第六話 遊戯の始まり
「目的を果たしたんだね! おめでとう、空太くん!」
非常に柔らかな笑みで神様は僕を祝福した。
「有難う、神様」
それに対し、僕は感謝の言葉を述べる。
「しかし、酷い有様だねぇこりゃぁ……」
神は血と肉の赤色で染まったこの場の景色を見て、ワザとらしく、口を手で覆って、苦い表情を作り、三戸部の死体の傍による。
「お肉屋さんに卸すんじゃねぇんだからさぁ。ここまでしなくてもいいでしょうがよ」
「何を仰る。こんな肉、蛆虫の餌にすらなりはしませんよ」
僕が返した言葉を聞くと、神は耳元まで口が裂けそうなほどの笑みを浮かべる。
「それに、こんなことをされる、此奴等が悪いんですから」
そして、三戸部の切開された腹を探り、そこから適当に肉を千切りそれを口に入れ、まるでガムのようにくちゃくちゃと音を立て、咀嚼しながら、
「んで、空太くん。復讐をした気分はどうよ?」
と、僕に訊ねた。
まず煙草を一服し、僕は迫る火種を見つめる。
相変わらず、RUCKY STRIKEは美味いが、減りが速いと、僕は幾許か苛立ちつつ、それを吐き捨てつつ、
「鬼畜外道の叫喚を聞くのは――悪くない。その悲鳴で僕も涼も恐らくきっと救われた」
神に対して、そう言葉を返した。
「『復讐なんぞに意味はない』と、そんな馬鹿げたことを説く小説が若しあったとして、僕はそれを書いた人物に真っ向から反論するだろう。彼等の所為で少し腹立たしさを覚えもしたが、意味は無くはない。何せ死ぬべき人間が然るべきようにして死んだのだから」
そして、僕はさらにこう言葉を続ける。
「それに、そこそこ楽しかったしね」
と。
神は、立ち上がり、僕の方へ寄ると、
「はッははッ!! 良い狂いっぷりだぜ!! 空太くんよォ!!」
嬉々として、僕の肩を豪快に叩いた。
「あん? どうしたんだい? その不愉快そうな顔は?」
どうやら、僕はそんな表情になっていたらしい。
――普通の感覚だろう。狂っていると言われて気分が良くなる人間がいたらそれこそただの気狂いだ。
「人を気狂いみたいに言わないで下さいよ」
「キチガイだろ、確実に」
僕は、深い嘆息を漏らした。
意外にも、神というものは広辞苑に載っている言葉の意味すら把握出来ていないらしい。
「僕は正常ですよ、全くもって」
「それをどこの誰が証明してくれるんだよ?」
僕は殊更な溜息をし、
「涼が証明してくれます」
と、僕にとっては至極当然の回答をした。
「二十七の天の何処かなのか、はたまた百三十六の地獄の何れかなのか、皆目見当も付かないけれど。兎に角死んでこの世ではない所にいる僕が愛し、僕を愛した人が、僕の正気を保証してくれます」
そう僕は自信を持って言ってのけた。
神は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、そして――。
「ギッヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ!!」
笑った。
腹を抱えて、崩れ落ち、呼吸すら難しいくらいに、盛大に笑った。
「ヒッヒヒヒ……ッ! まったく、面白いことを言うなぁ、君は」
僕は、ジョークを言ったつもりはないのだが。
何故神が笑っているのか、僕にはまるで理解が出来ない。
「けど、きっと多分、そうまで言い切れるほどに君は涼ちゃんが好きだった。そうまで言い切れるほどに君を涼ちゃんは好きだった。そういうことなんだろうね」
「……何が言いたい?」
僕がそう問うと、神は含み笑いを上げ、
「戻って来る。君の元に、涼ちゃんが」
と、唐突に言った。
――聞き間違いだと思った。きっと僕の勘違いだと思った。
「たとえ、天国の向こう側であろうとも、もしも、地獄よりも底であろうとも。この世に呪詛を吐きながら彷徨い続ける亡霊であっても、最早別の時空の別の人間であっても。僕が必ず連れ戻す。君の知る天野涼を連れ帰す」
――そんなに嬉しいことが、あって良い物か。これほど幸せなことがあるものなのか。
僕はその言葉に、歓喜し震えていた。
「出来るのか!? 本当に!? そんなことが可能なのか!?」
掴みかかりそうなほどの勢いで、僕は神を問い詰める。
「息を吸うように奇跡を行う。それが、神様だ」
彼は断言してみせた。
「それに、あの日死んだ筈の君が、今ここにいて生きているだろう?」
神の自信に満ちたその言葉が嬉しかった。
そして、僕の顔はきっとこの時、これまでの人生で最も綻んでいたに違いない。
「けれど、条件がある」
「条件?」
その喜びの中に不意に降り注いだ言葉に、僕は思わず聞き返した。
一体どんな条件なのかと。今更僕に何を求めるのかと。
「遊戯に参加するんだ、僕の主催した遊戯に」
まるで無邪気な子供のような言葉だったが、背筋に百足が幾百も這い回るかのような薄気味の悪さが篭っていた。
「それは一体……」
「転生し新たな生を得た者――『|転生者《reincarnater》』が五百人集っての殺し合いさ」
大悪党とはいえ最早四人も、しかも笑って殺している癖に、僕は殺し合いという言葉に反応していた。
一体、僕は今どんな顔をしただろう?
神は途轍もなく厭らしくほくそ笑んでいた。
「君とは違い別の世界で新たな人生を歩みその世界で英雄になった者。過去にこの世界の英雄であってこのゲームの為に僕が蘇らせた者。そもそもこの世界の人間ですらない者。騎士様、勇者様、魔法使い、超能力者、侍、殺人鬼。五百人五百様の転生者が戦うんだ」
まさしく……子供。
自分も経験がある。小学生の時、自分が『RPGツクール』で作ったゲームを天仁達にしたり顔で見せたことが。
きっと、それと同じだ。
子供の自我そのものだ。
「楽しいぞぉ。人間賛歌も血みどろも一切合切ごちゃ混ぜになって、誇りも狂気も糞もなくなるんだ。みぃんな遮二無二争って、戦渦に飲まれて、死体が山積みになるんだ! 世界がぶっ壊れるんだ!」
ゲテゲテと、一体喉の何処から出ているのか見当も付かない、というよりおよそ生物ならば出ることのない笑い声に似た音が響いた。
最早、この目の前にいる神には、気味の悪さしか感じられない。
「ククククク。そうして残ったたった一人が、叶えたい願いを叶えて貰える。最後に残るのは、自分勝手な欲望だけだ。愉快で愉快で堪らないじゃあないか!」
そうして、この神の言動で僕は気付いた。
「そうか――」
思えば、僕が転生を決めた時、神はやたらと僕に特典を付けたがった。
たった四人の人間を殺すだけだ。
銃やナイフや毒薬で事足りるのに、どうして特典などが必要だったのか。
特典を付けるにしても、肉体改造だけで十分だったのにも関わらず、どうしてあまりに強力な力が与えられたのか。
「『罅裂する汝の雁首』は、僕に与えられた力はそういう意味だったのか」
簡単だ。端から、これは桐島達を殺す為の力ではないのだ。
「最初から、お前の考えた遊戯の、盤上の駒にされる予定だったのか」
やっと理解した僕に神は、
「そうだよ」
と隠す気すら起こさず、答えた。
「嫌なら辞めても良いんだぜ? 君だけは。平穏に現代を生きるなり、勝手に首括るなりしても」
そう言うと神は、自身の顔を右手で覆い隠した。
そして、それを除け、僕に見せた顔は――、
「涼……」
最愛の人のその顔だった。
腰まで伸びた波打つ長い黒い髪。僕だけを愛しげに見つめてくれた黒い瞳。白雪を思わせる肌。
美しいと、その形容だけしか似合わない顔。
コンプレックスだと言って顔の左半分を前髪で隠しているのも、僕の知っている姿だ。
――よく僕はその前髪を除け、そっと左頬を撫でたものだった。
その度、顔を赤らめるのが、堪らなく可愛らしくて、そんな涼が僕は好きだった。
いや、今も、この瞬間も天野涼のことが大好きだ。
そんな彼女の姿が目の前に在る。
「――君、この子のこと好きなんだよね?」
神は、その姿を盾にして僕に訊ねる。
「生き返らせたくない? また側で笑って欲しくない?」
「止めろ」
「そうだよね? そうに決まってるよね? 当たり前だよね?」
「止めろ!」
「だって君はこの子の……」
「止めろォォォオオ!!」
僕は、思わず叫んだ。
この後、神が言うであろう言葉が、分かったからだ。
きっと、神が指摘しようとしたのは――、
「『僕は涼の生きる理由になれなかった』。そう言いたいんだろう?」
涼が死んだ時、僕が最初に思い知らされたことに他ならないのだから。
「分かってるそんなことは。勿論分かっている」
だからこそ、僕は復讐をした。生きる理由になれなかった罪滅ぼしの為に。
そして、だからこそ、
「貴方の言う通りにします」
僕は、戦う以外に術がない。
神は、再び顔を覆い、元の青年の姿に戻り、破顔すると、
「じゃあ、戦うんだね?」
と、確認する。
「はい戦います。天野涼の生が為、善も悪も区別なく、幾らだって殺してみせます」
その問いに、僕は跪き、誓った。
いや、誓わざるを得なかった。
たった四百九十九の命を引き換えに出来ず何が愛しているだろう?
何を愛と呼ぶのだろう?
だから誓わざるを得なかった。
「じゃあ、決まりだね」
神は僕の答えを聞くと、そう言って工場の入り口の方へと向かって歩き出した。
「遊戯の開始は一週間後。詳しいルールは、転生した時に渡したスマホに見りゃあ分かるから」
そして、神はまるで、景色にゆっくりと溶けるようにして、消える。
「そいじゃま、君の戦に幸せがありますよーに」
そう、まるで似つかわしくない言葉を残して。