちゃんとも仲良くしている」
子供たちの視線にあわせて隊長は笑みを浮かべる。
そして、証言を求めてこちらに視線を向けた。
「あ、う、うん! そうだよ、この人はお姉ちゃんと仲良くてね、とってもいい人で――」
――と、言いかけた言葉は前方から上がった奇声にかき消された。
「うそつくなやああああ!!! 平ちゃあああん!! そいつや!! そいつが不逞浪士や!!!」
天を裂き地を割るような絶叫。
声の主は、みすぎ屋二階の屋根のてっぺんに鬼の形相で仁王立ちしていた。
「天野、あの子は」
「はるちゃんです。どうやら首謀者みたいですね……」
「……歓迎されていないのか」
やれやれとため息まじりに首をふる隊長は、はるちゃんの一言によってふたたび少年たちから攻撃を受けはじめた。
さすがにこの状況はあんまりだ。
「いいかげんにしなさいっ!!」
堪忍袋の緒が切れた私は、ちびっこの輪の中に飛び込んで棒切れを掴み上げる。
すると、向こうもすぐさま足を使って応戦してきた。
負けてはいられない。
せめて武器になるものを取り上げなきゃ!
押しつ押されつ、蹴ってつねって引っ張って。
ぎゃあぎゃあと、いつしか揉み合いの乱闘に発展していく。
――そうこうしているうちに、意を決したように隊長がその場から動いた。
しっかりとした足取りでみすぎ屋のほうへと歩み寄り、そしてはるちゃんの顔がよく見える距離で口をひらく。
「はるちゃん、俺はあやしい者では――」
「帰れええええええ!!!」
はるちゃんが、屋根の上から大きく腕を振りぬくような動きをした。
次の瞬間、隊長の顔面に何かが勢いよく命中する。
それはべちゃりと気味の悪い音がして砕け、中身をぶちまけた。
「……卵……か」
うっすらと白く濁った中に、鮮やかな黄色が映える。
割れてどろどろになった卵を額からしたたらせながら、隊長がこちらを振り返った。
少年達が、お腹をかかえて笑い転げる。
「やーーい、ヨソモン、イナカモン! ふていろうしー!!」
「帰れ帰れーー!!!」
……不逞浪士、か。
平太くんの口から出た、意味もよく分からずに使っているであろう言葉を聞いてすとんと腑に落ちた。
春ちゃんは浪士を毛嫌いしていて、追い払いたいんだ。
近所の子供達を言いくるめて総動員してまで、断固隊長の寄宿に反対している。
失望のまなざしで、ふんぞり返るはるちゃんを一睨みする。
ひどい。こんなことをする子だとは思わなかった。
「隊長、行きましょう」
手ぬぐいで顔をぬぐっている彼の袖を引いて、ずかずかと元来た道を引き返す。
久しぶりに、頭にきた。
もう二度とみすぎ屋さんには頼みに来ない――!!
「ひどい、あんまりです!!」
ぬるいお茶を一気に飲みほして、私は叩きつけるように湯呑みを置いた。
――ここは、隊長いきつけの蕎麦屋さん。
あれから風呂屋に直行して汚れを洗い流したあと、作戦会議もかねてこの店で一息つくことにしたのだ。
場所は酢屋さんから少し歩いたところで、みすぎ屋さんともそう離れてはいない。
お客さんはまばらで、蕎麦の味もそこそこのぱっとしないお店だけれど、隊長に言わせればそこがいいのだそうだ。
「いやー、それ面白すぎだよ。ボクもその場にいたかったなぁ」
お店の前でばったり出会ったミネくんは、私と隣合わせに座って話を聞いてくれている。
重そうな風呂敷包みを置いて、楽になった肩をトントンと叩いているところを見ると、ミネくんも重い肩こりに悩まされているようだ。
「全然おもしろくないよ! 隊長がかわいそうで……」
「でもさ、普通の反応じゃない? 浪士を下宿させるってけっこう重い決断が必要だよ。近所の人にとっても怖いだろうね」
山菜が苦手なのか、彼のどんぶりに乗った山菜たちは隊長の器にポイポイと投げ入れられていく。
慣れっこなのか、隊長は無言でそれを口に運ぶ。面白いな、まるで家族みたいなやりとり。
「いずみ屋の一件以来、さらに警戒が強まっている気はするな。浪士の受け入れを好まない店も多いだろう」
「うんうん。でもさ、神楽木さんが話を通してくれてるなら、みすぎ屋のご主人は納得してることなんだろうね」
「そこだよな。俺としてはみすぎ屋に決めたいんだ。立地が気に入ってな」
隊長は湯飲みを傾けながら、穏やかに口角を上げる。
一人娘のはるちゃんがあそこまで反対しているんだもの。押し切るのは至難の業だと思うけどなぁ。
「おじさんおばさんは賛成かもしれませんけど、はるちゃんがあれじゃ……おとなしく他をあたりません?」
「いや、あそこに決めた」
「たいちょう……もう少し他にも目を向けましょうよぉ」
「みすぎ屋が気に入ったんだから仕方ない。俺は片思いでも押しきる派だぞ」
なんという前向きさ……!
完全に出鼻をくじかれたというのに、諦めるどころかむしろ燃えているように見える。
「はるちゃんは浪士嫌いみたいですよ。無理矢理一緒に住むとなると、あの子を不安にさせてしまうかもしれません」
「俺は浪士ではないし、神楽木さんとも協力関係にある。お春ちゃんを不安にさせる要素はないはずだ」
「うーんでも、知らないお兄さんと突然同居というと、少し恐いかも」
「心配ない。仲良くなってみせるさ」
長話のせいでほとんど冷えてしまっているであろうそばつゆをすすって、隊長は一息つく。
いつだって余裕たっぷりで、自信満々だなぁ。
それがこの人の長所なんだろうけど、私にはとてもできない考え方だ。
――うまくいくのかどうか分からないけれど、ここは隊長の言うとおりに動いてみるか。
「これからまた訪ねてみますか?」
「いや、陽が落ちるまで待ってからにしよう。ここでもう少し時間を潰すぞ」
「わかりました!」
きっと何か考えがあってのことだろう。
私は素直に指示に従い、お茶一杯で居すわる決意を固めた。
幸いお店の人は長居をする客にも嫌な顔をしないので、店内には私達の他にもだらだらと雑談を続ける娘さんや商人さんの姿が目に入る。
よし、そうと決まれば雑談しよう!
「そうだ、ミネくん! くそたろうの後継絵師が決まったんだよ!」
「うん!望月先生から聞いた! ゆきちゃんが描いてくれるんだってね! 楽しみだなぁ」
「あれ、知ってた? ミネくん情報通だねぇ」
「あれから毎日先生を訪ねてるからさぁ。おかげで珍しいものたくさん見せてもらえて、本当に幸せだよぉ」
ほくほくな表情を見て、隊長とともに笑みが漏れる。
ミネくん、本当に熊おじちゃんの作品が好きなんだなぁ。
「くそたろうが大好きな子供達も、新作待ってるだろうね」
そう口に出すと、ミネくんが思い出したように手を叩いた。
「そうだ。くそたろうと言えばねぇ」
懐をあさり、やがて一枚の紙切れをそっと卓の上に乗せると、ミネくんはにやりと笑みを浮かべた。
「何だこれは? くそたろう問答?」
隊長が首をかしげながら、紙切れを手にとる。
何が書かれているんだろう。ぱっと見た感じ幼い文字で綴られているようだったけれど……。
「それ、平太くん率いる悪がき達が町中に配り歩いてるものだよ。くそたろうに関する問題がびっしり書かれてる」
「なるほど。和算(※数学)の問題が街中に張り出されていることがあるが、それに近い遊びだな」
「そうそう。あの子ら熱狂的なくそたろう好きでね、それを解けない大人達を見下して楽しんでるんだよ」
「そうか……」
文面に目を通す隊長の眉間に、みるみる深いシワが刻まれていく。
「くそたろうを読んでないと解けない問題ばかりだよ。未読の人がいくら考えてもムダだって」
「ちなみにミネは解けるのか?」
「もちろん楽勝。でもまぁ、ボクみたいなガチ勢が子供の遊びに首つっこむのも野暮かなぁと思って静観してる」
ミネくんは余裕の笑みを浮かべて、難しい顔で文面に向かい合う隊長を見守る。
たしかに、この界隈ではミネくんを凌ぐくそたろう好きはいないだろう。
作者と直接話をしてるわけだしね。まさにガチ勢。
「問一の答えは桜木村、問二が芋粥、問三は鍬……と、ここまでは分かる」
「おおっ! すごいや慎太兄ちゃん! どうして分かった?」
「巻の一だけは読んだんだ。問四からはさっぱり分からないな」
隊長、さすが! 私も巻の一を先輩に読み聞かせてもらったけれど、解ける自信はない。
「なんなら全巻貸そうか? おまけに地獄の小便太郎と下痢太郎一代記の写しも進呈しよう」
きらきらと輝く眼でミネくんは風呂敷包みを解き、くそたろう全巻を隊長に手渡した。
いつ聞いても衝撃的な書題だなぁ。おじちゃんはシモネタが絡まない作品も書けるのだろうか。
「借りていいのか? 貴重な写しまで……」
「いいよ! 全部解けたら悪がき達からも一目置かれると思う」
「ありがとう、ミネ。しばらく借りる」
と、隊長は巻の二を手にとって熟読を始める。
真剣なまなざしでお下品な絵草子と向かい合う隊長の姿に思わず笑みが漏れる。
全巻読破するまでに、そう時間はかからなかった。
時折噴出しながら項をめくる隊長につられて、私とミネくんもにこやかにそれを見守っていた。
「隊長って読むの速いですよね。挿絵もちゃんと見てくれました?」
「もちろんだ。親父さんの絵は素晴らしいな。躍動感がある」
「えへへ、そう言ってもらえると嬉しいです」
父の絵を誉められると、誇らしい。
徹底的に子供向けとして作られたものだけれど、血の通った作品にはやっぱり大人でも楽しめる力があるんだなぁ。
「解答できたら、次は自分が考えた問題を相手に渡すのが決まりだよ」
「なるほど、面白いな。あとで問題を考えてみる」
「慎太兄ちゃんが作る問題、どんなのか気になるなぁ。今度ボクにも解かせて!」
「ああ。大人の底力ってやつを見せてやる」
燃えてきたらしく、隊長はぐっと拳を握ってみせた。
大人の底力かぁ。一体どんな問題ができるのやら。




