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よあけまえのキミへ  作者: 三咲ゆま
二章 陸援隊編
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第四十三話:心の傷


 ひとしきり涙を流して少し気持ちが落ち着いたころ、脇からそっと声がかかった。


「……みこちん、かすみさん。うちらは一旦席はずすな。しばらく二人でゆっくり話し」


「かすみお嬢様、何かございましたらいつでもお声をおかけくださいませ」


 ゆきちゃんと、やえさんだ。

 二人は廊下に出てこちらに一礼すると、そのままゆっくりと障子をしめた。


 ……気をつかわせちゃったかな。


 でも、心なしか二人の表情にはほっと安堵の色が浮かんでいたような気がする。

 かすみさんの様子がこれまでと違ってきているということなのかな。

 そうだったら嬉しい。



「……かすみさん、ごめん。私までわんわん泣いちゃって……」


 励ましの言葉をかけたくてお見舞いに来ているというのに。

 久しぶりにかすみさんとこうして話をできたから、なんだか感極まってしまった。

 少し照れながら頭をかいて謝ると、かすみさんも同じく恥ずかしそうに肩をすくめて口元をゆるめた。


「私も、ごめんなさい。美湖ちゃんの前では泣いたりしないって決めてたんだけど……」


「いいんだよ、かすみさん! 辛くてどうしようもない時は、泣いたり弱音を吐いたりしていいの!」


 そういえば、もともとかすみさんは気弱で泣き虫な人だった。

 けれど、彼女の父である晴之助さんが亡くなってから少しずつ変わっていった。

 私の前では決して涙を見せたりはしなくなったし、いつでも笑顔を絶やさずに明るく振る舞ってくれるようになった。


 『いずみ屋の店主』として。

 そして『私の姉』として。

 どこか気負っていたところがあったのかもしれない。



「――ほんとうは、ついさっきまで消えてなくなりたいと思うほど辛かったの」


「かすみさん……」


 二の句をつごうとして、言葉が浮かばなかった。

 布団脇の畳に残る血痕に視線をむけて、すぐに私は目をふせた。


 今聞いた言葉が嘘じゃないのは、痛いほど解っている。

 実際にかすみさんはその命を絶とうとした――。

 そんな心境に至るほどの苦悩は、きっとすさまじいものだろう。



「なんだか今でも身体中が気持ち悪くてたまらないの……あの人に、どこもかしこもべたべたと触れられたと思うと、もう……」


 か細い悲鳴のような、ひどく不安定な声だ。

 今にも奇声に変わってしまいそうな震えながらの訴えに、私は固くなってうなずき返すことしかできなかった。


「思い出してしまうの、いろんなことを。店に火がついた瞬間や、あの薄暗い部屋で、逃げ出せないように足を傷つけられてもてあそばれたことや……あの人の気持ちの悪い、張りつけたような笑みを」


「……うん、うん」


 彼女の顔面は蒼白で、その手の震えは何かの発作のように次第に大きくなっていく。

 もしかしたら、これ以上辛い話をさせるべきではないのかもしれない。

 けれど私は、黙って相づちをうちながら話のつづきを待った。

 なんでも打ち明けてほしいと、こちらから申し出たのだから。

 ここは最後まで黙って聞いてあげるべきだ。



「……美湖ちゃん、私もう、人と接するのがこわい」


 ぽつりと、そうつぶやいて。

 かすみさんは膝を抱え込むようにして、顔をふせた。


「うん。それは、そうだよね……私もあの人達のことを全然疑ってなかったから。人がほんとうは何を考えているのか、少し話しただけじゃ分からないものなのかもしれないね」


 特に深門は、他の二人に比べて人当たりがよくて接しやすかった。

 毎日のようにお店に顔を見せて、あれこれと他愛ない言葉を交わして。

 たまに空いたお皿を運ぶのを手伝ってくれたり、私が釣りに興味を示すと釣竿を譲ってくれたりもした。

 どこからどう見ても、善人だった。

 けれど私たちが知っていたのは、お店の中にいる時の顔だけで……。


「私、これまでほとんど人を疑わずに生きてきた。まごころをもって接すれば、きっと相手もそれに応えてくれるものだと思ってた……考えが甘かったの。ご近所さんや兄さまが言ったように、浪士はお店から遠ざけるべきだった」


「……う、うん。もう少し、怪しい行動は警戒したほうがよかったかもしれないね。私も考えが浅かったよ」


 浪士は悪だ、とは私の口からは言えない。

 一番辛い時期に、ずっと味方でいて支えてくれた人たちが身近にいるから。

 すべての浪士を善か悪かでひとくくりにはできない。

 肩書きや身分は関係ない。

 根っこの部分は個々が宿した魂のうちにあって、外から見ただけでは分からないのだから。



「……お店は、あのあとどうなったのかしら……」


「それが、残念だけど全焼してしまって……ごめんなさい、私がなかなか助けを呼べなかったせいで」


「…………そう、やっぱり……」


 うつむいて目を閉じ、弱々しく肩をおとした彼女に、かける言葉が見つからない。

 失ったものがあまりにも大きすぎる――。


「でも、今はそのことについて心配はしないで。お店のことは、雨京さんがきちんと始末をつけてくれたから」


「兄さまが……」


「うん! あ、そうだ。雨京さんも今日のうちにここに来てくれるはずだから、よかったら会って話をしてみない?」


 あんなにかすみさんのことを心配していた雨京さんだ。

 きっとすぐに駆けつけてくれるだろう。

 兄妹でゆっくり話をすれば、かすみさんももう少し安心できるかもしれない。


「ここに向かっているの? 兄さま……」


「そうだよ。はやくかすみさんの声を聞きたいって思ってるんじゃないかな?」


「…………」


 かすみさんは顔色を変え、黙って首を横にふった。


 どうしたんだろう、一体。

 男の人が怖いとは言っても、雨京さんは実のお兄さんだ。

 家族であれば、そういった不安を感じる対象にはならないような気がするけど―…。



「……会えない」


 あふれだす感情をおさえつけるような、涙声の小さなつぶやき。

 私は、耳をうたがって思わずかすみさんに顔を近づけた。


「どうして? 何か不安なことがある?」


「……お父様の大切なお店をなくしてしまって……それもすべて私のせいだから……とても顔向けできない」


「そんなの、雨京さんは責めないよ! 何か少し注意されることはあるかもしれないけど……それでも、きっとかすみさんが無事で帰ってきてくれたことを喜んでくれるはずだよ!」


 たしかに、雨京さんはお店のことを第一に考えていた。

 ここに私を迎えにきてくれた時も、まずはいずみ屋の話になったし、騒動の原因と責任はかすみさんにあると断言した。


 けれどあの頃の雨京さんは、半ばかすみさんが生きて帰ってくることを諦めていたように見えた。

 必死で捜索しながらも、たいした手がかりひとつ得られず……。

 そんな日々の中で、彼は最悪の想定をしながら一人待っていたのだろう。

 ずっと、はりつめたようにピリピリとして難しい顔をしていたから。


 私がかすみさんを助け出して帰ってきた翌日から、雨京さんの態度は目に見えて軟化した。

 小言も減ったし、何より、かすみさんの今後についてゆっくりと様子を見ると明言した。

 心から安堵した表情だった。

 雨京さんは、素直に妹の無事を喜んでいたんだ。


「ううん。兄さまがどう思っているか、私には分かる。いずみ屋は、お父様が最後まで手をかけて大切に作りあげたもので、細々とでもいいから代々のこして行くようにと頼まれていた……私たち兄妹にとっては、父の形見そのものだったの」


「でも、かすみさんは最後まで守ろうと立ち向かっていたじゃない……! だれも責めることはできないよ!」


「店主を続けたいと本気で願うのであれば、受け継いだ屋号は己の命よりもはるかに重いものだと肝にめいじておけ、と――かつて兄さまに言われたわ」


「それはきっと、もののたとえで……」


「違う! 兄さまは本気でそう考えてる! だから私は、こうなってしまった以上、生きてまみえるわけにはいかない! 本当は、死んで詫びても取り返しがつかないことだけど……!!」


 崩れ落ちるようにして、かすみさんは悲痛な叫びを上げた。

 自分の命を絶とうとするほど思い詰めていたのは、そんな事情があったからだったんだ。

 矢生たちの屋敷で受けた仕打ちだけが原因じゃない。

 かすみさんは、私の想像以上にいずみ屋を失ってしまったことに責任を感じている。



「かすみさん……今すぐにじゃなくてもいいから、気持ちが落ち着いたら、思っていることをきちんと雨京さんに伝えたほうがいいよ」


「でも、兄さまはもう私に愛想が尽きたはずだわ。縁を切られてしまってもおかしくない……」


「そんなことないよ、絶対! 私が見た感じだと、怒っているというより心配していたもの、かすみさんのこと」


「…………」


 かすみさんは、ふたたび黙り込んでうつむいた。

 目には大粒の涙がうかんでいる。


 その表情を見て私は、はっと我にかえる。

 もしかして責めるような口調になってはいなかったかと、自分の発言を思い返して冷や汗を流した。



「あの、かすみさん、ごめん……今はとにかく体と心をゆっくり休ませるのが一番だよね。ほかのことをあれこれ考えるのは、あとにしようか」


 過ぎたことに執着し、どうにもならない現実に頭をかかえて自分を追い込めば、また命を絶つことを考えてしまうかもしれない。

 今は目覚めたばかりの不安定な状態なのだから、何よりも休息が必要だ。




「…………兄さまがもし会ってくださるのなら、少しだけ、話をしてみようかな」


 ぽつりと。

 かすみさんの口から出た言葉に、私は驚いて動きを止めた。

 彼女は、ぎゅっと布団を握りしめて、揺れる瞳でこちらを見据える。


「ほんと!? かすみさんが大丈夫なら、雨京さんはすぐにでも会いたいと思うよ……!」


「うん……美湖ちゃんと話をしていたら、逃げ回るのもよくないと思えてきて」


「そっか、うん。もしかしたらもうここに到着しているかもしれないから、ちょっと見てきてもいい?」


「うん……」


 静かにうなずいてくれるかすみさんの手をぎゅっと握って。

 そうして『すぐに戻る』と約束し、部屋を出た。

 布団のまわりに物はなかったから、衝動的に自分を傷つけてしまうようなこともないだろう。

 まだ少し不安定なところもあるけれど、思っていたよりも落ち着いた状態だ。



 部屋を出て少し行った廊下の真ん中に、ゆきちゃんが座り込んでいた。

 目があうと、彼女は立ち上がってこちらに向かってくる。


「みこちん、かすみさんどんな感じ?」


「うん、思っていたよりずっと落ち着いて話をしてくれるよ」


「ほんまに? すごいなぁみこちんは。かすみさん、みこちんが部屋に入ってから明らかに雰囲気変わったもんなぁ」


「え、そうなの? どういうこと?」


「泣き止んで背筋正して……とにかく弱いとこ見せんように頑張ろうとしとる感じ。それ見とったらなんや、みこちんのお姉ちゃんいうよりも、お母ちゃんみたいやなぁって」


「お母さんかぁ……」


 分からなくもない。

 私の母は物心つく前に病死してしまって、顔も覚えていないけど。

 かすみさんは私が小さい頃からずっとそばで面倒を見てくれていたから、母がわりと言ってもいい存在だ。


「……ほんで、どうしたん? もうかすみさん休みはった?」


「ううん、まだ。雨京さんが来てたら会わせたいんだけど……」


「今から? だいじょぶなん? 殿、ついさっき到着したとこやけど……」


「ほんと!? どこにいるの?」


「突き当たりの部屋や。今兄ちゃんと話しとる」


 そう言ってゆきちゃんが指した部屋は、この間雨京さんとむた兄が話し合いをしていた応接間だ。


「じゃあ私、二人と話してくるね。ゆきちゃん、かすみさんについててくれる?」


「うん。早めに戻ってきてなぁ」


「わかった! よろしくね」


 大きくうなずいて、足早に廊下を進む。

 大橋さんにも一言状況を伝えておきたいけれど、今は時間がない。あとで話をしよう。



 私は応接間の前で一声かけたあと、静かに障子を開ける。

 すると、中央で座っていた雨京さんとむた兄が、はっとしてこちらに視線を向けた。


「美湖、かすみの具合はどうなのだ!?」


「かすみさんと話できたんか!? どうやった!?」


 二人は立ち上がり、すごい剣幕で私に詰め寄る。

 よほど心配していたのだろう。

 その迫力に気圧されて、思わず私はびくりと肩をふるわせた。


「あの、かすみさん、いろいろと辛いことが頭から離れないみたいで……男の人が怖いそうなので、しばらくは誰も寄せつけないようにしてあげてください」


「うん、うん。そうやろな。ほんで、他には?」


「あとは、いずみ屋をなくしてしまったことをとても気に病んでいます。自分の責任だから、命を絶って詫びるしかないと……」


「――かすみは、そこまで思い詰めていたのか」


 雨京さんは、蒼白になってぐっと拳をにぎりしめる。

 隣に立つむた兄が、困ったように眉尻を下げてうつむいた。


「そうなんです……だから、お店のことについては責めないであげてください。かすみさんはかすみさんなりに、ずっといずみ屋を第一に考えてきたし、最後まで体を張って守ろうとしたんです」


「……それはもちろん、こんな状況で咎め立てするつもりはない。生きて再会できるだけで十分だ」


「そう言っていただけて安心しました……かすみさんが、雨京さんに会いたいと言ってます。これから部屋まできてくださいませんか?」


「……私が行って、問題ないのか?」


 緊張したようにごくりと息をのんで。

 雨京さんは私を見たあと、むた兄に視線を向けて意見をうかがった。


「本人が言うたんやったら、もちろん問題はないですよ。会いに行ったってください」


 むた兄は少し嬉しそうに明るい口調になって、雨京さんの背をポンとたたいた。

 雨京さんはためらいがちにぎこちなくうなずきながら、部屋を出る。



「では、行きましょう」


 無言で拳を握りしめ『頑張れ!』と気合いを注入するむた兄に、うなずき返しながら握った拳をつきつけて。

 私と雨京さんは、並んで廊下を歩きだした。





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