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オーギュは父に剣を向けた  作者: NICE☆GUY
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序幕 第二章「敵襲」

 黒雲は流れゆく。流水にこぼしたインクのように。

 夜空という川の中で、形を持たないインクは時に混ざり、時に千切れていく。

 無限に繰り返される出会いと別れの物語を、ある青年は、まどろみの中で見ていた。


The Bloody Lake - 敵襲


 その夜は青年にとって、ごく普通の夜のはずだった。

 夕食の後にアール・グレイを飲みながら、小一時間ほど本を読み、睡魔が訪れたら本を枕に眠る。そして朝に目を覚ましたら、団服に袖を通し、剣を腰に下げ、謁見の間へと向かうのだ。

 ただし、ごく稀に睡魔が気まぐれを起こし、彼が早く訪れる事があれば、その逆もあった。その日もまさに睡魔の気まぐれで、青年は寝付けずにいた。

 そんな時、青年は決まって窓の外の景色に目を遣る。その先は夜空であったり、外庭であったり、遠くの王宮であったりと様々だが、その日はぼんやりと、夜空を見ていた。

 彼の翡翠色の目が、ゆっくりと瞬きを繰り返す。閉じて、開く。閉じて、開く。これを続けているうちに、目を開く大きさが次第に縮んでいく。

 いつもの夜……。そう思うまでもなく、彼は眠りの海へと潜っていった。


 しかしその日に限って、海は彼を拒んだ。どこかで何かが倒れる音がしたのだ。

 何が倒れたのかはわからない。いや、もしかしたら気のせいで、そもそも何も倒れていないかもしれない。

 彼はしばらく息を殺し、耳を澄ました。しかし、後に続く不自然な音は聴こえない。気のせいかと、彼はめくっていたブランケットを戻していつもの姿勢をとったが、それも束の間、また似たような鈍い音がした。

 そして何か、水のようなものが吹き出る音が聴こえた。ごく小さなものだが、吹き出る音、泡沫が現れては消える音で成るそれは、喩えるなら模型の噴水のようだった。

 青年は確信した。それは決して、美しい景観を演出し、人の心を癒す噴水の音ではない。血液だ。人体が倒れる音と、血液が噴出し、流れ出る音だ。


 青年はブランケットを乱雑に引き剥がし、寝巻き姿のまま剣に手を掛けた。壁に掛けてあった剣を抜いた。鞘を腰に下げる必要はなかった。

 彼はドアノブに手を掛けると、それをゆっくりと右に回した。一呼吸置き、それを勢いよく開け放つと同時に、ドアノブを握っていた右手を戻し、両手で剣を構えた。

 廊下は薄暗かったが、青年の部屋の灯りによって、数歩先までの視界は確保できていた。

 一見、その近辺に不自然な点はなかった。しかし足元をよく見ると、水と泥と土による足跡らしきものが打ちつけられているのがわかった。

 青年は、今まさに自分が動くべき時だという事を、充分に理解した。王をはじめ、王の血縁者や国の重鎮を、ありとあらゆる毒牙や不幸から護るのが、近衛兵長としての責務だからだ。

 

 青年はすぐさま、自分の部屋へと舞い戻った。足跡が一人分だからといって、賊が一人だとは限らないからだ。ましてや、賊が屈強な戦士であったり、熟達した工作員であった場合、寝巻き姿で立ち向かったとて、到底勝ち目はない。

 彼は、翌朝に着る予定だった団服に袖を通した。団服は白、青、黄、三つの色で美しい装飾が施されていながらも、胸部、腹部など急所という急所には牛の皮と薄い鉄板が仕込まれている。彼自身、幾度かその服に命を助けられた事があった為、相棒への信頼は絶対的なものがあるのだ。

 壁に掛けていた鞘は取らず、代わりにランプを手にし、彼はまた廊下に躍り出た。


 足跡を辿って数十歩進んだところで、先ほどの音の正体が明らかとなった。

 眼前には赤い湖が出来ていた。巡回の兵が変わり果てた姿となり、不自然すぎる体勢で壁に寄り掛かっている。噴水の音はもう聴こえていない。青年は眉をひそめ、剣を構え直した。

 そして大きく息を吸い込み、叫んだ。


 「敵襲! 敵襲!」

 怒声が響き渡る。若くして近衛兵長に就いた者の声だけあって、歳の割には威厳と貫禄に満ち、ズシリと重かった。

 間もなく宮廷内の各所に灯りがともり、彼らは一時的な昼を手に入れた。また、青年と似た格好をした兵士達の姿が散見できるようになり、半鐘の音がけたたましく鳴り響き始めた。

 「統長集合! 統長集合!」と青年の声は更に響き渡る。

 「統長」とは「各部統括長」の事である。近衛兵団は、王宮や城内施設など一定の区域を部ごとに分けて巡回しており、部ごとにそれらを統括する者を置いているのだ。青年の号令は近くの兵員に伝播し、それを受けた兵員は更に同じ号令を叫ぶ。青年が「統長集合完了!」と叫ぶまで、これが繰り返されるのだ。

 北西、南西、北、南、北東、南東、そして中央。七人の統長が集った。彼らの顔ぶれは、老いも若きも様々だが、ほとんどが屈強で眼光が鋭かった。

 青年がそれぞれに指示を出すと、統長らは気勢を上げ、それぞれの持ち場へと急いだ。団服が擦れ、仕込まれた鉄板がかち合い、ブーツが石畳を打つ音が折り重なる。その音に彩られた風景は喧しく、そして勇ましかった。


 しかし忘れてはならない。青年にはもう一つ、しかも統長へ指示を出す事よりも一回り重大な責務がある事を。

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