54 その穢れが浄められますように
お待たせしまたした!
「っ壊れろ、壊れろ! あの子以外、あの子以外……!」
──いらなかったのに。
あの子だけが居れば、それで。
小さく小さく、そう続く言葉。
私は白慧の悲痛な叫びを聞きながらも、足を止めずに動かす。
刀に多量の霊力を込めながら。
「君なら、君ならッ……彼女が言ってたんだ。君なら、僕に答えを教えてくれるんでしょ? ねぇ、ねぇ、ねぇっ!」
白慧の真っ正面、刀を降り下ろすフェイントを掛け、風を足に集中させる。
纏う穢れが増幅するせいか、正常な思考を放棄した白慧が私を攻撃せんと、水衣を前方へと振るう。
瞬間、私は風を利用して跳躍し、白慧の頭上をバク宙宜しく、飛び越えて背後を取る。
そして、斜め下から上へと刀を振るった。
「っっ……あ……?」
「我纏う風。切り裂け。深く深く、傷痕を刻め」
反射的に白慧が振り返り、水衣を再び防壁のように変化させる。
けれど、今回は防がせない。
私は早口で言霊を、風への命令を紡ぐ。
纏う風は私の霊力と命令を受け、目の前の敵を、水の防壁を切り刻まんと鋭くなり、吹き荒れる。
ばちゃぁ、びちゃぁ、そんな音を響かせながら、飛び散ってゆく水。
「っ、あ……あぁ……」
程なくして水衣は私の風に削がれ、地に複数の水溜まりを形成した。
白慧は目を丸くすると、小さく声を上げながら私を見つめる。
ふらつき、よろける身体を何とか支えて、私も白慧を見据える。
少し、無理をしたかもしれない。
それでなくとも、女の子の日のせいで不安定な霊力を無理矢理集め、水衣の防壁を破る為に、一気に消費したのだ。
霊力の消費過多になるのは、仕方がない。
これは、決して私が弱い訳でも、霊力が低い訳でも、少ない訳でもない。
そう、自らをフォローしつつ、刀の柄を握り直しながら、再び踏み出す。
「っ水衣!!」
「させない」
再び、白慧が空気中の水分を掻き集めようとする。
私は集まりかけた水に向かい、刀を振るい、阻止。
それを数回繰り返した後、白慧はゆらゆらと揺れる瞳でこちらを見た。
「鎮馬ちゃん、鎮馬ちゃん……」
白慧が動く。
また周囲に集まる水は、形成する前に私が叩き切る。
何度も何度も、繰り返し。
私の息が上がっていくのと同時に、白慧の呼吸も荒くなる。
身体は限界を告げるように、脳内に更なる目眩と傷み、と言う信号を送った。
「う、ぐっ……あ、あぁっ……やだ。いやだ。何故、ねぇ、小夜」
白慧が苦悶の声を洩らした後、その場で頭を抱え、駄々っ子のように呟く。
影が濃くなり、穢れが渦巻く。
僅かに漂い出した瘴気に、私は眉根を寄せ、数歩後退った。
水は何とかした。
ちょっと、もう無理かも。
そんな思考が浮かび、私の身体から力が抜け、へたり込む。
「ごめっ、もう、動けない!」
透かさず戦力外宣言をする。
こーちゃんが、心配そうに私の側に寄り、新垣先輩とまーさんが私と入れ代わるように、私の両肩にぽん、と手を置いた後、白慧の前に出た。
「ふむ、邪魔かと思って下がったが……手負いの鎮馬では辛かったかのう」
「水さえなけりゃこっちのもんだ」
まーさんと新垣先輩が指を鳴らす。
白慧は変わらず「小夜」と、大切だったであろう、誰かの名前を呼んでいる。
ああ、風纏、強化してたせいで手伝って貰えなかったのね、私。
「鎮馬や、大丈夫か?」
「うん、少し休めば、多分。今はちょっと足がガクガクしてるけど」
心配そうに私の顔を覗き込むこーちゃんに、苦笑気味にそう返すと、こーちゃんは「そうか」と眉をハの字にした。
「小夜、小夜。何処に居る? ああ、僕は、僕は……僕は、ここに居るのに」
「キチってんなよ、堕ち掛け!」
「最早、戦う気力すらない程に呑まれたか? 炎翔」
周囲など、眼中になくなったように呟き始める白慧。
新垣先輩は顔を顰めながらも、白慧に向かい、爪を降り下ろす。
攻撃が来た瞬間だけ、白慧は新垣先輩を視界に捉えて回避し、反撃のように右拳を振るう。
それを受け止め、ハイキックを繰り出す新垣先輩に、今度は白慧がその足を受け止める。
ぎりぎり、と互いに止めた部位を握り、睨み合う。
そこに、まーさんがまるで新垣先輩ごと燃やしてしまわんと言うように、二人に向けて扇子を煽ぐ。
扇子を起点に、駆けた炎が二人に向かう。
「っうあっちぃ?!!」
「っっ!!」
激しく悲鳴を上げる新垣先輩と、声にならない悲鳴を上げる白慧の二人は、炎に燃やされる前に同時に左右に飛び退く。
僅かに焼かれた尾を手で払いながら、新垣先輩が「俺ごと燃やす気か、てめぇ?!」と非難の声を上げる。
白慧は無言でまーさんを睨み付けた。
「おーおー、すまんのう。あれじゃ。俺に構わずやれぇっ! の展開かと思ってのう?」
「馬鹿か?! 何で俺がてめぇ等の為に犠牲になんなきゃいけねぇんだよ?! そもそも一言もんな事言ってねぇ!!!」
悪怯れる様子のない、まーさん。
どんまいです、新垣先輩。
ツッコミが冴えてますね。
何だかコントでも見ているような気分にさせる二人に、もう大丈夫なんじゃないか、と内心で思い始める。
「……死んでしまえ」
「おお、まだ水を集める気力があったか? 炎翔」
身体をふらつかせながらも、手を前へと翳し、再び水を集めようとする白慧に、まーさんが素早く扇子を振るい、顕現した炎によりそれを蒸発させる。
溢れた水蒸気に、白慧が目を細め、払うように手を振る。
それと同時に、駆けた新垣先輩が白慧の懐に飛び込み、その胸ぐらを掴んで、そのまま地面に叩き付けるように、投げ飛ばす。
反応し切れず、受け身も碌に取れず、地面に身体を打ち付けられた、白慧の口から「かはっ」と空気が洩れた。
「っっ、犬、畜生、がっ……!!!!」
悔しげに吐き捨てる言葉。
黄色の瞳をぎらつかせて、白慧が起き上がろうと、地面に付いている両手に力を込める。
けれど、白慧の側へ歩みより、その首元に扇子を突き付けたまーさんにより、白慧は動きを制止させられた。
「終わりじゃよ、白蛇神。完全に堕ちてしまえば、わし等の勝機は薄い。じゃが、中途半端に堕ちている今の状況ならば、お前さんの思考が短絡化している今ならば勝てる。お前さん……最後の最後に堕ちる事を拒んだな? 何故、躊躇した?」
まーさんが静かに話し掛け、静かに問い掛ける。
白慧は返答を返す事なく、口をつぐんだ。
本来、堕ち掛ける事すらなかったのに、今、堕ち掛けている白慧。
何とか、堕ち神の一歩手前で止まっている白慧に、複雑な感情が浮かぶが、それを振り払うように小さく首を振った。
傲るな。私はただのちっぽけな人間だ。
出来る事、やれる事には限度があるのだから。
「まあ良い。鎮馬や、祓ってやれ」
いや、まーさん、急に振らないで。
私、何の準備もしてないし、道具もないよ?
突然の振りに暗い感情が霧散する。
代わりのように浮かんだ困惑が表情に浮かぶが、私はこーちゃんに肩を貸して貰いながら、まーさんと白慧に近付き、その側に座り込んだ。
握ったままだった刀は、ネクタイを解き、鞘に戻すと、足横へ置く。
「まーさん、祓うにしても、今は何も道具がないよ?」
私がそう告げると、まーさんが視線のみでこーちゃんに何かを促した。
こーちゃんがぽむ、と手を叩き、一重の袖口に手を入れる。
え、え? まさか、だよね?
じっ、と私がこーちゃんの手元を見つめる中、こーちゃんは袖口から手を引き抜く。
そして、袖の中より取り出した白木の棒に、紙垂を付けたもの──祓え串とも呼ばれる、大麻を私に手渡した。
……君達の袖口は、彼の有名な基青い猫型ロボットさんのポケットなの?
「これで大丈夫じゃな!」
「準備いいのね、こーちゃん、まーさん」
花が綻ぶように、微笑むこーちゃん。
私は二人の名を呼び、苦笑する。
ああ、本当、実は端から、私に祓わせるつもりだったんじゃないだろうか、と疑いたくなる。
二人の事だから、念の為に用意して置いただけなんだろうけど。
白慧と関わるの、嫌そうだったし。
「白慧。今から貴方の穢れと汚れを祓い、浄めます。異論は認めません」
「しず、ま、ちゃん……」
「今から語る事、告げる事は、憶測のようなもの。間違っていたら、虚言とし……笑って忘れてください」
まーさんに扇子を突き付けられたままの、白慧に告げる。
白慧は此方を見つめ、名を呼んだ後、私の言葉を待つように黙り込む。
私は、この白い蛇の神様の求めるものが何なのか、はっきりとは分からない。
だって、当事者でもなければ、ゲームの知識しかないのだから。
それでも、今から私が語るのは、話すのは、曲がり形にもヒロインの立ち位置に来てしまった事に対しての…………いや、これはきっと、私のエゴだ。
ヒロインによって救われる筈だった彼が、私を拐った結果、救われない。
私は何もせず、彼はただただ暗闇に取り残される。
そんな事になったら、少なからず私の胸は痛むだろう。
それが、嫌なんだ。多分。
でも、知ったかぶりも、嫌だったんだけどな。
「貴方は、自分自身の選択が、行いが間違っていると気付いていた。けれど、感情を抑えられなかった。感情が冷めた後も、自分自身でそれを否定してしまえば自分が壊れてしまいそうで、自分で自分を止める事も出来ず、気付いたら後戻りが出来なくなっていた。堕ちるのを拒んだのは、貴方が救いを欲していたから、でしょうか? だから、自分を止められる誰かを探した。自分を裁ける誰かを求めた」
静かな声で言葉を紡ぐ。
堕ち掛けている彼の耳にも、しっかりと届くように。
私の言葉は、ゲームの知識と、彼の印象、言葉により生れた憶測のようなもの。
これで、外れていたら、私は知ったかぶりの恥ずかしい奴だ。
「貴方が求めていた答えは、貴方の選択を否定する言葉。貴方の行いが悪だと断罪する言葉。貴方の間違いを正そうとする言葉。……私は、貴方のやって来た事を肯定しません。ですが、貴方が自分を守ろうとした事を、誰かを大切に想った事を否定したりはしません。まだ、やり直す道があるのではないですか? 過ちは消えずとも、償いは出来ます」
『忘れられた水神様。
最愛の人に、忘れ去られた白い蛇の神様。
かなしみに暮れて、人と妖怪を妬んで、壊れて歪んでしまった優しい神様。
後は消えるだけ。後は堕ちるだけ。 』
そんな、記憶の中のナレーションを聞きながら、私は口を動かした。
私も大概……ヒロインの事、言えないかもしれない。
私が吐く言葉も、綺麗事に違いないだろう。
「凄いね、鎮馬ちゃん。まるで、僕の過去を知ってるみたい」
白慧が薄く微笑んで言った言葉に、内心どきりと心臓を跳ねさせる。
当たっていたみたいだけれど、何だか罪悪感が浮かぶ。
「っ……当たり、ましたか?」
「うん、大方ね。何か、毒気抜けるなぁ。求めながらも、人に言われたらむかつくと思ってたのに。鎮馬ちゃんだからかな? ああ、そっか。君の声が好きだからか」
既に敵意も害意も殺意も削がれたのか、白慧は酷く疲れたように話す。
そして、「ねぇ、鎮馬ちゃん。僕の事、祓ってくれる?」と、私に問い掛けてくる。
私は「はい、浄めます」と小さく頷き、大麻を握る手に力を込めた。
平常心を保つ為に、声の行は見ない振り、聞かない振りで。
大きく息を吸い込む。
こーちゃんが隣に寄り添い、まーさんが「もう平気か」と扇子を仕舞って見守り、新垣先輩がつまらなそうに腕を組み、白慧は祓いを受け入れるように目を閉じる。
「 高天の原に、神留まります。皇が睦、神漏岐、神漏美の命以ちて、八百万の神等を、神集へに集へ給ひ」
私は出来るだけ凛とした声で、大祓詞を口にした。
この神様の穢れが浄められますように。
この神様の汚れが清められますように。
願わくば、この神様が救われる道が用意されますように。
例え私を傷付けた相手だとしても、僅かな同情と共感を覚えた彼が堕ちてしまうのは、何となく嫌だった。
.
これにて主人公等の戦闘終了です!
次回、視点変化の予定。




