23 保健室にて
「……ん、んぅ」
柔らかい、感触。
うっすらと薬品の 匂いがする。
私は身動ぎすると、ゆっくり目を開けた。
ああ、何だろう。知らない天井だ。真っ白い天井。
ここは、何処だ……? これは、どういう……?
私は訳も分からぬまま、自分が寝かされていたらしい、これまた真っ白なベットから上体を起こす。
ここは、保健室……?
「遅い」
真横から声が掛かる。
聞いた事のある低い声だ。
私は緩慢な動作で声のした方へ顔を向ける。
あれ、この人……?
視界に映ったのは、細められた鋭い三白眼と、不機嫌そうな見知った顔。
私は無言でじっと見つめた。
「……」
「いつまで待たせる気だ。もう下校時間はとっくに過ぎている。……おい、聞いているのか? 何寝ぼけてやがる」
彼の眉間に皺が寄り、ぎろりと睨み付けられる。
「……っひ、きゃぁあっ、んむぅごッッ?!!」
一瞬、頭の中が真っ白になった後に、一気に意識が覚醒する。
な、な、な、な、なっっ……!!
あまりの驚愕に悲鳴を上げる。
が、それは目の前の人物に素早く阻止された。
私は上半身を押さえ込まれ、片手で口を塞がれる。
な、何で八神先輩がっ……?!
「騒ぐな」
「……ん、んぅー」
耳元で低く静かに一言告げられる。
私は何とか頷いて、口を塞ぐ八神先輩の手をぺちぺちと叩いた。
そんな力いっぱい押さえつけないで! 窒息しますから!
「……っふぁ!」
意図が通じたのか、口から手が離され、解放される。
私は消えた圧迫感に、思い切り空気を吸い込んだ。
「せ、先輩……これは、一体どういう……?」
「……てめぇが勝手に気絶しやがったから保健室に運んでやったんだろうが」
困惑の表情で問う私に、八神先輩が組んでいた足を組み替えながら言う。
わぁお、私はあの八神理皇先輩に運んで貰っちゃったんだー。
そっかそっか……っ有り得ない……!
誰かに見られてたら、私女子に暗殺されるじゃないっ……!
「そ、それは、お手数お掛けしまして……ありがとうございます……」
取り敢えず、運んで貰った訳なので、私は八神先輩にお礼を言っておく。
例え怪しさ満点で、疑われてるから、捕捉されただけだったとしても。
一応、助けて貰った訳なので。
「……で? 綾部鎮馬、お前は何を見た。何故、あそこで新垣紅弥に襲われていた」
「あの、先輩。言っている意味があまり、よく……」
「あぁ? 分からないだなんて言わせると思うのか」
「いえ、あの……だって、覚えてないんですよ、私。意識が飛ぶ前まで、何していたのか」
唐突に八神先輩により話が切り替わる。
やっぱり、突っ込んできた。
そりゃあそうか、あの時……新垣先輩は人狼化してた訳だから。
私がもし一般人だったとしても、目撃した時点で対処しなければならない。
私は気絶していた事を利用し、新垣先輩に襲われた事を覚えていない事にした。
「何処からだ。何処から覚えていない」
「……新垣先輩と会っていて、何かされた。と言う事しか覚えていません」
不機嫌そうな八神先輩に、俯きがちに告げる。
覚えていない。何て、苦しい言い訳だ。
別に私は頭部に外傷など受けていないのだから尚更。
精神的ショック、て言うのもちょっと……。
多分、信じては貰えない。
けど、真実を話す気はない。
気絶したと同時に、緩やかに消えたであろう隠蔽系の術は恐らく八神先輩には気付かれていないだろう。
何かが可笑しい、と言う事までは気付いても一体何が可笑しいのか、何の術が掛かっているのか、はたまた術が掛かっているのかさえも、恐らく分かっていない。
篠之雨先生や八神先輩がどれだけ強い霊力を有しているかは分からないけど、決定的証拠を、私はまだ押さえられていないから。
なら、まだ、言い逃れできる筈。そう信じたいです、切実に。
こっちは命掛かってるんで……!
「略覚えていない、か。……随分と都合のいい頭だな」
「ぅわっ……?!」
ぽむ、と不意に頭に手を置かれたかと思うと、そのままゆらゆらと左右に振られる。
揺らされる頭に、私は小さく悲鳴を上げた。
え、ちょ、頭揺らさないで下さっ……の、脳味噌揺れっ……!
「……次はないと思えよ」
「え……あ、はい?」
揺さぶり攻撃を終了し、八神先輩が忠告するように言う。
えーと、それは……今回は見逃してくれる的な事でしょうか、八神先輩?
次、何かあったら証拠掴んで追い詰めてやる、的な……怖っ……?!!
「平気なら、もう行くぞ」
「……えっと?」
「送ってやる」
「な、何故、ですか……?」
ちょっと意味が理解できないんですが、八神先輩。
貴方、怪我人とは言え歩ける相手を送る程、世話焼きな人じゃないでしょう。
確かに下校時間は過ぎていて、外ももう暗いので普通の人なら社交辞令で送ろうか、の一言もあるでしょうが……だって、貴方はあの八神先輩じゃないですか。
やっぱり、何かあるんですか。
疑ってるんでしょう。あわよくば証拠を、て事ですか。
尻尾なんて掴ませません……!
「何故も何もあるか、俺が送ってやると言ってるんだ、お前は大人しくはいと頷いておけ、鎮馬」
「……っな、意味分か……っつぁ……?!!」
八神先輩がまた私の頭に手を置くと、ずい、と顔を近付けられる。
私は慌てて八神先輩から逃れようと、思い切り八神先輩の身体を押す。
その時、怪我をしているのを忘れていた私は、運悪く左腕まで使ってしまい、そこからびりりと痛みが走った。
「何してやがる」
「……っ~!!」
「……鈍臭ぇな」
咄嗟に傷口を押さえると、左腕から響く鋭い痛みに一人悶絶する。
八神先輩から呆れたような視線を貰うが今は気にしていられない。
凄い、痛い。
首元に近かったせいだろうか……?
じっとしていると、徐々に痛みが和らいできて、私はほっと息を吐き出した。
そこで、はたと気が付く。
これって……、
「……手当て、してくれたんですか」
「あぁ? 保険医が居なかったからな」
やっぱりか……!
目が覚めてから保険の先生の姿が見えなかったから、まさかと思ったら、マジですか。
左肩から胸に掛けて、ぐるぐると巻かれている包帯に、顔が引き吊る。
いや、確かに、人狼に噛まれた人間は新たな人狼になる可能性があるので、早く適切な処置─傷の手当て及び、聖水を用いてのお浄め─しないといけないのは分かりますが……貴方は男なんですから、保険の先生呼びに行くなりしてくださいよ……!
「…………見ました、よね」
「何がだ」
私が言い辛そうに口にした言葉は、八神先輩に上手く伝わらずに、眉間に皺を寄せられた。
ああ、羞恥に顔を染めればいいのか、怒りに顔を真っ赤にすればいいのか、見られたショックで顔を青くすればいいのか……。
「い、いえ、何でもないです」
直球で「下着、見ました?」なんて事が聞ける訳もなく、かと言って遠回しに聞く言葉も咄嗟に思い付かず、私は無かった事にして、首を横に振った。
や、八神先輩は親切で治療してくれただけ……下心なんて微塵もないんだから、大丈夫、忘れよう。
無かった事にすれば、私の……下着、なんて忘れてくれるに違いない。
思い込みは大事、うん。
これにて、ひとまず八神先輩のターン終了です。
割りと出番が多くなって、書いてる私がびっくり。
保健室での会話が割と長く……本当はこの話の中で、安泉さんも出てくる筈が、次回に持ち越しです。




