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よあけまえのキミへ  作者: 三咲ゆま
二章 陸援隊編
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第三十八話:ごはんの時間


 とぼとぼと廊下を歩いて大橋さんの部屋の前で立ち止まり、障子の向こうへと声をかける。


「大橋さん、天野です。入ってもいいですか?」


「……どうぞ」


 すぐに目の前の障子が開いて、大橋さんがふわりと優しく笑いかけてくれた。

 ほっと気持ちが落ち着く笑顔だ。


「おはようございます、大橋さん。お邪魔しますね」


「おはようございます。さぁ、こちらに座ってください」


 招かれて足を踏み入れた部屋の中には、すでに田中先輩と中岡さんが座っている。


「わぁ、中岡さんも一緒なんですね!」


 忙しい人だと聞いていたから、なかなか一緒に食事をとる暇もないのかと思っていた。


 中岡さんと田中先輩と大橋さん。

 三人一緒だと、なんだか嬉しいな。

 あの日拾った写真を思い出して、胸がはずんでしまう。


 中岡さんはそんな私の反応を見て、かすかに目を細めて笑ってくれた。


「ああ。おはよう、天野。昨夜はよく眠れたか?」


「おはようございます! ぐっすり眠れました!」


 大橋さんが用意してくれた座布団に腰をおろしながら、中岡さんに笑顔を向ける。


「それはよかった。何か欲しいものがあれば遠慮なく言ってくれよ」


「そんな! なにもないです、満足してます!」


 ぶんぶんと両手を振って否定する。

 ここに置いてもらえるだけでありがたいのに、そんなわがままは言えない。


「しかし、結局神楽木殿から金子を受け取ってしまったからな……お前のためにと貰った金だ。必要があればいつでも言ってくれ」


「……そういうことでしたら、はい。分かりました」


 あのお金、話し合いが終わったあとも受け取りでもめていたみたいだけど、最後は中岡さんが折れたんだ。

 雨京さん、こういうところでは絶対に引かないからなぁ。



「さて、そろそろメシにするか」


「待ってましたぁ!」


 中岡さんの号令に、田中先輩が拳を握る。

 朝から元気だなぁ。



「いただきまぁす」


 それぞれが静かに手をあわせたあと、箸を持つ。

 私は田中先輩が目の前に広げてくれたお重の中身をつつきながら、きょろきょろと部屋の中を見回した。


「天野さん、葉月はまだ眠っていますよ。あちらの座布団の上です」


 そう言って大橋さんが指したほうへと視線を向ければ、たしかにお目当てのかわいこちゃんの姿がそこにある。

 三枚重ねの座布団の上に小さく体を丸めて寝息をたてている白猫ちゃん。

 全身まっしろで、ふわふわと柔らかな毛なみは、まだどこか赤ちゃんらしさを残している。


 大人になるにつれ、毛の感じも変わってきちゃうんだよね。

 赤ちゃん猫の触り心地は、柔らかで優しくて、それはもうこの上ない癒しだ。

 今日こそ葉月ちゃんと仲良くなれるといいな。



「天野、どうした? よそ見ばかりして……」


 葉月ちゃんのほうを不自然なまでに凝視しながらごはんを口に運ぶ私を見て、中岡さんが胡乱げに口をはさむ。


「おめぇは、どんだけ猫好きなんだよ」


 田中先輩もさすがにあきれている。

 ……ちょっと行儀がよくなかったかな。


「すみません……! 葉月ちゃんがあんまり可愛いからつい! ちゃんとごはんに集中します!」


 そう言って弁当箱に目線を落とし、私は静かに箸を動かす。


 いずみ屋でお世話になっていたときも、よそ見しながらごはんを食べちゃだめだって、よくかすみさんから注意されてたっけ。

 悪い癖だな。気をつけなきゃ。



「天野、昨日の残りだが食うか?」


 と、中岡さんが差し出してくれた器には昨夜の煮物がこんもりと盛られている。

 一晩たって随分煮くずれているけれど、それもまた美味しそうだ……!


「はい! いただきますっ! この煮物、すっごくおいしかったです」


「そうか、それはよかった」



 私は、箸で山盛りの煮物を弁当箱に運んだ。

 ほくほくと湯気がたって、いいにおいが鼻をくすぐる。

 一口食べて、思わず声が出てしまう。


「おいしいっ!」


「美味しいですよね、中岡さんの料理」


 私の意見に賛同して頷きながら、大橋さんも煮物に箸をのばす。


「はい! すっごく! 中岡さんがお料理するなんて意外です。お上手なんですね」


「いや……上手くはないだろう」


 湯飲みを置いて中岡さんは即答する。

 あれ? もっと素直に喜んでくれるものだと思っていたんだけどな。


「そんなぁ。もっと自信をもってください! 私、好きな味です!」


「いや、お前は特に舌が肥えていそうだからな……そう誉められるとなんとも……」


 中岡さんは、かすかに眉をひそめて首をふる。


 もしかして私のことを、かぐら屋の味に慣れきった食通だと思っていたりするのかな。

 実際は私の舌なんてお子さま同然なのに……!



「そんなことないですよ! 何かと比べたり、細かいことは抜きにして、おいしいものはおいしいでいいじゃないですか!」


 身を乗り出して熱く弁をふるうと、あとの二人もそれに続いて声をあげてくれた。


「そうっすよ! 料亭の味なんざオレたちにゃ手が届かねぇし、中岡さんの料理が一番のごちそうだぜ!」


「そうですねぇ、陸援隊に合った味で安心できますし」


 うんうん、同感です。

 田中先輩も大橋さんもいいこと言うなぁ。


 そうだよね、その場にいる人を喜ばせる料理が一番なんだ。



「…………大橋くん、饅頭をひとつもらうぞ」


 どんな反応を返すべきかわからない、といった具合に一瞬固まった中岡さんは、話題そのものをなかったことにして、お盆の上に置かれたお菓子に手をのばした。


 ……もしかして中岡さんって、陸奥さん以上に誉められるのが苦手なのかな。

 だとしたらあまり引きずるのも悪いので、このあたりで次の話題に移ろう。



「大橋さんのお菓子もおいしかったです! これってどこのお店のものですか? このお饅頭は、みかげ堂さんのかな?」


 お盆に盛られた色とりどりのお菓子に、思わず目をひかれる。

 中には綺麗な細工の生菓子や干菓子も混じっていて、その選択もまた通だ。

 あまり見かけない珍しいものが多い。


「ご存知ですか? みかげ堂さん。よく分かりましたねぇ」


 大橋さんは、嬉しそうに顔をほころばせる。

 よかった、正解!


「みかげ堂さんには、たまにかすみさんと行っていたので。ぼた餅も美味しいですよね、あそこ!」


「そうなんです、それにお団子の種類が豊富でしょう。その近くにある春日野本舗も美味しいんですよ」


「あ、分かります! あそこはお店も広くて綺麗ですよねぇ!」


 なんだかこの話題だと、どこまでも盛り上がれそうだ。

 こんなに鋭い顔つきで大柄な大橋さんの口から、ポンポンと甘味処の名前が出てくるのが面白い。

 まるでかすみさんと話をしているみたいだ。


「ぜんっぜん分かんねぇ……」


「ああ、分からん」


 いっぽう田中先輩と中岡さんは、ぽかんとしてこちらを見ている。

 二人だけで会話に夢中になっていた私たちは、はっと我に返って言葉を切った。



「天野さん、この話はまた後日……」


「はい、そうしましょう」


 こんなときは、全員が分かる話題で盛り上がらなきゃ不親切だよね。

 大橋さんの方に目をやれば、彼も随分と反省しているようだ。



 ――よし、話題を変えよう。


 そう思って口をひらきかけた瞬間。

 眠っていた葉月ちゃんが起きたようで、座布団から飛び降りて大きく伸びをしている。


「おっ、葉月ちゃんお目覚めか!」


「腹でも減ったんだろう」


 かわいらしい手でごしごしと顔をあらう葉月ちゃんに、皆がいっせいに視線を向ける。


「葉月ちゃん、おいで」


 私は食べ終わった弁当箱に蓋をして脇に置き、手をのばして葉月ちゃんに呼びかけた。

 葉月ちゃんは可愛く一鳴きして、とてとてと畳を蹴ってこちらに歩いてくる。


「天野のほう来てんじゃねぇ?」


 田中先輩が、葉月ちゃんを目線で追いながら軽く肩をすくめた。


 私は内心思いきり拳を握って喜んでいた。

 このまま真っ直ぐ向かってきてくれれば、私の懐の中だ!


「葉月ちゃん、こっちこっち」


「にゃん」


 思いきり両手を広げた私の方には目もくれず……。


 葉月ちゃんはそのまま大橋さんの膝の上に飛び乗った。

 私は思わずその場にくずれ落ちる。



「葉月、天野さんのところに行っておあげなさい」


 大橋さんは気をつかって、葉月ちゃんを抱き上げて私の隣に下ろしてくれたけれど、それもまるで効果はなかった。

 一瞬こちらを見て、またすぐに大橋さんの膝によじのぼってしまう。



「あーあ。またフラれたなァ」


 田中先輩の一言がぐさりと胸にささる。

 私はがっくりと肩を落として、串団子を頬張りながらあきらめきれない眼差しを葉月ちゃんに向ける。


 本当に大橋さんに懐いているんだなぁ。

 大きな手に頭をすりつけながら思う存分甘えている姿が、愛らしくてたまらない。



「すみません、天野さん。少しずつ心を開くと思いますので、待ってあげてください」


「はい。諦めません!」


 申し訳なさそうに苦笑する大橋さんは、本当に葉月ちゃんの親のようだ。


 あそこまで懐かれたら、親心だって芽生えて当然か。

 産みの親でなくとも、育ての親なのは確かなんだから。




「……ちなみに、葉月ちゃんって雄ですか? 雌ですか?」


 名前や扱いからしてなんとなく察しはつくけれど……。


「メスだろ。ほら、タマついてねぇ」


 田中先輩は葉月ちゃんの後ろ足をぐいと広げて、こちらに見せつける。

 そして間髪入れずに、顔面に怒りの猫拳を食らっていた。


「お前、相手が猫だからといってそれはないだろ……」


 あきれたように息をつく中岡さんに同調して、私も抗議の声を上げる。


「そうですよ! 女の子になんてことしてるんですか!」


「おめぇが雄か雌か聞くから確認してやったんだろうが!」


「強引すぎますよぉ! 田中先輩が同じことされたらどう思いますか!?」


「オレがタマの有無を確認されんのか!? 別に、見たがってんなら見せてやるぜ!」


「……最低ですっ!!」


 一瞬、嫌な絵づらが頭をよぎる。

 大橋さんは苦笑し、中岡さんはあまりの馬鹿馬鹿しさに、小さく吹き出したあと、声をあげて笑い出した。



「わ、中岡さんがこんなに笑ってるところ初めて見ました」


「……お前たちが変な話をするからだ。朝からあまり笑わせるな」


 何だかやたらとツボに入ったようで、時折ふっとこぼれるように笑みをもらしながら、中岡さんは膝元の弁当箱やお皿を抱えて立ち上がった。


「あれ? もうお戻りですか?」


 唐突だなぁと、私は一瞬あっけにとられて中岡さんのほうを見上げる。


「思いのほか長居してしまったからな、そろそろ部屋に戻る」


「中岡さん、今日は何か用事あるんすか?」


 障子に手をかける中岡さんの背に、先輩が声をかけた。


「あちこちに文を出さんといかんからな……今日は部屋にこもる予定だ。何かあれば声をかけてくれ」


「了解っす!」


「また後ほど、部屋までうかがいますね」


「煮物、おいしかったです! ありがとうございました!」


 三者が口々に告げる挨拶を受け取って小さくうなずくと、中岡さんは静かに障子を閉めて部屋を出ていった。


 ……なんだか、去り際はあっという間だったな。



「中岡さん、一度ツボに入ると一人でずっと笑ってたりすっからな。多分部屋に戻っても思い出し笑いしまくりだぜ」


「急に席を立ったのは、そのためですか」


 なるほど、と大橋さんが納得したようにうなずく。


 いつも冷静な頼れる隊長さんだとばかり思っていたけれど、実際はよく笑う人なんだな。

 そういえば、写真でも中岡さんは笑顔だったっけ。




「んじゃ、オレも隊士たちと訓練してくっかー! 天野は昼までハシさんとゆっくりしてろよ」


 威勢よく声を出して伸びをすると、先輩は重箱と弁当箱を重ねて立ち上がった。


「え!? 先輩、行っちゃうんですか?」


「おう。朝から昼すぎまでは調練の時間なんだ。ちょっくら行ってくんぜ」


「それじゃ、食器は私が洗っておきます」


 そう言って、先輩の手から重箱を受けとる。

 このくらいはさせてもらわなきゃ。


「そっか? じゃあ任せるぜ。分からねぇことがあったらハシさんに聞いてくれよ!」


「はい! 先輩、行ってらっしゃい!」


 障子を開けて、玄関へと駆けていく先輩を見送りながら手を振った。




 ――さて、私もできることを手伝おう。


「天野さん、食器を厨に運びましょうか」


「はいっ!」


 葉月ちゃんをふたたび座布団の上に落ち着かせ、私たちは食器をかかえてそろりと部屋をあとにした。




 厨では、大橋さんから食後の洗い物などについて一通りのことを教えられた。


 まず、自分が汚した食器は自分の手で洗うこと。

 洗濯についても同様で、隊士さんたちもそれを守って身の回りのことはすべて自分でやるそうだ。


 あとは、空になった弁当箱の処理。

 それらは三食分大袋にまとめ、とっておくらしい。

 聞けばここの隊士さんは六十人以上いるそうだから、けっこうな量になるだろう。


「弁当箱は、薪変わりに使います。使い捨てです」


「と言っても、使いきれませんよね、これは……」


「そうですね。余った分は二、三日置きに回収屋に引き取っていただきます」


「なるほど。それだったら、無駄がないですね」


 一応これも燃料芥だし、引き取りたがる業者さんも多いだろう。


 洗い物を済ませ、空になった弁当箱をまとめる。

 できるだけかさばらないように一つ一つ分解して、それを麻袋の中に詰めていく。

 これはよく燃えそうだ。


 手早く作業を済ませて、厨の中を軽く掃除する。

 毎食後、こうやって細々とやることがあるんだな。

 お世話になっている身だし、今日からは率先して動いていこう。




「そろそろ部屋に戻りましょうか。葉月も待っているでしょうし」


「はいっ!」


 大橋さんに声をかけられて、長い廊下を引き返していく。

 すると半分ほど来たところで、部屋の障子の隙間から葉月ちゃんが飛び出してきた。


「にゃあ! にゃーにゃーにゃー!」


 何やら甲高い声を上げながら、一心不乱にこちらに向かってくる。

 大橋さんが膝を折ってその場で両手を広げると、葉月ちゃんはそのまま勢いよく彼の懐に飛び込んだ。



「いいなぁ、大橋さん。葉月ちゃんにお出迎えしてもらえて」


「この子は甘えん坊ですからねぇ」


 ひょいと抱き上げて、優しく包むように抱えながら、大橋さんは葉月ちゃんの頭を撫でる。

 葉月ちゃんは、目を細めて気持ちよさそうに喉をならしている。


「きっと、大橋さんのことお母さんみたいに思っているんでしょうね」


「私に親代わりが務まるといいのですが……」


「務まってますよ! 誰も大橋さんの代わりにはなれません!」


「そうですか? この子も、私以外の人に全く懐かないというわけではないんですよ」


「うーん……それって、想像できないです」


 たまに中岡さんの部屋に遊びにいくこともあるとは聞いたけれど。

 それは多分、大橋さんを探して歩き回っているだけだろう。

 だって葉月ちゃんは、最初から大橋さん以外の人間に目を向けようとしていないもの。



 そうして二人で葉月ちゃんに視線をおとしてあれこれ語り合いながら廊下を歩いていると、前方で勢いよく玄関戸が開く音がした。





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