34 裏庭で起きた出来事
ヒロインのターン!
主人公不在でお送りします。
つい昨日──月曜日、放課後の事。
鎮馬が丁度裏庭に隠れて居た頃、満月は一人校内を歩いていた。
目的はただ一つ、鎮馬を探しているのだ。
前に悠里から鎮馬と仲良くなりたいなら、見ているだけではなく、追い掛けると良いと言われた事から、満月は時間を見ては鎮馬に話し掛けに行っていた。
今日は放課後、生徒会の用事もなかったので、一緒に何処か遊びに行かないか誘うつもりであったのだが、早々と鎮馬は姿を消してしまい、今に至るのである。
パタパタパタパタ、と廊下を小走りで駆けながら、擦れ違う生徒に鎮馬を見かけていないか、と問う。
それを数度繰り返した所、それらしい人を裏庭の近くで見かけたとの事。
朗報に満月は、その生徒に満面の笑顔でお礼を告げると、急いで玄関へ向かった。
慌てて靴を履き替え、いざ裏庭へ。
「綾部さーん! 居るー?」
嬉々として名前を呼びながら、鎮馬の姿を探すも、どうにも見あたらない。
もう、何処かへ行ってしまった後だろうか。
尚も辺りを見渡すも、視界に広がるのは人気のない裏庭だけ。
そよそよと流れる風が、木々を揺らし、満月の髪をも弄ぶ。
満月は風に流されるアプリコットの髪を押さえると、しょんぼりと肩を落とした。
今日はもう、無理なのかな。
また、明日……明日、誘おう。
満月は一人、心内で意気込むと校内に戻るべく踵を返した。
その時、
「っん……」
一際激しい突風が吹き抜ける。
髪を舞い上がらせ、スカートの裾を揺らしたそれに、満月は思わず目を瞑った。
そして、風が止んだ頃、そっと目を開けると、ふと、大きな影が自らを差している事に気付く。
──え? 誰……何?
満月は目を瞬かせると、慌てて後ろを振り返った。
「……っ妖、怪」
そこに居たのは、塗れた長い髪を垂らした、上半身は人間の女性体に近く、下半身は蛇で、長い長い尻尾を引き摺る妖怪。
ぎょろ、ぎょろりと血走った目で見据えられ、満月はその場で固まり、身震いした。
…………妖怪、妖怪だ。
逃げなきゃ。逃げなければ。
満月の脳内で警報が鳴る。
逃げろ、逃げろ、逃げろ。
そこは危険だ。それは危険だ。
「ひっ……っっあっくッ?!」
徐々に徐々に後ずさる満月に、不意に妖怪の口が狐を描く。
満月の口からは思わず、小さく悲鳴が零れる。
妖怪は尚もにんまりと笑い、長い長い尻尾を振り、満月を弾き飛ばした。
ばきぃ──鈍い音、外部から走る鋭い衝撃と共に、宙に浮いた身体は学校の壁に叩き付けられる。
咄嗟に手を付くも、身体が固い壁に当たる衝撃が和らぐ事はなく、痛みで一瞬目の前がちかちかと光った。
「げほっ……げほ……っ」
身体が軋み、肺を圧迫する衝撃に、声にならない悲鳴を零す喉は、悲鳴の代わりに咳き込む。
壁に付いた手の皮がずる剥けて痛い。
尻尾に殴打された脇腹も同様に。
満月は壁に寄り掛かりながら、ぺたんと座り込んだ。
「……っっ」
「……あーぁ、あいつの言う通りだ。美味しそう美味しソウ」
「……っ私は、美味しくないッ!」
痛みに耐える様に自らを抱き締める満月を、妖怪はにんまり怪しい笑顔で見下ろしながら、上機嫌そうに言う。
その口からは、蛇独特の二又の舌が出入りしており、より一層不気味な見目であった。
満月は精一杯の虚勢を張る様に、妖怪を力一杯睨み付ける。
けれど、相手はそんなもの意に介さず、またしゅるりと満月に尻尾を振るった。
「っは、ぁ……!!」
「ほらほら、動かないで。私が綺麗に残さず、食べて上げるカラ」
痛む身体を引き摺り、満月が地面を転がる様にして、寸での所で尻尾を躱すと、妖怪はさも可笑しそうに笑みを深め、更に尻尾を振るう。
さながら、鞭のようにしなるそれに、満月の顔が青ざめる。
今の満月に対抗する手立てなどない。
満月には、戦う術も自衛する術もまだ持っていなかったから。
に、逃げなきゃっ……。
満月が慌てて、身体を起こすと、そこに追撃が加えられる。
尻尾は僅かに右の二の腕を打ち付け、鈍い音が響いた。
満月は身体を走る新たな痛みに、唇を噛み締めながら、倒れそうになる身体を持ち堪え、校舎へと駆け出した。
「あらあらあラ、可愛い鼠ちゃぁん。逃げちゃダァメ」
逃げる獲物をなぶるのが楽しくて仕方がないのか、妖怪は尚も上機嫌に笑う。
「……っきゃぁッッ?!!」
妖怪は走り出した満月の背後から素早く尻尾を動かし、足首を掴んで引き倒すと、一気に距離を詰めた。
満月は慌てて上体を起こし、振り返ると、足に絡まる尻尾を外そうと両手で引っ張った。
けれど、尻尾は満月の足首を捕らえて離さない。
目の前に迫る妖怪に、満月は口元を恐怖で引きつらせた。
「……っい、や……嫌っ……私なんて、美味しくないッ……! 食べたら、お腹壊すんだからッ……!!」
「うふふふふ、ああ、甘い甘い匂い。ああ、ああ、お前が巫だったノカ」
必死で嫌々と両手を振り回し、自分は美味しくないんだと訴えるも、聞き入れて貰える訳もなく、妖怪は嬉しそうな声を上げて笑った。
「お前は、私が、骨も残さず食べて上ゲル」
からからから──妖怪が笑う、笑う。
満月の足首を捕らえていた尻尾から始まり、ぐるぐると全身を絡め取る。
「っぃっあ……?!」
まるでとぐろを巻くように、捕らえられた身体が、そのまま一気に強い力で締め上げられる。
──息が出来ない。
ぎしぎしと骨が軋み、全身が悲鳴を上げる。
巻き付いた尻尾が肌に食い込み、真っ赤な痣を作る。
満月は苦痛に顔を歪めると、この拘束から逃れようと必死にもがく。
けれど、巻き付いた尻尾は離れない。
寧ろ、より力を増して絡み付く。
息苦しさと痛みで、視界が霞み、意識が薄れる。
──誰か、助けて……。
「ギイィアァッッ?!!」
つんざくような悲鳴。
次いで、緩む拘束と身体を引っ張り上げられた感覚。
満月の薄れゆく意識が、一気に引き戻され、クリアになる。
「……っっはぁ!! げほ、げほ、げほっ……!!」
肺が奪われた酸素を取り戻す為、多量の空気を吸い込み、思わず噎せ返りながらも、満月は自らを妖怪から助けた人物に視線を向けた。
「!! てん、じょっ……くん?」
「天条だ。うが抜けている。人の名すらまともに呼べなくなったか、この阿呆が」
満月が目を丸くしてその人物、蒼樹の名前を呼ぶと、蒼樹は眉間に皺を寄せ、横抱きにした満月を見下ろす。
どうやら満月は、異変に気が付いて駆け付けた蒼樹により、助け出されたようだ。
裏庭から感じた不穏な妖気に、慌てて駆け付けた蒼樹が目にしたものは、妖怪の尻尾に巻き付かれた満月の姿。
蒼樹は瞬時に動き、満月に攻撃が当たらないよう、満月を縛る妖怪の尻尾を長くした鋭利な爪で裂き、拘束が緩んだ所を、引っ張り出した。
そのまま満月を横抱きにし、妖怪から距離を取り、今に至ると言う訳だ。
「……う、ん、ごめん。ちゃんと、呼べるよ。天条くん、ありがとう」
状況が理解し切れずとも、蒼樹が満月を助けたのは明白。
満月はお礼の言葉と共に力無く笑った。




