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第5話 気がかりなこと

 ******


 気がつけば、なぜか俺は自宅で友紀と共に数学の宿題に勤しんでいた。

 友紀曰く『秀には、負けないからね』だそうだ。

 変な意地を張られても困るのだが、そう言われたからには実力の差を見せつけてやろうではないかというものだ。

 互いに集中力を高め、近寄り難いほどの殺気を放ちながら、汲々と問題を解き続けている。

 止まることなく動き続けるペンの音と、一定のペースでめくられるノートの音だけがBGMとなっていた。

 気がつけば、部屋のデジタル時計に夜の9時と表示されている。


「ねえ、秀」

「なんだ」

「どこまで進んだ?」

「102ページだ」

「うそ…まだ96ページなのに…」

「うるせえよ、話しかけてくるな」

「いや、そのさ秀。そろそろお腹すいてきたし、何か食べに行かない?」

「お前はどうか知らないが、俺は明日までにやらなきゃならないんだよ」

「そういうけど、このペースなら終わるんじゃない?」

「いつ集中力が切れるか、わからないから、できるときに進めるだけ進めたいんだ」

 そう淡々と呟きながら、黙々とペンを動かし続けている俺を見て、てきとうにあしらわれているとでも思ったのだろうか。

 横目でパッと見ただけだが、友紀はムッとした顔をしているようだ。

「ねぇ〜、ご飯食べに行こうよ」

「突然駄々こね始めやがって。赤子かお前は」

「お腹すいたよ〜」

「谷間をくっつけてくるなお前」

「あら〜?もしかして、嬉しいの〜?」

「うがぁ〜!集中力切れたじゃねえか!!!ふざけんなよおい!」

「なら、食事行こうよ〜。きっと疲れてるんだよ〜」

「お前が食いたいなら、買ってこいよ」

「一緒に食べようよ」

「案外寂しがり屋なんだなお前は」

「悪いかよ〜」

「悪くねえよ、はいはい。わかった、出かけるぞ」

「やった!じゃあイタリ…」

「イタリアンは高いからなしだ」

「…じゃあ、ファミレスでいいです」

「当たり前だ」


 イタリアン…。そう聞くと。脳内のエピソード記憶が弄られて、自然と七海のことを思い出す。

 あれから、どうしただろうか。


 ******


 登校2日目の朝。

 早くも、もう飽きてきている。

 思い出してみると、東京を旅立つ前は、”このつまらない生活にピリオドを打てるんじゃないか”とか”達成感といった類のものを手に入れられるんじゃないか”とか”この仕事を通して、友紀という唯一無二、初めての相棒を手に入れられるんじゃないか”と様々な期待したものだが、なんだかそんなこともなさそうだ。

 こうして早くも飽きている。

 俺の勘は所詮宛にならないということかもしれない。

 宿題はもちろんしっかりと終わらせてある。

 ただし終わったのは昨日…いや今日の朝5時だ。

 だいたい2時間弱しか寝ていない。

 消費エネルギーに対して、体力回復のための時間が不十分すぎた。

 あくび一つした俺は、目をこすりながらのっそりと立ち上がってから、洗面所へと向かった。


 ******


 ーーまた、数学は一時間目なのか。

 俺はため息を漏らした。

 朝一番であの男に会わなければならないとは、実に不愉快だ。

 朝一番で、クラスメート達に『終わったの?』と問いかけられ、「あぁ、終わったよ」と答えたのは失策だった。

 俺のノートを手にして、まるで古代の秘宝でも見つけたかのように歓声を上げたかと思うと、机に大群で群がり、いっせいにノートを写し始めた。

 もっとも、常日頃から奴の授業を受けさせられているクラスメート達に同情した俺は、「授業開始の3分前には返せよ」と口添えして大人しく見せることにしたことを後悔はしていないが、面倒くさいというのも正直なところだ。

 まさか、返ってこないのではと警戒したものの、無事返却されたノートを片手に席へ着くと同時に授業の鐘はなった。

 朝のホームルームで教科書は配られたため、今日はもう七海に教科書を見せてもらう必要性はなくなった。

 しかしそれによって逆に、七海には余計に話しかけづらくなったように感じた。

 以前として今日も、表情は硬い…というか暗い。


 岸春の授業は相変わらずだ。というより悪化しているように見える。

 なんというか、昨日よりも独りよがり感が強まっている。

 それに昨日にも増して高圧的だ。

 クソみたいな授業の合間に数学者の話を長々と語っているが、せめてもう少し面白くテイストできないものか。

 やるべきことをなせていないというのに、複素数の説明ではく、数学者の説明に時間を費やすとは何と愚かなことか。

 そういうのは、やるべきことをやってからやるものなのだ。

 いい加減腹立たしい。

 随分長々と語っていたなと思うと、今度は突然猛スピードで教科書の練習問題を進め始める。

『時間ないから、ここは解説飛ばす』と戯けたことを言っているが、時間がないのはお前のせいだぞ岸春。

 そんな調子で授業は終わりを迎えた。

 俺は、ノートを片手に教室前方の教卓前まで出て行き、ノートを提出する。

「へぇ、終わったのか」

「えぇ。これでいいですよね」

「まぁ、終わって当然だな」

「…はい…。…それでは、これで」

「あーちょっと待ちたまえ」

「はい?」

「これを君にあげよう」

 どさっという音と共に教卓に置かれたのは、先日終わらせたばかりの課題の2倍近い厚みのプリントの山。

 嫌な予感しかしない。

 全身の背筋が凍りつく。

「これ、2日後の授業までにやってこれるよね?」

「無理ですね、これは」

「あと2日あるじゃない。ページ数を2で割れば、昨日のやつより一日あたりそれぞれ23ページ少ないよ」

「限度というものが…」

「俺はね、皆に実力つけて欲しいの。だから、がんばりたまえ。じゃ・あ・ね」

 あのやたらと嫌味ったらしい喋り方の鼻に付くことと言ったらこの上ない。

 試しに、プリントをパラパラとめくった俺は昨日にも増して巨大な絶望感に苛まれた。


 難易度上が上がっている。しかも格段に。

 オマケに、視覚情報として入ってくるこの厚み。

 手に取るのも恐ろしい。

 断腸の思いでプリントの山を手に取った俺は、涙ながらにプリントを束ねて丸め込み、ナップザックに放り込んだ。


 ここから昼休みまでの授業の流れは、相変わらずだ。

 受けているこっちが億劫になる退屈さだ。

 いや、まあ退屈なのは我慢すればいい話だが、我慢して受けるほどの授業が皆無。

 全体的に昨日よりは圧倒的にマシだが、いてもせいぜい総合評価が6の現代社会担当。3時間目を担当した後森が総合評価4。4時間目は海女塚冬至が、昨日にも引けを取らない強烈に酷い授業を浴びせてきた。

 昼休みには、もうクタクタになっている。

 授業をしっかり観察するためという理由と、取る必要性がないという理由から、ノートを取らずに授業を聞いているのだが、ただただ退屈なのだ。

 体感時間がまるで30倍になっているかのようだ。


 割と良さそうなクラスメート2〜3人にてきとうに声をかけ、作り上げておいた某友人擬きAくんBくんCくん達と昼食をとりながら、俺は頭の中で評価表を整理した。

 なんだかこの学校に派遣された理由がわかった気がする。

 生徒たちやその親が気付いているかは別の問題として、この学校はかなりマズい。

 一見してマトモな授業だが、中身はペラペラで指導方法もなっていない教師が多い。

 各学校にある程度そういう教師はいるものだが、よくもまぁここまで綺麗に揃えたものだ。

 具体的にどこがマズイのか洗い出させるために、俺たちはここに派遣されたのかもしれない。

 あの良樹のことだ。俺たちを派遣するにあたって、何か企んでいるのではないかと考えていたが、もしかしたら案外単純なのかもしれない。

 派遣先での働きぶりや適性を調査するついでに、欠陥だらけの講師陣が揃うこの学校の教師たちの具体的な欠陥を見つけさせるという目的かもしれない。

 ひとまずはそれで納得することにした。

 もし仮にそうならば、期待に沿ってやろうではないか。

 徹底的に粗を洗い出してやろうじゃないかと。


 5時間目の古典を担当したのは、西条茂木(さいじょうしげき)という男だった。

 今度は果たしてどんな酷い授業をするのか。俺は、そう注目して見ていた。

 だが、開始3分ほどで、俺は彼が教師として持つ光の眩しさに気づいた。

 酷い授業にばかり当てられてた俺には、まるで特効薬さながらだった。

 酷い授業というのは、退屈か退屈ではないかに限らず単純に聞くに堪えないのだが、逆に巧みな授業というのは否が応でも気を引かれるものなのである。

 彼の授業は飛び抜けていた。

 南宋瞳が発展途上だとするならば、彼は完全に完成されている。

 俺が求める、完璧な授業というのはこういうものだ。

 微塵も粗を感じさせない授業運びだ。

 授業作りのセンスというのは、一朝一夕で磨けるものではない。

 授業展開のさせ方、雰囲気作り、巧みな駆け引き等、巧みな授業を作り上げるためには様々な要素が完成されている必要がある。

 授業作りのセンスというのは、常に授業を研究することを絶やすことなく続け、様々な実戦経験を用いて初めて磨かれるものだ。

 若き彼がそれを持っているということは、つまり彼には「彼こそ教師になるべくして生まれたのだ」と言わしめてしまう圧倒的な天性の才能とそして更に抜群のカリスマ性があるということだ。

 彼でなければできない個性的で魅力的な授業がそこにはあった。

 文句の付けようがない。総合評価は勿論10だ。

 なぜ、彼のような教師がここにいるのか。それ自体が不思議でならない。

 彼はまるで月。他の講師陣はすっぽん。

 それ位の違い。

 よく『本当に素晴らしい授業というのは、楽しい楽しくないではなく、もう一度聴きたくなるものなのだ』と言うが、まさしくそれに該当するのがこれだろう。

 授業の旨味が違うのだ。

 当然ながら、やはり彼は生徒たちからも圧倒的な人気を誇っているようだった。

 授業終わりには、彼の周りに何人もの生徒がノートを持って質問をするために駆け寄っていた。

 質の良い授業は、質の良い疑問を生徒に浮き上がらせるというものだ。


 結局、次の授業時間までに質問を全て受けきることはかなわず、『残りは、放課後にぜひ職員室に来てね。職員室に絶対いるから』と言いながら教室を出て行った。

 彼とすれ違いで入ってきた南宋瞳が6時間目の授業担当だったため、昼休みから後の授業は大して苦ではなかった。

 昼下がりのゴールデンタイムという感じだ。


 瞳のホームルームが終わり、ようやく2日目が終了…じゃなくて帰ったら数学の課題があるのだった…。

 不思議だ。無意識にため息を吐くという人間の現象は実に不思議だ。

 ため息をついた俺はそんなことを思った。


 タイミングを見計らって七海に声をかけようと思っていた俺は、終礼後にさっさと教室を出て行ってしまった七海を探すことにした。

 昨日のみならず今日までも表情が暗いとなると、流石に気がかりだ。

 別に、昨日は気がかりではなかったということではないのだが。

 授業中は、採点をする必要があるうえに、あまりにも七海が重苦しい雰囲気で座っているために声をかけるのについつい躊躇してしまったのだ。


 校内を隅から隅まで3周ほどしたが、見当たらない。

 すれ違いざまに、何人かの生徒に聞いてはみたが、やはり誰も彼女の行方は知らなかった。

 仕方ないので、職員室の教員に聞いてみることにした俺は、職員室の外から七海の行方について知らないかという趣旨のことを訪ねた。

 すると、茂木が最初に外へと出てきた。

「桜宮七海さんの居場所かい?」

「はい。知りませんかね」

「彼女なら、もう帰ったと思うよ。さっき、帰り支度をしてここに来ていたからね」

「何をしに来たんです?」

「まぁ、ちょっとしたことだよ。君こそ、なぜ桜宮さんを探しているのかな?」

「まぁ、あれですよ。少し話があっただけです」

「…ふうん。どんな話なんだい?」

「それ、気になりますか?」

「…あぁ。ぜひね」

「…体調が悪そうだったので、気遣っていただけです」

「…そうか。彼女なら大丈夫そうだったから、心配はいらないよ」

「わかりました。失礼しました」

「うん。また明日の授業でね」

 ーー大丈夫だった…のか?

 俺はそう疑問を抱いた。

 少なくとも、俺の見ていた限りでは大丈夫そうでなかったからだ。

 しかし、近所だからといって今から家に押しかけるのはどうなのか。

 迷惑なような気がするが、行くべきなのだろうか。


 結局俺は、明日も学校で会うのだから、明日の学校で会うのが最善と判断をした。

 俺もなにせ数学の課題が忙しい。

 茂木も、大丈夫そうだったと言っているのだから、そういう素振りを見せていたということだろう。

 また、あれが彼女の学校での平生の状態とも考えられる。

 現に俺は、学校では真顔が基本スタイルだ。

 感情の起伏をあまり出さないようにポーカーフェイスをしている。

 理由は…意識高い系だからということでもういいんじゃないだろうか。

 実に便利な言い訳材料だ。

 まぁ、何はともあれ、大丈夫ならば問題はないのだ。

 明日の学校での様子を見て考えるのが最善と俺は判断して、大人しく帰ることにした。

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