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法呪解仙~下っ端官吏のはずが、死刑囚の監視人になりました!?~  作者: 瀬川香夜子


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二十一話


「燈霞ちゃん」


 食器を両腕で抱えていた燈霞は背後からの呼び掛けに振り返った。


「翠嵐さん」


 まだまだ夜も更けたばかりの時間だ。客に引っ張りだこであろう翠嵐に呼びかけられた燈霞は、不思議そうに首を傾げた。


「昨日湯浴み出来なかったでしょう? 今日は燈霞ちゃんと颯美ちゃんが見習い風呂を一番に使っていいわよ」

「……いいんですか?」

「ええ、もちろん。働きっぱなしで疲れたでしょう? 温まってゆっくり休んでね」


 颯美ちゃんも病み上がりでしょう?


 と気遣う声に曖昧に笑った。

 客の男にグレアをあてられた件から一晩経ち、燈霞たちは食事や酒の運搬、客が帰った部屋の片付けなど、まあ体のいい雑用をこなしていた。

 それは颯天も変わらないもので、彼は昨夜の衰弱が嘘かのように元気に働いている。

 各々現場責任者にあれこれ言われて動いているからずっとそばにいるわけじゃないが、同じ棟にはいるのでたまに姿を見かけてはいる。自慢の怪力を生かして他の人よりも器用に大量の食事を運んでいたので心配することはなさそうである。


(今朝もずいぶん喧しかったしね)


 早朝の燈霞は颯天のけたたましい声で無理矢理起床させられた。

 なにごとかと思いきや、颯天は真っ赤になった顔で戦慄きながら燈霞をまじまじと見て、そしてどこか気まずそうに瞳を揺らしていたものだ。

 推測するに羞恥か照れ……だろう。

 果たしてそれがなにに大してかは分からない。

 あんな男になすすべなくやられて助けられたことか、それともサブとして燈霞に世話をされたことか。

 まあ、なんであれ元気なことに変わりはない。


「お風呂の場所は分かる?」

「たしかここを出た東の隅にある建物ですよね?」

「そうよ。見習用の湯船は一番手前の扉だから分かりやすいと思うわ。颯美ちゃんに声かけてもう行ってきちゃっていいわよ」

「もういいんですか?」


 まだまだ客は来るだろうにこんなに早く上がってしまってよいものか。


「初日だもの。昨日の騒ぎもあったし旦那さんが気を遣ってくれたのよ」


 気にせずゆっくりしてきてね、という翠嵐の言葉に甘えることにした。

 手にしていた食器を一度厨房まで持って行ってから身軽になった燈霞は颯天を探すことにした。そうかからずに廊下の奥に小柄な少女の姿を見つけることが出来た。

 隣には颯天たちと同じ見習い用の衣装に身を包んだ少女がいて、昨夜男に詰められていた少女だと気づく。


「へえ、じゃあ週に一回は商人が来て中庭に店を広げてくれるんだ」

「そうだよ。まあ本命は姉さんたちだけど、私たち見習いも姉さんのあとにチラッと覗くぐらいは出来るから」


 妓女向けの品は見習いでは手が出せないと嘆いた少女だったが、「この前見た宝石はすっごくキラキラしてて綺麗だったんだあ」と輝いた瞳でうっとりと語った。

 昨晩だけ怯えていたのが嘘のように笑っている。良かったな、と燈霞も幼い少女の笑みにほっとした。


(それにしても少し離れてた間にずいぶん仲良くなったわね)


 本当に感心してしまう。いっそ尊敬ものだ。と、不意に颯天の目が怪しく光った気がした。


「その商人て、旦那さんと懇意にしてる人だよね? 来てくれるのはいつもその人?」

「反物とかはべつで専門の人が卸してくれてるけど、まあ大体その人じゃないかなあ」

「あの白い木を持ってきたのも?」


 ドキリと燈霞は息を飲んだ。咄嗟に曲がり角に隠れて息を殺してしまう。


「白い木……? ああ、あの別館のこと? そうだよ。長い付き合いの旦那さんだから教えてあげるんですよって言われて、旦那さん小躍りするぐらい喜んでたから。たしかに白い木って珍しいけど、そんなに良いものなのかなあ」


 首を捻る少女はその価値をよく知らない様子だ。生唾を飲んで見守っていた燈霞は颯天の様子に気を配ってはいたが、変な様子はない。昨夜の動揺が嘘だったようだ。

 そうこうしているうちに二人が炊事場が見えてきた。まずい。颯天が次の仕事に行く前に声をかけなくては。

 焦った燈霞が角から飛び出たとき。


「ちょっとあんた!」


 怒り混じりの女の声が割り込んだ。低い足音を立てて横道から現れたのは香鳴だ。

 今日は店に出ていないのか、接客用の衣装じゃない。髪も流したままで、そばかすの散る頬にはかすかに涙の跡があった。

 キッと鋭くつり上がった目は、見習いの少女に厳しく向かっていた。


「こ、香鳴姉さん」


 途端に少女の顔が青ざめる。


「あんたが私の客を上手くあしらえなかったから私が旦那さんに怒られたじゃない! あの人だってこの店を出禁になったのよ!?」

「す、すみません、姉さん。でもあの人ずいぶん酔ってて話が通じなくて……」

「うるさい! それを上手くやるのがお前たち見習いの役割でしょ!? ろくに客の相手も出来ないんだから私たち妓女が行くまで場を持たせるぐらいはしなさいよ!」


 香鳴が手を振り上げた。その白い手は少女の顔を打ち付けると思ったが、颯天が押さえつけた。


「な、なによ」


 冷めた眼差しに香鳴は怯んだ。颯天は、片手で香鳴の腕を抑えたままにこりと笑いかける。


「姉さん、こんなところで騒いだらお客さんに聞こえちゃいますよ? そうしたら旦那さんはまたお怒りになると思いますけどぉ……」


 それでもいいのかと、金の双眸が脅しめいた鋭さを見せる。

 二の句を告げられず、ぐっと奥歯を噛みしめた香鳴は羞恥と怒りで真っ赤になりながら颯天の腕を振りほどいてどすどすと足音を立てながら部屋に引き返していった。


「颯美ちゃん、昨日も今日も助けてくれてありがとう」

「いいのいいの。困ったときはお互い様でしょ」


 ほら、これを置いたらもう一仕事行ってこよう!

 少女二人のやり取りは見かけだけは微笑ましい。片方がお調子者の元男でなければだが。

 二人が炊事場から出てくるのを待ち構える。廊下で立っていた燈霞に、颯天はビクリとして露骨に視線を泳がせた。


「颯美、翠嵐姉さんが私たち二人はもう湯浴みに行っていいって」

「は」

「わあ! 一番風呂って見習いの中でもなかなか回ってこないんですよ。ゆっくりしてきてくださいね」


 自分事のように喜ぶ少女は微笑ましい。ありがとうと笑って言い置き、燈霞は混乱している颯天の手を掴んで浴室の方へ向かった。




「お、おい。お前本当に俺と一緒に入るつもりなのか!?」


 見習用と言いつつも、普段は五人ほどがまとめて入っているらしく、脱衣所も意外と広々していた。入ってきた扉にべったりと背中をつけて距離をとる颯天は、顔を青くしたり赤くしたりと忙しそうだ。


「あんまり大きい声出すと他の人に聞こえるわよ。猫かぶりがバレてもいいの?」

「そ、それはまずいけど……でもでも、本気で一緒に風呂に入るつもりなのか!?」

「一人ずつ入ってる時間なんてないでしょ。このあとはほかの子だってくるし」

「あんた俺が男だって忘れたわけじゃないよな」


 正気を疑うような目で見られる筋合いはない。

 さっきからこの押し問答が延々続いている。べつに燈霞だって好きで一緒に風呂に入るわけじゃない。だが、妓楼じゃ一人で湯浴みが出来るのなんてほんの一握りの妓女だけだし、入ってすぐに颯天や燈霞には望めない。

 ほかの事情を知らない幼気な少女をこの男と一緒に入らせるわけにはいかないので、燈霞が監視しておくしかないだろう。


「じゃああなたが先に入ってよ。湯船に入ったら教えて。そしたら私が入るから」


 湯船で背を向けてもらっていれば問題はないだろう。最悪法術を使って目隠しをしてやってもいい。

 あんまりちんたらしてたらほかの子の入浴にも差し支えると、強制的に服を脱がせにかかる。


「ぎゃーー!? な、な、なにすんだよ!」


 飛び上がった颯天は、まるで生娘みたいに怯えながら「自分で出来る!」と主張して渋々脱ぎ捨てて浴室に駆け込んでいった。

 遅れて燈霞が入ったときには、奥にある湯船でぎこちなく固まった背中が見えた。


(普通こういうときって女性が嫌がって固まるもんじゃない?)


 どうにも自分と彼じゃ逆転している気がして、首を捻りながら燈霞は髪や身体を清めた。

 盗み見たりしないだろうかと疑ってはいたものの、がっちがちに固くなった体からそれはないと踏んだ。

 そろりと燈霞が湯船に入ると、その水音でさらに肩を跳ねさせた颯天は隅で丸くなる。


「ずっとそうしてるつもりなの?」

「だ、だって燈霞がいるから……!」


 慌てふためいた口ぶりに、意外だと思った。妓楼通いをしていたくせにずいぶん初心なことだと考えて、そう言えば情報集めのために来てただけだったっけと思い直す。

 湯は乳白色でほどよい湯加減だった。温泉をひいてきているのだろうか。普通の湯浴みと違って芯まで温まる気がした。

 両手でお湯をすくいあげてくんと鼻を鳴らす。ほんのり甘い香りがするからなにか混ぜているらしい。

 湯船に背中を預け両腕を縁にかけてぐったりした燈霞は心地良さに脱力した。長ったらしく息を吐き出し、そうしてもう一度ちらりと颯天を見た。


(あんなに固くなってたら休まらないじゃない)


 どうせ濁ったお湯のせいで見えはしない。


「颯天、楽にしなさいよ。そんなんじゃ逆に疲れちゃうでしょ」


 あんたが見るなって言ったのに、とかなんたら文句が飛んでくるかと思ったが、「うん」なんて子どもっぽい返事と一緒に颯天がこっちを向いて肩までつぐんだ。ずいぶんとくつろいだ様子に思わず目を瞠った。

 とろりと目を垂れ下げていた颯天も、遅れてハッとなってみるみる真っ赤になる。


「ち! 違う! 今のは違う!」

「……なにも言ってないじゃない」


 まさか私がコマンドを使った?

 つい自分の言動を振り返るがそんな気は一切なかった。だが、さっきの颯天の覚束ない様子は昨夜と類似している。

 疑問符を頭に浮かべていると、颯天は今度は隠れるように顎先まで湯につけてぶつぶつと言い出した。


「起きたときから変なんだよっ! なんか燈霞の言葉がやけに耳につくっていうか……全部聞いてやりたくなるっているか……」


 とにかくなんか変なんだよ! と、颯天は力一杯叫んだ。

 そんなこと燈霞にだって寝耳に水だ。心当たりとしては昨夜のプレイしかないが、コマンドも使ってないのにサブ性が刺激されているということだろうか。


「……本当に勘弁してくれよ。サブってもしかしてみんなこうなのか?」

「颯天。あなたもしかしてプレイは初めてだったの?」


 訊くと、膝を抱えていた颯天がムッと眉を寄せた。


「ドムなんてほとんど貴族だろ。それか金持ってるような商人だし……そもそも俺みたいな孤児じゃ会う機会なんてない。遠目にみたことあるだけだよ」


 なるほどと納得した。一方で、それでよく燈霞の殺気に耐えたものだと感心した。しかもその後男のグレアに当てられたのにそのドムの男を蹴飛ばして反撃しているのだ。よくサブドロップしなかったものだと、今になって燈霞は昨晩のことがずいぶん綱渡りな行動だったと肝が冷えた。


「颯天。今度からドムがコマンドやグレアを向けてきたらとにかく逃げなさい。反撃できたとしてもしちゃダメ。そのせいで余計にあなたのサブとしての本能が自分を傷つけるわ」

「なんだよ……じゃあ燈霞が守ってくれるのか?」


 不満そうに尖った口は皮肉なつもりで言ったのだろう。だが、燈霞が「ええ」と平然と頷いたので、拍子抜けしたように目を見開いていた。

 そんなに驚くことか。むしろ自分のことをなんだと思っているのかと燈霞が不服を申し立てたいぐらいだ。


(ドムがサブを守るのなんて当たり前なのに)


 しかも今は、燈霞は颯天の監視人として一緒にいるのだ。彼になにかあっては燈霞が困る。

 そんなふうに言い訳がましく思ったが、じゃあ任務から解き放たれた状態で颯天がドムに害されそうになっていたら見過ごすのかと考えて、出来そうにない自分に釈然としない思いを抱えた。


「ドムとサブっていうのは抗いようのない性差なの。守るのが当然でしょう」


 実際に口に出してみる。これは自分に言い聞かせるためのものだった。

 しかし、颯天はそんな燈霞の内情なんて知らない。

 のぼせたのかというほど全身真っ赤にして、かと思えば叩きつけるように水面に顔を潜らせた。それに驚いたのは燈霞のほうだ。


「はっ!? なにしてるの!?」


 戸惑いながら肩を揺さぶっていると、息がもたなかっただろう颯天が盛大に顔を上げた。長い睫毛からぽたぽたと水滴が落ちていく。

 颯天はひどく複雑そうな顔で、そしてなにやら憎たらしそうに「なんだよそれ……」と吐き捨てた。




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