二十六話
颯天に攫われるように部屋に戻ってしまった日、一度翠嵐が現れて二人は休むようにと楼主の言伝を置いていった。
その日はプレイをせずに布団に入った。
燈霞はいつもと違う判然としない心境に振り回されていたし、颯天の雰囲気もどこか湿っぽくてそれどころではなさそうだったのだ。
主に妓楼の仕事は夜に集中しているが、雑用なんかは昼間のほうが多かったりする。
炊事場の手伝いに掃除や洗濯……床入りはともかくそう言った雑用をサボる気はなかったので、怪我は浅かったからと仕事に向かおうとしたところ、同じ見習いの少女と遭遇した。どこか浮き足立っているようだ。
「そんなに急いでどこに行くの?」
訊くと、少女はずいぶん明るい顔で教えてくれる。
「今日は外商さんが中庭で店を出してくれてるの! 今回はずいぶん品が多いって姉さんたち言ってたから、私たちでも買えるようなものがあるかもしれないよ」
「その商人て何時までいるんだ?」
ひょこりと燈霞の後ろから颯天が訊ねる。
「多分陽が落ちる前には帰っちゃうと思うけど……あとは売れ行き次第じゃない?」
「へえ」
「二人は今日も仕事だよね? 私は休みだからちょっと覗いてくるよ。一段落したら二人もおいでね!」
見ているだけで楽しいから、と年ごろの少女らしくはしゃいだ様子で階段を下りていった。
「そんな良いもの売ってるのかな」
「さあな~。どうせ見ても俺らじゃ買えねえよ」
まあここで庁舎に支払書を送ってくれなんて言えるわけもないので当然だ。稼いでいる妓女ならともかく、窓際部署の燈霞の給金はそんなに高いものじゃない。今の手持ちだってそこまであるわけじゃないのだから。
それに妓楼で並ぶと言えば美容関係や装飾品が多そうだし、燈霞には縁のないものだ。
(暇だったら見に行ってみるかな……)
颯天はどうするのかと気になりつつも、そんな軽い気持ちで頭に留めておいた。
裏庭の水場で燈霞は数人の見習いたちと一緒に洗濯に励んでいた。
姉さんたちの服は繊細な作りのものが多いので、どうしても気を遣うから時間もかかる。
朝餉のあとすぐに始めたのだが、洗濯籠が空になったのは昼餉近くのことだった。
洗ったものはすでに別の子たちが干してくれているので、燈霞の昼の仕事は終了である。
ほかの見習いたちと別れた燈霞は腹をさすって厨房へ向かっていた。
(お腹すいた……)
ただでさえここに入ってから食事は控えめにしているのだ。それなのにこうも重労働が続くとさらに腹が減って仕方がない。
(そういえば颯天はどこにいるんだろ)
術が発動してないから同じ敷地内にはいるだろう。昼時はどこの仕事も休憩に入るし、昼間の仕事なんてほとんど午前中で終えられる。
颯天のほうも仕事は終わってるはずだが、姿が見えなかった。
厨房に行って食事を受け取る。炊事係に聞いてみたが、颯美はまだ見てないという。
颯天の分も預かって部屋に戻ってみたところで無人だ。
しばらく待ってみたがいっこうに姿は見えない。
一体どこに行ったのかと思ったときに足音が聞こえてきて、燈霞は部屋から顔を出した。――が、そこにいたのは今朝方外商のところに行くと言っていた見習いの少女だった。
手元には大事そうに両手で抱えた巾着がある。きっとなにか購入したのだろう。
「お店楽しかった?」
「うん。私の給金でも買えそうな可愛い簪があってね。買っちゃった」
語尾が弾んでいるところを見るに、本当に嬉しかったのだろう。
こっそり見せてくれた簪は小さな花がいくつも装飾された可愛らしいもので、たしかに幼さの残る愛らしい少女にはよく合いそうだ。
「もしかして颯美ちゃんのこと待ってるの?」
部屋の中に並んだ二人分の食事に気づいた少女が訊ねた。頷くと、さっき下で見たと言うじゃないか。
「中庭でほかの子と一緒にお店を見てたけど、みんなお昼だって厨房に行っても一人残ってなにか話してたよ」
「その商人と?」
「うん。それでそのまま二人で中に……多分旦那さんが貸してる応接室に行ったんだと思う。お店広げてくれる日は、旦那さんが外商さんに一室貸してるの」
もしかして表に出せないような貴重な物を見せてもらってたりするのかな、と少女は羨むように言う。
その横で、燈霞は嫌な予感をひしひしと感じていた。
「それってついさっき?」
「うん。私が上にあがってくるときだから……」
「ありがとう!」
聞くやいなや燈霞はすごい速さで階段を駆け下りていった。
「きゃあっ!」
「ごめんなさい! 通ります!」
食事を持って部屋に上がってくる妓女や見習いたちの流れに逆らう。謝りながら一階に駆け下り、燈霞は息を荒くしながら右往左往と見渡した。
(応接室ってどこ)
まず客を迎え入れるような表側ではないだろう。楼主が使うとなると執務室の近くか。
(それだけでも部屋がどれだけあるか……)
片っ端から開けていく? あまり騒いで人目につきたくはない。商人と颯天が一緒にいる。そこをほかの人に見られるのはまずいと、直感的に思った。
(これを辿るか)
自身のなにもない手首を見て燈霞は難しい顔をした。
ここから颯天にかけられている功篤の術の気配を辿れば良いのだ。
といっても、呪法がかけられているのは颯天であって燈霞ではない。そのためおまけみたいに術に組み込まれている燈霞では痕跡が薄すぎるが神経を研ぎ澄ませれば出来ないこともない。
(本当はすっごく疲れるから気が進まないけど……)
だが、今は一刻も早く彼を見つけないといけない気がするのだ。
息を整えて目を閉じた。
意識を自身の手首にかおる呪法の痕跡に向け、そこからうっすらと感じられる術を辿っていく。
「――あっちね」
開いた深紅の瞳は、真っ直ぐに颯天のもとを向いていた。




