27 ある吸血鬼の心配
会長のターン!
ちょっと不憫なような、暴走しているような、そんな感じです。
「……ん、んぅ」
……こそばゆい。
さわさわと、首筋から肩に掛けて撫でられているような感触がする。
誰だ、私の安眠を妨害するのは。
まだ眠い。もう少し、寝かせて。
小さく身動ぎをする。
それでも、手は離れていかない。
ああ、もう、誰だ。
「…………っ」
目を開く。見知った濃紺の瞳とかち合う。
私は目を見開き、信じられないものを見るような目でその人を凝視した。
暫しの痛い沈黙の後、その人がゆっくりと口を開く。
「……起きたか」
寝起きの耳に静かに入ってくる低音に、ぶるりと身震いした。
……えーっと、誰かこの状況を説明できる方はいらっしゃいますでしょうかっ……?
頭を困惑させながら、視線をさ迷わせる。
何で会長がここに……?
「どうした。まだ具合が悪いのか?」
気遣わしげに見つめられ、慌ててぶんぶんと頭を振る。
先輩には聞きたい事が、山ほどある。
何故、ここに居るのか。何故、こんな状況なのか。
けれど、驚愕の余り私の口は酸欠の魚の様にぱくぱくと動くだけで、一向に音を生み出さない。
寝起きドッキリなんてやめて。
心臓が保たないし、自分で言うのも何だが、私は寝起き悪いんだから。
「……なら、傷が痛むのか」
私の眠るベッドに腰掛けていた緋之瀬先輩が、起きた当初から私の肩に添えていた腕を動かす。
つー、とYシャツの上から包帯に覆われた傷口を、その美しくしなやかな指がなぞる。
唐突な展開に身を固くして更に緋之瀬先輩を凝視した。
せ、セクハラッ……?!!
「何、するんですかっ……」
「まだ、血の香りが残っている。怪我を、したんだろう?」
「……だとしたら何ですか。別に、会長に心配して貰う程私は柔でもなければ、会長と仲良くもない筈ですが?」
はっ、として傷口に触れる手を振り払うと、上体を起こし、緋之瀬先輩を訝しげに見つめながら、ぎりぎりまで後ずさり縮こまる。
緋之瀬先輩は宙に浮いたままの手を下ろすと、目を細めて言う。
血の香りとか、言うな吸血鬼め!
私は至って冷静に、冷淡に言い放つ。
だから、私、緋之瀬先輩の事苦手なんですってば。
多分、私の怪我に反応して来たんでしょうが……もし、仮に本当に心配されていたとしても、冷たくしか出来ませんから!
ゲームでは私、貴方に襲われるんですよ?
血吸われるし、蹴られるし、腕折られたりもするんですからね?
無理ですよ? 優しくなんて出来ませんからね?
おまけに寝起きは悪いんですから。
「……だとしても、俺はお前が心配だ」
「……会長として、ですか?」
私のその言葉に、会長は僅かに顔を歪めた後、「あぁ」と素っ気ない返事と共に頷いた。
「会長だからって、私の心配までする必要ないですよ。全然、ほっといて頂いて構いません」
「やはり、悠里が言っていたのは本当か。お前は俺達を避けているんだな」
「……何の事でしょう」
会長が真っ直ぐに私を見つめる。
私はただ、言葉の意味を理解できない風にとぼけた。
一応、篠之雨先生の時以来露骨に避けないよう注意はしてきた。
自覚はないけれど、まだ、やっぱり、端から見ると避けている様に見えるのだろうか。
それとも、私が緋之瀬先輩や栞宮先輩に対する態度を避けていると?
はぁ、栞宮先輩、何余計な事を緋之瀬先輩に吹き込んでるんですか。
「理由は何だ? 俺達は、お前の気に障る事をしたのか?」
現段階で、気に障る事をされた覚えはない。
ただ、死亡フラグを回避するには一般人でなくてはならない。
シナリオに関わってしまえば、きっと否が応でも死亡フラグは付き纏う。
それに、安倍家だとバレたら私は確実に緋之瀬先輩と敵対するだろう。
だから、避ける。
別に緋之瀬先輩が何かした訳じゃないけど、私は関わりたくないんだから仕方ない。
私に関わったって何の得もないんだから、どうぞ構うなら美少女の北條さんを構って好感度上げて下さいよ、会長。
「別にそんなんじゃないです。ただ、顔のいい男と関わると禄な事がないと本能が告げているだけです」
きっぱりと告げる。
今言った言葉は、強ち間違いでもない。
現に、ゲームで北條さんは生徒会に関わった事により、苛めイベントと言うものが発生する訳だし。
「……綾部」
急に真剣に名前を呼ばれると、いつの間にやら目の前に迫った緋之瀬先輩に両頬を少し冷たい両手で包まれる。
顔がゆっくりと近付いてきて、私はぎょっとしながら見つめた。
その目が徐々に赤く染まり、瞳孔が、細く鋭く……え、また魔眼ッ?
はっ、として私は慌てて目を瞑ると、緋之瀬先輩の胸板を両手で押しながら、取り繕うように声を上げた。
「ち、近いですッ……先輩!」
「……俺の目を、見ろ。綾部」
「……~っっ?!!」
耳元でそっと、低く甘くいい声で囁かれる。
ああ、何これ。やめて、耳レイプもいい所だ。
全身をぞくぞくとした感覚が走る。
急激に頬に熱が集まる気がした。
緋之瀬先輩、苦手、なの。
無駄にイケメンフェイスぶら下げて、いい声で囁かないでっ……。
「……っやめい!」
緋之瀬先輩の愚行に我慢がままならなかった私は、胴体を狙って思い切り斜め上に足を振り抜く。
「!!」
緋之瀬先輩が驚いて飛び退く。
蹴り損ねた足が、先程まで緋之瀬先輩が居た位置で止まり、私は慌てて足を下ろす。
……私、スカートだ。
いや、大丈夫、スパッツは履いている。
て、そうじゃない!
ああ、もう、何してるんだ。
普通女子は蹴りなんてしないよ……。
「……足癖が悪いな」
「か、会長こそセクハラです! 訴えますよっ?」
数度、驚いた様に瞬きを繰り返した後、緋之瀬先輩がぽつりと呟かれた言葉に反応し、私は自分が悪くない事を主張する。
「……緋之瀬怜也君。わたしの保健室で、何をやっているの」
灰色の瞳、少し色素の薄いセミロングの黒髪を緩く横で揺った前髪の長い女性──この保健室の主たる女医、天星院緋紗良が音もなく現れる。
突然の登場に、私は大袈裟に肩を跳ね上げた。
心臓止まる……!
そんな、気配無く現れないで下さい。
「! 緋紗良」
「……先生、よ」
驚いた様に緋之瀬先輩が名前を呼び捨てるのに、緋紗良先生が目を細めると、冷たく訂正する。
……部屋の温度が二三度下がった気がするのは私だけだろうか。
「盛るなら余所でしなさい。ここはわたしの領域よ」
底冷えするような声音と鋭い視線が緋之瀬先輩に注がれる。
私は二人を交互に見遣りながら、襲い来る悪寒に身体を震わせた。
天星院緋紗良、逢魔ヶ時学園保険医にして、天星院家長女であり、次期十四代目当主。
天星院に仇なすものは情け容赦なく潰す、残酷無比な美女。
余り感情を表に出さず、さらりと毒を吐く。
ゲーム内では、ヒロインを守護するが、天星院家に害がある様ならさっさと秘密裏に始末してしまおう、と考えていた恐ろしい人物。
ファンからは姉様と呼ばれている。
綾部鎮馬とも敵対するが、攻略対象と戦闘描写が描かれる事もしばしば。
一度力押しで、綾部鎮馬を負かした経験もある。が、私は別に嫌いじゃない。
まあ、関わりたい人物ではないが。
「ああ、分かってる。俺を何処ぞの狼のように言わないでくれ」
「わたしに取っては、どちらも大差ない様に感じるけれど」
苦い顔で言う緋之瀬先輩に、緋紗良先生はまたも冷たく言い放つ。
……緋之瀬先輩、狼ってもしかしなくても、新垣先輩の事ですか。
「ほら、体調が悪くないならさっさと出て行きなさい」
微妙な面持ちで、私と緋紗良先生を交互に見遣る緋之瀬先輩を、問答無用で緋紗良先生が保健室から追い出す。
私はその光景をただ黙って見ていた。
……何だったんだろうか。
不在だった保険医が帰って参りました。
因みに、初期の女医はロリでした。
が、いつの間にか恐ろしい美女に……。




