39 青鬼の誤解と殺意
これは、死亡フラグだろうか。
私はまだ、安倍家だってバレてない筈なのに。
何で、私は天条くんにこんな焼けるような殺気を向けられているんだ。
本編でさえ、綾部鎮馬が天条くんに殺されるなんて事ないのに……!
「っ! や、やめっ……?!!」
天条くんがこちらに向かってくるのに、制止の声を上げるも、天条くんが私の言葉に聞く耳など持ってくれる筈もなく、天条くんは構わずに私に向けて右腕を振り下ろす。
ああ、もうっ、私にどうしろと?!
振り下ろされた爪を紙一重で躱し、その腕を右手で掴むと、身体をくるりと捻り、横腹に向かって後ろ回し蹴りを見舞う。
「……っ! 話、聞けッ! 馬鹿っ!」
「っち」
蹴りを繰り出した左足があっさりと掴まれ、握り潰さん程に力を入れられた事に顔が歪む。
けれど、それも想定内。
瞬時に、右手を離し、身体を正面に向き直させ、今度は反対の足で首を狙う。
舌打ちと共に、左足は解放され、天条くんが飛び退く。
私の足は、ただ何もない空間を過ぎ去り、少し屈めた体制で地面に着地した。
「やめて、くれない?」
「やめろだと? 仕掛けてきたのは、貴様だろうっ」
っ、私が、仕掛けた?
私の言葉に、今度は返答しながら繰り出される、上段回し蹴りを上体を反って躱しつつ、頭を捻る。
何それ、どう言う事?
身に覚えのない事柄に、弁明をしようと口を開くも、次いでくる爪に口を閉ざされる。
口を開く間もなく、何度も何度も振り下ろされる両の爪。
避け切れなかった攻撃が、衣類を裂き肌に引っ掻き傷を作った。
片や強い妖気を纏った青鬼に、片や力の使えない女陰陽師。
軍配がどっちに上がるかなんて分かり切っている。
このままいけば、私は天条くんに殺されてしまうだろう。
もしも、私を殺す宣言が本気であったならだが。
「っはぁ、はっ……」
「この程度か? 霊力を使ったらどうなのだ。綾部鎮馬」
僅かに息が上がる。
一時的に止んだ攻撃に、よろよろと距離を取る。
天条くんが何か五月蠅いけど、息を整えるのが先だ。
先程まで全力疾走していたんだから、息が上がるのは当たり前で、それに加え、続けざまに青鬼と闘り合っているのだから仕方ない。
鍛えているとは言え、私は人間の女だ。
妖怪より遙かに体力はない。
故に、長期戦なんて向かないし、女の陰陽師は妖怪と肉弾戦をしようなんてしないのだ。
「見せられるものがあるならっ、とっくに見せてるわ! アホッ……!」
思わず勢い任せに付いた悪態に、天条くんの眉間に、青筋が浮かぶのが分かる。
私はまた、僅かに後退した。
もし本当に天条くんが私を殺すと言うなら、私だってただ黙って殺されるのは御免だ。
ならば、応戦するしかないのだろう。
死亡フラグを回避する為に正体を隠している訳だから、それを守る為にみすみす殺されていたら、本末転倒だ。
けれど、今の私には対抗手段がないのも事実。
私は今身一つ、嘘偽りなく丸腰状態である。
制服がびしょ濡れなのだから、当然ポケットの中身も無事ではなく、唯一の対抗手段たる御札はふやけて、使い物になるかどうかわからないのだ。
おまけに、今日は雨と言う事もあり、御札以外に使えそうなものは鞄の中で、鞄は窓を突き破った時に落としてきた。
血を使った術もあるが、文字を書く場所もなければ、書いた側から雨に流されるのは目に見えているし、媒介なしの術は私にはまだ荷が重い。
真言や九字、禹歩は果たしてこの青鬼にどれだけ効果があるのか……?
果たして、それを行う時間が与えられるかどうか。
「……ならば、早々に散れ」
散るかっ?!
この青鬼が、お前こそ散ってしまえ!
濡れ衣っぽいのに、もう少し頭使えこの青鬼っ……!
低く告げる天条くんに、今度は心内で悪態を付く。
私が何したと言うんだ。
私の何が、天条くんにここまでの誤解を与えた?
天条くんが動き、私は身構えた。
「はっ、ッ?!!」
再び詰められる距離。
頭がくらりと揺れた。
貧血……?
あ、駄目。反応が一瞬、遅れた。
天条くんが放った首元を狙った上段横蹴りを完全に回避する間はなく、私は泣く泣く右腕でガードする。
蹴りの衝撃と痛みに加え、嫌な音が聞こえた。
そのまま、蹴られた反動で地面に倒れ込む。
雨のせいか、単純な力負けか、残念ながら、足の踏ん張りは利かなかった。
「~~っっっ?!!!」
声にならない悲鳴が、口から溢れた。
痛い痛い痛い痛いッッ。
痛みから、目の前がちかちかと光る。
ああ、この青鬼がっ……手加減なしか、この野郎ッ。
私が一般人じゃないなら、手加減は無用だとでも言いたいのか……!
痛みに顔を歪める私を、天条くんが冷めた眼差しで見下ろす。
腕の痛みと、倒れ込んだ際に打ち付けた身体の痛みに私は恨みと怒りと殺意と、諸々を籠めた目で天条くんを睨みつけながら、右腕を押さえる。
「……っ自分が、何してるか分かってるの。天条くん」
私は声を低くして、天条くんに告げる。
天条くんはただ眉根を寄せた。
天条くん、貴方はまだ何の証拠も得られてない。
それなのに、勘違いして先走ってこんな事して、許される訳はないんだよ。
私が安倍家の人間だとバレたなら、この反応も頷けるんだけど……。
取り敢えず、恨んでやるからな。この青鬼。
「黙り?」
「何故、そんな事を問う。貴様が、貴様が……」
よろよろと立ち上がり、再び睨み付けながら問うと、天条くんが更に眉間に皺を寄せ顔をしかめた。
あれ、何か様子が……?
考え込むように頭を押さえた天条くんに、私は首を傾げ、様子を窺う。
「いや、今は早くこいつを……」
え、そこはもう少し考えてっ?!
そして、私への更なる攻撃は思い止まれ!
立ち直ったらしい天条くんが、鋭い視線を私に投げ掛ける。
私はただ、後退った。
「そこまでだよ、蒼樹」
唐突に背後に現れた気配。
ああ、近付いて来てるのは分かっていたけど、そう言う登場するんですか。
背後の人物に後ろから肩を抱かれたかと思うと、雨のせいで水気を帯びた九つの尾がゆらゆらと私を庇うようにして包んだ。
冷たいような、暖かいような……いや、私自身は全身びしょ濡れな訳だから文句を言える立場じゃいか。
「……栞、宮……先輩……ッ」
震えた声が口から零れる。
そりゃ、そうだよね。
学校の敷地内で本気の天条くんと闘り合ってたんだから、誰かしらが駆け付けたって不思議はない。
今日の私は、隠蔽術なんて使えていないのだから。
「悠里! これは、どういう事だ?」
次いで、駆け付けたのは緋之瀬先輩。
差していた筈の傘を畳んでいる事から、急いで来た事が窺える。
本当に、もう、逃げられないんだな、と思う。
困惑の表情で私達と天条くんを見る緋之瀬先輩を、栞宮先輩が片手で制す。
「っ何故、そいつを庇うんです、悠里先輩ッ……」
「綾部ちゃんは人間の女の子だよ? 庇うのは当たり前」
「そいつが一般人じゃなくて、与幸の巫の命を狙っていてもですか?」
「それはあり得ない。この娘はオレ等が少し近付くだけで面倒臭そうな顔してるのに。そんな娘がわざわざ満月ちゃんを殺そうなんてしないよ。まあ、一般人じゃないってのは否定しきれないけどね」
不服そうに顔をしかめる天条くんに、栞宮先輩が私は無実であると続ける。
ついでに、私は一般人じゃないだろう事も。
助けて貰えたのは有り難いけど、やはり関係者にはなりたくはなかった。
天条くんが視界の端で拳を握り締めながら、妖気を仕舞い、人間の姿に変わるのをぼんやりと見る。
「うちの馬鹿がごめんね、綾部ちゃん」
「雨でなければ、もう少し早く……いや、それは只の言い訳だな、すまない、綾部」
臨戦態勢を解除した天条くんに、栞宮先輩も耳と尻尾を引っ込めると、名残惜しそうに肩から手を離し、私に向き直る。
駆け寄ってきた緋之瀬先輩と共に、栞宮先輩が申し訳なさそうに私に頭を下げてきた。
私は何だか居心地が悪くなって、視線をさ迷わせた。
会長と副会長に頭を下げられても、困るのですが。
何だか、段々私が悪い気はがしてきた
。
「……すまな、かった」
先輩二人が頭を下げる中、唇を噛んだ天条くんが、ぽつりと俯きがちに謝罪の言葉を口にした。
嫌なら、謝らなくてもいいのに。
そう思ったが、先輩二人に頭を下げさせておいて当人だけ謝らない、なんて非常識をされるのは、それはそれで苛つくのでよしとしよう。
「先輩達も、天条くんももういいです。誤解が解けたならそれで」
心持ち柔らかめの声で告げる。
ここで怒ったり、これ以上の事を言えばきっと話は長引く。
ぶっちゃけ、こっちは早く帰りたい。
右腕は痛いし、全身ずぶ濡れだし。
ここは兎に角、早く話を切り上げて、最後の平穏を噛み締めたい。
きっと、明日になれば話は広がり、私は晴れて関係者となるのだろうし。
.
やっと主人公脱傍観者をしたかもしれない話、終了です。
天条くんの印象は悪くなる一方なんだろうな、と思いながら書きました。
そして、今回の王子様の名前が感想でちらりと出ていて、実は驚いていた私なのでした(笑)




