45 蛇神との攻防の結末
長らくお待たせ致しました!
やっと、45話目です!
「溜息さん、北條さん……おれ、おれは」
翔真はまだ天狗の姿に戻るでもなく、かただ困惑しながら、捕らわれの満月と傷だらけの鎮馬、鎖錠裁刃の術を受ける蛇達を視界に映す。
まだ、まだ思考が追い付いていない。
「翔真! 考えるのは後よ、今はこの蛇を……!」
「さ、咲奈せんぱっ……は、はいぃッ!」
咲奈が翔真に叫ぶ。
翔真がはっとして、妖気を解放し、背に黒い翼を纏った。
悠里、蒼樹、咲奈、翔真、享椰、五人は周囲の残りの大蛇を薙ぎ払い、式陣を睨み付ける。
仮にも蛇神がこの程度で終わる訳がないのを、皆理解しているのだ。
「水壁」
「……っ」
眩い光の中、白い刃に身を貫かれ、ぼろぼろと消え去る残り最後の大蛇達。
その中央に、白慧だけは無傷で立っていた。
強い神気と妖気で出来た、水の壁が白慧を覆い隠し、鎖錠裁刃の洗礼を全て防いだのだ。
そうして白慧は無傷で笑って見せる。
享椰の背を、冷や汗が伝った。
「あれ? もう蛇居なくなっちゃったか。まあいいや。ね、もう飽きたよね? うん、飽きた飽きた。だからさ、巫と鎮馬ちゃんを交換しようよ?」
「ねぇ、いいでしょ? ふふふふふ」と、白慧は楽しそうに笑いながら告げた。
駆け出した享椰を横目に、怜也は鎮馬の血の滲んだジャケットを脱がし、片手でネクタイを解く。
理皇は、怜也の様子を窺いながらも、念の為結界を維持した。
「……綾部、起きた時、俺を殴って構わない。だから、今は、すまない」
怜也は申し訳なさそうに顔を歪めると、鎮馬の腹部が血で赤黒く染まったワイシャツのボタンを、下から丁度胸元の手前まで外す。
露になった赤の目立つ、痛々しい白い肌。
芳しい血の香りが、怜也の鼻腔を刺激する。
一瞬、血の香りの濃さに、理性と恍惚の狭間に、眉根を寄せた。
「っっ……」
「噛むんじゃねぇぞ、緋之瀬怜也」
瞳孔が開き、赤く染まる瞳。
間髪を容れずに、理皇から低い声で制止の言葉が掛かる。
怜也は「分かってる」とぶっきら棒に告げ、鎮馬の身体を支え直す。
大きな蛇の噛み痕から、血の伝う腹部に怜也はゆっくりと、舌を這わせた。
鎮馬の身体がびくりと、僅かに跳ねるが、余り気しないように、傷回りの血を舐めとり、傷口に口付ける。
口内に僅かに広がる、蜂蜜のように滑らかで、濃厚な甘味。
怜也は途切れそうになる理性を、何とか繋ぎ止めながら、慎重に慎重に、体内の毒を、余分な血液を奪わないように、集中して毒だけを吸い出す。
じゅるり──液体を啜る音と、液体を吐き出す音。
それに、時折、鎮馬の口から零れるのは、苦悶の呻き声。
甘味の後、毒の生臭いような苦味が口一杯に広がる。
まるで、溶かしたチョコレートに粉薬を混ぜたような不味さに、思わず顔を顰めながらも、怜也は毒の吸い出しと吐き出しを繰り返す。
吸血鬼の性もあってか、吐き出し切れなかった血液と毒が数度、喉を通った。
「……っは!」
ゆっくりと口を離し、深呼吸。
これで、鎮馬の体内の毒はあらかた吸出した筈だ。
片手で口を拭う。
今だ口内を、苦味と甘味が混在していて気持ち悪い。
怜也は多少ふら付く身体で、静かに鎮馬を抱え直す。
どうやら、白慧の毒は予想以上に強く、キツいものだったらしい。
動悸とふら付きを覚える身体に、やはり神の毒は吸血鬼である自分にも、ダメージを与えうる毒だったのか、と僅かに自嘲した。
「っ理皇、後の止血を頼む」
「……ああ」
理皇は刀から手を離し、怜也と鎮馬に近付くと、膝を付く。
怜也がそっと、鎮馬を地面に横たえた。
「……治癒は、苦手だ。止血程度しか出来ねぇ。悪いな、鎮馬」
理皇はそう言って鎮馬の傷口に手を翳す。
「我が身、我が力を用いて、陰陽の名の元、癒せ。癒渡」
翳した手より、自らの霊気を傷口へ。
淡い薄緑色の光が零れる。
理皇は、初歩の治癒術たる癒渡で、自らの力を分け与える事で、止血を行った。
僅かに塞がり、何とか血の止まった傷口に理皇と怜也は、息を吐き、鎮馬の衣類を整える。
これで、どうにか……後は……。
二人は、満月達の様子を窺うように視線を上げた。
「っそ、そんなの……!」
「ふーん? 交渉不成立? いいのいいの? 巫死んじゃっても?」
渋る享椰に、不服そうに唇を尖らせる白慧が視界に映り、二人は眉を寄せる。
「……いーよ。人質の価値すらないなら、殺しちゃうからさ」
陽気な声と共に、また指が鳴らされる。
「っっ?!!」
空気が洩れる音が、この場に響く。
透明度の高い水箱の中、多量の水泡が広がり、満月のアプリコットの髪が、浮き上がるように散らばる。
──苦しい。嫌。苦しい。息が出来ない。
突然、酸素を奪われ、水中に放り出される身体。
唐突な呼吸困難に、苦悶の表情が浮かぶ。
開いていた目が、水に触れて僅かに痛み、衣類が水分を多量に含み、重くのし掛かる。
早く早く、ここから出ないと、死んでしまう。
藻掻くように手足をばたつかせても、意味はなかった。
身体は、この水の箱に捕らわれたまま、満月の殺生与奪の権限は今、この白く歪んだ蛇の神様の気分次第。
何も出来ずに、ただ溺れる。
「っっ……止めろ、白蛇神っ!」
「っ蒼樹!」
蒼樹が駆け出し、享椰がそれに続く。
白慧はにんまりと笑い、「水龍」と先程同様に術を行使。
生み出された水の龍は蒼樹へ。
「チッ……!」
「おいっ……」
理皇の舌打ち。
怜也等を包む結界をそのままに、渦中に飛び出す。
防御は享椰がやるだろうと判断し、理皇が白慧本体を狙う。
「結!」
「風壁!」
水龍に飲まれる前に、享椰の符術結界が蒼樹を、翔真の起こした風の壁が咲奈と悠里を包む。
また水が弾けた。
「くそっ、見えないっ……!」
再びこの空間を水が覆い隠し、蒼樹が悪態を付く。
「ありがとう、翔真」
「いいい、いえ! 咲奈先輩が無事ならそれで……! あ、悠里先輩も!」
「翔真、オレはついで? まあ、咲奈ちゃんとオレは水と相性悪いから助かったけどさ」
咲奈に微笑み掛けられ、頬を染めた翔真に悠里が場違いだとは思いながらも、ツッコむ。
三人は今暫く、動けそうになかった。
「っ……面倒臭ぇ事してんじゃねぇよ、蛇野郎が」
「ん~?」
透明な視界不良。
大雨の如く、弾けた水龍が先程よりも多量の水を辺りにばら蒔いていた。
理皇は降り注ぐ水の中、気配を頼りに白慧へ一直線に向かい、刀を振り上げる。
白慧を狙い、白慧の動きに合わせ、振るわれる刀。
水の影響で、鈍る攻撃。
振るう刀はひょいひょいと、白慧に躱された。
「ほらほら、早くしないと巫が溺れて死んじゃう」
白慧の言葉に、理皇は今日何度目かの舌打ち。
理皇は刀を握り締め直すと、白慧に再び刀を振るう。
「黒炎纏」、理皇の紡いだ言霊と共に、現れた黒い炎が、刀の刀身部分に渦巻き状に包む。
そして、白慧の居る方へ一閃。
空中を切る刀から、生まれたのは黒炎の霊撃波。
「っっ……!」
咄嗟に、張られる水壁。
白慧が、僅かに怯む。
その隙に、理皇は満月の捕らわれている、水箱へ。
「理皇くん……!! 水箱の解除を……!」
言われずとも、分かっている。
後方から響く享椰の声を聞きながら、理皇は大きく息を吸い込むと、霊力を自らに膜のように張り、水箱に勢いよく手を突っ込んだ。
ずぷん──波紋を立てて、それは容易く理皇の身体を飲み込む。
理皇はそのまま、勢いを殺さず、水箱の中心部へ。
満月の手を掴み、引き寄せると、霊力の膜を広げ、丁度二人を包み込む。
そして、刀を上から下へ振り下ろし、水箱を切り裂いた。
ばちん──高い音を立てて水箱が弾け飛んだ。
二人の周囲にだけ、また人為的な雨が降る。
「ごほっ……ごほっ……は、ぁっ……八神、先輩……ッ綾部さん、は……?」
「生きてる。一応な」
ぐったりと力なく、理皇の胸へ凭れ掛かりながら、満月が言葉を途切れさせつつも何とか問い掛ける。
理皇は満月の身体をしっかりと支えつつ、そう返した。
「あっはっはっはっ!! 巫も鎮馬ちゃんも両方なんて駄目だよ? やっぱ、巫が大事なんでしょ? なら、鎮馬ちゃんは僕にくれなきゃね! そら、もう一回。水龍!」
白慧の楽しそうな笑い声。
理皇が直ぐに動けないのをいい事に、白慧は再び水龍を放つ。
白慧が両手を広げ、一回転すると共に放たれたそれは、先程よりも多量の水で出来ていた。
白慧はシニカルに笑い、理皇と満月に向かい手を翳す。
すると、水龍は胴体を動かしたかと思うと、地を滑るように二人へ向かう。
「ちっ……」
「先、輩……?」
理皇は舌打ちすると、満月の腰に手を回し、片手で支え直すと、長刀を構え直す。
満月はぼんやりと不安げに呟いた。
「満月!!!」
「っ翔真!! 怜也に防壁をッ!!」
蒼樹の満月を呼ぶ声と、享椰の指示が飛ぶ。
唐突に名を呼ばれた翔真は、享椰の焦ったような声色に、返事をする事も忘れ、慌てて地を蹴り、翼を使い、怜也と鎮馬の元へ滑り込む。
迫る水龍。理皇は、府術結界の構えを取った享椰と、怜也等の元へ向かった翔真を横目で確認した後、刀を逆手に持ち直し、そして、再び地面に刀を突き刺し、霊力結界を展開した。
大口を開けた水の龍が猛スピードで、理皇と満月を包む結界に激突する。
それはまた弾けて、まるで滝のように流れ落ち、視界を奪う。
「……ちっ、あの蛇野郎」
視界が多量の水で覆われる瞬間、理皇は確かに見た。
白慧の唇が三日月を描き、「鎮馬ちゃんは貰った」と呟くのを、翔真の張った風壁を破る烏天狗よりは幾分小さい黒い翼を。
水の打ち付ける音と、流れる音。
嫌に長く感じる時間に、理皇は舌打ちする。
ざあぁーざあぁー、頭上から最後の水が流れ落ちてゆく。
やっと視界を覆う水が晴れる。
そして、この空間に白慧と──鎮馬の姿だけが忽然と消えた。
地面に倒れる怜也と、目を押さえる翔真を残して。
宙を這う、白い大蛇の頭の上。
黒い翼を羽ばたかせる少年を連れて、白慧は奪い取った鎮馬を、しっかりと横抱きにしながら、一人呟く。「やっとだ。やっと……!」。
鎮馬は顔を蒼白に染め、ぐったり四肢を投げ出して、されるがまま。
そうして、歪んだ白の神様は、ほくそ笑んだ。
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大分、難産でした;;
そして、ついに主人公が白蛇に……!




