31 綾部鎮馬の悪夢
これより、三章目スタートです!
妖怪は悪だ。
全て滅さねばならない。
奴らが存在する限り、我々の存在は脅かされ続ける。
──やめて、ちがう、ちがうの。本当はそんな……。
全部だ。全部。根絶やしにしてしまえ。
奪われる前に、奪ってしまえ。
──いやだ。わたしをぬり替えないで。
わたし、そんなこと思ってないっ。
小さな小部屋に閉じ籠もり、詰め込まれる悪意。
嫌々と首を横に振っても、耳を支配する声が言う。
壊せと、壊せと。
呪えと、呪えと。
殺せと、殺せと。
頭を巡る呪詛が、脳髄にまで浸蝕し、正義と言う名を被った害意を植え付ける。
刻々と刻む時計の音が遠い。
幾度となく繰り返される言葉がわたしの中に溶けていく。
きっと、もう、手遅れだった。
あの頃、わたしの心に芽吹いた憎悪の種は満開に、真っ赤な美しい花を咲かせ、わたしは捕らわれた。
それが正しいと信じて疑わずに、邪を滅する為だけに、剣を振るう。
「はぁっ……!」
私は退魔刀を力いっぱい握り締めると、地面を蹴る。
そして、掛け声と共に切っ先を奴に向けて振り下ろす。
「ああ、弱いなぁ? それでも安倍家の人間?」
にやにやと嫌らしく笑いながら、白髪を揺らして、そいつは難なくひらりひらりと、私の刀を紙一重に避けて行く。
上に、下に、左右に薙ぐも、当たらない斬撃は宙を切るばかりであり、私は苛立ちから、思いきり奥歯を噛んだ。
悔しい、悔しい。
敵に、馬鹿にされるなんて。
こんな奴に、手も足も出ないなんてっ。
こんな、妖怪なんかにっ……!!
「五月蠅い妖怪! 与幸の巫を返しなさい!」
「いやだなぁ、彼女は僕の大切な大切なお嫁様だ。誰にも渡さないよ?」
「っ戯れ言を! お前のような妖怪に、巫を渡す訳にはいかないの……!」
与幸の巫の力を妖怪が取り込んでしまったら、大変な事になる。
それは、死んでも避けなければならない事象だ。
負けられない。勝たなければ。
私は、安倍晴明様の先祖還りなのだから。
酷く息を切らせる私に対し、飄々と私の攻撃を躱すそいつは、ニヒルに笑んだまま、息も乱れず、汗もかかず、余裕綽綽。
ああ、憎たらしい。
奪う事しかしない、この蛇の化生が。
「ああ、本当……弱い犬程よく吠える」
まるで地を這う虫でも見下ろしている様な目に、響くのは蔑み。
私は唇を噛み締めながら、再び刀の柄を血が滲む程に強く強く握り込む。
私は、弱くなんてない。
ずっと、戦ってきたんだから。
私は、私はっ……!!
私はきっ、とそいつを睨み付けながら、言を紡ぐ。
「……纏え、纏え。虚空を舞いて、彼方より早く、駆けよ! 風刃!」
構えた退魔刀の刃が風を纏う。
私はもう一度、地面を蹴った。
そいつに向かい横薙ぎに刀を振るうと、そいつは後ろに飛び退いて私の剣撃を躱す。
風の力で速度の上がった切っ先が、刀の纏う風の刃が、僅かにそいつの腕を掠めた。
少量、付着した赤い血を払う様に刀を下に振ると、追撃を開始する。
一気に距離を詰め、力の限り刀を振り下ろす。
「……?!」
「水衣。君さぁ、霊力消耗し過ぎ。そんな空っぽの状態でどうして僕に勝てるなんて思ったかなぁ?」
今の、疲弊した身体の有りっ丈の霊力を込めて振るった一撃は、あっさりと止められた。
私は静かに目を見開く。
届かないっ……!
澄んだ色の水がさらさらと空中を流れると、羽衣の様にそいつの身体に纏われ、腕の動きに合わせて、私の振るった刀を絡め取り、そして──止めたのだ。
思わず刀から手が離れそうになり、はっと再び握り込んで引っ張るが、捕らえられた刀はぴくりとも動かない。
空中に固定された刀と、冷めた目のそいつを私は交互に見遣り、顔をしかめた。
「ねぇ、もう君には飽きた」
私の刀は捕らえたまま、自らの腕を滴る血を舐め取ると、そいつは目を細めてそう言い放った。
瞬間、ぶわり──今まで抑え込んでいただろう妖気が一気に膨れ上がり、私を押し潰そうとする。
身体の底から凍り付かせるような、重い妖気だ。
駄目、駄目だよ。
私は勝たなきゃいけない。
負けたら、奪われてしまうっ。
殺されて、しまう。
私も……皆も……っ。
「さよなら?」
ああ、嫌だ。
私はこのまま、負けるのか。
そいつが私を嘲るように笑うと、刀ごと身体を引かれる。
それと同時に、私の身体を鋭利な何かが刺し貫いた。
人の身体を貫ける程、水の羽衣は鋭利だったのか。
水の拘束から解かれた刀が手から零れ落ち、からんっと乾いた音を立てて転がる。
じわじわと熱を帯びる腹部が、真っ赤な液体で濡れていく。
段々と広がる赤が、制服を汚す感覚はとても気持ち悪い。
きっと、この黒いYシャツなら赤いシミは目立たないんだろうな、なんて現実逃避じみた言葉が思い浮かぶ。
私は死ぬのだろうか、こんな簡単に。
エンドルフィン、ドーパミン、脳内麻薬の分泌が激しいのか、痛みは余り感じない。
何処か、感覚が遠くて、夢を見ているようだ。
地面にへたり込み、両手で腹部を押さえる。
けれど、溢れ出す赤い鮮血はその程度では止められない。
両手の平も、Yシャツも、地面も、徐々に私の血で真っ赤に染まる。
目が霞んで、身体から力が抜けていく。
もう、私を保てない……。
「綾部さんッ……!!!」
「くすくす……ごめんね、お嫁様? 僕と君にとって邪魔みたいだったから殺しちゃった」
切羽詰まったような、私を呼ぶ北條さんの声と、悪怯れもなく無邪気に笑う蛇の声を最後に、私の意識は闇の中に沈んだ。
私、負けてしまったの。
私じゃ、与幸の巫を……北條さんを助けられなかった。
────ごめんなさい。
◆
「綾部さん……!!!」
名前を呼ばれた事により、飛び起きる。
目を開けて最初に飛び込んできたのは、心配そうな安泉さんの顔。
「……っは、あ……?!!」
っあれは、夢……?
私は慌てて、自らの腹部を押さえる。
濡れてない。赤くない。痛くない。
傷口は、ない。
私はホッと息を付くと、多量の冷や汗で濡れた前髪をかき分けた。
「大丈夫? 魘されてた、けど……」
心配そうな安泉さんの顔。
私は小さく頷くと、平気だと短く告げて力なく笑った。
そうか、あれは……夢か。嫌な、夢だ。
あれは、本来の……ゲームの綾部鎮馬。
多分、あれは来月、六月に起こるゲームイベントの光景だ。
あ、はは……死亡フラグだ、死亡フラグ。
一番始めの死亡フラグ。
来月のイベントで、綾部鎮馬は浚われたヒロインを助けに行くのだが、体調不良と連戦が重なり、返り討ちに合って殺される。
この死亡ルートは、ヒロインが綾部鎮馬の好感度を著しく下げた結果だ。
綾部鎮馬は悪役ではあるが、友情エンドがあるだけあり、好感度がある。
それが、一定ラインをキープしていれば回避できるのだけれど……現実に目に見える好感度がない訳だから、判断できない。
多分、私の意識からして好感度は普通かとは思うが……まあ、これに関しては私が北條さんを助けに行くのが大前提の死亡フラグな訳だから、要は助けに行かなければいい。
どうせ、私じゃ助けられないし、相手方に北條さんを殺す意思なんてなかった筈だから、攻略対象が助けるのを黙って静観していればいいじゃないか。
うん、それで問題可決だ。
後は現場に居合わせたりしなければいい。
けど、現実では私が動かない事がどう影響するかは分からないから、やはり、来月は今月以上に気を付けなければ……。
「あ、あの……」
「? 安泉さん?」
「言い難いんだけどね……」
頼りなさ気に私を見つめる安泉さんが、おずおずと口を開くのに、死亡フラグと夢について思考していた私は首を傾げた。
えっと、言い難い事って……?
「……綾部さん、もう学校始まっちゃう」
眉をハの字にして、安泉さんが泣きそうな声で絞り出した言葉に、私は脳内フリーズを起こした。
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