いつもの朝を過ごしている
衝動的に書きました。
他意はありません。
上京してきて段々慣れてきて、非日常だった環境がいい加減日常になってきた頃。その日常に大きな異常が舞い込んだ。
「いやぁぁぁあ! いやっ! いやあああああああッッッ!!」
突然の悲鳴に、俺の目は覚める他なかった。けだるげな体を無理矢理立ち上がらせて窓から外を覗く。悲鳴の主はもう消えたようで、睡魔に足を取られた俺はそれを気のせいとして処理しようとしていた。布団に入る。夏前の朝は布団から毛布を一枚取り去っても十分な暑さだった。俺は薄い毛布を頭から被り、損失した睡眠時間を取り戻そうと目を瞑った。そんな俺を無理矢理目覚めさせたのは、けたたましく響く救急車の音。
俺は我慢できなくなって再び窓の外を覗く。ギリギリ、赤と白の車体が見える。
「……事故?」
寝ぼけ眼をこすりながら俺はその救急車をぼーっと見つめていた。
「人身事故……」
何かがあったかもしれない時は、ツイッターで地名を検索するとニュースよりも早く情報が入るぜ、と先日友人が言っていたのを思い出して、俺は興味本位で最寄り駅の名前を検索してみた。
すると、どうだ。その最寄り駅の踏切で、人身事故が起こったらしいじゃないか。しかも、即死。
ツイッターにあげられている画像はどれも見慣れた近所の景色を切り取ったような写真で、それはつまり、現実に近所で事故が起こったことを意味していた。ということはあの時の悲鳴は……夢じゃない。
俺は玄関から出て辛うじて見える踏切を覗いた。別に誰に見つかるわけでもないのに俺は静かにドアを開けた。
救急車、パトカー、警察官、スーツの人、チャリに乗っている人。様々だが、やはり警察が目立つ。
俺はツイッターの検索欄を更新する。たった数分なのに、先ほどとは違う情報を見つける。
「女の人が走ってる電車に自転車で突っ込んだらしい」
「踏切の棒の隙間から突っ込んだらしい」
「電車の頭に当たったんじゃなくて、走っている電車に巻き込まれたから踏切周辺は地獄」
そんなツイートが秒ごとに更新されていく。あぁ、あの踏切は通学路なのに。
その日は電車で大学へ行き、いつも通り普通に過ごした。
そして、帰路。俺は電車で来たことを忘れて駐輪場へ来ていた。
「あ」
俺はそこで、朝の人身事故を思い出す。あの事故の影響で俺は自転車で踏切を通るのが嫌になって、違う駅から大学に来たんだった。
金がかかるのも致し方が無い。俺は電車に乗った。
そして駅につき、改札を出る。家までの帰り道。
あの後、事故が起こった線の電車は運行を再開した。
でも再開したとはいえ、処理はあるんだろうな。見るのは嫌だが、そこの近くを通らないと家には帰れない。
俺は踏切が見える曲がり角を緊張しながら曲がった。
すると。
そこには、日常が戻っていた。車が通り、自転車が通り、人が通り、踏切が鳴った。
何秒間止まっていたのだろう。気がつけば鳴ったはずの踏切がもう鳴り止んでいて、普通の景色は継続していた。
朝、誰かの悲鳴の原因となった場所。朝、救急車や警察が集まる原因となった場所。
朝、人が死んだ場所。
俺は、鳥肌が立った。まるで何もなかったかのように、事故そのものが夢だったかのように、そこは普通に踏切だった。
部屋に帰って、日常に侵害してきた異常がこんなに早く消え去ったことが、異常に思えた。何一つ変わっていないはずの部屋ですら、初めて見るような違和感。
「人が、死んだんだぞ……?」
指先の震えを感じる。ただ、握り締めてしまえばどうってことない。俺は拳を作った。
今度は、拳が震えはじめた。俺はその拳をもう一方の手で包み込んだ。
今度は、体が震えはじめた。明確な恐怖。人の死がたった数時間目を離した隙になかったことにされているような錯覚。地元じゃそもそも人身事故なんて滅多に起きなかったし、それが近所で起きるなんて経験したことがない。俺は、初めての経験に恐怖しているのか? いや、いや、いや、違う。
俺は、東京に恐怖しているんだ。人が死んだ場所を何も知らず人が通るこの地を。多分ここが東京じゃなければ、いっそ埼玉なら、こんなに恐怖しなかった。根拠はない。けれど、謎の確信があった。
ここが東京だから、人が死んでも無かったことにできる。知らない人は知らないままで、その道を通ることが出来る。
結局その日は眠れず、日が昇ってから外を覗く。道がある。
もしかしたら、あの何の気も無い道でも誰かが死んだかもしれない。
死んだかもしれない……?
じゃああの道は? あの店は? このアパートの階段は? この、部屋は?
「ーーー」
誰も居ない。当たり前だ。ここには俺しか住んでいない。でも、住んでいた。誰かが。
その誰かが住む前も、誰かが住んでいた。
その誰かの連鎖の中で、この場で死んだ人が居ても、おかしくない……。
その疑念が俺の中を満たしていって、数週間が経った。
今でも踏切を渡れない。
俺は、踏切が渡れないだけの、いつもの朝を過ごしている。
他意はありません。
ありがとうございました。