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よあけまえのキミへ  作者: 三咲ゆま
二章 陸援隊編
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第六十話:先輩と後輩

 冷たい空気で満たされた廊下を足早に突っ切って自室の前までたどり着いた私は、隣室から漏れ聞こえてくる声にふと足を止めた。


「それでですねぇ、そこの茶屋の娘がめちゃくちゃ可愛いんですよぉ~!」


 声の出所は先輩の部屋だけど、彼の声とは違う。

 壁際まで身を寄せて中の様子に耳をそばだてれば、なにやらわいわいと数人の男の人の談笑が聞こえてきた。

 どうやら平隊士さんを部屋に招いて盛り上がっているようだ。


 一人で待ってくれているものだとばかり思っていた私は、少しばかりほっとしながら自室へと戻る。

 さっと鏡の前で身だしなみを整えて、隣室へと続く襖に手をかけたそのとき。



「――ところで兄さん、天野とはどんな感じなんすか?」


 隊士さんの一人が発した言葉にびくりと肩をふるわせて、私は一歩後ずさりした。


 どんな感じってなに……!?

 ついさっき隊長が気にかけてくれていたのと同じ意味合いなのかな。

 喧嘩していないか心配してますって……なんて思っていると。



「羨ましいよなぁ。おなごと毎晩隣り合わせで寝られるなんて!」


 ああ、もうこの人たちは……!

 どうしてすぐにそんな方向に話をもっていっちゃうんだろう!


 そういえば井戸端で出くわすたびに、平隊士さん方は私をからかってくるもんな。

 「幹部の誰とデキてるの?」って。

 たしかに幹部のみなさんからは良くしてもらっているけれど、だからといってすぐさまそういう事につながるものかな?

 


 「勘違いしてんじゃねぇ。べつにどうもねぇよ」


 一人そわそわしながら落ち着かずにいると、そこに先輩の声が降ってきた。

 呆れたように息をつきながら、盛り上がる隊士さんたちをたしなめるような口調だ。


「どうもないってことはないでしょう。兄さん、いつも天野ちゃんにべったりじゃないですか!」


「そりゃな、一人にしてちゃ危なっかしいしよ」


「隣で女が寝てたらムラムラするでしょ!」


「しねぇよ馬鹿。おめぇらも、あんましあいつのこと変な目で見んなよ」


 続けざまに「いてっ」と誰かが叫ぶ声がする。

 おそらく先輩がまた、隊士さんのおでこをはじいたりでもしたんだろう。


 ――なんだか部屋に入っていけるような雰囲気じゃないな……。


 こんな話をこのまま聞き続けるのは嫌だ。

 私の話を振られるたびに先輩が困ったように反応するのも、私をまるで意識していないと言い切ることも、なんだか辛い。


 ぎゅっと肩をすぼめてそろりそろりと部屋のすみまで後退していると、何か硬いものにつまづいて思いきり尻餅をついた。

 足元を見れば、そこには口を硬く結ばれた風呂敷がある。

 気づかずに足をひっかけてしまったみたいだ。



「なんかすげえ音したな」


「あれ? 隣の部屋、誰かいんの? 天野ちゃん戻ってる?」


 振動とともにけっこうな音がその場に響いたものだから、気づかれてしまうのも無理はない。

 猛烈に気まずい心境に陥った私は、涙目になりながら押入れの中まで撤退する。


 盗み聞きをしていたなんてバレたら、ますます先輩と顔を合わせづらくなっちゃうよ――!




「……おめぇらはそろそろ部屋に戻れ。久々に騒げて楽しかったぜ!」


 先輩の一言で何かを察したのか、隊士さんたちは聞き分けよく別れの挨拶を告げながらぞろぞろと席を立っているようだ。

 

「兄さん、今日はいろいろとありがとうございました!」


「おう。村山、何かあったらいつでも相談しろよな」


「はい! おやすみなさい!」


 村山さんの声色は、先ほどまでとは違って明るいものだ。

 新入りの彼が早く仲間たちに馴染むことができるように、先輩が一席もうけてくれたということなのかな。

 廊下まで見送りに出たらしい先輩へ隊士さんからかけられる言葉は、最後まで親しみあふれるもので。

 やがてガラガラと玄関戸が閉まるまで、お祭りのように賑やかな声が途切れることはなかった。



 ――すごく慕われているんだな、先輩って。


 襖ごしに会話を聞いただけでも、彼らが肩の力を抜いて屈託なく笑いあっているのが伝わってきた。

 この間の腕相撲のときもそうだったっけ。

 先輩は自然と人の笑顔を引き出すのがうまい。

 誤解されやすい人だと隊長は言っていたけれど、少なくとも陸援隊での先輩はこれ以上ないほどの人気者だ。


 せっかく盛り上がっていたところを、私のせいで邪魔しちゃったかな。

 気をつかって早々に切り上げてくれたことは明白だ。悪いことしちゃったな……。


 なんて考えながら、真っ暗な押し入れの中で膝を抱えてうつむく。

 視界を断たれた完全な闇の中で、少しの気まずさとともにじわじわと心細さが芽生えてきた。 


 思わずこんなところに逃げ込んじゃったけど、これからどうしようーー。

 出るに出れない複雑な乙女心。

 でも出ていくなら先輩が部屋に入ってくる前にしたほうがいいよね……。

 そう思って、そろりと押し入れの襖をあけはなつと……



「うおおっ! びびったぁ!! なにやってんだ!?」


 部屋を仕切る襖を開けてこちらをのぞきこんでいた先輩が、ぎょっとして飛び退いた。


「見つかっちゃいました……」


「いや、さっきすげぇ音がしたからよ、部屋に戻ってんのかと思って」


「戻ってました、ちょっと前に」


「そっか、悪ぃ。隊士たちと騒いでたから入りづらかったか?」


 かすかに眉を落としながら襖を閉めてこちらに歩み寄ってくる先輩の腕の中には、二つのお弁当箱とお重がひとつ収まっていた。


「先輩、まだご飯食べてなかったんですか……?」


「あたりめぇだ。一緒に食う約束だろ?」


「でも、隊士さんたちと食べてるみたいでしたから……」


 周囲が騒ぎながら飲み食いしている状況で一人だけ箸をつけないなんて寂しいもの。

 当然先輩も仲間たちとおかずを交換しながら楽しく食事を済ませているものだと思っていた。


「先に食っちまったら後でおめぇが寂しがるだろ。んで、肩たたきはちゃんとできたかよ?」


「う、えっと、はい!」


 先輩が私をどきりとさせることばかり言うものだから、調子が狂ってしまう。

 てっきりあなたは食べ物を前にしたら即座にかぶりつくような野犬型の人間だとばかり思っていました。ごめんなさい、先輩。



「なんかおめぇ、さっきから変だな。中岡さんの肩が手強すぎて疲れ果てたか?」


「い、いえ! だいじょうぶです! さ、ごはんにしましょう先輩!」


「ん、そっか? だったら食おうぜ」


 押し入れの襖を閉めて部屋の中央に座った私の向かいに、先輩も腰を下ろす。


 二人きりの部屋の中はとても静かだ。

 風の音も、木々のざわめきも、秋を彩る虫の声さえも、今夜に限って聞こえてはこない。


 なんだか少し気まずいな。

 そもそも押し入れから登場するなんて明らかに変だよね。

 それなのに先輩はとくにそこをいぶかしがるわけでもなく、機嫌よさげにお重の中のおかずを弁当箱によそっている。


 ……私がいろいろと気にしすぎなだけなのかな。



「そういやよぉ、西山のヤツ、近所の茶屋の看板娘に惚れたらしいぜ」


 にやりと口角をあげて仕入れたての情報を口にする先輩は、なんとも愉快そうな顔をしている。


「本当ですか? どんな子なんでしょう?」


「西山いわく、ふわふわで可憐な、思わず守りたくなる子猫ちゃんらしい」


「わ、いいですね! ご本人を見てみたいです!」


「だよなぁ。今度行ってみようぜ。ねこまんま亭っつう店だってよ」


「可愛いお名前! ぜひいきましょう!」


 ねこまんま亭かぁ。

 京の茶屋には詳しいつもりだけど、その店はまだ行ったことがないな。

 西山さんの想い人がどんな人なのかも気になるし、足を運んでみなければ!


 ……なんて、そんな話をしているうちにいつの間にやらいつもの調子に戻っちゃったな。

 先輩とはやっぱり、こんなふうにわいわいと明るく笑いあっているのが一番しっくりくる。

 変に意識しすぎるのはやめよう。

 仲のいい先輩と後輩。そんな関係が一番だ。




「でも、その前にゆきちゃんの説得だよなぁ」


 甘辛く煮付けた肉の塊をごっそりとごはんの上によそいながら、先輩はかすかに眉を落とした。

 穏やかに脈打ちはじめていた私の胸の鼓動は、その一言でふたたび跳ね上がる。


 一冊の本の行く末が私の肩にかかっているのだと思うと、身が縮む思いがする。

 けれど、おじちゃんと約束した以上はきちんと話をして結論を出さなければならない。


「うまくできるかはわかりませんが、頑張ってみます」


「ゆきちゃんの気持ちを動かせるヤツがいるとすれば、おめぇしかいねぇからな。頑張れよ!」


「はい。隊長からいろいろと助言もしてもらったので、できるかぎりやってみます」


 彼女の返答がどんなものでも、最終的にはきちんとその意思を汲んであげることが大切だ。

 だめでもともとという覚悟でいこう。

 こちらの都合を押し通すために無理強いだけはしないようにしなきゃ。


「おう。オレも可能な限り力になるぜ」


「はいっ!」


 しっかりと頷いてみせた私に、先輩は励ますような力強い笑みを返してくれた。

 

 あまり心配ばかりしていても仕方がない。

 明日になってみないと、この問題がどう転んでいくかまるで分からないんだから――。

 『やるだけやろう』と誓い合った私たちは、ゆきちゃんの絵やくそたろうの魅力についてじっくりと語り合いながら、賑やかに食事を終えるのだった。




 食器を片付けて井戸端で歯磨きなどを済ませると、いつものように先輩と隣り合わせて屋敷まで戻っていく。


 見上げた夜空は、今夜も曇りなく澄み渡っていた。

 心地よく肌を撫でていく秋の風に目を細めて少しばかり歩幅をゆるめると、となりを歩く先輩がふと口をひらいた。



「――なぁ天野、ここでの暮らしはどうだ?」


 こちらに視線を合わせることなく、彼は夜空を見上げている。

 はるか高みに目をやるその横顔は、いつになく凛々しく頼もしく見えた。


「毎日楽しいですよ。みなさん優しくしてくれますし」


「……ホントか? 隊士たちから変なこと言われたりしてねぇ?」


 なんとも歯切れの悪い口調でそうつぶやきながら、先輩は頭を掻く。

 ――あ、もしかしてさっきの隊士さんたちからの言葉を気にしているのかな。

 先輩と私の仲をひやかすようなことを言われていないかって。


「たまに、ちょっとだけからかわれることもありますけど、平気です」


「ああ? マジかよオイ! 誰に言われた!?」


 思い切り眉間にしわを寄せて鬼のような形相に変貌した先輩は、私の両肩をつかんでぐっと顔を近づける。


「いえ、全然気にしてませんから! お名前も知らない隊士さんで……だから先輩、怒らないでくださいっ!」


「怒るだろそりゃ……こっちは毎日、天野に変な話すんなって注意してんのによぉ」


 そ、そうなんだ……。

 毎日言い含められてるにしては、隊士さんの発言にまるで遠慮がない気がするけど……。


「先輩の怒った顔は、こわいです」


「ああん? 誰のためにキレてると思ってんだ」


「だから、そんな顔がこわいんですよぉ……笑ってる先輩が好きです」


 深いシワが刻まれた彼の眉間を、そっと指ではじく。

 先輩がいつもやっているのと同じ仕草。彼とちがって私のは、まるで威力がないけれど。



「な……お、おう!」


 一瞬固まって視線を泳がせた先輩は、妙にぎこちない笑みを作り――その出来に満足がいかなかったのか、自らパシンと頬を張った。


「わぁ、先輩がめずらしく照れてます! 貴重です! 写真に撮っておきたいな!」


 面白い反応が返ってきて機嫌をよくした私は、自然にこぼれる笑顔を抑えきれずに、先輩に親しみをこめたからかいの言葉を投げつける。


「うっせぇな! おめぇが好きですとか言うからだろうが!!」


「好きっていうのは、笑顔がです! え・が・お!」


「ああ!? オレの顔ってそんなにおめぇの好みだったか!? 男前ですまねぇな!」


 きゃっきゃとはしゃぐ私を見て意地悪な笑みを浮かべた先輩は、私のほっぺたを両手でつまんでぐいぐいと引っ張る。


 いつしか玄関前までじゃれあいながら到着した私たちは、玄関からほろ酔いで出てきた香川さんから冷ややかな視線をあびることになるのだった。


「やるなら部屋の中でやっとくれよ。くれぐれも夜中は声を抑えるように~」


 何を勘違いしたのか愉快そうに高笑いしながら、香川さんは一人門のほうへと歩いていく。

 その手には紐で吊るした酒瓶がぶらさがっていたから、おそらくこれからお酒を買いにいくのかな。


 それにしてもさっきの発言はちょっと……いくらなんでも恥ずかしい。



「あんのクソ野郎……あいかわらず下卑てやがるぜ」


「先輩、あの、ごめんなさい。私、ふざけすぎました」


 先輩の照れっぷりを見て、なんだか無性に嬉しくなってついついはしゃいでしまった。


 こうして冷静になってそのやりとりを思い返すと、みるみる頬が紅く染まっていくのが分かる。

 互いに触れ合った部分から火が出てしまいそうだ。


「……ま、いいじゃねぇか。オレは楽しかったぜ。誤解なら後でちゃんと解いとくから心配すんな」


 急にしおらしくなった私を見てふっと笑みを浮かべた先輩は、小さく肩をすぼめる私の頭をくしゃりと撫でた。

 そうして、何事もなかったかのように玄関へと入っていく。



「あ、先輩! まってください!」


 明かりの漏れる玄関へと、その背中を追って走る。

 私の胸の鼓動は、さっきからずっとせわしなく脈打っている。



 先輩のこと、男の人として意識しないって決めたばかりなのにな。

 なんだか先刻の盗み聞き以来、ささいな一言やなんでもない仕草でどきりとしてしまうようになった。


 ……わいわいと話が盛り上がっているうちは、そんなに気にならないのに。

 ふとした時に、こちらを気にかけてくれるような言葉をかけてもらうと、胸の奥がぎゅっと締まる。



 ――先輩の真面目な態度に弱いのかな、私は。


 妙にむずむずする口元を引き締めるべくぺちぺちと頬を叩いて、私はそっと先輩の待つ玄関へと入っていった。

 うっすらと訪れる自分の中の変化に、少しばかり戸惑いながら――。




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