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よあけまえのキミへ  作者: 三咲ゆま
二章 陸援隊編
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第六十七話:先輩とお出かけしよう!(三)

 ひとしきり清水さん付近を見て回って帰路につく頃には、もううっすらと空の端が色づきはじめていた。

 屯所までは相当な距離があるから、寄り道せずに帰らなきゃ。


「あー、遊んだ遊んだ! 楽しかったなぁ!」


 大きく伸びをしながら、満足そうな表情で先輩がつぶやく。

 彼は元気が有り余っているようだけど、私は一日中歩き回って、もうくたくただ。


「たくさん遊びましたねぇ。笑いすぎてお腹が痛いです」


「オレはまだ笑わせ足りねぇぞ?」


「もう充分楽しませてもらいましたよぉ」


 恋占いのあと、なんとなく気恥ずかしくて目を合わせられずにいた私を、先輩は怒涛の冗談で笑わせてくれた。

 おかしくておかしくて、ひとしきり笑いころげたあとには、間近に彼の顔があって。

 しかもそれがまた、ひょっとこみたいなおかしな表情で。

 今度は私だけではなく、周囲の人々をも巻き込んで笑いの渦が巻きおこった。

 

 先輩は面白い人だ。

 身ぶり手振りをおりまぜて表情豊かに語る身の上話や噂話のたぐいは特に聞き手の興味を引き、心をゆさぶる。

 飾らない、気取らない、いつだってありのままあけっぴろげな彼の生き方は、見ていて気分がいいものだ。

 彼の周りには自然に人が寄ってくる。明るくてあたたかい、ひだまりのような人。

 そばにいると居心地がいいから、ついついその優しさに甘えてしまう。



「少しは気晴らしになったか?」


「なりました、すごく!」


「そりゃよかった!」


 感謝をこめて満面の笑みを向ければ、鏡のように彼も同じような顔で笑ってくれた。

 幸せな時間。

 素直じゃない私を、先輩はいつの間にか笑顔にしてくれる。

 そんな自然な優しさが、疲れた体にしみわたる。

 ……やっぱり、先輩といる時間は楽しいな。



 わいわいと盛り上がりながら、人通りが増えた往来を足早に通過していく。

 あれからずいぶん歩いて、ようやく螢静堂の近くまで戻ってきた。

 もうすっかり陽も暮れて、ぽつぽつと両脇に灯る店舗の灯りが優しく道を照らしてくれている。


 あまり遅くなりすぎると隊のみなさんに心配をかけてしまうからと、少しばかり歩を速めたそのとき――。


「ああっ、そこのお人、待ってぇ」


 背後から若い娘さんに呼び止められ、私たちは何事かと振り返った。

 すがりつくようなその声色からして、店の呼び込みとは思えないけど……。


 首をかしげたままの私とは裏腹に、先輩には思いあたるフシがあるようで、彼は娘さんの顔を見るなり大きく声をあげた。


「おお! サヨちゃんか!」


「ケンさぁーん! もー、最近来てくれないから寂しかったぁ~」


「はは! 悪ぃ悪ぃ、最近忙しくってよ。暇ができたらまた行くわ」


「いけず~! ねぇねぇ、久々に寄ってってぇ~。ケンさんが好きそーな新しい子入ってきたのよぉ」


「そりゃ気になる! けど、また今度な。見ての通りツレと一緒だからよ」


 と、指を指されるとサヨさんは分かりやすく眉間にシワを寄せた。

 ……こんな状況じゃ私、邪魔者でしかないよね。


「せんぱい、行きたいならどうぞ……私、螢静堂で待ってますから」


「バァカ、おめぇを置いていけるかよ。今日はもう帰んねぇと」


「でも……」


 本当は寄って行きたいと思っているだろうに、先輩はもうサヨさんと目を合わせることもなく、私の手を引っ張った。

 けれど私は、意地をはってその場から動かない。


 ――先輩、私なんかよりずっとサヨさんと親しげだ。

 ケンって呼んでいいのは身内と目上だけ……のはずだったよね。

 ということは、サヨさんって……


「焼きもち娘は嫌われるわよぉ?」


 うつ向いていた私の頬に、つんとやわらかな刺激が走る。

 顔を上げてみれば、目の前にはサヨさんが立っていた。

 近くで見ると綺麗な人だ。睫毛が長くて鼻筋が通っていて。

 歳は、かすみさんより少し上くらいだろうか。疑う余地のない美人さんだ。


「べつに、やきもちなんか……」


「あらあら、素直じゃない。そんなんじゃ嫌われちゃうわよぉ?」


「……もともと、そんなに好かれてないですし……」


「そうかしらぁ? でもあなたはケンさんのこと好きなのよね? 見ればわかるわよ」


「……っ……!」


 私の反応を見てくすくすと愉快そうに笑う彼女に、返す言葉はなかった。

 ……たふん、ぜんぶ本当のことだから。



「そのへんにしといてくれるか? 冗談でも傷つくヤツはいるんだぜ」


 先輩がずいとサヨさんに歩み寄る。

 じわりと涙目になった私をかばうようにして、間に入ってくれる形だ。


 ――頼もしいと思うより先に、申し訳なくなった。

 子供の私がわがままを言って、男女の仲を引き裂くようなことをしていると思ったから。

 その証拠に彼は、感情を押し殺すようにして大きくため息をついている。


「ごめんなさいっ!……もぉケンさんったら、怖い顔しないでぇ!」


「からかうなら相手を見てやってくれ。泣きそうになってんの分かんねぇか?」


「ごめん、ごめんって! あなたも、いじわる言ってごめんなさいね。反応が可愛らしいから、つい……」


 間に立つ先輩の脇から顔を覗かせて、サヨさんは何度も頭を下げている。

 どこか慌てているような、怯えているような、そんな表情で。


 私からは背中しか見えないけれど、先輩、よっぽど怖い顔をしているのかな。

 お邪魔虫な私よりも、私をからかった彼女のことを責めているのが不思議でたまらない。

 サヨさんといい関係なら、私に怒るのが普通だろうに。


「――最近はこいつの世話で忙しいんだ。だからまぁ、しばらく店には行けそうにねぇ」


 と、先輩が体をひねってこちらに笑みを向け、私の頭に軽く手を置いた。

 もう怒っている様子はなく、声色も穏やかだ。


「そっかぁ。まぁね、生身の子に夢中になってるほうが人としては健全よね」


「ちゃんとあいつらのことも可愛がってっから心配いらねぇって」


 生身……? あいつら……?

 なんのことだろう。


「だったら安心。何かあったらまたお店に来てねぇ!」


「おう。そのうちまた顔出すぜ! んじゃ、またな!」


 ぶんぶんと手を振ったあと、先輩はふたたび私の手をとって帰路につく。

 今度は私も立ち止まったりせずに、引かれるがままついていく。

 振り返ると、サヨさんがこちらに向かって小さく手を振ってくれていた。

 いろいろと騒がせてしまったから、こちらからもお別れのご挨拶をしておこう――。



「ところで先輩、サヨさんのお店って……」


 ずかずかと前進する背中に向かって、声をかける。

 人通りが多いせいか先輩は振り返ることもなく、返事の代わりにぎゅっとつないだ手に力を込めた。

 さっきの会話の様子からして、いかがわしいお店というわけでもなさそうだし、聞いても大丈夫だよね……?


「サヨちゃんは、行きつけの刀剣商の娘さんだ」


 質問への答えが帰ってきたのは、賑やかな通りを抜けて、すれ違う人もまばらになった小路の上だった。


「刀のお店なんですか。新しい子が~とか言ってるから勘違いしそうになりましたよ」


「刀は生き物っつうのがサヨちゃんの口癖だからな。オレもそれには同感だ」


「生き物……?」


「おうよ。まぁ持ち主次第だが、大抵は家族や伴侶同然に大切にされてるもんだ」


「へぇぇ……それにしては先輩、刀を差してないですけど」


 と、彼の腰へ視線を向ける。

 そう言えば先輩が帯刀しているところは見たことがないな。

 ピストールは常に携帯しているみたいだけど。


「だーかーら! 盗まれたっつってんだろうが! いちいち傷をえぐるんじゃねぇよ!」


「いたっ! ご、ごめんなさい! そうでしたね……!」


 強めのでこぴんを食らって、ズキズキと痛む額を押さえながら頭を下げる。

 ――うっかりしてた。

 先輩の愛刀は水瀬に奪われたままだったっけ……。


「いまんとこ手元にゃ短刀二振りしかねぇんだわ」


「へぇ。だったら護身用に、短刀を持ち歩いたらいいんじゃないですか?」


「護身用なぁ……毎日手入れして可愛がってっから、何かあって傷ついたら嫌だしよぉ」


「でも、刀って戦うためにあるんじゃないですか……?」


「そう使うヤツもいる。けどオレにとっちゃ家族みてぇなもんだから、できるだけ大事に扱いてぇんだ。戦う時はコイツとライフルでいい」


 懐のピストールを撫でながら、先輩は力強く笑ってみせた。

 刀のことをそんなに大切にしていたなんて、知らなかったな。

 てっきり銃に魅入られて洋式の戦闘に傾倒した人なんだとばかり思っていた。

 ライフルを自慢する時の先輩の顔は、本当にきらきらと輝いていたから。


「でしたら、はやく水瀬から取り返さなきゃいけませんねぇ」


「おうよ! 奴らの足取りについては木村や香川が調べてくれてるが、オレたちもじっとはしてらんねぇな」


「はい! 私も奪い返さなきゃいけないものがありますし」


「親父さんの形見な。よっしゃ! 今日は思いきり遊んでスッキリしたし、これからまた聞き込み頑張っていこうぜ!」


「はいっ!!」


 いつの間にやら話はうまくまとまって、私達はいつも通りに笑みを交わし、コツンと拳をぶつけ合った。

 やっぱり先輩とは、こうしてわいわいと明るく盛り上がっているのが一番だな。



 とぼとぼと薄暗くなった道を歩きながら、彼の顔を見上げる。


「……あの、さっきは助けに入ってくれてありがとうございました」


「気にすんな。泣かれるのはニガテなんだ」


 ちらりとこちらに目を合わせたあと、先輩は照れくさそうにそっぽを向いて頭を掻いた。


「先輩って、優しいですよね」


「――ま、かわいい後輩ちゃんをできるだけ笑わせてやりてぇからよ」


「ふふふ、ありがとうございます」


 やわらかく耳をくすぐる優しい言葉に、思わず目を細めた。

 かわいい後輩ちゃん、か。

 そう言って自分の時間を私のために割いてくれる先輩に、本当はもっともっと感謝しなくちゃいけない。

 私は彼から与えられてばかりだ。

 いまだにお返しのひとつもできていない。

 けれど彼はそんなことなんかまるで意に介さず、無尽蔵の親切さで私を包んでくれる。


「いつでもおめぇの味方だからな。泣きたい時はまずオレに相談しろよな」


 ――ほら、こうやって。

 こちらが照れてしまいそうな言葉を臆面もなく言いはなつ。


「う、は、はい! 先輩も、なんでも相談してください!」


「おめぇにか?」


「はい。私も力になりたいですから」


 苦笑する先輩に向かって胸を張る。

 頼るばかりでは申し訳ないし、もちつもたれつでいきたい。


「んじゃひとつ相談」


「はいっ! なんでもどうぞ!」


 目を輝かせる私の耳もとに口を近づけて、先輩はぼそりと一言つぶやいた。


「……この間見たおめぇの裸がいまだに忘れらんねぇんだが、どうしたらいい?」


「……っ!! もーーっ! 先輩のばかぁ!!」


 低い声が伝わった耳もとからみるみる真っ赤になった私は、彼の頬を張り倒して逃げるようにその場を離れる。

 せっかく何か役に立てると喜んだのに……!

 むくれたまま早足で進む私の背後から、冗談だと謝りながら先輩がついてくる。


「悪かったって!……ちくしょう、せっかくいい感じだったのにまたぶち壊しちまった」


「いいかんじ……でしたか?」


「今日は全体的にそうだったと思うんだが、違うか?」


「……そうだった、かもしれません」


「だーよな。縁も結んだしよ」


 ぎゅと私の手を握って。

 にかっと笑った先輩は、その手を振りながら人通りのない小路を歩いていく。

 つられてこちらも、笑みがもれた。


「すぐ台無しなこと言っちゃいますけど、やっぱり先輩といると楽しいです」


「ん、オレもおめぇといると楽しいぜ」


「……また、二人でお出かけしましょうね」


「おう。近いうちにな!」


 つないでいた手をほどいて、ゆびきりげんまん。

 次の約束をとりつけた二人は、晴れやかに笑いあった。


 夕闇の帰り道というのは不思議だ。

 日中あれほど激しく波立っていた心のうちが、なぜだか穏やかに凪いでいる。

 薄闇に火照った気持ちが冷やされていくようで、心地いい。

 夜の空気。

 冷たく尖っているくせに、隣り合う人のあたたかみをふわりと際立たせる。

 きっと私たちは、お互いにあと少しだけ素直になれる。

 この空に星が満ちる頃までには――。



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