アルコール・ララバイ(中)
私は暴走気味の伊藤さんを抑えながら、白川さんに声をかけてみる。
「白川さん、趣味は何かありますか?」
「…特にないですねぇ」
………シーーーーン。
話が全く続かない…。
…カラン。
石川が焼酎のロックを開けて、次の焼酎を注文する。
こいつはざるか?ざるなのか?
「…先輩~!飲んでないじゃないですか!!」
今度は抑えていた伊藤さんから反撃を食らう。
コップになみなみと注いだ日本酒を無理やり口元に押しつけて飲ませてきたのである。
不意を突かれた私は、半ばでむせかえし、新調したばかりのYシャツを、自分の唾液と日本酒の混じった何かで汚した。
…もう、なんだってこんな目に会うのだろうか?
私もできることなら優雅に男女3人ずつで楽しんでいる斉藤の側のサイドに立ちたい!
なのになぜ、武士と、話の続かないお嬢様と、話のわからない暴走娘の相手をしているのだろうか?
…思うにそれは私がいい人だからであろう。
「そういえば、趣味といえば読書がありましたね」
これまた相当とぼけたタイミングで先ほどの質問に対する回答が白川さんから得られた。
しかし、よいことを聞いた。話が広げられる。
「…どんな本をお読みになるんですか?」
「えっと、小説でしたら何でも。特にミステリなんかが好きで…」
白川さん、ギアが入りだした。
思うにこの人は、自分の興味のある世界に浸りきっているので、それ以外のものにはあまり興味がない、そんな人物なのであろう。
「…最近読んだ河原先生の、『暗夜に揺れる幻想の日々』はなかなかに傑作で!!」
これに対して石川がピクリと反応する。
………『暗夜に揺れる幻想の日々』?
私はゆっくりと過去の映像を手繰り寄せる。
そういえば先週の菊川先生の講義のときに、こいつがそんなタイトルの文庫本を読んでいるのを見た気がする。
…というか、そうだ!石川もよくよく考えると、相当本を読むのが好きな奴だった!!
これはいけるかもしれん!!
「…石川、お前さ、それと同じタイトルの本この間読んでなかったっけ?」
「…あっ?ああ。読んでた」
石川は呆けたようにうなずく。
「まぁ!奇遇ですね!!『暗夜に揺れる幻想の日々』どう思われました?」
「…賛否は分かれてるみたいですが、オレは間違いなく河原作品の中でも名作中の名作だと思います」
白川さんは石川の言葉にうんうんとうなずき、「その先は?」というような顔をしている。
「まぁ、ミステリとしては、トリックも古典的で『これはすごい!!』という感じではないんですが、人間一人ひとりの心情、感情の描写が絶妙にリアルで、凶行の一つ一つに現実味を持たせている点がこれまでの河原作品以上に優れていたかと」
「うん。よくわかります。でも、トリックが古典的というのは言いすぎじゃないですか?確かにわかりやすいといえばわかりやすいけど、現代的な見地からひとひねり加えてあった点は評価できると思わない?」
「…はい。否定はできません。しかし………」
………ふぅ。どうやら私の大仕事の一つは終わったようである。
白川、石川コンビはもう完全に自分たちだけでどこかの世界へ行ってしまった。
しかし、あの石川がこんなに生き生きと感情を見せて異性と語り合っているなんて…。
成長したな…おじさんうれしいよ。
私が草葉の陰で目を潤ませていると…。
「…先輩~!まだ飲んでないじゃないですか!!私が飲ませてあげます!!!」
例の暴走娘がコップになみなみと入った日本酒を、Yシャツの襟首から注ぎこんできた。
……もう勘弁してくれ。