第1話「推しに会いたいだけなのに」
――時計の針が、午後10時を回っていた。
「……やっと終わったか」
オフィスのフロアに響くのは、順一のキーボードを叩く音と、遠くで掃除のおばさんが掃除機をかける音だけ。
高山順一、37歳。某企業の営業課長代理。
平日は仕事に追われ、休日は疲れを癒やすため、たったひとつの趣味に没頭していた。
その趣味とは――コンカフェ通い。
「……これ、今日中に提出お願いしますね」
「あ、はいはい」
後輩が投げた書類を片手で受け取り、順一は小さくため息をつく。
眉間にシワを寄せるも、怒る気力すら残っていなかった。
金曜の夜遅くまで働く。それが順一の日常だ。
だが、今日だけは早く切り上げたかった。理由はただひとつ。
『コンセプトカフェ ショコラティエ』――順一の心のオアシス。
週末の夜にだけ訪れるそのカフェは、彼にとって唯一の癒しの場所。
お気に入りのキャスト「みか」が働く店であり、接客のクオリティも高く、常連客同士の交流も盛んだった。
ストレスまみれの毎日を、順一はみかの笑顔に救われながら生きていた。
「はぁ……まだ間に合うよな」
時計は22時15分。ショコラティエの閉店は24時。
今から急げば、ギリギリ間に合う――。
スーツ姿のまま、パソコンをシャットダウンし、立ち上がる。
いつもより早足でコートを羽織り、オフィスを飛び出した。
ビル街の夜風は、容赦なく冷たかった。
「さみー……」
ワイシャツ一枚では心もとない寒さだったが、そんなことを気にしている余裕はない。
順一は駅まで急ぎ、電車に飛び乗った。
車内は、金曜の夜らしく混み合っていた。
飲み会帰りのサラリーマン、楽しそうに騒ぐ大学生たち。
そんな中で、順一はスマホを取り出し、SNSを開いた。
ショコラティエ常連の仲間たちが、すでに店の様子をアップしていた。
「みかちゃん今日もかわいすぎ!」
「今日もテキーラ祭りで最高だった!」
その投稿を見るたびに、順一の心はざわめく。
早くあの空間に飛び込みたい。
この一週間溜め込んだ疲れとストレスを、みかの笑顔で洗い流したい。
「……あと少し、あと少しだ」
駅に到着し、電車を降りる。
ショコラティエまでは徒歩10分ほど。
商店街を抜け、大通りを渡る。
いつものルートを、順一は自然と早足で進む。
そして――見慣れた看板が目に飛び込んできた。
『コンセプトカフェ ショコラティエ』
その明かりを見ただけで、心が躍る。
いつもなら、ここから自然と足取りが軽くなるはずだった。
だが。
眩い光が視界を覆った。
「……え?」
頭上から降り注ぐ、異様なまでに強烈な光。
電灯の明かりではない。
視界を奪い、感覚を奪う、ただただ眩しい光だ。
「な、なんだ!?」
目を覆う間もなく、耳鳴りが轟き、足元が崩れる感覚に襲われる。
体が宙に浮かび、不思議な浮遊感が続く。
抵抗する間もなく、順一の意識は遠のいていった――。
「……う、うぅん……」
目を開けると、そこは見知らぬ場所だった。
白い大理石の床、空気中に漂う光の粒子。
まるでファンタジーゲームの世界のような光景が広がっていた。
「……どこだ、ここ?」
戸惑う順一の前に、ゆっくりと人影が現れる。
黄金の髪を持つ、美しい女性だった。
白いドレスに包まれたその姿は、まさに”女神”と呼ぶにふさわしい。
「ようこそ……あの……その……申し訳ありません!」
いきなり深々と頭を下げる女神。
「え? え? え?」
「本当に、本当に申し訳ありません! 本来召喚する予定だった方とは別の方を巻き込んでしまいました!」
女神と名乗る彼女の説明によれば、
本来は「勇者」を召喚するはずだったのに、偶然近くにいた順一が巻き込まれてしまったらしい。
「いや……帰れるんだよな?」
「……申し訳ありません。それは不可能です」
順一は頭を抱えた。
「ふざけんなよ……みかちゃんに会えないってのか……」
「みか?」
「俺の推しだ!」
女神は困ったように眉をひそめ、さらに頭を下げた。
「ですが、お詫びとして、通常より多くのステータスポイントを差し上げます。そして、あなたの年齢も20歳まで若返らせます!」
「若返り?」
「はい、新たな人生を歩んでください!」
もう戻れないのなら、この世界で生きるしかない。
順一はそう覚悟を決めた。
「……ステータスって、どのくらい?」
「120ポイントです!」
「じゃあ……そのポイント、容姿に5割、残りを均等に振ってくれ」
「えっ? よ、容姿に……ですか?」
「当然だろ? 見た目が良ければ、何とかなるってもんだ」
女神は戸惑いながらも、順一の希望通りにステータスを振り分けた。
【ステータス設定完了】
・容姿:60
・力:12
・知力:12
・器用さ:12
・耐久:12
・魔力:12
さらに、特別なスキル「万能適応」も付与された。
「万能適応……?」
「どんな環境、状況にもすぐに順応できるスキルです。異世界生活でも、きっと役立ちますよ!」
「なるほど……悪くないな」
そして、女神は微笑みながら言った。
「あなたが生活しやすいよう、過去に日本から召喚された方々が作った街へ転送しますね!」
「……? 日本人が?」
「はい! 異世界でも日本文化が根付いています!」
「へぇ……」
再び目を開けると、そこには中世ヨーロッパを思わせる街並みが広がっていた。
賑やかな鐘の音、人々の活気。
そして――
『コンセプトカフェ「スイート・ローズ」』
順一は思わず笑った。
「……あるのかよ、コンカフェ」
推しに会うためなら、どこでも行く。
たとえそれが、異世界だとしても――!
「よし……冒険者やって、稼ぐぞ。推しを見つけるために!」
こうして、異世界で“推し”を探すための高山順一の新たな冒険が、幕を開けた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
推しに会うために頑張る順一の物語、もし面白いと感じていただけたら、ぜひ「評価」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです!
ご感想も励みになります!