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第1話 静かなる退場

王国の裏側で、すべてを支える一人の男。栄華の影に潜む崩壊の予感――。新王の愚かな一手が、運命の歯車を狂わせる。天才書記官の静かなる復讐が、今、始まる。

 ――よって、書記官レオンハルト・シュヴァルツを、王国の職務から解任し、本日をもって王都からの追放を命じる!


 若き新王ガイウス・デ・エインラントの、やけに甲高い声が玉座の間に響き渡る。

 その言葉に、居並ぶ貴族たちの間から、待ってましたとばかりの嘲笑が漏れた。視線が、まるで汚物を見るかのように俺に突き刺さる。


 俺は銀縁の眼鏡の奥で静かに目を伏せ、感情の乗らない声で答えた。


「――御意」


 ただ、それだけを口にした。


 玉座にふんぞり返るガイウス王は、俺のあまりに淡々とした態度が気に入らなかったらしい。眉間に深い皺を刻み、不満げに唇を歪めている。


 彼の隣に立つ、派手な装飾の男――佞臣ねいしんコルネリウスが、勝ち誇ったような笑みでささやく。


「陛下、ご覧ください。この期に及んで反省の色も、王国への忠誠心も、この男には一片たりともございません。まさしく旧時代の無能。陛下の新しき治世には不要な存在です」


「うむ……」


 実に分かりやすい。

 コルネリウスのような人間は、いつの時代にも存在する。論理ではなく感情に訴え、権力者に甘い言葉をささやき、己の利益だけを追求する寄生型の思考回路。合理的ではないが、人間の社会においては、しばしば有効な生存戦略だ。


 そして、その甘言に心地よさそうに身を委ねるガイウス王もまた、分かりやすい人間だった。

 偉大すぎた先王。その息子として生まれた彼は、常に父親の幻影と戦い続けてきた。何者かになろうと焦り、目に見える実績を渇望している。

 だから、父王が重用した俺のような『地味な存在』が目障りで仕方がなかったのだろう。


 国を支える基盤とは、えてして地味なものだ。

 上下水道の管理、食料の安定供給を支える物流網の整備、物価を安定させるための市場経済システムの設計、有事を想定した軍事兵器のメンテナンス計画。


 それら全てを、俺は先王の命を受けて設計し、実装し、そしてこの国の誰にも気づかれぬよう、たった一人で維持管理してきた。

 だが、その緻密な歯車は、目には見えない。


 人々が当たり前のように享受する日常の裏側で、いかに複雑な機構が動いているかなど、誰も気にも留めない。

 ガイウス王も、その一人だった。

 彼は俺の仕事を「前時代の遺物をただ保守するだけの、創造性のない作業」と断じた。


 そして、コルネリウスが提唱する「貴族への減税による経済活性化」「軍備拡張による国威発揚」といった、耳当たりの良い改革案に飛びついた。

 実に愚かしい。


 減税の財源はどこから捻出するのか。拡張した軍備を維持するための予算と技術は?

 その場しのぎの甘い言葉が、どれほど致命的な崩壊を招くか、彼らは想像すらできていない。


「レオンハルトよ。父の代からの功績に免じて、これまでは温情をかけてきた。だが、貴様のその傲慢な態度、そして旧態依然とした仕事ぶりは、我がエインラント王国の輝かしき未来を阻害する毒でしかない! 分かったか!」


 俺は無言で頭を下げる。

 反論はしない。彼らが聞きたいのは、論理的な正しさではなく、自分たちの決断が正しかったという肯定の言葉だけだ。ここで何を言っても、時間の無駄でしかない。

 それに――これでようやく、俺も自由になれる。


 先王には感謝している。俺の才能を見出し、存分に振るう場所を与えてくれた。


『私の代わりに、この国の未来を設計してくれ』


 その遺言を守るため、これまで身を粉にして働いてきた。

 だが、その息子が、その設計図を自らの手で破り捨てようというのだ。

 もはや、俺がこの国に留まる義理はない。


(さて、この国がどこまで持つか)


 俺が内心で思考を巡らせていると、コルネリウスが追い打ちをかけるように言った。


「陛下、この男が管理していたという引き継ぎ資料ですが、膨大なだけで全く要領を得ません。このような無意味な書類仕事に時間を費やしていたとは、まさしく税金の無駄遣い。我々新時代の人間が、もっと効率的に管理してみせますとも」


 その言葉に、俺は初めて顔を上げた。

 そして、懐から分厚い書類の束を取り出し、その場に静かに置いた。


 ずしり、と重い音を立てて、床に置かれたのは、この国の中枢を支える全てのシステムの設計趣旨と運用マニュアルだった。


「後のことは、全てその資料にまとめてあります。ご随意にどうぞ」


 俺の言葉に、貴族たちがざわめく。

 コルネリウスがその資料を忌々しげに一瞥し、鼻で笑った。


「ふん、こんな紙切れの山に何の意味がある。我々には我々のやり方があるのだ」


 そうか。紙切れか。

 面白い。実に、興味深い。

 その『紙切れ』は、俺が独自に開発した暗号化言語で記述されている。

 仮に解読できたとしても、そこに記されたシステムの根幹には、意図的にブラックボックス化した部分――『設計者認証キー』がなければ定期メンテナンスすら不可能な、複雑怪奇な機構が組み込まれている。


 俺という歯車を失ったこの国の時計が、いつまで動き続けるのか。


(市場の混乱が表面化するまで、約三日。物流の麻痺が顕著になるのが十日後。都市機能を支える魔導蒸気機関に致命的なエラーが発生するのが、二十日後……)


 心の中で、静かにカウントダウンを開始する。


(限界は、せいぜい三十日、といったところか)


 その頃には、俺はもうこの国にはいない。


「では、失礼いたします」


 俺は最後の礼を取ると、玉座の間に背を向けた。

 後ろでガイウス王が何か叫んでいる気がしたが、もうどうでもよかった。


 ゆっくりと、しかし確かな足取りで、俺は王城の廊下を歩く。

 この廊下を照らす魔導灯の安定した光も。

 床下を走る温水管による、快適な室温管理も。

 全て、俺が設計したものだ。


 俺は誰にも見咎められることなく、長年住み込みで使っていた書記官室へと戻った。

 部屋にあるのは、ベッドと、壁一面を埋め尽くす書棚だけ。私物と呼べるものはほとんどない。


 いくつかの専門書と、着替えを簡素な革鞄に詰め込む。

 それだけの作業に、五分もかからなかった。


 最後に、机の上に残された一枚の羊皮紙に目をやる。

 それは、先王から賜った、たった一つの勲章のようなものだった。


『我が友、レオンハルトへ。この国の未来を君に託す』


 その震えるような文字を見るたび、俺は身の引き締まる思いで仕事に打ち込んできた。

 だが、それも今日で終わりだ。


 羊皮紙を手に取り、部屋に備え付けられた暖炉の火へと静かにくべる。

 じりじりと音を立てて燃え上がり、やがて灰になっていくのを、俺は無表情で見つめていた。


「さようなら、陛下。あなたの国は、あなたの息子が壊すようです」


 誰に言うでもなく呟き、俺は部屋を後にする。


 ◇


 王城を出て、王都の喧騒けんそうの中を歩く。

 人々は新しい王の治世を歓迎し、未来への希望に満ちた顔で往来を行き交っている。


 彼らはまだ知らない。

 自分たちの足元が、今、まさに崩れ去ろうとしていることを。

 その全てを設計した男が、たった今、この国を捨てたという事実を。


 俺は足を止めない。

 向かうは国境だ。


 これまでの人生は、先王との約束に縛られていた。

 だが、これからは違う。

 俺の知識と技術を、何の障害もなく、自由に探求し、実装できる。

 考えただけで、口元がわずかに緩むのを自覚した。


 追放は、俺にとって罰ではない。

 それは、ようやく手に入れた『自由』そのものだった。


 エインラント王国がどうなろうと、もう俺の知ったことではない。

 彼らが自分たちの選択の愚かさに気づいた時、後悔と絶望に染まる顔を想像するのは、少しだけ愉快な気もした。


 まずは、国境近くの町で宿を取り、今後の計画を練るとしよう。

 幸い、先王から賜っていた研究費の残りが、個人の口座にまだ十分に残っている。当面の生活に困ることはない。


 俺は振り返ることなく、夕暮れの王都を背に、歩き続けた。

 崩壊への秒針が、静かに時を刻み始める音を聞きながら。

天才の静かなる離脱と王国の崩壊を描きました。バカな上司に振り回されるサラリーマン気分で書いたけど、ファンタジーで復讐要素を加えてみました!

次はレオンハルトの新天地での活躍を描くかも。

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