事件(下)
愛と憎しみは裏と表。簡単なことでひっくり返る。
私が見た赤黒い糸の正体について考える。おもうにあれは…勘違いのストーカーだ。
前にも何度か見たことがある。
不機嫌そうな男から伸びる、黒に赤の混じった糸。
怖い顔をした女性から一方的に伸びる、濃い赤色に黒を垂らしたような色の糸。
思うにあれは、ふられた逆恨みであったり、思い込みが強すぎて、勘違いをしていたりしたのであろう。
そしてそんなろくでもない糸と同じ系統の糸が、白川さんにまとわりついている…。
私は放っておくこともできず、午後の講義終了と同時に、フラグメーカーの電源を入れて飛び出した。
石川の糸をたどれば白川さんにたどり着ける。
そこから今度は赤黒い糸をたどって、白川さんに近づくストーカーの正体を突き止めて、何らかのアクションがあったときには警察に突き出す。それだけでいい。
しかし私は気付いていなかった。
白川さんのストーカー相手を突き止めるなら、石川を連れていくべきだった。
私の独断の行動が及ぼす結果について、私はまだ気がついてもいなかったのだ。
私は校内を走っていた。
白川さんの所属学部である教育学部の前は通り過ぎた。
それでも糸は伸び続けている。
…どこだ?
私が糸をたどってたどり着いたのは、学部棟の裏手にある、海の見える小高い丘だった。
丘の上にはベンチとあずまやがあり、何組かの男女が座ったり、いちゃいちゃしたりしている。
…ここは知る人ぞ知る告白スポットだ。
そして、丘の真ん中のもっとも目立つ位置に、白川さんは立っていた。
白川さんから伸びた赤黒い色は、たどらずとも、すぐに終点になっていた。
赤黒い糸は、彼女の目の前に立つ、男から伸びていた。
私は混乱の極致にあった。
…ストーカーが面と向かって告白するなんて聞いたことがないぞ
「…えっ?今なんて言ったの?」
「…ですから、お気持ちにお答えすることはできませんと」
目の前では、男と白川さんが何やらもめている。
「そんなはずはない!!だって、キミはボクを好きに決まってるじゃないか!!きちんと占いで見てもらったんだよ。ボクの赤い糸がキミとつながっていることを!!」
「何を言ってらっしゃるんですか?占い?赤い糸?何のことです?」
占い、赤い糸…。
私はそのキーワードに引っかかりながらも、彼女たちの動向を見守った。
「それとも何?昼に一緒に歩いてた男にでも気持ちがうつっちゃった?ボクという人がいながら、キミは浮気したんだ…」
男から白川さんに伸びる糸がよりどす黒く染まっていく。
「何のことを言っているのかわかりませんが、橘さんと私はそんな関係ではありません!!」
これに対して白川さんは、不必要なほど強く、私との関係を否定する。
私と男女関係が疑われるのがそこまで嫌だったのだろうか…?
こんな緊迫したシーンだというのに、そんなくだらないことで涙目である。
「忘れさせてあげるよ。あいつのこと」
男はそういうと、唐突に彼女へと腕を伸ばした。恐らく抱きしめるつもりだったのだろう。しかし…。
………パシンッ!!
丘中一面に、高らかに乾いた音が響いた。
私は呆けていた。
男はもっと呆けていた。
白川さんはこれまで見たことがないほど鋭い視線をして、右手をぷらぷらさせていた。
白川さんの右平手が、男の左の頬にクリーンヒットしたのだった。
「………寝言は寝ながら言ってください」
その決め台詞はあまりにかっこよく、私は不覚にも、
………一瞬惚れた。
これに対して激怒したのは男である。
赤黒い糸は、赤いところがほとんどなくなり、一面に真っ黒になる。
愛と憎しみは裏と表。
今まさに裏と表が完全に入れ替わった。
男はポケットをまさぐっている。
私は直感でまずいことを知る。あいつなんかやばいもの持ってる…!!
私はついに外野から身をおこした。
やつがポケットから出したもの、それは切れ味のよさそうなサバイバルナイフだった。
白川さんにそれが向けられ、切りかからんとしたその時、私は彼と白川さんの間に割って入った。
「…ずいぶん物騒なの持ってるね」
私は余裕を見せるべく努力した。
かっこいい登場…と言いたいところだが、正直恐怖で足はがくがく、ぶるぶるである。
「橘さん!!」
白川さんは半分悲鳴のような声で私を呼ぶ。
「…お前、昼の男だな!!」
男は憎しみゲージ全開の目で私を睨む。
さぁて、出てきたはいいが、ここからどうしようか…。
理想としてはこの騒ぎに気がついて、誰かが通報するなり、警備員を呼んでくるなりしてくれるまでのらりくらりとかわせればいいんだけど、どうも誰もこのピンチには気がついてくれていない様子だ。
「普段からそんなの持ち歩いてるの?」
「………護身用だ」
お前みたいな物騒な男誰も襲わねぇよ…。
そう思ったが口には出さない。余計な刺激は厳禁だ。
「とりあえずさ、そのナイフおろさない?少し話をしよう」
「…お前ふざけてるのか?おれとお前で何を話すことがある?」
「えっと、そうだね…。とりあえず、オレと白川さんは付き合っていたりしないよ?」
「…バカにするな。そんなはずはない。ならなぜお前はこんなところにいる?彼女と付き合っているから、こんなところまで探しに来たんじゃないのか?」
「…あ~。う~んとね、ちょっと話すとめんどくさくなるんだけど、白川さんに付きまとってるキミの存在に気づいちゃってさ。オレは彼女の友達だから、なんか不穏な空気になるのを放ってはおけなかったんだ」
この言葉を聞いて、男はピクリと反応した。
しかし、その反応は…私にとってよく働かなかった。
「…付きまとってなんかいない!!付きまとっているんじゃなくて、引き寄せあっているんだ!!オレは彼女と唯一強い糸で結ばれた人間なんだから!!オレは見たんだよ!!オレの指から伸びてる赤い糸が、真琴さんと結ばれているのを!!占い師の姉さんが見せてくれた!!周りのカップルたちはみんな赤い糸で結ばれてる。オレと真琴さんも結ばれてる!!それならオレたちもお互い惹かれあって結ばれるのが当たり前なんだ!!」
赤い糸が見える虫めがね…この能力、どこかで聞いたことがある…。
「なのになんでだよ…何でオレだけ…」
なんだか支離滅裂なことを言っているようにしか思えないが、私には次第に、この出来事の一角が見え始めていた。
彼は、本来白川さんに気持ちをぶつけるほど力のある人間ではなかったのだ。
しかし、占い師に視覚的に赤い糸を見せられ、「君たちは互いに結ばれ、惹かれあっている」という甘い言葉をぶつけられて、舞い上がってしまったのだろう。
その糸が一方通行のものとは知らずに、彼は踊らされた。
恐らく、その占い師の持っている虫眼鏡は…フラグメーカーだ。
私は事件の真相と思われるところまでたどり着いた。
むしろ私以外、この真相にはたどり着けまい。何せ、この不思議な眼鏡の存在を知っているのは、今のところ私だけなのだから…。
私は、支離滅裂な言葉を発して、泣き崩れた弱い男を同情の目で見ていた。
しかし、顔をあげた彼の目には、憤りや憂い、悲しみなど微塵もなく、ただ私と白川さんを刺し貫くような怒りばかりがあった。
「…お前のせいだ!みんなお前のせいだ!!」
彼の速度と体重を乗せた刺突は、間一髪で体の主軸から外れた。
ただし、相当まずい感じで、体が切り裂かれたことはわかる。
白川さんは小さな悲鳴をあげ、蒼白な顔をしている。
この段階になってようやく、周りにいた男女たちが騒ぎだした。
…そうだ、早く警察官なり、救急車なり、警備員なりを呼んでくれ。
男は私の体からナイフを抜くと、今度は白川さんに向かってナイフを向ける。
私は、なんとか倒れこまずにこらえて、ナイフを持つ男の右手を抑える。
「離せ!!」
男が暴れるが、私は離さない。なんだかわき腹からだいぶ液体が出ている気がする。たまったものではない。
「…離せないよ、離したらその人のこと刺すんでしょう。それなら離さない!!」
歯を食いしばりながらの、全力の軽口である。正直余裕はない。というか、意識がきれそうだ…。早く白川さんは逃げてくれ…。ついでに誰か助けを呼んでくれ…。
いい加減心が折れそうになったとき、男の体が、前のめりに倒れた。
何が起きたのかわからない。
倒れた男の向こう側、
「…よう!」
なんて、さわやかな笑顔で立っているのは、イケメンの友人斉藤だった。
…あ~あ、なんてかっこ悪い。
いいところはみんなこいつが持っていくんだもんなぁ…。
私は苦笑したまま気絶した。