十話
二人が娃昌に到着したのは、当初の予定通り三蕗を出て一週間ほどのことだった。
道中の村や街で寝床を確保しつつ娃昌への情報を入手しようと思った燈霞だったのだが、訊ねてみると必ずと言っていいほど相手は変な顔をするし、どうにも言いづらいのか口ごもってしまう。
そうして冷や汗かいた颯天が割り込んで情報収集はうやむやに終わってしまう……ということが続いた。一体どういうことなのか。
得られたのは、さほど大きい街では無いことと、街の規模に反してずいぶんと盛況していて賑やかだということだけだ。
(それに若い女性が行く場所ではなさそうだし)
――え、お嬢ちゃんたち二人で行くのかい?
訊ねた相手のぎょっとした眼差しを思い出し、そして目の前の娃昌に意識を戻した燈霞はいまだあの村人たちの言葉の意味を測りかねていた。
「……なにもないじゃない」
二人が到着したのはちょうど昼時のことだ。普通であれば昼餉の時間ともあって飲食店は繁盛しているだろうし、昼間なのだからほかの店だって多少賑わっているものだろう。
それなのにどうだ。目の前の娃昌の街は盛況とはほど遠く見える。
店と思しき建物の多くは閉ざされており、開いている様子は無い。建築様式も独特で、赤や紺、黄色といった派手派手しく色付けされた柱や屋根がいやに目についた。
ほかの街でよく見かける露天形式の店は逆に少ないもので、どこの店も豪勢で立派な観音開きの玄関戸を構えていた。しかもどこもかしこも三階建て以上の高層建築で、通りに向けた露台の大きな窓が特徴的だ。
(いったいなんの店なの……?)
全く想像がつかない。
「店が開くのは夜だよ。とりあえずまともな宿を探そうぜ」
「は? まともじゃない宿があるの?」
「ここではな。そっちのほうが一般的なんだよ」
宿にたいして「まとも」などとおかしなものだ。しかしここ娃昌においては颯天のほうが精通しているのは確かなので、ひとまず燈霞は彼の後ろに着いていく。
大きな通りから離れていくとだんだんと派手な建物は少なくなり、燈霞でも慣れ親しんだ住居がちらほらと見え始めた。
この辺りならぽつぽつと開いている店もある。が、店主たちはずいぶん暇そうだ。ときおりこんもりと食料や品物を載せた荷馬車が通り過ぎるので、もしかしたらここに住む民衆相手というよりも、固定の大口顧客がいるのだろう。
「おばちゃーん。二人部屋空いてる?」
宿にずかずかと進み入った颯天は、奥の受付台にいる中年女性に声をかける。
客足がないとあって女性はずいぶん暇そうだった。声をかけられたことに驚くよりもさきに訝って二人を見た。
「お嬢ちゃんたち、まさか店から抜け出して来たんじゃないよね?」
「違う違う! ただの都への道中だよ! で、部屋は空いてるの?」
「二人部屋に限らず、好きな部屋を選びたい放題だよ」
「ラッキー! じゃあ広いところがいいなあ……あ、でもその分高くなっちゃうかあ……」
少女の無垢でころころと表情の変わる態度に、女性の表情も和らいでいく。眉を垂れ下げ、「はいよ。仕方ないから料金もおまけしといたげるよ」と言った。
これに颯天はにっこり愛嬌のある顔で笑って部屋の鍵を受け取った。
ひらひらと手を振って言われた通り階段を上る。女性の目がなくなると、さっきまで可愛らしく微笑んでいた少女は無垢とはほど遠い打算的な笑みでにんまり笑って後ろの燈霞に視線を向けた。
「俺のおかげだから感謝していいぜ」
「お金を出すのは私なんだからむしろあなたが感謝しなさいよ」
正確には役所なわけだが、面倒な手続きは全て燈霞がするのだから小さな問題だろう。
「それよりいい加減教えて。ここって一体なんの店が並んでるの? しかもさっきの人の言葉。抜け出してきたってなに?」
村の人が盛況だと言ったのも、きっとその店由来のものなのだろう。厳しく問い詰める燈霞を、颯天は部屋の鍵を開けながら口だけで取りなした。
「まあまあ落ち着けって……お、今までで一番広い部屋ー!」
「ちょっと」
こんなときにふざけないで欲しい。非難したところで颯天にはどこ吹く風だ。
部屋は寝台が二つとくつろぐための卓と椅子。構成自体は今までの部屋とそう変わらないが、たしかに広々としていて開放感がある。
颯天ははしゃいだ様子で椅子の一つに腰かけ、燈霞を見て微笑んだ。
「夜になったら分かるからとりあえず腹ごしらえしようぜ」
その言葉に促されてかきゅうと胃が空腹を主張した。
まったく燈霞がなびく言葉をよく分かっていることだ。
仕方無しとついたため息に、思惑通りいったことを悟った颯天は満足そうに笑った。
夕日が半分ほど沈んで夜の気配が濃くなり始めた時間帯になると、窓の外から見える大通りには目立つ赤い光がぽつぽつと灯り始めた。
広い通りの両端を小さな赤が真っ直ぐ整然と並んでいた。
あの大通りには背の高く奥行きのある大きな建物ばかりだが、隣の店との境も広いため、その隙間から通りの様子がよく見える。
そうして完全に陽が沈みきると、大きな建物たちの外灯が一斉に灯された。
あの派手派手しい色彩の建物たちが、灯りの下に浮かび上がって競うようにその存在を主張している。建物ばかりに気を取られているうちに、いつの間に集まったのか通りには幾人もの男たちが店を物色するべく渡り歩いていた。
その人の多さはもちろん、離れた宿の一室からでも分かるほどの明るさと賑やかさを窓から眺めていた燈霞はついつい呆けてしまっていた。
都だって特別な祭事など以外でこんなに賑々しくなることはないだろう。
同じように窓から通りを覗いた颯天は「お、始まったな」と楽しそうだ。
「じゃあ俺らもそろそろ行くか」
「あそこに今から行くつもりなの?」
梧澄に配属される前は比較的大きな街に住んでいたので人の多さには慣れている。だが、さすがに目が痛くなるような眩しさやあれだけの人の多さは初めてだ。
しかも通りを行くほとんどが男となると、さすがの燈霞とて少しは尻込みするものだ。
「ここで呪いの情報収集しようって話したろ? それにもしここに呪いをかけたやつがいるとして、俺が来たってなると接触してくるかもしれないし」
それならなるべく人の目についたほうが好都合だ。と、珍しく真面目な顔で言う颯天の主張はここに来るまでに散々話し合ったことであって反論の余地もない。
「分かってる。分かってるけど、行く前に教えて――あの通りにはいったいなんの店があるの?」
今回ばかりは引かないぞと強く睨めつける。颯天は目の当たりにするまで黙っていたかったようだが、ちらりと引く様子のない燈霞見て観念したようだ。
「娃昌……別名沙蓬国きっての花街だよ。あそこは妓楼通りだ」
金の双眸が面白がるように弧を描いた。




