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りいんかぁねぇしょん ~あまり甘くない転生物語~  作者: 葵尋人
二幕 命の大河と大和撫子
9/9

遺書

 我が師よ。


 思えば私が貴女に手紙を送るのはこれが初めてですね。

 喧嘩別れをして今まで禄な連絡をせず、誠に申し訳ありませんでした。

 

 

 けれど、師よ。

 私は貴女が嫌いで、あのような別れを選んだのではありません。

 お慕いしていました。厳しくも暖かい、貴女の優しさに感謝もしておりました。

 だから、だからこそあのような形になってしまったのです。

 私は弱い女です。どうしようもない甘ったれです。

 ああでもしないと、貴女の優しさを振り切ることは適わなかったのです。

 

 私には夢がありました。

 手折られかけた一輪華を、根こそぎされかけた撫子を、悪鬼が如き暴力と、魑魅魍魎の怖れとを以って、彼の者らへと迫る魔の手から救い出すこと。

 あの日、硝煙と流血によって私を救い出した貴女のように。

 鬼神になりたかった。物ノ怪でありたかった。脅威とあらば其の御声によって天子にすらも災いを成す、鵺に憧れを抱いたのです。

 只、撫子の華でなく、それを枯らす雑草を侵食する、撫子の華という名の怪物を、目指して私は貴女の元から去ったのです。

 

 これから書きしたためていくのは、その後の話。

 自分の元を身勝手に去っていた弟子の思い出話ですから、ここからはご覧にならなくても結構です。

 焼いてしまっても構いません。

 ただ、私の自己満足に過ぎないのですから。

 

 あの喧嘩の後です。私はその足で東京府の方を目指して歩きました。当てなどありません。ただ、賑やかな所ならば、私が怪物となれ、そんな私こそが必要とされる場所があるに違いないという考えからです。私という奴はどうしようもない女で、決意や決心は大見得張って口に出来ますし行動も出来ますが、それに何の根拠もなく行き当たりばったりなのです。

 貴女から奪った一八四八以外は何も持たず、京都から山道を通ってそこを目指したものですから、当然、道中、いや東京に着いたその後も、幾度となく野垂れかけました。泥水で渇きを潤し、狗や(かわず)の肉で飢えを凌ぐ毎日。時には芥虫を茹でてそれを食らうこともありました。

 そのような馬鹿が祟り、私は畜生さながらの暮らしを一年も続け、そして漸く、何をすべきなのか、何処に行くべきなのか、私は答えを得ることが叶いました。

 齢十八頃かそれくらいの、さえという名の娘でした。東京の下町の遊郭で働く娘で、とても無礼でした。私を毛唐のおねいさんなどと呼んだのです。自分自身が大和撫子であることを何度説明しても大笑いを上げるのです。

 けれど、優しい娘でした。

 自分も明日生きることにすら困る癖に、私に掛蕎麦を奢り、食っている私の顔を覗いては、微笑みを浮かべるのです。

 優しい娘でした。本当に。

 けれど、この世というのは酷なもので、こんな私にさえ無償の愛を下さる娘がいとも容易く(むくろ)と成り果ててしまいます。

 肌が痛くなるような北風が吹きつける冬の日でした。客だった男に迫られ、それを断ったらば殺されたそうです。私がその場にたまたま現れた頃には、既にさえちゃんは空しくなっていて、男がただ一人そこに立っていただけでした。

 その男は、私が銃を突きつけ何をしたかと訊ねると、前述のとおりのことをしたと答えました。

 逆鱗に触れるという言葉がありますが、まさしくそれでございます。

 西欧では龍などと御大層な俗称が付いている一八四八は、男をするりと殺めました。

 そして、さえちゃんの死が私の行くべき道を決定付けました。

 今まさに風に煽られ圧し折れようとしているならば、それに向かって手を差し伸べたい。そう考え私はこの世の地獄に足を踏み入れることにしました。

 阿片を売る人間がいる場所、人の身を売るような場所、他人様の人生を蹂躙し、感慨もなく人を殺める輩ばかりがいる場所。そのような所で、明日の生すらも分からぬ女の為に。

 貴女が褒めて下さった、砲術の腕を振るおうと思いました。

 貴女の一八四八、そして私がこの身を売って買った一八七七とを携え私はその地へと、東京府の地獄へと赴きました。

 耶蘇は求め、探し、門を叩けば、与えられ、見つかり、開かれると申したそうでありますが、地獄では適わぬことです。

 地獄に生ける女子共は、求める声が枯れています。探す気力が尽きています。門を叩く力なぞ、とうの昔に失せています。

 地獄に生きる男共は余計に始末がおけません。もし求める声を命の限りを尽くし振り絞っても、奴らは耳をば塞ぎます。探しているものを奪っては高笑いをして、別のものを搾取していきます。門を叩くその手を平気で踏み潰します。

 守るべき親や、子供や、女の為と、仕方なしにそこにいる、一歩間違えばこの私が惚れかねないような立派な男もいるにはいるのですが、どうにも地獄というのは蛆にも劣る男の方が多いのです。

 ですから、私はそこにおいて銃を振るうことにしました。

 求める声が届かないなら、銃口を向け脅し取り、私が与えてやれば良いのです。探し物は私が探し、今こそ奪われんとしているならば、撃ち殺してでも奪い返せば良いのです。門を叩く代わりに、弾丸にて門を破壊すれば良いのです。

 そうするのが私の道だと答えを得ると私は、望んでいた化物の姿に、そこなら許される化物に漸くなれました。

 それからの私は、きっとこの現世において最も幸せな者であったことでしょう。

 命がけの毎日の中で幾度となく聞いた爆音は、とても心地の良いものでした。砕ける骨と、突き破れる肉の音には絶頂すら覚えました。断末魔を聞くのも、好きでした。

 何度も降った血の雨は、きっと極楽浄土に咲き誇るどのような色より綺麗だったでしょう。

 この体に染み付いて取れなくなってしまった硝煙と煙草の香りは、嗅いでいると安心します。

 何より信念を持ち、いつ自分が死ぬか分からぬ中で、人を傷つけ殺めるのは、貴女の言う通り言いようもなく楽しかったのです。

 そして、その先に待つ、私が助けた人間の有難うの言葉は、この世の何より嬉しかったのです。私が何とか見つけたまともな職場で、浮き浮きと働くその様はとてもとても、この世の物とは思えないくらい光輝いて見えたのです。

 私は、間違いなく幸せだったのです。



 けれど、その幸せも長くは続いてくれませんでした。

 師よ、この手紙を書いたのは全てこれが原因です。

 私は、労咳にかかってしまったのです。

 仏陀も耶蘇も在ったものじゃあない。巫山戯るな。どうしてこんなに幸せな私が死ななければならないのですか。

 まだ、私が手を伸ばすことの出来る撫子の華は幾らでもあるのに。まだ戦える場所は、阿頼耶や那由他で足りるような数ではない筈なのに。

 せめて、誰か、貴女が言うようなこの日本を担うであろう大和撫子の素養を持つ彼女らを救って死にとうございます。出来ることなら誇り高く戦って、頭に弾丸を食らって、腹を仕込み杖で切られて、或いは敵の手にかかって、陵辱を受け、拷問をされ、そして無惨に殺されて、けれど笑いながら死にとうございます。

 だのに、この死病を抱えた体は最早立ち上がることも出来ないのです。いえ、一八七七の引き金を引くことも適わないのです。あれは、引き金がとても固いのです。貴女を真似て、一年ほど前に買ったスペンサーを抱えて走ることなど今となっては到底不可能です。こうして、書いている文字も果たして貴女に見えるようになっているのかそれも微妙なのです。

 私は、無念でなりません。

 この私が、たかが労咳で死ぬのは耐え難いです。


 それに、心残りはまだあります。

 実は私は貴女に憧れていたのと同時に羨んでもいました。

 何せ、心から愛する男性がいて、その人を呼び捨てることが出来たのですから。

 巷では、夫を大声で呼び捨てる貴女のような人を悪妻と言うそうですが、けれど私はそれこそ正しく夫婦(めおと)のあるべき姿に思われるのです。

 妻に自分の名を呼び捨てられ、苦笑しつつもそれにしかと答える夫。とても素晴らしいと私は思っていました。

 一等貴方を好いておりますと言えるような人と巡り会いたかったです。その人と夫婦(めおと)になって、その名を呼び捨てたかったです。

 けれど、それは叶いません。

 私には最早時間は残されていないのですから。

 というよりも、です。そのような時間があってそのような力がこの体に一厘でもあるというのならば、こうして手紙など書かず、貴女に直接会いに行っております。 

 

 今生の別れなのですから。


 けれど、師よ。私は死にとうありません。

 別に地獄に落ちるのは怖くないのです。きっと地獄の劫火とは涼しげであって、閻魔というのは聖母に似ていて優しげなのでしょうから。

 長生きにも興味はありません。人間五十年と申しますが、私にとってはそれはあまりに長すぎる気がしてならないです。

 ただ、今死にとうないのです。私の死が何も生み出さないのが嫌なのです。誰にも看取られずに逝くのが耐え難いのです。

 だからと言って私の元に駆けつけようなどとは考えないで下さい。貴女が着く頃には、私はこの世にいないのですから。

 同情は不要です。師、いいえ、先生と最後にあの頃のように呼ばせて下さい。

 同情は不要でございます、先生。

 

 さようなら、先生。

 大和撫子らしからぬ、未練がましい最期で本当に申し訳ございませんでした。

 もう一度、先生さようなら。

 私は、悔しくて、悔しくて、そして悔しくてなりません。

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