第三十話:脱出
「美湖ちゃん! 大丈夫!? 怪我はない!?」
待機場所まで戻ってきた私たちを真っ先に迎えたのは、長岡さんだった。
心配そうな顔で外套をひっぺがし、私の体を頭のてっぺんからつま先までくまなく調べる。
「だいじょうぶです、みんな怪我はありません」
「敵は逃がしてしまったんスけど……」
太田さんが悔しそうにそうつぶやくと、隊士さんからは落胆の声があがった。
「だけどお金は取り返せたみたいだね。ひとまずはそれで十分だよ」
長岡さんはそう言って、なぐさめるように太田さんの背をポンポンとたたく。
あらためて周囲を見回すと、この場に集う隊士さんの数が増えていることに気がついた。
どうやら北門を囲んでいた人たちがこちらに引き揚げてきたようだ。
私は、彼らに駆けよって声をかける。
「みなさん、大丈夫でしたか!?」
あのすさまじい爆発に巻き込まれたのだ、少なくとも無傷ではいられないはず。
見たところ着物のあちこちが焦げ、腕や足を火傷している人たちが大半だ。
「死ぬかと思ったが、なんとか全員無事だ」
「体はボロボロだけどな。長岡さんがいてくれてよかったよ」
そう言って片腕を上げてみせる隊士さんは、肩からひじの下までぐるぐるとさらしが巻かれている。
見渡してみれば、ほとんどの負傷者は手当て済みのようだ。
「よかったです、みなさん生きて戻ってきてくれて!」
「ああ……けど、おかしなことがひとつあってな」
「な、何ですか!?」
「あのあと、門から屋敷に突入したんだが、中はもぬけのカラだったんだよ」
「え……? 田中さんたちも見つからなかったんですか?」
「ああ、誰もいなかった。おかしいよな、さすがに」
そう言われてみれば。
田中さんが屋敷に向かってずいぶん経つのに、銃声のひとつも聞こえてこなかった。
それは敵に遭遇しなかったからということだろうか。
――たしかに、おかしいかも。
敵も味方もこつぜんと姿を消してしまったというのは。
考えられることといえば、ついさっき矢生が言っていたこの屋敷の特殊なつくり……。
「屋敷の中は抜け道だらけだそうスから、全員そこに入ってるんじゃないスかね」
「抜け道? なんだそれ?」
「それは、さっき矢生本人の口から聞いたんですが……」
私はその場にいる隊士さん達に向けて、できる限り詳しく知っている情報を伝えた。
現在中岡さんたちがその抜け道を探しているということも。
「じゃあ、もしかしたらケンくんたちは地下で敵と戦ってるかもしれないってこと?」
長岡さんが、難しい顔をして私のほうを見る。
「そうですね。それか、もしかしたら敵は全員散り散りに逃げ去っているかも」
「地下がどんなふうになってるか知らないけど、いりくんでるようなら厄介だね」
「はい。そろそろここにも捕り方が駆けつけるでしょうし、私たちもじっとしていられませんね」
矢生は『各所に使いを出した』と言っていたから、もしかしたら新選組や見廻組の人たちにもこの騒動のことが伝わっているかもしれない。
だとしたら本当に、一刻もはやくこの場を離れたほうがいい。
敵はすでに目の前からいなくなってしまったのだから。
「みんな来てくれ! 抜け道の入り口らしき穴を見つけた!」
ガサガサと草をかきわけながら、中岡さんに同行していた隊士さんが私たちを呼びにきた。
疲れはててすっかり肩を落としていた面々は、その声を聞くや、はじかれるように銃を持って立ち上がる。
「それじゃ、行こっか。太田さん、かすみさんをお願い」
「ウス!」
長岡さんの言葉にしたがって、太田さんは静かにかすみさんを背負う。
私はその背に、中岡さんから借りた外套をかけてあげた。
「あれ? かすみさんの足、手当てしてある……」
見れば、右足にぐるぐるとさらしが巻き付けてある。
「ああごめん、言い忘れてた。かすみさんの体のことだけどね」
「はい……!」
「見ての通り、右足を負傷してる。ほかに目だった傷はなかったけど、少しよくない場所の怪我だから、あとで霧太さんのところでも診てもらったほうがいいよ」
「よくない場所……?」
そう言われると、こちらも不安になってくる。
かかとのあたりから土ふまず付近までぐるりと巻かれたさらし……この様子だと、しばらく歩くのが大変そうだ。
「と言っても、傷ついてるのは片足だけだからね。根気よく治していけば大丈夫だよ」
「根気よくって……治るのに時間がかかるってことですか?」
「そう。当分はまともに歩くこともできないと思うから、そばについててあげるといい」
「そんな……」
歩くこともできない?
そこまでひどい怪我を負っていただなんて思いもしなかった。
この傷も深門がつけたものなのだろうか。
ふつふつと込み上げるやり場のない怒りに、握ったこぶしが震える。
「やるせないよね、美湖ちゃん。気持ちは分かるよ……だけどまずは、ここから無事に脱出しなきゃね」
「はい……」
「この先何があるか分からないから、気を引き締めていこう」
力なくうつむいた私の背を優しくたたいて、長岡さんはいつも通りの笑みを向けてくれる。
そうだ、まずは生きてこの場から脱出しなきゃいけない。
胸にたまったモヤモヤをいったん吹き飛ばして、前に進まなきゃ。
あれこれと思いわずらうのは、そのあとだ。
そうしてなかば強引に自分を奮い立たせ、やや距離をおいて前方を歩く太田さんに早足で追いついた。
その背中で、かすみさんは静かに肩を上下させながら小さく寝息を立てている。
「太田さん、本当に助かります。ありがとうございます」
「自分、これくらいしか役に立てないスから」
「そんなことありませんよ。隊士さんたちは皆、体をはって戦ってらっしゃいました! もちろん太田さんも! 本当に頼もしかったです!」
「……ウス」
そうだ。
この人たちはすごい。
皆それぞれ傷ついてボロボロになっているのに、声がかかればすぐに背筋をのばして前を向ける。
強い人たちだ。
一人一人が力を尽くしたからこそ、失ったものを取り戻すことができたんだ。
ぞろぞろと前を歩いていく頼もしい背中を見つめながら、私は小さく一息ついた。
「そうだ、美湖ちゃんのピストル拾っといたから返すね」
隣を歩く長岡さんが、懐からピストールを取り出してこちらに手渡す。
「ありがとうございます! 私もこれ、お返ししますね。一発撃ってしまったんですが……」
「いいよ、あんな状況だったしね。役に立ってよかった」
長岡さんはにっこりと笑って、私が差し出したそれを受け取った。
引き換えに自分のピストールがかえってくる。
……うん、心なしか、こっちのほうが手になじむ気がするな。
私は残り二発になった弾倉をそっと撫でながら、気を引きしめる。
(もう少しだけ、一緒に戦ってね――……)
先ほど中岡さんたちと別れた大木付近を抜けて右へと進路をとれば、背の高い草が生い茂るじめじめとした場所に出た。
あたりに道らしい道はない。
視界はぐるりと草木におおわれており、いちいちそれをかき分けながら進むのはなかなか骨がおれる。
しかも羽虫が多く、視界を横切ったり顔のまわりを飛び回ったりするので、鬱陶しくてたまらない。
どうにかこうにか前へ進んでいくと、やがてひらけた場所に出た。
前方を歩く隊士さんたちが足を止める。
そして一同は、中央を避けるようにしてぐるりと小さく輪になった。
その中心には、中岡さんが立っている。
「来たな。それで全員か?」
中岡さんは、ざっと周囲を見回して人数を確認する。
そして納得したようにうなずくと、足もとの土を軽く蹴り上げた。
すると、ズルリと石のこすれ合う音がして地面に四角い穴があいた。
人一人がかろうじて潜れるほどの、小さな穴だ。
「どうやらここが抜け道の入口らしい。これから侵入する予定だが、その前に屋敷の中の様子を聞いておこう」
蓋とおぼしき薄い石の板を足でずらして脇にどけると、中岡さんは隊士さんの一人に視線を向けて意見をもとめた。
「それが、屋敷の中に人影はなく……大橋さんや坂本さんの姿も見当たりませんでした」
「おそらく、彼らも抜け道を進んでいるものと思われます」
北門を囲んでいた二人の隊士さんがそう答えると、中岡さんは一言「そうか」とつぶやいて、考えこむようなしぐさで腕を組んだ。
こんなにもそれぞれがバラけてしまうだなんて、だれも予想していなかっただろう。
地下の様子がどうなっているのかは分からないけれど、できることなら全員で同じ道をたどりたかった。
中岡さんもたぶん、同じようなことを考えているはずだ。
「よし、ここにいる全員で地下に突入する。はぐれた仲間と合流でき次第、撤退だ」
「はいっ!」
……やっぱり、この道を行くしかないよね。
田中さんたちもおそらく地下にいるわけだし、うまくいけばすぐに中で落ち合えるかもしれない。
そうと決まれば、恐れずに突き進むのみ。
余力のある隊士さんから先に、次々と暗い穴の中へと入っていく。
「中は真っ暗なんでしょうか?」
「そうでもないらしい。奥を覗いてみると、かすかに明かりが見えた」
「誰かが中に……!?」
「いや、おそらく蝋燭の明かりだろう」
「そうですか! だったら安心ですね」
考えてみれば、矢生も灯りらしきものは持っていなかった。
抜け道は手ぶらで歩けるようなつくりになっているらしい。
順に梯子をおりて穴の中へともぐり、最後の一人だった中岡さんがそっと入口にふたをする。
あたりは一気に暗くなった。
けれど、土壁にかかったろうそくの灯りのおかげで、おぼろげながら足元は照らされている。
どうやら一定の間隔で灯りを配置してあるらしく、うねうねといびつに曲がる地下道は、思いのほか歩きやすい。
「急いだ方がいいかもしれないな。ここの入口に蓋をした時、林の奥に提灯の灯りが見えた。おそらく捕り方だろう」
「もうここまで到着したんですか!?」
「想定より少し早いが、頃合いだろうな」
「それじゃ、もたもたしていられませんね。田中さんたち、今どこを歩いてるんでしょうか……」
もしかしたら、うまく抜け道をたどって林のどこかに出ているかもしれない。
だとしたら合流するのは難しくなるけど……
ひそひそと言葉をかわしながら、土のにおいが充満する湿った道を歩いていく。
今のところ一本道だけれど、だんだんと道幅が広くなってきている。
そのうち分かれ道に出るんじゃないかと思いながらあたりを観察していると、ふいに前方から銃声が上がった。
二発、三発。
立て続けの発砲。
「ぐああっ!!」
「ううッッ……!」
そして、こだまする叫び声。
ここからでは見えないけれど、奥に誰かいる――!
それも、戦闘中のようだ。
前を歩く隊士さんたちがいっせいにこちらを振り返り、緊迫した表情で中岡さんに指示をあおぐ。
中岡さんは静かに前へ出て長銃を構えながら、「ついてこい」と後続にうながした。
私たちは息を殺して先へ進む。
撃ち合っているということは、敵と味方にわかれているということだ。
となれば、この先には必ず仲間の誰かがいるはず。
しばらく歩くとやがて、大きく開けて円形にくりぬかれた空間にたどり着いた。
「中岡さん!!」
私たちがぞろぞろとその空洞に散らばりだすと、左手にのびる道のほうから声が上がった。
見れば、そこには田中さんが立っている。
「ケン! 無事だったか!」
「中岡さんたちも! どっから入ってきたんすか? ここ、かなり入りくんでてさっきからかるく迷子っすよ……」
田中さんは脇道からこちらに駆け寄ってくる。
そのうしろには、西山さんともう一人の隊士さんの姿があった。
「みなさん、無事だったんですね!」
私が三人に声をかけると、田中さんはにっと笑って銃を掲げ、西山さんともうひとりはげっそりとした表情でうなずいた。
「あちこちに敵がひそんでてさぁ、死ぬかと思ったよぉぉ! 兄さんがいなかったらもう五回くらい死んでるよぉぉ!!」
「今も二人やったとこですよ! 兄さんホント格好よかったです! 一生ついていきます!」
二人はよほど怖い思いをしたのか、すがりつくように田中さんのもとに集い、ひれ伏した。
「おいコラ、気ぃぬくな! またどっからか敵が出てくるかもしんねぇぞ」
「ひぃぃ!」
田中さんがその背中をバシンと叩くと、二人は飛び上がって銃をかまえた。
さっきの銃声は田中さんのものだったようだ。
目をこらして右手にのびる脇道のほうを見ると、ぐったりと地に伏して倒れている人影がふたつ。
ざっと確認するかぎり周囲に新しい敵は見当たらないけれど、いつ姿を現すか分からないと思うとぞっとする。
私たちが今いる広い空間はどうやら地下の中間地点にあたるようで、ここから無数に道がのびている。
時計の盤面のように、一定の間隔をおいてぐるりと円のフチに穴が見える。
ざっと数えてみると道筋は八本。
相当に複雑な作りになっているようだけど、うまく進めば外に出られるはずだ。
現に私たちが通ってきた道は一本道で、迷うような造りにはなっていなかった。
おそらく、当たり外れがあるんだろう。
「みなさん、地下に降りていたのですね!」
「おおっ! ようやく仲間に会えたぜよーっ!!」
と、奥の道からこちらに向かってくるのは大橋さんと坂本さんだ。
二人の着物は返り血と泥にまみれ、あちこち刃こぼれした刀からは激戦のあとがうかがえる。
「二人とも、怪我はないか!?」
その顔を見るや、中岡さんは真っ先に反応して二人のもとへと駆けよった。
田中さんと長岡さんもそれに続く。
「かすり傷です、たいしたことはありません」
「水瀬も深門も、追いつめたと思ったんじゃが途中で見失ってしもうてのう……」
無念そうに頭をふりながら、坂本さんは袖口で額の汗をぬぐった。
「それよりも、かすみさんは!?」
大橋さんが顔をあげて、きょろきょろとあたりを見回す。
「無事に助け出しました! こっちです!」
私が大きく手をふって傍らの太田さんを指すと、大橋さんと坂本さんは顔色を変えてこちらにすっ飛んできた。
「今は眠ってます。足を怪我してますけど、それ以外は大丈夫だそうです」
「そうですか……本当によかった」
かすみさんの寝顔を見ながら大きく息をつき、大橋さんは心から安堵したように目をつむった。
「しっかし、嬢ちゃんはよう頑張ったのう! 女将さんを助け出したのはおんしじゃ」
「いえ! みなさんのおかげですから……!」
「最後まで深門から逃げんかったじゃろう。奴の口から女将さんの居場所を吐かせたんは、嬢ちゃんの力ぜよ」
「そうですよ、あの時のあなたの鬼気迫る表情を私は忘れません」
「さっきまで大橋くんと二人で誉めちぎっておったがじゃ」
坂本さんは明るく笑って私の頭をくしゃくしゃとなでまわし、大橋さんはよくやったとねぎらうように優しく私の肩を叩いてくれた。
「お二人も、ご無事で本当によかったです」
刃先がかすったのか着物はぼろぼろで、頬や腕からはかすかに血が流れ落ち――二人は満身創痍だ。
私と別れたあと、どれだけ大変な思いをして深門たちを追いかけたのか、想像するまでもない。
ここまで、一人一人が死力を尽くして戦ってきた。
彼らはばらばらに、別々の戦地で敵に立ち向かっていたけれど、胸のうちにある思いは同じだった。
かすみさんを助けだし、盗まれたお金と武器を奪還して、ここにようやく全員が集結した。
『やりとげた』という安心感と達成感で、私の胸はいっぱいになっていた。
「さて、全員そろったところで脱出といくか」
こほんと一つ咳払いをして、中岡さんがその場をしきり直す。
皆はいっせいに姿勢をただしてそれぞれの武器を構えた。
「けど、いったん道を間違うとマジでわけわかんなくなるから要注意っすよ」
「そうですね。あちこち枝分かれしていますし、随所に敵が配置されていますからね」
田中さんや大橋さんは、よほど長い間この地下をさ迷い歩いていたようで、そろって険しい表情だ。
「でもさ、自分らがたどってきた道は外からここまで一本道だったよ?」
「なにっ!? そりゃあまことか謙吉! ほいたらその道をたどって外まで一直線じゃ!!」
坂本さんは心底嬉しそうに声を上げ、案内しろと催促しながら長岡さんの背中を押した。
――けれど、あの道の先には心配なことが一つある。
「駄目だ。穴に潜る瞬間、こちらに捕り方が向かっているのが見えた。それも多勢だ」
「この人数で移動すればたぶんすぐに見つかっちゃうよ」
中岡さんと長岡さんがそう説明すると、その場にいた面々は分かりやすくがっくりと肩を落とした。
「もし捕り方がこの地下に潜ってきたら、それこそシャレになんねぇすね……」
田中さんが苦い表情で頭を掻く。
一同は困りはてた様子で八本の道筋を見比べた。
「屋敷から離れた場所に出る道が一つくらいはあるだろう。とにかくそれを探すぞ」
「ひとまず、俺たちが来た道と慎太たちが来た道、そして田中くんが来た道は除外じゃな」
「となると、残るは五つか……」
中岡さんと坂本さんが中央で言葉を交わしながら、五つの道に目を向ける。
どの道も真っ暗で、奥の様子はほとんど見えない。
これではどこを選ぶべきなのか判断のしようがない。
全員が、その選択に慎重になった。
ぐるぐると同じような道をさ迷っているうちに、捕り方にでも出くわしたらそれこそおしまいだからだ。
矢生たちは明確に私たちの敵だけれど、捕り方はちがう。できれば敵対したくはない。
いっさい接触せずにここから抜け出すのが理想だ。
(もう一か八か、どこかの穴に入ってみるしかないのかな)
悩んでいてもらちが明かないと、次第にそんな考えが頭をよぎりはじめる。
それは皆も同じなようで、それぞれが気になる穴に身を近づけて奥の様子をうかがい出した。
そんなさなか。
「……みんな、端に寄れ。右の穴から足音がする!」
突如田中さんが、押し殺した声で仲間たちに注意をうながした。
散らばっていた面々は一ヶ所に集結し、壁際に身をよせて息をひそめる。
――ザッ、ザッ、ザッ……
たしかに、足音が聞こえる。
それも急いでこちらに向かっているような早足だ。
私たちは冷や汗を流しながら銃を構える。
震えて後ずさりする私のそばには、坂本さんと大橋さんがついていてくれた。
坂本さんは刀をおさめて、懐からピストールを取り出し静かに撃鉄を起こす。
先頭に立つのは田中さんと中岡さん。
なんとか敵を迎え撃つ準備は整った。
「敵なら迷わず撃ちますけど、もし捕り方だったらどうします?」
「その時は俺が話をしよう」
低く押し殺した声で、田中さんと中岡さんは意見をかわす。
もし田中さんが発砲したら、うしろにつく私たちもそれを援護だ。
確実に大きくなっていく足音に、じわじわと肝を握りつぶされるような恐ろしさを感じて私は身を縮める。
そんな姿に気づいたのか、坂本さんはぐっと片腕で私の体を抱き込み、優しく背中を撫でてくれた。
「嬢ちゃんは俺が守るき、心配はいらん」
しっかりとした口調で、足音のする穴から目線を離さずに、坂本さんは言う。
なんだか少し照れくさくなりながらも、私はピストールを強く握りしめた。
やがて、足音の主はこの開けた空間までたどり着く。
暗闇から姿をあらわし、灯りに照らされた彼らの顔を見て、私たちは思わず目を見開いた。
「むっちゃんじゃねぇか!! なんでここにいんだよ!? おめぇらも!! 一体どうした!?」
田中さんは銃口を下げて拍子抜けしたように叫び、彼らに駆けよる。
そう。
足音の主は、陸奥さんだった。
そしてそのお供に、中岡さんの隊の仲間たち。総勢六名。
陸奥さんはピストールを、隊士さんたちは長銃を携えている。
「話はあとです。全員そろってますか? いずみ屋の女将は?」
「全員いる。女将は無事救出できたし、盗品も奪い返した」
「それはよかったです。用が済んだらあまり深入りしないほうがいい。帰りましょう」
陸奥さんはそう言って、先ほど歩いてきた道を指し示す。
「その道はどこに出るんだ?」
「林のはずれです。屋敷からはそれなりに距離がありますから、人目にもつきにくいかと」
「……そうか、では行こう!」
中岡さんは深くうなずき、謝意をこめて陸奥さんの肩をたたく。
続けて陸奥さんが「この先は一本道です」と告げると、先頭は田中さんに交代した。
そしてそのまま、一同はぞろぞろと薄暗い道を進んでいく。
「……無事ですか? 坂本さん」
先頭から引きあげて最後尾付近まで後退してきた陸奥さんは、坂本さんの顔を見つけるとそこで足を止めた。
「見てのとおり元気じゃ! それにしても陽之助、よう来てくれたのう!!」
「ほんと、えらいよ陽さん! いいとこに駆けつけてくれた!」
坂本さんと長岡さんは、ぱっと普段通りの明朗さに立ち返り、陸奥さんを誉めちぎりながら彼の背や肩をバンバンとたたく。
陸奥さん、こういう争いごとやゴタゴタが好きじゃないって言ってたのに、本当によく来てくれたな……。
「天野も、けがはないか?」
どさくさにまぎれてぐしゃぐしゃにかき回された髪の毛を整えながら、陸奥さんはこちらにちらりと視線をむける。
「はい、だいじょうぶです、陸奥さんが来てくれて嬉しいですっ!」
そう言ってそばまで歩みより、「またねぐせみたいになっちゃいましたね」と小さく笑えば、彼はなんとも言えない表情でそっぽを向いた。
「けどさ、どうして地下の道が分かったの? それもわざわざ増援までつれてきてくれてさ……」
「ああ、それは」
長岡さんの問いに、陸奥さんは淡々と答えをつむぎはじめる。
それはとても長い話だったけれど、まとめてみるとこうだ。
酢屋に一人残った陸奥さんは、夕方まで静かに仕事をこなしていた。
だけれど坂本さんたちのことが気になっていまいち集中できず、外に出てみることにした。
陽がおちる前に、ざっと地図に描かれていた現場を見ておこうと思ったんだそうだ。
四ツ前までならそう危険もないだろうと考えた陸奥さんは、ぐるぐると林道を散策する。
そして屋敷を見つけ、しばらく観察してみるものの人の出入りはなく、引き返して帰路につく。
林道を抜けてだんだんと民家が見えてくると、脇にある草むらに何やら動きがあった。
陸奥さんは近くにあった木の陰に身をかくしてそれを見守る。
すると草むらの中からぞろぞろと、四人の男たちが姿をあらわした。
それは頭巾をかぶった黒ずくめの男たちだった。
彼らはそれぞれ行李や袋を抱えて、町のほうへと消えていく。
不審に思った陸奥さんは、その場から人の気配が消えたあと、草むらの中を調べたそうだ。
すると、石でできた蓋があり、その下には深い穴が掘ってある。
陸奥さんは意を決してその穴に侵入する。
暗がりの中をしばらく歩きながら内部を探ると、それが屋敷につながる道だと分かった。
地下では何度か敵の姿を見かけたそうだけど、そのたびになんとか身をひそめてやりすごしたらしい。
そうして、敵の数は三人どころではすまないということにも気づかされる。
一通り地下を調べたあと、陸奥さんは中岡さんの隊の屯所へ向かった。
抜け道のことを報告しておこうと思ったそうだ。
けれど、屯所につくころにはすでに私たちは出発していて、行き違いになってしまった。
そんなわけで、香川さんから数名の隊士さんを借りてここまで来たそうだ。
屋敷を包囲しても逆に背後を突かれたり、もしくは敵の顔を見る前に盗品を持ち逃げされてしまう可能性もあると伝えるために。
「じゃあ、陸奥さんは夕方から一人でこのあたりを探ってたんですか!? こわかったですよね、それは……」
しかも単独で地下にまで突入しただなんて。
私にはとても無理だ。
いつ敵に出くわすか分からない状況だもの。
おまけに、こんなにも薄暗く気味が悪いときたら……。
どう考えてもおそろしすぎる。
「まぁそれはそうなんだが、一人で酢屋にこもっている方が落ち着かなかったからな」
「すごく心配してくれていたんですね、陸奥さんは勇敢な人です」
「やめてくれ、おれは一人だけ留守番を選んだんだからな」
「でも、こうして最後には来てくれたじゃないですか。みんな感謝してますよ」
私がそう言うと、前を歩く面々が「そうだそうだー!」とか「助かったぜー!」とか合いの手を入れてくれる。
陸奥さんはそんな感謝のうずに巻き込まれて、なんとも居心地が悪そうに目をふせた。
……やっぱり陸奥さん、誉められるのが苦手なのかな?
そうしてしばらく進んでいくと、先頭の田中さんが立ち止まって声をあげた。
「外に出られるぞ! みんな、急いで上がれ!」
一瞬、ちいさくその場が沸き立った。
そして前にいる隊士さんから次々と、よどみなく外に続くはしごを登っていく。
穴を抜けたあとは、できるかぎり足音を立てないようにして草むらを抜ける。
そうして全員が林道のはずれの小道に並ぶと、中岡さんが声をひそめて皆に指示を出した。
「これより帰還する。あらかじめ組んでおいた隊に分かれて、来た道をたどってくれ」
「はいっ」
行きは各隊違った道順で来たけれど、帰りもそうするらしい。
私たちは手早く四隊(加えて陸奥さんが率いる一隊)に分かれて歩き出した。
目の前の道に人影はない。
敵の姿はもちろん、捕り方が待ち構えているということもなく、私たちはほっと胸をなでおろした。
林の奥からは時折銃声や何かを叫ぶ声が聞こえてくる。
矢生一派の残党が捕り方とやりあっているのだろう。
矢生や深門や水瀬は、おそらくとうにここを抜け出して、どこかに身を隠していることだろう。
きっと、屋敷に残った仲間たちを切り捨てて足止めに使ったのだ。
考えれば考えるほど、残忍で汚い連中だ。
無言のまま、私たちは田中さんを先頭に歩き続ける。
皆疲れはててあちこちボロボロになっているけれど、その表情はどこか晴れやかだ。
(なんとか無事に、目的は果たせたな)
かすみさんを助け出して、盗まれたものも取り返して。
中岡さんたちとしては、矢生たちを捕らえていろいろと聞き出したかったのだろうけど。
最低限やるべきことはやったのだから、深追いせずに今夜は引くべきだろう。
私たちは十分やりきった。
胸を張っていい。
前を歩く頼もしい背中を見つめながら、目を細めて大きく息をついた。
(かすみさん、やっと二人でうちに帰れるね――)
太田さんの背で眠りにつくかすみさんの寝顔をのぞきこみ、そっと背中をなでる。
……よかった、かすみさんが生きていてくれて。
明日にでも、雨京さんに報告にいこう。
だまって神楽木家を出てきたから、きっと心配しているだろうな。
まずはごめんなさいと謝ろう。
怒るとこわい人だから、しばらくは許してもらえないかもしれない。
やえさんからも叱られてしまうだろう。
もともと私は、わがままばかりを言って神楽木家の人たちを困らせていた。
きわめつけに、今回の家出だ。
これだけ身勝手に動けば、それはもちろん叱り飛ばされて当然だろう。
帰ったら何を言われてもすべて受け入れて、おとなしく頭を下げよう。
――でも、かすみさんをつれて帰るんだ。
雨京さんも少しは笑ってくれるかな。




