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法呪解仙~下っ端官吏のはずが、死刑囚の監視人になりました!?~  作者: 瀬川香夜子


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番外編・裏側の話



 とっぷりと日がくれた梧澄の庁舎はすでに官吏たちも帰路につき、真っ暗な闇に支配されていた。

 厚い雲が夜空を隠してさらに暗い世界へと誘う。

 重たい雲からは強い雨が地面を叩くように降り続けており、ときおり雷が周囲を照らす。


 暗くなった庁舎の廊下を、一人の男が歩いていた。小柄な影だ。腰の曲がった姿を見るにずいぶん年をとっている。そのわりに足取りは軽やかなものだ。

 明かりもないくせに迷いのない足で進む老爺であったが、不思議なことに瞬きもしない間に姿が消えた。代わりとばかりに暗闇を歩くのはしゃんと背筋の伸びた長身の若い男である。

 年の頃は二十代も半ばから後半だろう。すらりとした立ち姿に相応しい涼しげな美貌の男だ。癖のない長い黒髪を揺らしながら男は唯一明かりの灯っていた部屋――呪史編纂部へと向かったのだ。


「どうしてあの子に任務を寄越したの」


 誰が来たかなど部屋にいた女――懍葉にはお見通しのようだ。男が部屋に入るよりも早く鋭く言い放つ。そこに燈霞や官吏たちに向けるような微笑みは欠片もない。

 ぎらぎらと光る瞳は怒りや嫌悪をふんだんに含んで男を射抜く。

 並の人間ならば震え上がりそうな懍葉を前にしても男は余裕ぶった態度を崩さなかった。むしろ煽るように皮肉げに眉を揺らし、口の端を持ち上げた。


「若い身空で死刑を言い渡された若者に最後に良い夢をみせてあげたかったんだ。同じ年頃の女の子なんていたら最高だろう?」

「ふざけたことを言うのはやめなさい。功篤――いいえ、黄冥(おうめい)。杏颯天の()()は死者が授けた呪いだと、あなたなら簡単に見抜いたはずよ。あの子と外に出したところで解けないことも、刑の執行が出来ないことも分かっていたでしょう」


 この男が憐れみなんて感情を持つわけがないと長い付き合いの懍葉はよく知っているのだ。なんせ()()近くもの付き合いだ。


「本当なんだけどなあ……まあ不憫な子だと思ったのは本当だ。本当なら情状酌量でもっとあっさり釈放されただろうに、どうしてもあの子を殺したい連中のせいでろくな審判もなく死刑だ。全くお貴族様ってのは怖いもんだ。母親を殺しただけじゃ飽き足らず、自分の出自すら知らない子どもも殺したいらしい」

「……やっぱりあの子たちの生家が理由ね」


 呆れと侮蔑のため息にも、黄冥は肩を竦めて返すだけだ。


「そりゃ気になるだろ。なんせ険悪で有名な櫻家、潮家の嫌われた庶子()()だ。なにか面白いものでも見れるかと思えば――はは。まさか愛し合うなんて誰が思った? 傑作だろう!」


 高らかな笑いと同時、黄冥の真横を風が横切った。遅れて彼の白い頬に赤い線が入って血が滴る。艶やかな髪も一房ほど切れて音もなく落ちた。


「……痛いじゃないか」

「あら。じゃああなたが私の弟子にしたように、あなたの()()()()()にしたほうが良かったかしら?」


 首を傾げた懍葉が下から睨めつけるように見た。黄冥の眉が不愉快そうにひくりと揺れた。彼の初めて現した感情の揺らぎだ。


「やめておくれよ。裕洵の脳天気さは意外と気に入っているんだ」

「珍しくあなたが気に入っているからこそ、標的にしてるのだけど?」

「懍葉。弟子を私の興味本位で任務につけられたのがそんなに気に食わないのか? ――ああ、いやきみが怒ってるのは愛を馬鹿にしたからかい?」


 なるほど。黄冥は懐から取り出した扇子で手を打った。


「まあきみほど一途な愛を貫いている人間もいないだろうからなあ。――そうそう、きみの一等大事なあの子はまた生まれ変わったそうじゃないか。性懲りもなく見つけ出すくせに引き取りもせず妓楼に入れてるそうだがいったいどうしてだい? しかも大金払って客と床には入らせない。全くきみの考えは想像がつかないよ! なんだってそんな真似をするんだ? 昔みたいに探し出しては引き取ればいいじゃ――」

「黄冥」


 練り上げられた黒い怒りの声に、さすがの黄冥も口を噤んだ。

 これ以上機嫌を損ねて首でも飛ばされては面倒だ。

 にこりとお手本のような笑顔を貼り付けた。


「すまない。口が過ぎたようだ。だが懍葉、私はただ同胞を心配してるんだよ。きみも知っての通り私たち仙師と人間では時の流れは違う。これ以上あの子――たしか今世では翠嵐だったかな――と別れを繰り返してきみが傷つくのを見るのが心苦しくてね。いい加減にしたらどうかと思って――」

「黄冥。本当に私を怒らせたいの?」


 あまりの怒気に懍葉の癖のある髪が、唸りを上げるように揺らめく。

 頃合いかと、黄冥はこの旧友との会話を切り上げることにした。


(心配してるのは本当なんだがなあ……)


 仙師とは、肉の器からの脱却を成功させた者のことを言った。本来人は肉の器を無くせば魂は天界へと招かれて輪廻を回る。しかし魂自身が自我を持って生きることが可能となったのが仙師である。

 それゆえ黄冥たちにとっては寿命などないようなものだし、姿だって変幻自在。人からすれば神のごとき御業もこなしてしまえる。

 一昔前の人間はみな肉の器を捨てることを目的としていたが、成功した者はほとんどいない。みな普通に死んで輪廻を巡った。

 懍葉も黄冥と同じように朽ちることを知らない仙師である。


 気兼ねなく話せる同胞はあまりに少ないので、さすがの黄冥とて懍葉がいなくなってしまうのは惜しい。

 出来れば仲良くしたいところだが、黄冥には懍葉の感情も考えも欠片も理解できはしない。なんせ誰か一人にそこまで心を砕いたことがない。

 最近になってようやく面白いと思えたのは裕洵ただ一人だ。興味本位で人間を観察したことはあるが、それを引きずったことはない。飽きればすっぱり忘れられた。人間が気まぐれに虫を観察するのと同じようなものだ。仙師である黄冥にとって他人というものは、すぐに朽ちるものであって絶対に同じ目線に立つことはないのだ。


「……これ以上きみを怒らせるのも申し訳ない。私は帰ることにしよう。久しぶりに顔を見られて良かったよ」


 きみの弟子はちゃんとここに帰すから安心してくれ。


 さすがにまた学舎で借りることになって申し訳ないと思っていた。気を遣って言い置いたのだが、懍葉はやっぱり苦々しい顔で黄冥を睨んでいた。


 ――ふむ。人の心というのは難しいな。


 悩むでもなくあっさりと思って黄冥は部屋を出た。廊下の闇に一歩踏み出した瞬間、そこは梧澄の庁舎ではなく、函款獄舎の冷たい廊下だった。

 腰の曲がった老爺が歩いていくと、背後からバタバタと騒がしい足音が迫ってくる。


「功篤さんやっと見つけたー! 大変だったんですよ!? 急に燈霞さんが現れたと思えば倒れちゃって……それで颯天くんが部屋に運んでくれたんですけど燈霞さんてば颯天くんにくっついて離れてなくて離れなくて……ひとまず二人は同じ部屋で眠ってもらってるんです」


 全くどこに行ってたんですかあ!?


 早口と身振り手振りで言い切った裕洵に、功篤は頷き返す。

 老爺らしい枯れ枝の手でよろよろと懐から揚げ菓子を出した。すると、プンプン怒っていた若者の顔がころりと笑顔に変わった。喜んで菓子を食べる横顔に、功篤は満足そうに何度も頷いた。





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