一人と一人(4)
私こと橘健太郎は、一人の女性を背負いながら歩いていた。
お酒に弱い彼女、背負っている私、いつかも見た光景だが、このまえと圧倒的に違うのは、私の心だろう。
「先輩…」
唐突に背中から声がかかった。
「起きてたの?」
私が答えると彼女はうなずいたらしい。首筋に髪が当たる感触がする。さらさらとしていて、なんだか妙にくすぐったい。
「はい。途中から酔いがさめてきて…それで、先輩と二人っきりになりたくて、寝たフリしちゃいました」
照れたような彼女の言葉に、私はドキッとさせられた。
「少し、お話しませんか?」
私はうなずき、彼女を下ろす。背中に残る温かさが少々名残惜しい。
夜の公園のベンチに座り二人で過ごす。
どちらも無言。でも、無言が苦痛じゃないっていうのはすごいことだ。
「先輩」
「うん?」
「斉藤先輩と何かあったんですか?」
突然に鋭く投げ込まれた言葉。
私がしばらく感じていた違和感に、彼女もあの席で気がついたらしい。
「わからないんだ。なんだか最近斉藤とも、石川とも妙にぎくしゃくしちゃってて。石川はわかるんだ。フラグメーカーの件が原因だって。でも、斉藤はフラグメーカーの件には関係がないはずなのに、なんだか妙にぎくしゃくしててさ」
フラグメーカーの機能と、石川との間でどんな会話があったのかは、病院での一件で彼女に包み隠さず話していた。そして、その時と同じセリフを彼女は言った。
「…なんで教えてくれなかったんですか?」
少し間を持たせて答える。
「心配させたくなかったからさ」
「結局、今心配してます!!先輩の気持ち、きちんと聞かせてください。それとも、私は頼りになりませんか?」
「…そんなことはないよ」
「それじゃあ話してください。先輩の気持ち」
「いろいろ気がついたんだ。僕が善意でやっていると思ったことが、相手を傷つけていたり、自分が相手のためを思ってやっていると思ったことが、単なる自分が傷つかない手目の方便だったりしたことに」
「僕はフラグメーカーを正しく使ってると思ったんだ。でも、そんなはずない。人の心をのぞき見る『ズル』が正しいわけなんてなかったんだ」
「そのせいで僕は、人を傷つけた。そのうえ、直接問い詰められるまで、傷つけていたことに気がつかなかったんだ」
「僕は、人の気持ちを手に取るようにみていながら、人の気持ちに一番鈍感だった。きっと、今斉藤とぎくしゃくしてしまっているのも、僕が鈍感さで知らずにあいつの心を踏みにじったせいなんじゃないかと思ってる」
「僕は、そんな汚い人間だ」
私の言葉を受けて、彼女は固い顔をしていて、でも、ゆっくりと頬笑みを作ってこう返してくれた。
「いいじゃないですか。気がつけたなら」
「えっ?」
「傷つけたことに気が付けて、そしてそれを反省しようと思ってる。それは、相手の心を思いやる優しさがなければできないことですよ。気がつけたんだから、やり直せばいいじゃないですか」
彼女の強い言葉に、ただ小さく「そうだね」と返した。
「フラグメーカーを壊そうと思うんだ。僕がもうズルをしないように」
私のその宣言を聞いて、彼女は「ダメです!!」と強く言い放った。
「…どうして?」
私の疑問に対して、彼女は力強く答えた。
「だって、その眼鏡、おしゃれで先輩に似合ってます!だから、ダメです!!」
彼女の場違いなその言葉をもって、フラグメーカー購入当初の目的であった、『おしゃれ眼鏡で存在感アップ作戦』は、『好感度アップ作戦』にバージョンアップされたうえで、長い長い時間を経てようやく完遂されたのだった。