十五話
燈霞と颯天は妓楼通りに繋がる細い路地にいた。
すでにとっぷりと陽は暮れている。奥に見える通りはこれまた賑やかな声と光を届けてくる。この距離でも鼻につんとくる酒の匂いが漂っていた。
二人は颯天が言う『いい作戦』とやらでこうして再び妓楼通りにやってきたわけだが、燈霞はすでに頭が痛くなるような予感しかなかった。いや、すでに頭痛がしている。
「ねえ、私たちって本当になにをしに行くの?」
うすうす嫌な予感を感じながら問いかける。颯天はその場でくるくると回って自分の出来栄えを確認しながらご満悦そうだ。
「ん~? そりゃこういうときは店に潜入するしかないだろ」
「でしょうね……」
旅装束のままじゃ色気がない……なんて言って服を選んでいる時に思い至ってはいたのだ。ただ認めたくなかっただけで。
現在の二人は動きやすい旅装束を脱いで可愛らしいひらひらした服に着替えていた。普段着にしては幾分か煌びやかだが、あの通りで働いているような妓女たちに比べれば控えめで、たしかにこれから店に売り込みに行くにはちょうどよい塩梅なのだろう。
「まさか昨晩の男が用心棒してるって店に行くつもりなの?」
「さすがにそんな無茶はしないよ。言ったろ。情報収集してからだって」
「じゃあその近辺の店ってこと?」
「その通り」
鷹揚に頷いた顔が憎たらしく見える。その愛らしい顔立ちには化粧をしていて、普段よりも少し年嵩に見えた。
颯天は小柄ながらも女性らしい豊かな曲線を持つ。直襟で鎖骨を大胆に見せた上衣は、胸のすぐ下で強く帯を結ぶことで膨らみを強調していた。薄絹の袖や裾は少女が動く度にひらひらと舞ってそれはそれは美しいものだ。颯天のころころ変わる表情も相まってずいぶんと愛らしく見える。
反して彼が燈霞のために選んだ服は色は白という派手さながら、どことなく硬派な印象の漂う上衣と下衣が一体となった深衣だった。
長い裾と長い袖……合わせ襟の内側にはさらに装飾がついて首のほとんどを隠している。
自惚れでなければきっと、これは彼なりの配慮なのだろうと思う。ほとんど肌を見せない作りのそれは、まるで守られているようで面映ゆい。
といっても、妓楼への潜入をそう簡単に受け入れられるわけではないのだけれど。
「まさか店に突撃して受け入れてもらえると思ってるの?」
「はいはい。そこは俺がどうにかするから」
ついつい悪あがきをしてしまう燈霞の手を、痺れを切らした颯天が引っぱっていく。
「ねえ、あなた顔白くない? 気分でも悪いの?」
ふと気づいて立ち止まる。くんと繋がった腕に引っ張られた颯天も足を止めることになる。振り返った顔は通りの眩しさに当てられながらもやはり普段より白く見えた。繋いだ手も心なしか冷えている気がする。
昼間のは見間違えではなかったのだ。
「え~? ちょっと白粉を叩きすぎたかなあ」
「颯天、もし気分が悪いならべつに今日動かなくたっていいのよ」
むしろ昨晩襲われたばかりだし相手の油断を誘うためにも時間をおいたっていいのだ。
あれだけほだされるなと思っていながら、その死刑囚の身体を気遣うなんて少し前の自分が見たら青ざめて頭を抱えただろう。
けれど、昨夜の膝を抱えた颯天の弱々しい姿が頭に過り、燈霞にはそんな自分を自制することも出来なかったのだ。
「大丈夫だって。べつに具合悪いとはないし。早く呪い解かなきゃだろ」
言いながら、颯天は踏ん張りきれなかった燈霞を連れて通りに出た。――が。
「いてぇっ!」
ちょうど歩いていた男が大きくふらついてきて颯天とぶつかった。赤らんだ顔や胡乱な目を見るに酔っているようだ。夜も更けたばかりだっていうのにすでに出来上がっている。髭も整えられていないところを見るに、質の悪そうな客だ。
「なんだぁ~? 姉ちゃんたちどこの店のだ? ずいぶん地味な服着てんじゃねえか」
じろじろと眺めてくる瞳が、颯天の胸元を見てにやりと笑う。面倒なことになると察知した燈霞はすぐさま手元の札を投げた。
札はひらりと男の背に張りついた。途端、男の目が右往左往にぐらぐらと揺れ、動揺の声が漏れる。
「あ? なんだ、急に暗くなった……おい、なんだってんだ、いてぇ」
きょろきょろしながら男は柱に自らぶつかりに行った。まるで見えていなかったようで、狼狽える声に恐怖が混ざり始める。
男の声を背にして、今度は燈霞が颯天の手を引いて通りの隅を早足で進んだ。ある程度距離をかせいだところで札を回収。独りでに戻ってきた札をしまう燈霞に、ふと颯天が訊ねた。
「そういえば燈霞は呪法を使うときは必ずその白紙の札を使うんだな」
「まあ都合良く呪法を使えるからね。効果を付与するための物を探す手間が省けるから楽だし」
「使って解いてって繰り返ししてるのか」
警備官などの武官は事前に使い勝手の良い効果を付与した札を何枚も懐に忍ばせていることが多い。それはひとえに術の発動までの時間短縮と、解法が扱えない者がいるからなのだが、燈霞の場合は自身で解法を行使できるので札は一枚だけあれば事足りる。
その札だって、本来は長たらしい儀式用の呪文をつらつらと書いておかねばならないので、略字の一つもなく気を込めるだけで発動できる燈霞は人並み外れているのだ。しかしそんなことを知らない颯天は「便利だなあ」と感心するだけだ。
燈霞だってわざわざひけらかしたりはしない。
「そういえば訊きたかったんだけど、颯天……あなたって法術のことはよく分からないって言ってたわよね」
「ああ。孤児だったんだぜ? 法術なんてどうやって学ぶんだよ」
「そうだけど……あなたから呪法の気配がしたのよ。あの怪力や身体能力は生まれつき?」
颯天はしばし考える。
その間も通りを歩く男たちが隙あらば声をかけてこようとするので、二人はそんな奴らは見えていないかのように無言で目さえくれずにひらりと躱して先を進んでいた。
「うーん。気づいたときにはこうだったからなあ」
「そう」
「呪法なんて使ったこともないし――あ、止まれ。ここ。ここの店だよ」
「ここ?」
数多くある妓楼でも店によって客層はがらりと変わる。なにより単純な指標とされるのが、その料金であろう。
誰でも入れるような安い店から、貴族や商人――いわゆる富裕層でなければ入れないような店たち。そしてそういった店たちは大体区画ごとにかたまっているものだ。
颯天が示した店は、高級妓楼が立ち並ぶ中でも一二を争うほど立派な赤い建物だった。すぐそばには対を成すように深い青い妓楼が建っていた。
「鴛鴦」
なんとも皮肉な店名だ。
『鴛鴦の契り』からとったのだろうが、一夜限りの男女関係を売りとした妓楼がつける名ではないだろう。気になって青い妓楼を見ると「比翼連理」と書かれていて、なるほどと乾いた笑いが出てしまった。
目的の妓楼は中が見えるようにと玄関口はガラス張りになっていて、ちらと覗いただけでも建物二、三階分は吹き抜けになった広間が見える。外から見上げた建物は、広間の上階であろう部分に大きな露台があってそこから女性たちが通りを見下ろしている。その女性たちの美貌と麗しい微笑みにつられて目が合った男たちはどんどん店に吸い込まれていくのだ。見事なものだ。
颯天はというと客が入店する立派な門からではなく、建物に沿って裏の方へと向かった。これだけの規模の妓楼だ。敷地も広大で、奥には別棟がいくつも軒を連ねているのが見えた。
そう歩かずに従業員や業者用と思われる扉に行き着いた。そこには見張りの男がいて、二人に気づくと警戒した眼差しを向けてくる。
(ちょっと颯天! 本当にどうするつもりなの!?)
焦っているのは燈霞だけのようだ。颯天は何食わぬ顔で体格の良い男の前に立ち、その愛らしい顔を存分に生かした笑顔で首を傾げた。
「私たちをこのお店で働かせてください!」
はきはきと言い放った言葉に、男はもちろん燈霞の目が点になった。




