序幕 第三章「鍋と鶏肉」
赤銅色の瞳。鷲の嘴のような鼻。不敵な笑み。有事の際に身に着ける、淡い黄金色の甲冑。上から羽織る真紅の豪奢なガウンは、その国の象徴であるグリフォンの刺繍が眩しい。
玉座に深々と腰掛け、右手の握り拳で頬杖をついたその男の目は、五十歩ほど離れた先の扉を、じっと見据えていた。
賊が侵入し、未だに城内に潜伏しているという由々しき状況。しかしその中においてもなお、彼は心を躍らせていた。なぜなら彼はちょうど、自ら築き上げた平穏な世の中に辟易していたからだ。
彼こそ、この国の王であった。
Blackmore's Gril - 鍋と鶏肉
「おい」
王は人形のように並んでいた兵の一人を呼びつけると、兵は目を伏せたまま「はっ」という返事をした。
「その扉を開けておけ」
彼は正面の大きな扉を顎で指した。呼びつけられた兵士はもちろん、他の人形達も、不可解な指図に眉一つ動かさず、指示に従った。やがて、木の扉が石畳によって削られるような不愉快な音をもって、扉は開け放たれた。
なぜ扉を開けさせたのだろう。賊を捕縛したとか、掃討したとかいう情報は未だに入ってきていないというのに。五十歩先の扉が開いているならば、百歩先から賊が駆け込んで来るかもしれないし、二百歩先から矢が飛んでくる恐れもある。
しかし、それこそ彼が望んでいる事だった。もちろん自殺願望とは無縁である。ただ、熟達した近衛兵二十余名が賊に倒されたとしても、彼はその賊をことごとく真っ二つにでき、矢が飛んできたとしても、額に突き刺さる寸前で掴み取れる自信があるのだから。
何より、賊の顔を直々に拝んでやろうという魂胆があった。ただの物盗りには兵一人とて殺せない。その兵が七人、八人とやられているという事は、それなりの人数が、何かしらの意図を以ってこの城に乗り込んできたに違いない。そして、その意図というものについても、大方の察しはついていた。
一介の豪族の長になった時から、野心を抱き始めた。各地の有力者を攻め滅ぼし、時には旨い汁で篭絡し、この国の王となるまでに一体どれだけの血を浴びただろう。どれだけの屍を踏み越えただろう。そして、どれだけの人々が自分に憎悪の念を抱いているのだろう。
彼は歓喜していた。勇者が現れたのだ。自分を殺しても殺し足りないほど憎んでいる無数の人々の中から、実際に行動に出た勇者が。そして興奮もしていた。その勇者の顔を拝めるというのだから。
王の予測の通り、怒号の応酬と慌しい足音の群れは、確実に謁見の間へと近づいてきていた。時折断末魔が聴こえるが、それが兵士のものなのか、賊のものなのかは誰にも、王ですらもわからない。
もっとも、王にとってはどちらでも構わない。むしろ賊が順調にこちらへ向かっているのなら、悲痛な叫びは兵士のものである方が好ましかった。
「陛下、せめて槍衾のご指示を」
「必要ない。入れてやれ」
近衛兵の中ではもっとも先輩格の、壮年の兵士が進言するも、当然のごとく却下される。「はっ、失礼いたしました」と、彼は正面へと向き直った。
兵士と言葉を交わして間もなく、足音が止まる。怒号は相変わらずだが、賊の移動は止まった。
「こっちだ!」「ここにいるぞ!」「囲い込め!」
賊の足音が止まると、今度は兵士達の足音が増えてきた。王はその様子を直接見たわけではないが、兵士達が剣や槍を構えて賊を取り囲もうとしているのだと悟った。
しかし、正面の扉が開け放たれているにもかかわらず、なぜ鶏肉は鍋に入らないのだろう。王はもどかしく思った。
「どうした、ブラックモア! 私が怖いのか!」
王は叫んだ。すると、取り囲まれる事を覚悟の上で立ち止まっていた鶏肉は、次々に鍋の中へと入ってきた。
兵士達は既に槍を構えていた。それぞれがそのまま数歩走れば、十数人の賊の胸をことごとく貫けるだろう。
また、賊の後ろからは更に多くの兵士が、剣や槍を構えてじりじりと迫っており、完璧な包囲というものが完成していたが、ブラックモアと呼ばれた口髭の男は眉一つ動かさなかった。代わりに、憤怒の表情を浮かべていた。
燭台の灯りは煌々としていたが、それでも陽の光には敵わない。そのため、王は賊の中でも、比較的前方にいる者の顔だけを視認できた。
そのことごとくが見知った顔だったが、また同時に、彼らの一人一人がなぜそこにいるのか、それぞれの理由に大方の見当がついていた。それだけ王は、多くの人々からの不興を買い、またその事を自覚しているのだ。
「ベネディクト! 貴様の首を貰いに来た!」
口髭の男は、謁見の間に響き渡る大声を張り上げた。その言葉が終わらないうちに、王は鼻で笑う。言われなくても態度と行動が言っているだろうと、可笑しくなったからだ。
王は言葉を返した。
「獲ってみろ、できるものなら。しかし貴様がそこから一歩動いた瞬間、刃の洗礼を受ける事になるだろう。余の剣か、兵の槍か、好きな方を選ぶがいい」
ブラックモアと彼率いる賊徒は、絶対的な窮地に立たされていた。しかし、王の冷徹で絶望的な言葉を受けてもなお、その目が鋭い光を失う事はなかった。
そして王は唯一、その点を意外に思っていた。
王の言葉を受け、賊は誰一人として動かなくなっていた。しかし、やがて彼らの中の一人が、彼らが忠実に守っていた法則を破る。
賊の一人が前に出て、頭から被っていたマントを脱ぎ、足元へと無造作に放った。薄い金色の長い髪、深い青色の瞳をした、華奢な女だった。