第7話 イジメ
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やっとのことで、エンドレス始末書の刑を受刑し終えた俺が職員室を出たのは午後の4時半だった。
職員室の前では、呆れ顔の友紀が待っていた。
とても冷たい目つきでこっちを見ている。
「や、やぁ!」
「やぁじゃないわ、ほんと」
「あ、あぁ。俺のナップザック持って来てくれたのか」
「はい、自分で持って」
「わかってるよ…って、筆箱入ってないじゃん」
「あー、ごめん入れ忘れちゃった」
「はぁ…。取りに戻るぞ」
友紀と共に誰もいない4組教室に戻った俺は、隣の席の七海の荷物がないことを確認してから友紀に問いかけた。
「やっぱりもう七海は帰ったのか?」
「私は知らない。クラス違うし」
「あぁそうか…」
「それより、参事官困ってたよ」
「はぁ?なんでもう良樹がこのこと知ってるんだ?」
「声大きいな。校長が県の教育委員会に折檻の件について話したの。で、それが回り回って参事官に届いたわけ」
「あぁ。そういうことか。じゃあ、お父様に感謝しろってのは…」
「あなたの父は、高嶺良樹参事官ということになってるのよ」
「なんでお前じゃなく俺なんだ」
「あなたが多少の荒技を使えるようにしておいたんだとさ。どうやら役に立ったようね」
「あーなるほどな」
「ちなみに、今泉はしばらくの間謹慎処分にしておくそうよ」
「それも参事官が?」
「愛知県教育委員会に圧をかけるそうです」
「…あぁ、そうきたか」
七海も帰ってしまい、特にすることもないため大人しく今日は帰ることにした俺と友紀は、クラスが違うために、下駄箱のある昇降口が違う。
校門の外で待ち合わせることを友紀と約束した俺は、一旦別れて4組の下駄箱へと向かうことにした。
しかし、なんと運がいいことなのか。
その道のりで、偶然にも七海の後ろ姿を捉えたのだ。
これは、追跡を開始するしかない。
下駄箱で靴を履き替え出したタイミングを見計らい、隠れながら友紀にメールを入れようとしたその時、突然下駄箱の方から七海の悲鳴のようなものが聞こえた。
急いで駆けつけてた俺は、そこで驚きの光景を目の当たりにした。
足裏にたくさんの画鋲の刺さった右足を抱えたまま、七海が悶え転がっていたのだ。
1つや2つではない。パッと見ただけでは正確な数が数えられないほどの数だ。
あまりの痛ましさに見るのも辛いその惨劇に、俺は七海の元へと駆け寄り、恐怖で怯える七海を落ち着かせようとした。
「おい、七海!七海、大丈夫か?七海!」
自力で画鋲を抜くことは不可能と判断した俺は、股の間に七海を挟んで固定するように座り込み、足の画鋲を1個ずつ抜いていった。
単体では、かなり殺傷力の低い画鋲だが、これだけの数が同時に刺されば、それなり痛みになるはずだ。
そしてなにより、視覚能力を通しての殺傷力が高い。
七海が恐怖でのたうち回るのも当然だ。
全部の画鋲を抜いた俺は、次の処置を脳内で考える。
保健室は、今日は保健の教諭が不在のために開いていない。
たしか、この学校からそう遠くない場所に病院があったはずだ。
そこに連れて行くのがおそらく最善だろう。
職員室の方が近いが、やはり教職員ではなく専門の人間に診てもらった方がいい。
職員室では、環境的にもよくないだろう。
歩かせるわけにもいかないし、七海をおんぶして連れて行く必要がある。
「七海、病院行くぞ」
しかし、七海は背中にしがみつくのも無理そうなほどに脱力しきっている。
茫然自失し、放心状態のままただ涙を流し続ける七海に、自身も動揺してしまった俺は、思わず七海を抱きしめた。
「七海、大丈夫だ。大丈夫だから落ち着いてくれ」
さすがに多少の時間はかかったが、七海は正気を取り戻した。
腕の中でただ涙を流し続けていた七海がようやく、顔を上げたのだ。
「よし、七海。病院に行こう。俺がおんぶするから、背中につかまってくれるか?」
七海は黙ったままうなづいて、背中にしがみついた。
そこへ、俺が来るのを遅いと心配した友紀がやって来た。
状況がわからず困惑する友紀に、状況説明をし、画鋲などの後始末を任せた俺は七海を連れて急いで病院に向かった。
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「七海、あれはどういうことだ?」
俺はそう七海に問いかけた。
俺の隣には友紀も座っている。
ここは、七海の自宅。
病院に行った七海を家まで送り届けたところという感じだ。
毎晩のように、遅くまで残業をしている七海の母は当分帰ってこないとのことだ。
さすがに今日のことは由々しき事態だ。
七海の口から状況を聞こうとした俺の質問には、先に友紀が答えた。
「つまりはこういうことよね。桜宮さんは学校でイジメにあっていると」
七海はゆっくりとうなづいた。
「私と仲良くしない方がいいってのはそういうことだったのね…」
「俺のことを気遣っててくれたのか?」
「うん…」
「ふっ、やっぱりお前は優しいな。でも俺の心配はいいから、お前は自分の心配しろよ」
「…」
「それよりイジメの理由はなんなの?心当たりはある?」
友紀が今度は理由を問いかけた。
しかし、口を開こうとしない。
「桜宮さん。言いたくないの?」
「まぁ、言いたくないなら言いたくないでいいからそう言ってくれ。無理には聞かない」
七海からすぐには返事は返ってこなかった。
しかし、返事そのものはしっかりと返ってきた。
「話したく…ないの」
話したくないというものを無理に話させるわけにはいかない。
「そっか。わかった」
「じゃあ、イジメをしている相手に心当たりは?」
「それが、ないんです…」
「理由には心当たりがあるのに、誰からやられているのかについては心当たりがないってことか?」
「…はい」
「よくわからないわね〜」
「あぁ、それから…」
「それから?」
「お二人とも、私の親には内緒にしていただきたいんです…」
「なんでだ?」
「…心配して欲しくないんです」
「いや、むしろ心配してもらうべき状況なんじゃ…」
「お願いします!!」
「…あ、あぁ…わかったよ」
「…まぁ、そこまで言うなら私も約束するわ」
2人と約束を交わし、少しホッとしたような表情を見せた七海は、またすぐに悲しそうな表情に戻ってしまった。
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登校5日目。
結局、昨日の夜友紀と話し合った結果、俺は友紀のイジメの原因を探り、イジメをしている相手を探しながら審査官としての仕事をすることになり、七海に付き添って安全を確保するという役回りは友紀が一任するということになった。
イジメの加害者を調べることにしたということについては、七海には話してはいない。
校内で、七海のことについて情報を集めるの放課後にすることにした。
校内の様子は、岸春がいないという点をおいては昨日と同じだ。
なんでも瞳が言うには、岸春はしばらくの間謹慎処分になるという。
俺がこうして学校に来ているだけに、皆が疑問を抱いたが、同時に大半の生徒が俺に対して称賛した。
どれだけの男は嫌われていたんだ。
かなり長い期間謹慎になるようだが、いったいどうやったのか。
東京に帰ったら直に、岸春に何をしたのか良樹に聞いてみたいところだ。
クラスの中にいるときは、なるべく俺も七海に気を配りながら、隠し工作を施したケータイでイジメの原因や対処に関する事例をネットで調べていると、6コマある授業は案外どれもすぐに過ぎ去ったように感じ、気がつけば放課後になっていた。
教室を出た七海の後ろから友紀が付いていく様子を見届けた俺はさっそく、調査を始めることにする。
誰からイジメられているのかを七海にはわからせずに、イジメるための仕掛けをするならば、本人がいないときに、彼女がかならず仕掛けにひっかかるような仕掛けをしなければならない。
なおかつそれは、彼女以外の人間がひっかからない仕掛けだ。
思い当たる場所を調査はしたが、今のところ仕掛けはない。
これから仕掛けをしに現れるのではないかと思い、可能性のある場所を幾度も巡ったが、結局生徒の完全下校時間まで、その人物を見つけることはできなかった。
最後にもう一度点検したが、俺の見た限り仕掛けはなかった。
今日はどうやら仕掛けないらしい。
もっとも、俺の思い至らない場所に仕掛けている可能性もあるし、なんとも言えないというのが現状だ。
ーーよしっ、今日のところは下校時間だし、そろそろ帰ることするか。
にしても、天気予報に反して雨が降るとはつくづく不幸だ。
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登校6日目。
初登校日が火曜だったため、日曜の休日を挟んでの登校だ。
つまり今日でここに来てから1週間になる。
七海も登校5日目と特に変わりはないようだ。
ひとまず安心。
授業はいつも通りに始まった。
ところが、2時間目と3時間目の間の休み時間に教室を出てから七海が帰ってこない。
結局、3時間目が始まっても七海は持ってこなかった。
心配になった俺は、仮病で七海を探しに行くことにする。
人目に付く場所ならば、すぐに見つかる筈だ。
俺が気にしたのは、授業中に人目から付かない場所。
…そう、たとえば校舎裏などだ。
やはり案の定、校舎裏に七海はいた。
校舎に座り込んだまま凭れかかっている。
が、近寄ってみると、その状況はかなりヤバい状況であることがわかった。
七海は、目隠しと猿ぐつわをされたまま、腕で腹部を庇ってもたれかかっていたのだ。
急いで取り外した猿ぐつわの裏には、少量ながらも血が付いている。
おそらく、七海がこの猿ぐつわを付けた状態で吐血したのだろう。
「どうしたんだ、七海」
「…」
「どういうことだこれは」
「…後ろから突然目隠しと猿ぐつわをされて…、それで…」
そこから先の言葉は、声のボリュームが小さく正確に聞き取ることができなかった。
が、制服についた足跡などからも想像がつく。
おそらく、殴る蹴るなどの暴力を受けたのだろう。
それも、足跡の数や形から、加害者は複数であることがわかる。
俺は、何も言わず七海を抱き抱えて、保健室へ向かおうとした。
「どこへ連れて行くんですか?」
「保健室だ」
「そ、それはやめてください」
「なんでだ」
「先生に、知られたくないんです」
「また、イジメられるからか?」
「はい」
「ちゃんと内密にするように言うから」
「それでもっ…!」
「どうしてもか?」
「…はい」
「わかった。言わないでおく。その代わりに、イジメの理由はなんだ思っているのか教えてくれ」
「…それも無理です」
「先生に話すか、俺に原因を話すか、選べよ」
「…人が悪いですね」
「どっちにする?」
「…私から、どちらかを選ぶことは出来ません。どちらも嫌です。ですが、あなたが先生にどうしても話したいというなら…ご自由に」
「ふっ、わかってるよ、お前がそういうなら話さないし、もう聞かねえよ」
「…すいません」
「なんで謝るんだよ」
「いいえ…」
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そろそろ調査も手詰まりになってきた。
まぁ、初めから手詰まりといえば手詰まりだ。
調査方法がなさすぎる。
こうして毎日思いつく限りの場所を周って確認しているというのも効率が悪い。
入れ違いで、仕掛けて人と会えない可能性もある。
そろそろ強行手段の1つでも使ってみようかと、俺はそう思い始めていた。
まぁもっとも、その強行手段をするためには良樹の協力、ひいては良樹との連絡手段を持つ友紀の協力が必要なのだが。
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今日は珍しく友紀の自宅で、話し合いを行っている。
珍しくというか、友紀の仮住まいにに来るのは初めてだ。
ーーやっぱりうちよりマシじゃないか。
たしかにボロアパートの一室ではあったが、うちより全然マシである。
こういうのを見てしまうとやっぱり不満の1つや2つを口にしたくなる。
どうせ出てくるんだろうなと予期していたもてなしのオレンジジュースに、特になんのありがたみも感じることなく口をつけた俺は、大切な話をしに来たことも忘れて愚痴を呟いた。
いや、正確に言えば忘れたわけではない。
愚痴を言うことを優先させただけだ。
あくまで、大切な話はあとでしても問題ないだろうと。
それより、ふと浮かび上がった愚痴を、新鮮なままにお届けしようと。
そう思っただけだ。
「なあなあ、こっちの方が全然マシじゃないか。あのホコリまみれで汚ったねえ部屋とかわれよ。俺はダニとハウスダストアレルギーなんだ」
「それは私も一緒よ」
「いいよな本当。ズルイよな」
「あんたこそ、周りの部屋に住人がいなくてよかったじゃない」
「はぁ?」
「壁の薄っぺらいボロアパートで、左右に住民がいると苦労するわよ。特に夜寝る時とかね」
「…そ、そんなにうるさいのか?」
「左隣の部屋からは、ど深夜だっつうのにギターの音は聞こえてくるし。右隣に至っては、女の喘ぎ声と悲鳴よ。まったく、夜の営みの様子を爆音で撒き散らすんじゃねえよオイ!!!!!!」
珍しく荒々しい声と口調で激怒している友紀が、形相もふくめとても滑稽だったことは一旦置いておくとして、なるほどまあここは”おあいこ”ということにしておこう。
いつも通り、互いに一歩踏み込んで一歩さがるような繰り返しの会話を、挨拶代わりに交わした俺と友紀はそろそろ本題に入ることにする。
「それで、今日は何?」
「ああええとな、相談なんだけど」
「桜宮さんの調査のこと?」
「そう」
「さては、あれでしょ。手詰まりになってきたんでしょ」
「前から手詰まりなんだけどな」
「いいから話しなさい?」
「監視カメラつけてみないか?」
「学校に?学校の中に?!」
「あぁ。あるだろ?小型で録画もできるやつ」
「それを教員に気づかれないように設置して、また気づかれないように撤去するの?!」
「まぁ、そういうことになるよな」
「どうやって」
「それは…だな…」
「だいたいそんなものどうやって調達するの?」
「そこでだよ、良樹の登場」
「参事官に、届けてもらうってこと?」
「届けてくれるかわからないけどな。だから、連絡手段を持つお前のところに来た」
「…うーん、まあ確かに監視カメラはいいと思うけど、届けてくれるかな…」
「そうしてもらえると助かるんだけどな…」
「取り付けと取り外しの手段も、参事官と要相談ってことにするでしょ?」
「参事官が手伝ってくれそうならね」
「…そうだなぁ。わかった、話してみるね」
友紀は、『任せて』と言わんばかりにニコッとしてからケータイを持って部屋のへと出て行った。
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「もしもし」
『もしもし、久しぶりだね』
「お久しぶりです。実際はそこまででもないですけど」
『なにか用かい?』
「少しご相談があります。いいですか?」
『なんだい』
「隠しカメラを送っていただけないでしょうか。小型で録画可能なやつです」
『…いくつくらい?』
「そ、そうですね…。60くらい」
『いったい何に使う気なんだ』
「えーっと、そのですね。学校に設置したいんです」
『なんのために』
「理由、言わなくてはダメでしょうか」
『うーん、わかった。用意して届けさせよう』
「お願いしますね。あと、設置についてなんですけど」
『2人では難しいかい?』
「最悪人手は足りるかもしれなんですけど、設置や取り外しの際に見つかってしまうかもしれないなと…」
『…わかった。それはこっちで人員を派遣する』
「色々申し訳ありません」
『別にいいけどさ、まさか神保は、調査程度でここまで手間のかかる奴だとはね。少し過大評価しすぎていたかな』
「あ、いやそれはその…」
『まぁ、何をしようとしてるのか知らないけど。君たち結構手間取りそうだから、そっちの味方を増やしてあげるよ。けっこう使い勝手のいいと思うから、上手に使ってね』
「あぁ、はい」
『あ、そうだそれから。そっちで、校内のカメラをつけたい場所を写真に撮ってこっち送ってきて。明日あたりでいいから』
「わかりました」
ブチっという音と共に回線は途切れ、電話は切れた。