41 放課後のお呼び出し
重い。苦しい。
身体の上に何か乗ってる?
何かが這うような感触。
次いで、左腕を締め付けられる感覚。
ああ、何これ、夢?
多分夢だ、きっと。
そう……夢の筈、なのに。
『綾部鎮馬』
名前を呼ばれる。
近く、遠く、染み込むように。
耳の奥深く、脳髄へ入り込む。
『鎮馬、鎮馬』
『迎えに行くよ』
呪詛のように囁かれる。
まるで逃がさないと言うような、恋情と憎悪を綯い交ぜにしたような声音で。
それでいて、甘くとろけるような複雑なその声で。
ああ、私を支配しようとでも言うのか。
『明日、いや、今日にでも』
『迎えに行くよ』
ぞくりと全身が粟立つ。
──声の主が小さくほくそ笑んだ気がした。
「っっん、はっ……!!」
自室のベッドの上で私は飛び起きる。
荒い呼吸。乱れた髪。
冷や汗の滲む額。上昇する心拍数。
私は自らを落ち着かせるように、ゆっくりと深呼吸した。
大丈夫、大丈夫。
何て事はない、今のはただの夢だ。
落ち着け、心臓。落ち着け、自分。
私は数度息を吸い、吐き出すと、携帯を手に取る。
時刻は午前二時であった。
通りでまだ暗いと思った。
寝てからものの三時間程度で、悪夢に魘されて飛び起きるとか。
最悪だ。普通に寝足りない。
「…………はぁ」
小さく小さく溜め息を零す。
安泉さんは安眠中で、妨害などはしなかったらしい。
良かった良かった。
これで、起こしてしまったら、何か申し訳ないじゃない。
額の汗を拭う。
音を立てないように、密やかにベッドを抜け出し、キッチンへ。
お水が、飲みたい。
コップを手に、蛇口を捻る。
そして、コップのギリギリまで水を注ぎ、一気に飲み干す。
大分、落ち着いてきた。
通常運転に戻りつつある心拍数に、静かに息をつく。
何だか最近、魘されてばかりいる気がする。最悪だ。
ああ、まだ起きるには早いし……二度寝しよう。
月曜日。
あの後、二度寝に失敗した私は、寝不足に悶々としながらも、予定より早い時刻に行動し始め、片手で何とか支度を済まし、学校へ向かった。
今日は安泉さんが日直な為、安泉さんより少し遅くに一人で登校だ。
まあ、遅く、と言っても日直よりは、と言うだけで、実際は結構早い。
全然人の居ない校門を抜け、生徒玄関へ。
眠気がやばい。
早く教室に行って、机に突っ伏して寝よう。
そんな事を考えながら、自分の下駄箱の前へと歩いて行き、そして、動きを停止させた。
「何、してるの……」
思わず口から零れ落ちる言葉。
視線の先で、一人の男子生徒が肩を跳ね上げた。
彼は、何をしている?
眉間に寄せた皺が深くなる。
アホ毛が特徴的な栗色の髪に、赤茶の瞳、ひ弱そうな面持ちの彼は、確か前に、北條さんと話してたのを羨ましげに見てた……。
「あ、あ、綾部さんっ……あの、これはっ……違っ、いや、違わない、けどッ……」
開けられた私の下駄箱の前、一通の手紙を片手に、彼はおろおろと慌てた。
私はただ黙って、それを見据える。
彼が、今までの手紙の犯人……?
ならば、彼は陰陽師? 妖怪?
それとも、ただの一般生徒?
「貴方だったの? 貴方が、犯人……?」
見る間に顔が真っ青に染まる。
バレた。見られた。と、彼の顔にありありと書かれているようだった。
けれど、私の問いに返ってくる言葉はない。
きっと、返す余裕などないのだろう。
「放課後、放課後っ……裏庭に来て!!」
彼は意を決したように、私を見据えると、素早く手紙を押し付け、止める間もなく走り去る。
……言い逃げか。
おまけに、手紙押し付けられたし。
私は呆然と彼の走り去った方向を見つめ、溜め息を零した。
◆
お昼休み。
私は安泉さんと共に教室でお弁当を食べていた。
今日は今朝、栞宮先輩に会ったきり、生徒会組みには会っていない。
凄まじく付き纏われたのは金曜の日だけで、今日はそこまで酷くなく、少し安心した。
安泉さんお手製のお弁当に舌鼓を打ちながら、他愛ない会話を行いつつも、考えるのはあの手紙と後ろの方の席の彼の事だ。
放課後、放課後ねぇ。
手紙にも放課後、裏庭へと書かれていたのだが、何だか可笑しな文章だった。
与幸の巫を殺されたくないのならば、おいで。
と、言う事なのだが……いや、何故そうなった。
また、北條さんを殺すぞコラな、脅しか。
北條さんは引き続き護衛されてるのだから、心配ない。
前回は思わず駆け付けたが、今回こそは行かないぞ。
だって、今回こそ私を釣る餌がない。
放課後、誰が待っていようが知ったこっちゃない。
私は全てガン無視で帰る! 帰ってやる!
……まあ、それが本当に実行出来ていれば、今こうはなってないんだけれど。
「ど、どうしたの、綾部さん? 難しい顔、してる……」
「え! いや、ううん、何でもない何でもない」
心配そうな面持ちでこちらを見遣る安泉さんに、私は慌てて頭を振った。
うん、本当、何でもない。
ただちょっと、遠い目をしたくなっただけで……。
「ほ、ほら……考え事、を……?」
「あ」
私の言葉を遮るように、唐突に背後から頭に、何かを置かれる。
え、これ、手? 誰?
私が目を瞬かせる中、安泉さんが私の背後の人物を見上げ、声を洩らす。
安泉さんの知ってる人?
「だ、誰……?」
「久しいな、鎮馬」
久方ぶりに聞いたその低音。
私はこの声の主を知っていた。
私が顔をしかめるのもお構いなしに、置かれた手に力が込められ、ずい、と近付けられる顔。
鋭い三白眼と、視線がかち合う。
「八神先輩」
名前を呼ぶと、その人──八神先輩が目を細めた。
「先日はまあ災難だったそうだな」
「え、ああ、まあ……?」
「それでだ、今日放課後話がある。予定は空けて置け」
「……は?」
急遽告げられた言葉に、私は思わず素っ頓狂な声を上げた。
え、放課後? 話?
何で、八神先輩がそんな……篠之雨先生より先に、私に妖怪の話をするつもりじゃないですよね、流石に。
いや、でも、八神先輩なら先生を押し退けて事情聴取くらいやりそう。
「おい、返事はどうした。はいかyesと言え」
ええぇぇー、それどっちも同じです、八神先輩。
どうしたものかと悩む私に、焦れたのか、八神先輩が返事を急かす。
どうやら、彼の中に私の選択権はないらしい。
知らず知らずに口元が引きつる。
私は話なんてないのですが?
八神先輩をじっと見つめると、何を思ったのか、八神先輩は置かれたままの手に再び力を込め、頭を掴み、上下に揺らした。
いや、え、ちょっ……?!
頭が強制的に揺らされ、脳味噌までが揺すぶられる。
「よし、いい子だ」
いや、何がっ……?!
暫く私の頭を首振り人形の如く、上下させていた手が止められたかと思うと、ぽんぽん、と頭を二回叩かれ、手が離される。
止まっても尚、ぐわんぐわんと脳内を揺すぶられる感覚に頭を押さえながら、私は意味も分からず、ただ八神先輩を凝視した。
八神先輩は、「放課後は迎えに来てやる。大人しく待っていろよ」と勝手に話を進めた。
……あの、強制的首振り人形は承諾の意だったんですか。
何だか勝手に進む話に、私が恨めしげな視線を向けると、八神先輩は今度は安泉さんに視線を移した。
「安泉」
「は、はい!!」
急に名前を呼ばれ、慌てて返事をした安泉さんの声が裏返る。
けれど、八神先輩は特に気にも止めずに続けた。
「……今日は部活の開始が遅くなるからな。先に始めていろ、と他の奴等に言っておけ」
「わ、わわ、分かりましたッ……」
安泉さんが頷くのを見届けた後、「放課後にな」と言って去って行く八神先輩を、私達は黙って見送った。
放課後、て……何で今日はこうも、勝手に予定を立てられるのか。
……私、帰ってもいいよね?
「な、何だったんだろう、ね……?」
「わ、わかんない」
「綾部、さん。気を、付けて……?」
「……すっぽかして帰ろうかな」
思わず口から零れ落ちた本音に、安泉さんが小さく苦笑した。
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久々の八神先輩登場!
主人公への頭ぽんぽんは八神先輩の特権だと私は思うのです……。




