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夏に憑きもの


私観になるが、真夏の食卓というのは質素なほど良い。

白飯に胡瓜の浅漬け、葱をぶつ切りにして入れた薄い味噌汁に、鯵の開きを焼いたのがあれば、もう言うことは無い。

あとは腹が一杯になった後で、夏の夜長をどう過ごすか、ということだけだ。

それについて案を様々巡らせていた時である。


「あの坂の上に病院があったでしょう。ほら、廃院になってから、もう何年も経っている……あそこに恐ろしいのがいるんですって」


居候の彩夏が、深刻ぶって言う。

そんな話は良く聞くが、実際に恐怖を感じたことは無い。

だが、怪談話といえば真夏の風物詩だ。

ここは消閑の供として話を聞いてやるのもよかろう。


「どんなのだね」

「廃院といったら大体想像はつくでしょう?幽霊よ、ユ・ウ・レ・イ。怖いでしょう?」

「幽霊かね」


思ったよりも実にあっさりとした回答だ。

私は途端にその話題について興味を失ってしまった。

幽霊など、珍しくもなんともない。

この季節になれば、幽霊の話などはどこでも大特価廉売中だ。

せめてその廃院に山賊が住み着いているという類の話であれば幾分かは興味をそそられたかも知れない。


「ね、詳しく聞きたい?」


彩夏がぐっと身を乗り出してきた。

こちらの興味の有無に関わらず、ただ自分が話したくて仕方ないのだろう。

私は黙って聞いてやることにした。


「そこの廃院の二階にね、院長先生のお部屋があったらしいの。そこに最近、出るらしいの……ね、怖いでしょう」

「うむ……」


私は頷きながらも、心の中では対応に難渋していた。

あまりにも与えられる情報が大雑把で、かつ、断片的すぎる。


廃院二階の院長の部屋に出る幽霊……


もう少し内容にディティールを付与できないものだろうか。

おかずの無い白飯を出されて「美味しい?」と聞かれるようなものだ。

だが、あえて言うまい。

女というものは自分が話したいことを話せばそれで満足するのだ。


「なるほど、怖い話だ」

「でしょう!」


胸を張ってそう言うと、彩夏は立ち上がった。

ガラ、と窓を開ける。


「ほら、実はここから見えるのよ、その病院が!」

「そうか」

「いいから立って」


彩夏は私の腕をとって立たせ、無理やり窓の前まで引っ張る。


「あそこの二階よ」

「ふうん……意外と近いな」


と、その時だった。


「きゃっ!」


彩夏が突然、隣で大きな声を出した。

彼女はぎゅっと私の腕にしがみつき、離そうとしない。

その細い肩が少し震えていた。


「どうしたんだい」

「あ、あそこ、窓っ……」

「窓?」


私は闇の中を、目を凝らしてみた。

窓……


「おお……」


私も思わず声を上げる。

二階の割れた窓から、確かにそれは覗いていた。


青白い、中年の男の顔である。


いかにも世に未練を遺したまま逝ったという、恨みがましい顔。

それが、こちらをじっと見つめているではないか。


(ふうむ……薄気味悪いもんだ)


私は真っ青になって震えている彩夏を座らせ、窓を閉めた。


「ね……いた……いたでしょう……」

「ああ、確かにいた」

「怖いわ……すごく……」

「君でも怖いものがあるんだな」

「あ、当り前でしょう……すごく恐ろしい顔をしてたもの……きっと誰かに恨みがあるんだわ、あの人」


彩夏はまだ小刻みに震えている。

私はそれを見て、溜息を吐いた。


「君もいい加減に成仏しないと、ああなるかも知れないぞ」

「あら、失礼ね。私は誰も恨んでいないわ」


ならば尚のこと、早く成仏してほしいものである。

だが、あえて言うまい。

幽霊といえど、女は怒らせぬに越したことは無いのだ。



夏の夜に 幽霊座る 四畳半



――――――まぁ、風流なものだ。


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