十九話
深い怒りでも示すように揺れていた金の双眼が、ハッと正気を取り戻した。
「ご、ごめんなさぁい。だって白木ってすっごく珍しいって聞いたことあったからビックリしちゃって~」
何度も目にした演技だが、今は取り繕ったものだと簡単に分かるほど颯天は普段通りではない。
えへへ~、なんて笑いながら、どこか怯えたようにちらちらと燈霞や翠嵐の目を気にしているから、二人は思わず目配せしあって通じ合ったものだ。
「急に大きい声出したら驚くでしょ」
「お客さんに聞こえちゃうかもしれないからもう少し控えめにね」
もう、と肩すくめた燈霞に微笑んだ翠嵐。二人からの追求がないと知ると、束の間颯天の顔に安堵が浮かんだ。
「はあい。気をつけるね」
きゃぴっといつものぶりっ子笑顔の復活に燈霞はついほっとひと息ついてしまった。しかし、面と向かって問いかけずとも、なぜあそこまで過剰に反応したのか気にかかるのは致し方ないことだろう。
(白木にたいして嫌な思い出があるとか……?)
考えておいて現実的ではない気がした。
白い木と書いて「白木」。その名の通り真っ白な木で、ある地域では魂を吸い取られるなんて言って気味悪がられているし、ある地域では神の依り代として尊ばれている……なんて話を聞いたことがある。まあ、なにかしらの妙な雰囲気をもった美しい木である。
切り出してみても中まで真っ白なその木材は、とくに貴族間で流行し、一時期は白い建造物ばかりが街に広がっていたと聞く。
しかしそうして乱獲していったがゆえに、今ではほとんど見当たらなくなってしまった。
養殖も試みているらしいけれど、いまだ成功した例しはないという。
それゆえに現在ではとんでもない高値で取引されているのだ。一本でも見つければ平民が一生遊んでいられるほどの金が手に入る。人生の一発逆転をかけ、白木を探して森を彷徨い歩く人もいるという話だ。
それだけの希少価値があるものに、たまたま縁があるというのもなかなか考えづらい。
ちらりと見た颯天は、表情はいつも通りでもどこか青白く見える。
そもそも鴛鴦に来る前から体調が悪そうだったのだ。今日はもう休ませたほうが良さそうだ。
「翠嵐さん、この子初めての場所にはしゃぎっぱなしなので、今日のところはこれで部屋に戻ってもいいでしょうか?」
「は? 誰がはしゃぎっぱなし?」
「そうね。客室なんか今は入れないし……明日の昼間にまた案内するわね。颯美ちゃんもゆっくり休んでね」
「はい。騒いだって無理矢理布団に入れるのでご心配なく」
「な、なんだよそのガキ相手にするようなやり取りは……」
ぶつぶつと小声で不平不満が聞こえてくるが無視だ。
三人は反転して本館に戻ろうとしたのだが――。
ガチャンと重たい陶器の割れる音と女性の悲鳴が聞こえて思わず足を止めた。
なにごとかと振り向くと、そばにある別館の一つ……その部屋から少女が逃げるように飛び出てきた。別館をぐるりと囲うような回廊は全て硝子張りなので様子がよく見える。
少女は足がもつれてそう行かずに廊下に崩れ落ちた。そのまま怯えた顔で背後を振り返ると、今しがた少女の飛び出た部屋からのそのそと大柄な男が現れる。
回廊のガラス戸のどこかが開いているらしい。男の声が大きいこともあってずいぶんとハッキリ聞こえた。
「香鳴はいつになったら来るんだ!?」
「も、申し訳ありません! 姉さんはもうすぐいらっしゃいるのでもうしばらくお待ちいただけたら」
「俺を放ってなにをしてんだ!? まさかほかの男と一緒じゃないだろうなあ?」
あきらかに酔ってるだろう真っ赤な顔をつきあわせ、男は少女へ怒鳴り込む。少女はなにも答えられず、頭を伏せるように丸くなって「申し訳ありません」「もうしばらくお待ちを」と辛うじて繰り返していた。
香鳴とは妓女たちの私室で会った女性だ。このあと客の相手があると言っていたので、きっとあの男のことだろう。
ついでに妓女たちの散々な悪態を思い出した。面倒な質で、けれど金払いがよいから香鳴が拒まないと言っていた。
たしかに男は酒に酔って暴れるようなろくでもない男だが、纏う衣服や装飾はずいぶん上質で金がかかっている。
「翠嵐さん、香鳴さんはあの客が来てることを知ってるんですか?」
すぐにでも飛び出せるように少女たちから目を逸らさずに訊ねた。
「え、ええ。馴染みの客が来た時にはその担当の妓女に必ず知らせるから香鳴も知ってるはずよ」
それならなんだって来る気配がないのか。
見習いだろう幼い少女が可哀想で仕方がない。しかし、ここで今日入ったばかりの勝手も知らない燈霞が出しゃばって騒ぎを大きくするのも避けたい。
現れない香鳴に苛立ちが募る。
「たぶん香鳴は焦らしてるんだと思うわ。あの人、香鳴の前ではコロッと機嫌よくなるから」
「はあ――?」
あんぐりと口が開いてしまう。
知っててこの状況を放っているというのか!?
尚更怒りが満ちてきて、もう知ったこっちゃないと翠嵐を振り返った。
「翠嵐さん、私が時間稼ぎをしてるので用心棒を――って、翠嵐さん?」
「え、あ、ああ。ごめんなさい。ちょっとあてられちゃって……」
あてられた?
大きい声に萎縮したということだろうか。しかし、それだけにしてはずいぶん顔色が悪い気がした。
目眩でも抑えるようにこめかみに手を当てている。
「すぐに旦那さんたちを呼んでくるわ」
青白い顔で本館の方へ駆けていく。
背後でまた男の怒声が響く。肌の表面がピリピリするような感覚に苛まれた。
翠嵐の背中を目で追っていた燈霞は、ふと男たちへ目を戻してから問いかけた。
「ねえ、颯天。翠嵐さんちょっと変じゃなかった? ――颯天?」
返事がない。訝った燈霞が見ると、颯天もなにやら立ち尽くしている。
いつも煌めく金眼が、今はくすんだように見えた。小さくなった虹彩が小刻みに揺れ、焦点が合わない。燈霞の声も聞こえていないようだった。
「え……ちょっと、どうしたの? そんなに体調悪いの?」
気遣うように肩に手を置く。たいして力なんて入れてないのに、それだけで颯天は支えをなくしたように崩れ落ちて慌てて燈霞が支えた。
「颯天? 颯天――!?」
しゃがみ込んで胸元に抱えた顔を覗き込む。瞳は今は固く瞼に閉じ込められ、息苦しそうに短い呼吸が聞こえた。真っ白な少女の顔に、脂汗が滲んでる。触れている身体が冷たすぎて、燈霞はぞっとした。
(どうして急に……ずっと我慢してたの?)
それにしては突然すぎる。遠くではまだなにかが割れる音がした。短い少女の悲鳴も聞こえ、でも腕の中に颯天がいるから動けない。
どうする?
迷い戸惑っていると、不意に颯天がみじろいだ。薄く開いた目が、ケロリとした燈霞を認める。
「はは……おねえちゃんは、ドムだもんな」
笑いたかったのだろうが、ろくに口角を上げる気力もないらしい。
燈霞は一瞬、頭が真っ白になった。
(どうして、颯天が知ってるの)
恐怖にも似た疑念が宿る。しかし、背後からの男の言葉が一つの答えとなった。
「いいから早く香鳴を『呼んでこい!』 」
さっきよりも強くビリビリと肌がひりつく感覚。妙な圧を感じる男の言葉は、いわゆる「Command」と呼ばれるドムの命令式だ。
ハッとして男を振り仰ぐ。
見習いの少女は第二性を持ってはいないようだが、それでもドムである男の気迫に飲まれて固まっている。小さな女の子が身を守るように丸くなって震える姿は憐れだ。助けに入ってやりたいところだが、腕の中の颯天が許さない。
――いや、燈霞が彼を手放せないのだ。
コマンドとは、本来ドムとサブの交流の際に使われるもので、一般的にはドムからサブへの命令式のことである。
サブはその言葉に応えることで充足感や達成感を得るし、ドムも自分のコマンドに従ってもらうことで安息や満足感が満たされる。
本来は両者間での密な交流でのみ使うことが許されるとされるコマンドだが、そんなものをご丁寧に守っているドムなどこの沙蓬国には存在しないだろう。
あの男のように相手がサブであろうがなかろうが、ドムのもつ独特の威圧感を使い、他者を無理やり従わせたり、服従させるときに使うのだ。
――額をこすりつけて跪け! あはは、そうだ。そうしてピクリとも動いてくれるな。
脳裏に過るのは、母が生きていた十年足らずの時間で嫌というほど見た生家の男たちだ。押しとどめていた記憶の蓋が、胸の奥に吹き出された怒りで開こうとしている。
(だからドムは嫌いなのよ!)
自分たちは人を踏みつけにして歩くことが当然だと思い、他人に頭を下げることを強要する。意のままに従う他人を見て、強者としての立場に酔いしれる愚か者ども。
嫌悪と怒りで無意識に喉の奥で唸り声が漏れた。
(……でも、いまはそんなこと考えている場合じゃない)
少女も可哀想だが、第二性別を持たない以上男のグレアやコマンドで度が過ぎた被害を受けることはない。
(問題は颯天のほうよ)
コマンドを自分に向けられたわけでもないのに、立てなくなって意識も保てないほどに影響を受けている。
その姿を見れば、自ずと分かる。
「颯天、あなたサブだったのね……」




