終わりと始まり(中)
斉藤という男に初めてナンパなどというものをされて、飲み始めて何時間になるだろうか?本日3件目の飲み屋、「広川」に来ていた。
私は、それなりにお酒に強いという自負があった。しかし、斉藤という男、かなり飲んでいるのに、まったく酔っぱらっている気配がない。常に余裕の構えで私を見ている、そんな感じが気に食わない。
確かにこの人は話をしてみた感じも如才なく面白くて、悪い人ではなさそうだった。でも、彼があまりにお酒に強いせいか、私がお酒を飲めば飲むほど、どんどん上から目線で見降ろされているみたいな嫌な感じがしてきたのだ。
だからなんとかしてこの男を潰してやろうと、私は必死になってあの手この手と試みた。
そして、その結果は今のところ芳しくなく、逆にやり込められて、私の方が飲まされて、次第にふわふわしてきてしまった。
ほんとに気に食わない。
そんなころ合いで、彼が唐突に聞いてくる。
「最近伊藤ちゃんはどんな感じ?橘とうまくやってるみたい?」
「はい?そんなことなんで聞くんです?それぐらい斉藤さんは橘さんの友達なんだから、橘さんにでも直接聞けばいいじゃないですか?」
そう答えてやると、彼は今日初めて痛そうな顔をした。
ちょっとしか表面には出なかったけど確かに痛そうな顔をした。そう、その顔は折れてしまったときのかえでの顔にそっくりだった。
そして、私は完全無欠に見えたこの男が見せた弱さを驚きとともに、多少の喜び持ってみていた。ようやく弱みを見せたか、と。
まったくもって悪趣味極まりないと思う。それでも、その日の私は彼が見せた弱さをえぐらずにはいられなかったのだ。
「…ひょっとして、斉藤さん、アンタ橘さんの友達でも何でもないんじゃないの?かえでに片想いでもしてて、あの子がまた付き合いだしたから、私を通して探りを入れに来た。違う?」
彼はため息をついて答えた。
「いい線いってるよ。小野ちゃん。キミ、鋭いね。でも、ちょっと違うかな。オレは本当に橘の『ただの友達』だよ」
痛そうな顔をしながらも、それを隠しながら余裕を装って笑っている目の前の男。
痛々しい、あまりに痛々しい笑顔だった。
「じゃあ、なんでそんなこと聞くんですか?」
私のさらなる攻撃に彼が困ったというように首をすくめる。
「いらっしゃいませっ!!」
お客が来て、反射的に反応する居酒屋のバイトさんの声。
「まゆみ~!!」
そしてほとんど間をおかず響く、よく知った親友が酔っぱらったときの間延びした声。
「かえで!?」
いきなり首根っこに抱きつかれ、目を白黒させる私。
そして、今日のかえでは…なかなかに酒臭く、そして妙に楽しそうだった。お酒を飲んでこんなに楽しそうにしているコイツを見るのは初めてかもしれない。
「伊藤さん!?ちょっと…って、あれ?小野さんと斉藤?」
目の前にはいつぞやこのゴロゴロ唸っているめんどくさい酔っ払い猫を家まで連れてきてくれた「いい人」橘さんが、目を丸くしてたっていた。
そして私の隣を見ると、苦々しさに苦々しさを上乗せしたような笑顔で座っている一人の男がいた。緩慢な動作で橘さんに向かって、
「よう」
と一声かける。
なぜか重苦しくなる空気。
不自然な静寂の中で、ゴロゴロ唸る酔っ払いの声だけがやけによく響いた