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「望まない婚約だった」が口癖の婚約者とはもう終わりにします

作者: 菜口いず
掲載日:2026/08/09


「望まない婚約だった」


 ……あぁ、また始まった。


 私は、そんな呆れと憂鬱が入り混じった感情で、隣に立つ婚約者から目を逸らした。


 シャンデリアのきらめきが大広間を照らし、人々が穏やかに談笑している。見ての通り、夜会の最中だ。

 友人に招待されて、私は夜会に出席した。婚約者であるこの男、エルヴィス様と一緒に。


 彼が「望まない婚約だった」と言い出すのは、決まって機嫌が悪い時だ。今日は、何故かいつも以上に不機嫌だった。


 エルヴィス様は、手に持ったグラスを傾けながら、私の友人である男性に話す。


「そもそも、俺は顔合わせの時から思っていたんだ。こいつは駄目だと。案の定、これだ。本当に気が利かないし、容姿も大して美しくない。何かに秀でているのかといえば、そういう訳でもない……」


 いつもと同じような文句を並び立てて、エルヴィス様はちらりと私を見る。


「その上、それを指摘すると嫌な顔をする。貴族令嬢のくせに、自分の感情を隠せなくてどうするんだ」

「…………」


 私は、黙り込んでぎゅっと手を握り込んだ。友人が、何とか場を和ませようと、それとなく私を庇う。


「そんなことはないですよ、私が困っている時に、一番に察して助けてくれるのはアメリなんですから」


 アメリ、それが私の名前だ。確かに私は、ただの冴えない伯爵令嬢である。エルヴィス様が言っていることは正しいのかもしれない。でも……。


(正しいとか正しくないとかそういうのは抜きにして、今すぐこいつをぶん殴りたい……!!)


 先程手を握り込んで拳をつくったのは、そういう気持ちからだった。


「……どうだか」


 エルヴィス様は鼻で笑いながらそう言って、グラスに口をつけた。


 困ったような友人の姿に、私は何とか怒りを鎮めた。そして、気にしないで、という気持ちを込めて彼に微笑む。


 そんな私達の様子を見ていたエルヴィス様は、不機嫌そうにぼそっと呟いた。


「……まぁ、こんなのと友人でいる奴も同類か」


 私は目を大きくした。弾かれたように顔を上げて、彼を見る。まさか、私の友人まで侮辱するつもりなのか。


 視線に気がついたエルヴィス様が、呆れたように私を冷たく見下ろす。


「ほら、まただ。お前には忍耐力というものがまるでない」

「忍耐力だとか、そういう問題では……!」


 エルヴィス様が溜息をついた。その態度に、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。私が口を開くよりも先に、心底面倒そうな声で、エルヴィス様が言い放った。


「何故俺がアメリと婚約したのか、甚だ疑問だ」


(……は……?)


 その瞬間、私の中にも、一つの疑問が湧き上がってきた。


 どうして、こんな男と婚約しているんだろう。


 婚約など望んでいなかったと言われて続けても、どうして婚約を続けなければならないんだろう。私を蔑み、その上関係ない友人まで悪く言うような男なのに。


 怒りで、私も同じ疑問をエルヴィス様にぶつけてやりたい衝動に駆られる。それを、私はぎりぎりのところで止めた。分かっている、私は貴族の娘だから、嫌いな相手との結婚も受け入れなくてはならないこと。


(……でも、いいんじゃない?だってエルヴィス様によると、私は忍耐力がまるでないんだから)


 自分の中に浮かんできたそんな考えに、私は目を大きくした。そうだ、彼がそう言ったのだから。

 おろおろとしている友人に向かって、私は口を開いた。


「……ごめんなさい、私、用事を思い出したわ。急いで行かないと」

「え?」


 友人は驚いたように目を大きくした。困惑している彼に、また今度、と微笑む。

 そして、私はエルヴィス様の方に向き直って、とびきりの笑顔を浮かべてやった。


「それからエルヴィス様、私の友人を悪く言うのは金輪際やめてくださいませ」

「は……」


 そう言うなり、私は身を翻して歩いて行った。後ろでエルヴィス様が何か怒っているのが聞こえるが、もう関係ない。


 大広間を後にした私は、急いで馬車に乗り込んで、御者に告げる。


「急用が出来たの、神殿までお願い」


 馬が走り出す。私は、以前よりもすっきりとした気持ちで、窓の外の景色を見つめた。





 神殿についた私は、開口一番にこう言った。


「司祭様、神聖力の検査を受けさせていただけませんか」


 私は、普通の伯爵令嬢である。だが、一つだけ、他の人とは違う所がある。


 切り傷や肩凝りが一瞬で治る力。つまり、ものすごく弱いが神聖力があるのだ。


 そのことに気がついたのは私が十四歳の時。その時には既にエルヴィス様と婚約していたので、誰にも言い出すことはできなかった。

 なぜなら神聖力が宿った女性は、聖女、即ち神様の妻として神殿で暮らさなければならないからである。加えて聖女は清貧であることを求められるので、質素な生活への大変化は躊躇われた。


(でももうそんなのどうでもいい!エルヴィス様との婚約を解消出来るのなら!)


 女性から婚約を解消するのは難しい。だが、聖女となったなら話は別だ。だって、聖女の結婚相手は神様なのだ。神はなかなか人前に姿を現さないし、そもそも本当にいるかも定かではないけれど、それは置いておいて。


 司祭様の背中を追って、私は一つの部屋に辿り着いた。


 真っ白な柱の間から、月明かりが差している。その月明かりが照らす先に、大きな水晶の結晶のような石があった。


「こちらが、神聖力の有無を見極める特別な宝石です……あの……」


 髭を生やした老齢の司祭様は、おずおずと尋ねた。


「神聖力があった場合、聖女として神殿で暮らしていただくこととなります。貴方様は、貴族のご令嬢だとお見受けしますが……」


 その言葉に、私は真剣な表情で頷いてみせた。


「分かっております」


(エルヴィス様に、一生ぐちぐち望まない婚約だっただの言われて蔑まれるより、その方がはるかに良いわ!)


 司祭様は感嘆の溜息を漏らして、何と信心深い、と呟いた。


(ごめんなさい、別に信心深いとかそういう訳ではなくて、婚約を解消したいだけなんです)


 司祭様に心の中で謝罪をしていると、皺が刻まれた手が、そっと石を指す。


「では、こちらの石に手をかざして、お体の中の力を流し込むイメージをしてみてください。神聖力があれば、この石が光り輝きます」


 私は、月明かりを反射する美しい石の上に、ゆっくりと手をかざした。そして、切り傷を治す時を思い出しながら目を閉じる。


 その次の瞬間、穏やかな光が溢れ出して、部屋を包み込んだ。


 光を感じて、私は目を開く。水晶のような石が、きらきらと優しい光を放っている。


「これは……!」


 司祭様はそう息を呑んだ。


「この輝き、なかなか類を見ない神聖力の弱さです」


 ちょっと貶されたのが気になる。司祭様はこほんと咳払いをして、私の目を見た。


「強さはともかく、貴方様には神聖力が流れています。今日から貴方は、この神殿の聖女です」


 つまり、これで晴れてエルヴィス様との婚約を解消出来るということだ。心の中でガッツポーズをして、私ははっとして司祭様に尋ねた。


「あの、すみません。婚約を解消するために一度帰りたいのですが、よろしいですか?」

「え?」


 司祭様は、面食らったように目を瞬いた。





 その後、屋敷へ戻り、家族に聖女となる旨を伝えたり、婚約解消の準備をしたりと忙しくしていると、あっという間に夜が明けた。


 朝の光が降り注ぐ応接室で、私は長椅子に腰掛けて、エルヴィス様と向かい合っていた。

 突然呼び出されたせいで、見るからに不機嫌そうな彼が、怒りの色が滲む目で私を鋭く見る。


「……話とは何だ。昨日の謝罪か?」

「いいえ」


 そう言うと、彼は溜息を吐き、長椅子の肘掛けで頬杖をついた。手短に終わらせてくれ、と面倒そうに言い放った。


(本当に良かった!こんな男と結婚するはめにならなくて!)


 エルヴィス様の態度を見ていると、心の底からそんな気持ちが湧き起こる。私はわずかに笑みを浮かべながら、話し出した。


「エルヴィス様はよく、望まない婚約だったと仰っていますよね」

「それが何だ」

「私は、エルヴィス様の言う通り、素晴らしい人間ではありません。でも、そんな私でも、もっと出来ることがあると思うんです。エルヴィス様が望んでいない婚約を、このまま何もせず続けるのではなく」


 エルヴィス様が眉をひそめた。彼が困惑しているような空気を感じる。少しの沈黙の後、エルヴィス様は低い声で言った。


「何を企んでいる」


 私は、穏やかに笑いながら言った。


「婚約を解消しましょう」


 エルヴィス様が目を見開く。そして、はっと嘲るように笑った。


「婚約を解消?そんなことをすれば、お前のような人間は一生独り身だと思うが」


 私は、何も言わずに、ただ背筋を伸ばしてじっと彼を見つめる。そんな私に、何となく彼が焦っているような気配がした。


「だからこそ、俺はお前と婚約破棄しないでやっているんだ。そもそも、お前の一存で婚約解消など出来るわけ……」

「出来ますよ」


 私はそう平然と言ってのけると、昨夜の説明を始めた。


「昨夜、神殿に行って、神聖力の検査をしていただいたんです。結果、私に神聖力が流れていることが分かりましたので、聖女となることが決まりました」

「……は……?」


 エルヴィス様は、呆然と目を見開きながら、そんな声を漏らした。


「まさか、お前に、神聖力なんてある訳が……」

「私に神聖力があることを証明する書面もあります」


 私は、長椅子の前のテーブルに、一枚の紙を差し出した。エルヴィス様は信じられないようにそれに目を通して、顔を上げる。


「私はこれから聖女として生きていくつもりです。聖女は神様の妻ですので、婚約は解消に……」

「そんなのは認めない!」


 エルヴィス様が声を荒げた。少し緊張して、私は笑みを消す。


「婚約解消などしない、絶対に」


 ギラギラとした目でそう繰り返すエルヴィス様に、私は落ち着いた声で告げた。


「エルヴィス様、これは決定事項です。拒否したからといって、どうにかなるものではありません」


 エルヴィス様は呆然としながら私を見つめる。そして、今度は弱々しい声で、嫌だ、と繰り返し始めた。

 私は目の前の状況に困惑した。散々望まない婚約だったと言っていた人が、どうして婚約の解消を拒むのだろう。


「……昨日のあれは、お前があの男と仲が良さそうだから、嫉妬しただけなんだ。許して欲しい、俺はお前を本当は愛している」

「は?」

 

 呆れ果てて、そんな声が出た。何を言っているんだ、この人。


(何を今更、ふざけたことを)


 それならどうして、今まで私を傷つけてきたのだ。それを、本当は愛しているから許してくれと?

 怒りがこみ上げてきて、私はもう一枚の書面をテーブルに叩きつけた。


 私は立ち上がって、茫然自失としているエルヴィス様を冷たい目で見下ろした。


「あとでこちらにサインしておいてください。まぁ、貴方がしなくても明日には神殿に向かいますが」


 私がテーブルに置いたのは、婚約の解消に同意してもらうための書面だった。待ってくれ、と引き止めようとする彼に、私は最後に笑う。


「あなたが散々望まない婚約だったと言ったのですから」




お読みくださりありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
ただのモラハラ男なだけじゃねーか
司祭の態度を見てると神殿に行っても苦労しそう 糞みたいなクズ男とあまりよくなさそうな神殿どっちのほうがマシなんでしょうね
今さらジローやで
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