悪口を言ったり批判すると強制連行されるようですよ。
1限目の授業が終わると、私はマオちゃんのところへ足を運んでいた。
いじめグループに所属する3人の生徒――つまり、グループ内の半数の人間――はいつの間にかに何処かへと消えてしまったようで、私はもう臆病になる必要はなかった。
「マ、マオちゃん」
彼女に声をかけるとき、胃が痛くなるほど緊張した。それに加えて、申し訳なかった。
私のような人間が、彼女に喋りかけていいのか悩んだ。実際に喋りかけている最中も迷ったままだった。
「ごめん」
よく分からないけれど、そんな言葉が口から出た。
私は誰に対して何を誤っているというのか?
それが分からなかった。
「別にいいよ。私があなたでも、同じことをしたもの」
彼女は怯えた目を隠すように、目元まで前髪を垂らしながら、それでも顔を上げて優しく微笑んでくれた。
目にクマができている。とても、疲れているのだろう。だけど、彼女は気丈に振舞っていた。
「で、でも……」
「本当にいいのよ。私はあなたが加担しなかったことが、すごく嬉しかったの。それだけで十分だわ」
「うざー」
マオちゃんの綺麗な言葉に混ざって、人を不快にさせることが目的の、悪意を孕んだ台詞が耳に入ってきた。
「お前らみたいなキモいやつ、死ねばいいと思うよ?」
いじめグループの中で一番大人しい子。それでいて、一番陰険な子。
彼女はそう言って、まるでゴミでも見るかのような視線を向けて来た。
「あ、あ、どうしよう……。あなたまで、いじめられちゃう……。どうしよう……」
マオちゃんは申し訳なさそうに俯いて、困ったように眉をひそめた。
「ごめんなさい」
「なんで、マオちゃんが謝るの!?」
私は思わず叫んだ。
「悪いのは私だよ。いじめを知ってて放任した私だよ!」
「ごほん――」
横から咳払いが聞こえた。
見やると、新任の先生が立っていた。
背が高くて、背筋がスッと伸びていた。肩幅が驚くほど広かった。
「今、いじめと言ったかね?」
「ええ」
私は目を細めて言った。
彼なら、この新しい担任の教師なら、クラスにはびこるいじめをなんとかしてくれると思った。
「私たちをいじめる子がいるんです」
「具体的にどのようないじめをしてきたのかね?」
「うざいとか、死ねばいいとか。そんな感じの悪口を言ってきました」
「ふむー。悪口はよくないな」
教師は視線をいじめっ子に向けた。
その瞳は微動だにしなかった。
「ちょっと、職員室まで来てもらおうか」
「はあ? 悪口を言うことの何がいけないっていうの? 何が悪いのか説明してください」
マオちゃんを日頃からねちねちといじめていた彼女は、そんな風に開き直り始めた。
正直、見苦しかった。
もう詰みなのに、自ら頭を下げて素直に「負けました」と言えない、どこかの棋士のようだった。(私のことだ)
そして、彼女の開き直りは、この新米教師の批判へと発展し、まだまだ続いた。言葉遣いが過激になり、興奮状態にあるようだった。
「大体、お前の授業は分かりにくいんだよ。長々と数式を書きやがって。数学が将来役に立つのか? あ? 立たねーだろ。そんなことも分かんねーのか? 馬鹿なんじゃねーのか、お前。お前は頭悪いんだから、小学生から人生やり直してこいよ。それにな、ずっと思ってたけどな、その髭似合ってねーんだよ。だせーんだよ」
子どもから言語道断の悪口を言われているのにも関わらず、大人である先生はそれを黙って聞いていた。
時折、ふむふむと頷き、彼女に対して理解を示そうとしているかのようも思えた。
それから、しばらく思考し、彼はゆっくりと口を開いた。
「今の私に対する批判はなかったことにしよう。君たちも聞かなかったことにしてくれ」
「………」
私たちは不承不承に頷いた。
それに対して、悪口を捲し立てた本人は、少しばかり得意げに見えた。
きっと、この教師が自分の意見を受け入れてくれたように感じて、嬉しかったのだろう。
新任の教師は、私たちの方を向いてわずかに微笑むと、唐突に私たちを非難した女子生徒の頭に紙袋をかぶせ手錠をし、彼女の細い腕を乱暴に引っ張って教室を出ていってしまった。
その光景にマオちゃんは唖然としていたが、私は「やっぱりこうなったか」と思った。
平和だなーと思った。
今考えたんですけど、「ディストピア=ユートピアの法則」とか、ちょっとカッコよくありませんか?