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よあけまえのキミへ  作者: 三咲ゆま
二章 陸援隊編
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第五十九話:新入隊士さん

 ミネくんと別れて、屯所までの道のりを歩いていた。

 長距離になるからと、今夜はさすがに走りこみはお休み。そのかわりに、けっこうな早歩きだ。

 先輩は、先ほどからしきりに食べ過ぎたと呻きながらお腹をさすっている。

 鍋、半分以上先輩が食べていたからなぁ。すごい胃袋だよね。



 やがて、屯所が目前に近づいてきて適度に気も緩みかけたころ。

 視界の端に、ふと何かが引っかかった。

 それは、家屋の陰に潜むようにして屯所のほうを覗き込む人影だった。

 見るかぎり、その数はひとつ。

 そわそわと挙動が怪しく、高い垣根で囲まれた民家の陰から、首を出したり引っ込めたりしている。

 私はその不審な動きに寒気を覚え、足取りをゆるめてぎゅっと先輩の着物の袖をつかんだ。


 先輩は口元に人差し指をあてて声を出すなと指示し、ゆっくりと忍び足でその人影に近づいていく。

 私は、少し距離をとりながらも恐る恐る彼の背中についていく他ない。

 もしかしたら矢生一派の残党が様子をうかがいに来ているんじゃないかと、背筋が凍る思いだった。



「兄ちゃん、そこの屋敷に何か用か?」


 先輩は、人影の肩をぐっと掴んで無理やりにこちらを振り向かせながら、低くトゲトゲとした声をその顔面にぶつけた。

 片手は懐に入れているところを見ると、おそらくピストールに手をかけているんだろう。


「ほわあああああああっ!!! ごめんなさい、ごめんなさいっ!! あやしいもんではないんです!!」


 声をかけられた人物はよほど驚いたのか、飛び上がって震えながら、腰に差していた刀を放り出してその場にひれ伏した。

 目をこらしてよくよくその顔を見てみれば、どうやらまだ若い浪士のようだ。

 ひょろりと細身で薄汚れたみすぼらしい格好をしている。


「おめぇ浪人か? あそこに用があんのかどうか答えろ」


「そうっす、そうっす! 用があって! あそこって陸援隊さんですよね!? あなたは関係者さんっすか!?」


「……まぁな。で、要件はなんだよ」


 先輩の懐で、ガチリと硬い音が響く。ピストールの撃鉄を押し上げた音だ。

 もたもたしていると敵とみなすということかな。

 いつもよりも数段低い声を出して全身からむきだしの殺意を放つ先輩に、ぞくりと身が震えた。


「お、おれ、村山っていいます。長州から出てきて倒幕の動きに加わりたかったんすけど、なんのツテもなくて、食い詰めて物乞いみたいな真似しながら生活してて」


「そいつは、脱藩者にゃ珍しくねぇ話だな」


「はい。それで、風のうわさで陸援隊のことを聞いたんす。浪人を集めて兵とする組織があるって。んで、毎日メシ食わせてくれるって!」


「なるほどな、メシ食いたさに入隊希望か」


「ああああしまった!! いえ、崇高な志があってです! なんかこう、お国のために死ねる的な! すごいこう崇高な感じのアレで!」


「……だいたい分かったぜ。刀は一時オレが預かる。入隊手続きしてやっから、そのままついてこい」


 崇高な志を持っているらしい村山さんは、田中先輩に刀を没収された上、首根っこを掴まれた状態で屯所までご案内される。

 入隊希望者にもけっこう雑な扱いをしちゃうんだな。村山さんが際立って不審だったからかな。

 ちゃんと素性が分かって、正式に仲間になるまで気は抜けないか。

 矢生たちとの一件があったから先輩はなおのこと慎重になるんだろう。




 屯所の門をくぐって屋敷へ続く道すがら、首根っこをつかまれたままずるずると引きずられていく村山さんに、平隊士のみなさんからの視線が集中する。


「兄さん、誰ですソイツ!?」


「新入り。の予定」


「なぁんだ、入隊希望の奴すか! 新入り、あとで一緒にメシくおうぜ!」


 村山さんが仲間だと分かると、周囲のいぶかしげな眼差しが一転してやわらかいものに変わる。

 あちこちから投げかけられる歓迎の言葉に、村山さんは情けなくへらへらと笑いながら応えていた。



「……さぁて、今夜は隊長も幹部も揃ってっから全員に会っとくか?」


 滅多にない機会だぞ、と田中先輩は笑ってみせる。

 今はちょうど、屋敷に上がって隊長の部屋へ続く廊下を歩いているところだ。

 村山さんはようやく先輩の捕縛から逃れて、きょろきょろとあたりを見回しながら不安げに歩いている。


「え、あ、いやあ……おれそういうのすごい緊張するんで、できたら少人数で話したいっす。なんなら隊長抜きでも」


「何でだオイ、隊長には真っ先に挨拶しねぇとダメだろ。中岡さんは怖くねぇから安心しろ」


 先輩が容赦なく村山さんのおでこを指ではじき、硬く鋭い音が響く。

 痛そうだなぁ。指があたったところ、赤を通りこして紫になっちゃってる。


「ひぃぃぃ……いや、でも、噂では血の気が多くて争い大好きなヤバイ志士だって……」


「どこ情報だよ。入隊希望なら隊長を信頼しろ。それにおめぇ長州志士だろ? だったら熱い心意気見せろや」


「ひえええ……」


 村山さんは驚くほど気弱な人だ。

 ここまでの臆病者が陸援隊でやっていけるのかなあ……なんて考えて、はっとする。

 そういえば西山さんがいたな。

 臆病隊士としては彼が先輩だ。仲良くやっていけるかもしれない。




 そうこうしているうちに、隊長の部屋の前までついた。

 入隊手続きは隊長不在の場合、幹部三人以上が同席の上話を進めることになっているらしい。

 けれど今回は隊長がいてくれるし、幹部である田中先輩も同席するので、村山さんの希望通り最低限の人数で面談が行われることになった。


「それじゃ、私はお茶でも用意します」


 そう言って厨のほうへ足を向けようとすると、脇から勢いよく袖口を掴まれた。村山さんだ。


「怖いので、おんなの人がそばにいてくれると嬉しいですっっ!!」


 半泣きの涙声だ。まるでお化けが怖くて母親にしがみつく子供みたい。

 そんな反応を見せられては、こちらも冷たく振り払うわけにはいかない。

 私はふっと笑みをこぼしてうなずき、先を行く二人の背に続いて開いた障子の先へと足を踏み入れた。



「中岡さん、屯所付近で入隊希望者に会ったんで連れてきました」


「おお、そうか! よく来てくれたな」


 ぼんやりと薄明かりが灯る部屋のすみで文机に向かっていた隊長は、先輩からの報告を聞いてすぐさま腰を上げ、座布団をとって中央に並べた。

 先輩に背を押されてあたふたしながら頭を下げた村山さんは、緊張が極限に達したのかそのままぴくりとも動かない。


「どうした? まずは座ってくれ」


「は、はいっ!」


 首をかしげて隊長が村山さんの顔を覗き込むと、彼はびくりと跳ねてその視線から逃げるように座布団の上へ乗った。

 それに続いて、私と田中先輩も村山さんの両隣りに腰を下ろす。


 隊長が座るのは正面だ。私たちとは向かい合う形になる。

 話を聞く姿勢が整ったところで隊長がひとつ咳払いをし、面談がはじまった。



「――私が隊長の中岡だ、よろしく。まずはそちらの名から聞かせてほしい」


「はい、おれ……あ、いや、自分は、長門の村山謙吉むらやまけんきちといいます! 陸援隊の仲間に入れてください!!」


 かすれる声をしぼり出してなんとかその名を告げると、村山さんは大きく頭を下げる。土下座のような体勢だ。

 お名前は謙吉さんって言うんだな。長岡さんといっしょだ。

 たしか長州は京から陸続きの西端にあるらしいから、脱藩してここまで出てくるには相当な覚悟が必要になるだろう。


「ほう、長門か。村山くんはどのあたりの生まれだ?」


「内陸の出ですが、馬関ばかんのほうが騒がしくなった時期はあっちに移り住んでいました」


「なるほど。では馬関戦争を間近で見ただろう。あれは多くの志士の意識を変える出来事だったな」


「……あっ、そっすね」


 なにやら眉間にしわをよせて重々しく頷いている隊長に対して、村山さんの返事の軽さといったら。

 思わず田中先輩が村山さんの頭を小突く。


「オイオイおめぇ、何か自分なりの感想とかはねぇのかよ」


「実は自分、戦とか何かの隊とか集団で動くのが苦手で、というかそこに仲間入りさせてほしいと飛び込めないタチで」


「遠巻きに見てたってワケか? 見てるだけでもいろいろ感じたろ?」


「こわいなぁと」


「こ……コイツ思ってたより頭カラッポだな。中岡さん、どうします?」


 打っても打ってもまるで響かない村山さんにあきれたように眉をひそめ、先輩は隊長へと判断をゆだねる。

 害はなさそうだけど、これといってやりたいこともない人なのかな。

 うーん、それじゃ極端な話、浪士を受け入れてくれる組織だったらどこでもいいってこと?

 どうしても陸援隊に入りたいという熱意は感じられないし。



「そうだな……では、脱藩の動機を聞かせてもらおうか」


「動機、ですか……うーん、こんな自分でもさすがに世の中の変化には気づいていたので、なにかできることはないかなと」


「考える前に体が先に動いた形か。陸援隊にはそういった輩が多いな」


「そうなんですか、やっぱり。だっておれみたいな奴、人脈もないし有名な志士に話を聞きにいく機会がなくて。だから難しい話はよく分かってないんす」


「人から情報を得る前に、まずはありったけの書物に触れて知識を吸収してみることだ。未熟でもかまわない。自分なりの考えを持つことが大切だと思うぞ」


 隊長の言葉を耳に入れながら、そうだそうだと先輩がしきりに頷いている。

 いっぽうの村山さんは、少し困ったような表情で眉尻を下げて腰を落とした。


「おれ……あ、自分は、ご覧の通り頭の出来がよくないので本を読んでもそれがいまいち頭に残りません。政や世情の話をすると必ずバカにされます。それが分かっているので、賢いひとと話すのは気がひけるんです」


 なんだかそれは、分かる気がするな。

 今度は私がうんうんと頷きながら、村山さんの言葉に同意してみせる。

 隊長から見たら私なんて全然ものを知らなくて、幼子同然に見えるだろうなって、よく思う。

 自分の考えに自信を持って堂々としている人は立派だけど、少し近寄りがたく感じることもあるよね。


「その気持ちは分かる。駆け出しの頃は特にそうだな。だが、言い負かされる経験は貴重だぞ。べつに賢くなくても構わないんだ。学ぼうという姿勢で話を聞く者を、まともに経験をつんだ人間ならば笑ったりしない」


「いえ、そんなことはありません! 自分はいつも、どこに行っても馬鹿だ阿呆だとののしられてきました」


「そうやって話が通じない相手をすぐに罵倒するようなやつは三流以下だ。相手にしなくていい」


「た、隊長は自分のことを使えなさそうなヤツだと思ってたりは……」


「しないさ、お前はまだまだこれからだ。ただ、うちは戦に出ることを前提として編成された組織だからな、戦う意思があるのかどうかだけは聞いておきたい」


 恐る恐るといった様子で尋ねた村山さんの言葉を、あっさりと隊長は打ち消して笑みを見せる。

 なんだかここまで来ると、入隊できそうな流れだな。


「戦う意思、もちろんあります! なんでもします!!」


「――そうか、ならば採用だ」


 ポンと軽く村山さんの肩に手を置いて、隊長は席を立った。

 そして文机の脇に据えてあった箱の中から書面を取り出し、筆と硯を持って戻ってくる。


「名簿だ。ここに署名してくれ」


「はいっ!!」


 行灯のやわらかな明かりに照らし出されて浮かび上がるのは、ずらずらと大小いろいろな筆跡が入り乱れた細長い巻物だった。


 ――ここに記名することで陸援隊士になれるんだ。

 田中先輩や大橋さんの名前もあるのかなぁ、と心躍らせながらざっと流し見をし、ふと気づく。

 私、漢字は読めないんだった……。

 だめだなぁ、こんなんじゃ。お世話になっている人の名前がどれかも分からないなんて。


「ちなみに採否は、このあと小監察に上申して向こうの裁量で決まる」


「ええっ!? まだ審査があるんすか!?」


 隊長からの言葉に、村山さんがびくりと震え上がる。

 正直私も驚きだ。てっきりこの署名だけで正式に入隊できるものだと思っていた。


「うちは一応藩に属して活動しているわけだからな。形式上伺いは立てるが、そうそうつっぱねられることはないから安心してくれ」


「わ、わかりました。入隊が許されますように……」


 村山さんは、姿勢を正してかすかに震える手でそこに自身の名前を書き込んでいく。

 署名が終われば、仮隊士としてひとまずはここの仲間入りだ。

 正式採用されるまでは不安もあるかもしれないけれど、隊長が認めて署名つきで書面を提出すれば、ほぼ通るらしいので安心していいだろう。

 筆を置いた村山さんはそわそわと喜びを押し殺すようにして隊長に頭を下げた。



「――さて、あとはそこの田中からざっと隊の説明を受けてくれ。その後は飯にしてもらっていい」


「了解しました! ありがとうございます、隊長! おれ、頑張ります!!」


 署名を確認して小さく頷いた隊長は、あとのことを田中先輩に引き継いで村山さんを部屋の外へと送り出した。


 彼らとともに私も廊下へと出る。

 緊張を乗り越えて頑張った村山さんのお祝いがてら今夜は夕餉に付き合おう、などと思いながら。



 ――すると背後からそっと肩に手がかかり、隊長から呼び止められた。


「すまんが天野は残ってくれるか?」


「……え? あ、はい。わかりました」


 なんだろう? 私だけ残れなんて珍しいな。


「ケン、終わったらそっちによこすから、夕餉は天野を待ってからにしてもらえるか」


「了解っす。ごゆっくりぃ」


 村山さんと並んで玄関のほうへと歩きながら、先輩はひらひらと手をふってみせる。

 ごゆっくり……?

 なんだろう。何か大事な話でもあるのかな。




「さて、今夜はお前の番だよな」


 と、部屋の中に戻った隊長は疲れを吐き出すように長く息をついて、重そうな肩に手を当て、軽く持ち上げてみせた。


「あ、肩たたきですか!」


「ああ。今から頼めるか?」


「はいっ! もちろんです!!」


 そっか、そういえば田中先輩と交互に隊長の肩を叩く約束だったっけ。

 一人だけ残されてなにか叱られたりするんだろうかと少し不安だったから、安心した。


「昨夜は屯所に帰れなかったからな。特に凝ってるんだ」


「では念入りにほぐしていきますね! よおし、がんばるぞ!」


 袖をまくって気合を入れる私を見て、隊長はくすりと笑みをもらす。

 まだ人肌のぬくもりの残る座布団に腰をおろした隊長は、いつでもはじめてくれと身を任せるように肩の力をぬいた。

 背後に回って肩に触れると、あいかわらず石のように硬い。

 これはやりがいがありそうだ。



「――そういえば、ばかぢからくそたろうを読んでみたぞ」


 あの手この手で頑固な凝りと格闘し、指先も疲れて額に汗が浮かびだしたころ。

 隊長がふと思い出したように口を開いた。


「さっそく読んでくださったんですね! どうでした?」


「桃太郎のような系統の話だと思っていたんだが、想像よりも何と言うか、こう……」


「お下品でくだらないって思いました?」


「いや、ところどころ笑わせてもらった。子供にはうける内容だろうな」


「わぁ、隊長からそんなふうに言ってもらえるなんて! きっと望月先生も喜びます!」


 良識ある大人が読めば顔をしかめそうな内容の本だから、厳しい意見も覚悟していたけれど。

 隊長は意外と柔軟に受け入れてくれるんだな。

 あ、もしかしたらシモネタに弱かったりして?

 前に田中先輩のシモ発言で思いきり笑っていたし……。


「迫力ある挿絵ばかりで、そこも見ていて楽しかったぞ。そういえば、今後の挿絵はどうなるんだ?」


「あっ! その話なんですけどね……」


「どうした、何かあったのか?」


「はい。実は今日――…」


 私は屯所を出たあとの足取りと、熊おじちゃんの庵での会話内容をできるかぎり詳しく隊長に語った。

 くそたろうの後継絵師問題は、目下一番の悩みのタネだ。

 いい機会だし隊長の意見を聞いてみよう。



「――なるほどな。そういった経緯があれば望月氏の言い分も分かる」


 一通り話し終えると、隊長は深くうなるように息を吐いた。

 話に夢中になっていつしか指の動きが止まりがちになっていたけれど、落ち着いたところで再開しよう。

 

「でも、ゆきちゃんの絵だったらおじちゃんも受け入れてくれると思うんです。父の一番弟子だったわけですし」


「ゆきちゃんはそれほどの腕前なのか」


「はい! 私から見ても上手ですし、お店に売っててもおかしくない絵だと思います」


「それはすごいな。しかし望月氏にとっては、巧拙以上に重要な判断基準がありそうだ」


「それは……そうですね。父の絵に通じるなにかが必要なんだと思います」


 筆運びを多少似せた程度の付け焼刃とは違う、底にある熱意のようなものを見出したいんじゃないかと私は思っているけれど。

 そのあたりはおじちゃんも詳しく語らなかったから分からない。


「しかしまぁ、望月氏本人がゆきちゃんに会ってみたいと言ったわけだ。あと一歩というところまで来ているのかもな」


「そう思いたいです。問題は、ゆきちゃんの説得なんですけど……」


「絵師になる気はないと断言しているんだろ? 厳しいな、説き伏せるのは」


「ですよね……隊長だったらどう話を切り出しますか?」


 そうだ、こんな時こそ頼ろう。人を丸め込むことに定評がある中岡隊長を!


「俺だったら……ゆきちゃんの性格を考えて決めるな。おだてて動くならおだてる。多少きつい物言いで奮起するのであればそうする」


「うーん、どうでしょう。お昼にミネくんが褒めちぎってましたけど、結局絵を売らせてはくれませんでしたし……」


「だったら、突き放してみたらどうだ?」


「それも難しいです。私、ゆきちゃんの絵の悪いところなんて見つけられないし……」


「絵ではなく態度を責めてみろ。積み上げてきた己の技術に胸を張ることができないような奴は、何も持っていないのと同じだと」


 それを聞いて私はぽかんと口を開けたまま、まぬけな顔で二度、三度と頷いてみせた。

 そういわれてみればそうだよね。ゆきちゃんだって生まれたときから今みたいに綺麗な絵が描けたわけじゃない。

 毎日毎日、何があっても放り出すことなく絵と向き合ってきた結果が今の実力なんだ。


「分かりました。自信をもって一歩進んでみてって、言ってみることにします」


「ああ。過度に卑下するヤツには、必ず何かあるぞ。過去の大きな失敗とかな」


「なるほどぉ」


 思わず、村山さんの怯えようと自己評価の低さを思い出す。

 人から馬鹿にされるのが怖くてうまく自分の思想を語ることができなかった彼の中にも、きっとそれなりの考えはあるはずだ。

 周囲の人間が諦めずに糸をたらし続けてあげれば、深く深くに沈んだその人の芯を釣り上げることができるのかもしれない。


「とはいえ、ゆきちゃんはそこまでこじらせてはいないだろう。何度か話した印象では素直でさっぱりとした子だったからな」


「そうですね。私なんかよりもずっとハキハキと意見が言える大人な子です」


「だったら、じっくりと本音で話し合ってみることだ。その結果駄目でも、諦める覚悟だけは持ってな」


「はい、頑張ってみます! 隊長、相談にのってくださってありがとうございました!」


「――こちらこそありがとう。おかげで肩が軽くなった」



 と、そんなところで今夜の肩たたきは終了。

 隊長はすっかり肩の力が抜けた様子で、穏やかな表情をしている。

 少しはたまっていた疲れも癒えたかな。

 陸援隊にはお世話になりっぱなしだから、何か少しでも力になれたなら嬉しい。


「――あ、それとですね、隊長」


「ん? どうした?」


 肩がよく回る! と晴れやかな表情で腕を持ち上げていた隊長が、はっとしてこちらに向き直る。


「雨京さんが近々文のお返事をくれるそうです」


「そうか。多忙な中気をつかわせてしまって申し訳ないが……」


「いえいえ。雨京さん、隊長と繋がりを持ってからはあれこれ悩むことも減って、すっきりしていると思います」


 こうと決めたら誰に何と言われようと、迷わずに突き進んでいく人だ。

 陸援隊との結びつきを深めたことで時勢の悩みも吹っ切れて、店主としての覚悟も決まったことだろう。

 私としても、隊長と雨京さんがこまめに連絡をとりあって親密になってくれたらいいなと思っている。

 なんとなく二人は似ているところがあるように見えるから、気が合うと思うんだよね。


「そうだとしたらこちらも嬉しい。もう少し落ち着いたらまた会って話をしたいところだな」


「はいっ! 今度はゆっくりお食事でも」


「食事か……招くのも招かれるのも気がひけるな」


 ふっと苦笑してみせる隊長につられて、こちらも笑みが漏れた。

 雨京さんが陸援隊のお弁当を食べるところも見てみたいけど、陸援隊のみなさんがかぐら屋の料理を囲むところも見てみたい。


「私はどちらでも嬉しいです。そんな日がはやく来るといいですね!」


「ああ。すぐに実現させるから、待っていてくれ」


「はいっ!!」


 頼もしい返答に満面の笑みで答えれば、隊長はゆるやかに口角を上げて、私の頭をくしゃりと撫でてくれた。



「――さて、そろそろケンのところに戻ってやってくれ。腹をすかせて待っているはずだ」


「あ、そうでした! あんまり待たせちゃうと悪いですよね。すぐ戻ります!」


 先輩は不機嫌になると人一倍とっつきにくさが増すから、そのあたりは気を配っておかなきゃ。

 あわてて腰をあげた私は、その場で隊長に一礼して障子のほうへ向かう。


 そんな私の背中に向けて、座ったままこちらを見送る隊長の口からふと言葉が漏れた。



「天野、ケンとは仲良くやれそうか?」


 ……仲良く?

 一体どういうことだろうと振り返ってぱちぱちと瞬きをしてみせると、隊長は小さく息をついて補足するように一言付け加えた。


「あいつは人に誤解されやすいところがあって、付き合いの浅い相手とは衝突することも多いんだ」


「あ、そういうことですか。でしたら私は全然気になりません。むしろ先輩といると楽しいです」


「……そうか、それを聞いて安心した。これからも仲良くな」


 言葉通り安堵の表情を見せる隊長は、なんだか本当に田中先輩のお兄ちゃんのようだ。

 いや、というより喧嘩っぱやいガキ大将をもてあましている親御さんの心境が近いのかな。


 ――どちらにしても、そんな心配は無用だ。


「先輩からそれ以上くっつくなーって怒られるまでは、ついて回りますから安心してください!」


 陸援隊に来てすぐの日から、ずっと一番近くで見守ってくれているのは先輩だ。

 朝起きてまず挨拶をするのも、一緒に食事をするのも、外へ出るときについてきてくれるのだって先輩で。

 いつのまにか、二人でいることが自然になってきている。

 なんとなく居心地がいいんだ、彼のとなりは――。



「ああ、できるだけくっついていろ。ただし夜だけは距離をとれよ」


「わ、そんなのあたりまえですよぉ!」


「はは、引きとめて悪かったな。もう部屋に戻っていいぞ」


「はぁい。隊長、おやすみなさい」


 人のあたたかみで満ちた部屋の中に、わずかに開いた障子の隙間からひやりとした空気が流れこんできていた。

 このまま立ち話を続けては、部屋が冷えてしまう。


 廊下に出てふたたび軽く頭を下げた私は、そっと障子を引いて長く息を吐く。



 ――仲良く……かぁ。


 ふっと先輩の顔が頭に浮かぶ。

 隊長が私たちの仲を気にかけてくれていたなんて、正直思いもよらなかった。

 先輩とは四六時中一緒にいるから、些細なことで喧嘩したりしていないか心配だったのかな。


 仲は悪くないと、自分では思う。

 先輩は私のことをあくまで後輩として世話してくれているだけかもしれないけど……。

 私にとっては、ここでの生活で一番身近な存在だ。

 彼がいてくれなくては日々こうも快適にのほほんと暮らしてはいけないだろう。

 もっと先輩に感謝しなきゃいけないな。


 ――そうだ。

 くそたろうの絵師問題が片付いたら、二人で清水寺にお参りしませんかと誘ってみよう。

 先輩は清水の舞台に興味津々だったみたいだから、きっと喜んでくれるだろう。

 いつもは私の用事につき合わせてばかりだから、たまには先輩の行きたいところにお供させてほしい。




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