一人と一人(3)
話すとは言ったものの、何から話そうか。
オレは頭を巡らせる。
そして、最初の言葉が見つからない。見つからないが…こういうときは、頭からストレートに本題を持ってきた方が、間違いのない、隠しだてのない言葉になる。
「オレは、ある人に恋してた…いや、今もしてる、かな」
このスタートを受けて小野という賢い女性は合点がいったという顔をしている。
でも、彼女の想像はきっと間違っている。
「オレは、そいつのことが好きで、でも、その想いを伝える勇気がなかった。そいつとは、いい関係を築けていると思っていたから、その関係を壊すのが怖かった」
ここで彼女は「おや?」という顔をする。
…やはり賢い。彼女はオレが伊藤ちゃんのことを言っていると思っていたはず。
しかし、今の言葉を信じると、伊藤ちゃんとオレは昔から仲がよかったことになる。しかし、小野ちゃんはそんな事実を認識していない。なぜなら、そんな事実は存在しないから。
それでは、オレが誰のことを言っているのか…賢い彼女なら、次の言葉でわかるだろう。
「オレは、普通ならあり得ないような恋をしてしまった。これまではきちんとした、恋をしてきたつもりだった。みんなが理解できるような正しい恋。でも、今回の『異常な恋』は、これまでの恋の中で一番強い気持ちになってしまった」
小野ちゃんは少し驚いたような顔をした。どうやら完全に理解がいたった様子。
しかし、黙って聞いてくれている。それがありがたい。途中でおられてしまったら、二度と話せる気がしなかった。
知らずに脂汗がにじむ。苦しい。
「なんでこんな風に思ってしまったのかわからない。こんなのあり得るはずない!そう思ってみても、そうなってしまったものは変えようがなかった。届かない!伝えられない!でも、もうなかったことにもできない!」
オレの苦しむ様子を見ながらも、小野ちゃんはただひたすらに黙って聞いていた。
彼女もつらそうな顔をしていた。いい子すぎるよ…心の中で思う。
「気がついたら、オレはぐにゃぐにゃにひん曲がってた。手の施しようがないくらいに。自分の中にいる、『嫉妬』っていう化物が暴れまわるのを抑えつけられなかった!」
「いっぱい傷つけた。あいつに想いを寄せた人たちも傷つけた、オレの苦しむ姿を見てしまうことで苦しませたやつもいた、そして、あいつの気づかないところで、あいつ自身を一番傷つけた!」
「わかってた!このままじゃダメだってわかってた!でも、止めらんなかったんだよ!!」
…どんっ!!
強くたたきつけた右手がジンジン痛む。
でも、心の方がもっと痛い。
彼女はそんなオレの姿をただ泣きそうな顔で見ていた。
何の声もかけてこなかった。ただ、そばで見ていた。無言がありがたかった。
「…少し落ち着いた。ありがとう」
彼はそんな風に言って柔らかくほほ笑んだ。
さっきまで見せていた感情の発露が嘘みたいな、さっぱりした顔だった。
「『王様の耳はロバの耳』」
私はぼそりとつぶやいた。
「たまには自分の気持ち思いっきり吐きださないと、ダメになるよ。私でよかったら聞いてあげる。吐きだしていいよ」
この答えに彼はニヤリとして答える。
「小野ちゃん、いい人だよね。でもさ、王様の耳はロバの耳って最終的に王様の耳がロバの耳だってことが町中に知れ渡っちゃうんじゃなかったけ?」
…失言!失言だった!!
私があたふたしていると、彼はニヤニヤしたまま答える。
「そんなあわてなくても大丈夫だよ。小野ちゃんが言いふらしたりしないってわかってるからさ。それに、仮に言いふらされても大丈夫なように気持ちの整理もついた」
「えっ?」
「なんか、こんな風に言葉にしたのはじめてだったけど、言葉にしてみたら、『ああなんだ、やっぱりあいつのことが好きって気持ちは本物だったんだ』って強く感じることができてさ。気持ちの整理、できたよ。今なら何言われたって、『そうだよ好きだよ!なんか文句あっか!』って開き直れそうな気がする。みんな小野ちゃんのおかげ。ありがとう」
そんな風に言って、彼は頭を下げた。
頭が上がって、再び向き合った彼の表情はさっぱりしていて、この時初めて私は彼のことをかっこいいと思った。
「そんで、せっかくこんな気持ちになれたんだから、明日、全力で清算してこようと思う。今までのツケを。今の気持ちがなくなって、また怖くなってしまう前に」
彼の目に生気が宿った。目には強い光を持っていた。
もう大丈夫だ。そんな風に見えた。でも、それでもこんな言葉を付け加えてしまう私はおせっかいだ。
「苦しくなったら、また話しにきてもいいよ。かえでの面倒みなくてよくなって暇してたから」
彼は苦笑しつつ返す。
「さみしいの?」
その返しに私はそっぽを向いて返した。
「最後に聞いていい?なんで、今日私に声をかけたの?」
「ああ、えっとね、それは…。」
「笑わないで聞いてくれるかい?」と彼は小さくつぶやいた。
私は小さくうなずいて答える。
「誰かに『伊藤ちゃんと橘が似合いのカップルだ』って言ってほしかったんだ」
「…どういうこと?」
「オレは伊藤ちゃんと橘がお似合いだと思ってるんだ。だから邪魔したくないって思ってる。だけど、オレの嫉妬はそれだけじゃおさまんなかったんだ。だからこの嫉妬を誰かに納得させてほしかった、誰か二人を知ってる人に、『二人はお似あいだ。お前はあきらめろ』って言ってほしかったんだよ」
「それってさ…なんかまるっきり恋する乙女みたいな発想だよね。『似合いの二人。邪魔はしません身を引きます』ってか?」
言いながらなぜかつぼにはまり、吹き出しそうになる。
そんな私を、彼が鋭い眼光でにらむ。
しかし、その鋭い眼光もゆらりと崩れて苦笑になる。
「否定できないんだよなぁ…。恋した人間はみんなばかになるもんだからさ」
そう答えた彼の顔に、憂いの気配はなかった。