#7
「うう、戻ったよぅ……」
未だ満身創痍といった様子で、げっそりとしたマリエルが入室してくる。
ルイーズは呆れた様子で、ミシェルは心配そうにしながらそんな彼女を出迎える。
「少しは落ち着きましたか?」
「ほんのちょっとだけ。でも、まだまだ緊張の方がずーっと上回ってる」
にへら、と。マリエルは笑ってこそ見せるものの、その笑みには無理が見える。
まだ、しばらくは完全回復とはいかなさそうだな、と。イザベラはそう納得しつつ、彼女を席に招いた。
控えていた侍女がポットから紅茶を注いでくれる。
どこか果実のような、爽やかな香りが漂う。
「さて、イザベラ。改めて、今日は招いてくれてありがとう」
「あっ、そうでした、イザベラお姉様! 私も呼んで頂けてありがとうございます!」
そうやってニコリと笑いかけてくるルイーズと、ペコペコと頭を下げるミシェル。
彼女らに「いえ、こちらこそ」と。そう声をかけつつ、
「しかし、またこんな場を開くことができるだなんて。私も少し驚きつつも、とても嬉しく思っています」
イザベラが言ったその言葉は。彼女と、そして特にルイーズに関わるようなことだった。
元より仲のいい家同士であったイザベラとマリエルは、こうして茶会を開くことがそこそこにあった。
では、ルイーズやミシェルとはどうだったのかというと、マリエルほどの頻度ではないにせよ、それなりに招いたり招かれたり、ということが以前はあった。
そう。以前は。
「そうですわね。最後は、いつだったかしら」
「ミシェルが寄宿学校を卒業してから、その次のときくらいだったかと」
ルイーズのその問いに、イザベラがそう返す。
「そう。なら、もうそろそろ3年くらいになるのね」
そんなにもなるのか、と。少し懐かしさを覚えつつも。しかし、そんな彼女らと再びこうして交流を持つことができたことを嬉しく思う。
ルイーズと、ミシェル。このふたりと長期間に渡って交流がなかったのには、お互いの都合があまりつかなかった、ということもあるのだけれども。それ以上に、お互いの体裁上、という都合もあった。
なにせイザベラとルイーズは、どちらがアルベール様の婚約者になるのか、ということで。最後の最後まで争っていたのだ。
イザベラやルイーズがお互いをライバル程度に認識していたとしても、世間体の上や、あるいは実質上の関係性としては、敵対をしているわけで。また、彼女らと家単位での関わりであったマリエルやミシェルについても同様に、であった。
そういった都合で、しばらくの間はこうした場を設けられていなかったのだが。しかし、改めてこうして4人で卓を囲むことができたと思うと、そういった柵なく関わり合うことができるようになったのだ、と。
「それもこれも、私がふたりにイザベラの薔薇を自慢したからだね!」
「なにを自信満々に言っているんですか。九割九分イザベラの功績でしょうに」
「それはそう!」
マリエルは、ルイーズからの指摘にあははっと笑い飛ばしながら。どうやら、お菓子を摘んで少しずつ回復をしていたようだった。まだ、完全にいつもどおりの本調子とまではいかないまでも、ちょっと安心する。
「まあ、ほんの少しだけ。貴女の功績だったことは認めますわ。マリエル」
「……えっ? なんで褒められてるの?」
普段、滅多にルイーズから褒められることがなかった、というか。ほとんどの場合でルイーズからお叱りの言葉が飛んできていたマリエルが、褒められたことに当惑をする。
とはいえ、これに関してはイザベラもルイーズに同意見であり、コクリと同意の意思を見せる。
正直なところ、自身が婚約者に決まって。そうして事実上のお互いの柵が無くなった、とはいったものの。だからといって「はい、そうですか。それでは」と、今までどおりの関係性を取り戻すのは、まあ無理な話ではあった。
良くも悪くも、誰か、ということがハッキリと出てしまう以上、そこには勝者と敗者が生まれてしまう。
イザベラが婚約者に選ばれ、ルイーズがそうならなかったように。必ず、そこには明確な結果が出来上がってしまう。
それ故に、イザベラも、ルイーズも。お互いのことをほんの少しばかり遠ざけてしまっていたところがあった。
そんな空気感を感じ取っていたのだろう。ミシェルもまた、同様に。
だがしかし、良くも悪くも猪突猛進の権化であるマリエルは、そんなこと、気にするだけ無駄だ、と言わんばかりに。
再び、この4人を結びつけてくれたのだ。……もちろん、本人にそんな気は微塵もないだろうが。
「まあ、まさかそんな場に。アルベール様までもがいらっしゃるとは思わなかったですが」
「んもう、ルイーズ! 美味しいお菓子で忘れかかってたのに、思い出させないでよ!」
ゴフッ、と。一瞬クッキーを喉に詰まらせかけたマリエルが、そう抗議をする。
「マリエルはマリエルで、いつまでガチガチに緊張しているんですか」
「こんな状況で緊張するなって方が無理な話でしょ!? ねえ、イザベラ、ミシェル!」
クワッと、そう食らいつきながらに私とミシェルに同意を求めるマリエル。
まあ、それに関しては同意見ではあるのだけれども。
「そもそも、緊張していないルイーズのほうがおかしいんだって!」
「私だって、緊張はしていますわよ?」
「えっ?」
まさか、そんな返答がされるだなんて、思っても見なかったマリエルがキョトンとしてしまう。
「アルベール様は、皇太子です。そんなお方とお会いするのに、緊張するなという方が土台無理な話です」
私も、今日ここに来る前に。両親から失礼の内容に、と。再三釘を刺されました、と。ルイーズは淡々とそう語る。
「じ、じゃあなんで――」
「だから、さっき言ったではないですか。いつまで、そんなに緊張しているんです、と」
要は、緊張しすぎだ、と。暗にルイーズはそう言っているのだ。
「で、でも……」
「安心なさい。今日は私とミシェルがついていますから。さすがに、そういうことに慣れているイザベラほどにスムーズにできるとは限りませんが」
ルイーズのその言葉に、ハッと、ひとつ。
そうか。いつものならばマリエルの隣に私がある程度ついて、彼女が暴走しそうになったときに引き止める役割を担っているのだが。今回ばかりはそうはいかない。
基本的にはアルベール様が来てからは、彼の応対はイザベラが主に行っていく必要があるだろうし、そうなると、マリエルの手綱を握る人間がいなくなる。
それこそ、以前の夜会で。アルベール様とお話をさせていただいていた私の元へとマリエルが突撃してきたときのように、暴走する可能性がある。
「まあ、余程のことがない限りは、今日は大丈夫だと思いますが」
「ありがとう、ルイーズ……」
わーん、と。涙を浮かべながらにルイーズに抱きつきに行こうとするマリエルに、びっくりしながらもすんでのところでなんとか回避をするルイーズ。
私はそんな彼女を捕まえて。嬉しいのはわかるけれども、そのあたりにしておきなさい、と。
これがこの4人だけの茶会なら、私もそう強くは止めはしない。ルイーズも、多少文句を言いつつも、受け入れはしただろう。
しかし、今回ばかりは、このあとアルベール様と会うのだ。全員、そのために服装などをキッチリと整えているし。万が一にもなんらかの要因でそれが崩れるようなことがあってはいけない。
そんなやり取りをしているうちに、扉がノックされ。侍女が丁寧な所作で入室してくる。
このタイミングでなにも持たずに彼女がやってくるということは、つまり、そういうことだろう。
「イザベラ様。アルベール殿下がお見えになられました」
「わかりました。向かいます」
私は彼女にそう短く伝えると、くるりと後ろを振り返る。
いよいよか、というような。そんな様子が、少しばかり空気を張り詰めさせる。
その緊張感を破ったのは。ルイーズだった。
「イザベラ、行ってきてください。……そして、ぜひとも友人の婚約者である方を、私たちに紹介してください」
あくまで、皇太子殿下ではなく、友人の婚約者、と。彼女は敢えてそう言った。
その言葉の意味するところ。そして、彼女の意図したところは、想像に難くない。
「それでは皆さん。すみませんが、しばらく席を外しますね」
そう言って、礼をしながらに私は一度、この場から離れる。
その、後方で。
「負けたことは、事実。それは覆りません。しかし、それだけで諦めるほど、エルフェの名は安くありませんの」
ポツリ、と。ひとりごとのように、ルイーズがなにかをつぶやいているのは、感じ取れたものの。
「好機は、必ず掴んでみせますわ」
その、内容までもを聞き取ることはできなかった。
玄関に向かうと、先にお父様が到着していたようで、アルベール様となにかを話しているようだった。
私はカーテシーを行ってからふたりに近づいて。
「お久しぶりです、アルベール様」
「久しいな、イザベラ。……まあ、このような挨拶になってしまうほど、プライベートで会えていなかったことには悪いと思っているが」
少し眉をひそめながらに、アルベール様はそう仰られる。
「それに関しては、私の方にも問題がありますので」
「ふむ。では、おあいこ、ということでいいだろうか」
ニコリと笑いながらに、アルベール様はそう言って。
その柔らかな対応に、少し安心感を覚える。
あとの対応は任せる、と。お父様はそう短く伝えてから、アルベール様とのふたりきりになって。
彼は軽く周囲を確認しつつ、周りに誰もいないことがわかると、短く「すまなかった」と。
「会う頻度の話であれば、先程、お互い様ということで話が済んだのでは?」
「……いや、その話でない。イザベラなら、勘付いているとは思うが」
そう言いながら、アルベール様は懐から1枚の紙を取り出した。
見覚えがある、というか。見覚えしかないその紙に。安堵と、それから少しの疑問とを思い出す。
「よかった。ちゃんと、届いたのですね」
「ああ、キチンと届いたし、内容も確認した。警告、感謝する。それで、この紙のことなのだが――」
「はい。キチンと替えのものがありましたので。そちら
もしっかりと保管しています」
「それは、そうなのだが。いや、その話ではなくだな」
アルベール様は、苦い顔をしながらに、少しだけ笑う。
手紙が無くなってしまったその翌朝。紙があったはずのその机の上に、全く同じ紙が丁寧に置かれていた。
おそらくは、追加で伝えたいことがあれば。つまりは、夢でなんらかの追加情報を得られたときには、その紙を用いて再び送ってくれ、と。そういうことだろう。
私がアルベール様とお会いする機会は、今回のこれがしばらくぶりである、ということも含めて。そう頻度の高いことではない。だからこそ、直接に紙を受け取れる機会も少なくなるので、こういう形式になっているのだろうが。
だがしかし、アルベール様の話したいことは、どうやらそのことではないらしい。
「その、手紙の届けられた方法について、だ」
アルベール様は、そう短く仰られる。しかし、それだけで、なんとなく彼の言いたいことについては察せられた。
「ああ、なるほど。殿下の腹心のそれならば大丈夫ですよ。必要なことでしたでしょうし」
「それは、そうなのだが。しかし、それはそれだろう? 曲がりなりにも、婚前の女性のところに、という話ではあるし」
まあ、体裁上の話を始めるとそれはそうなのだが。しかし、だからこその隠密行動ができる人材だったのだろうし。
「それに、急遽で、かつ、要件を満たしている人材がソイツしかいなかったとはいえ、男の者を送ってしまったからな……」
「男性だったのですね。それはまあ、たしかに少し、気になるところはありましますが」
だがしかし、それでも必要だからこそ、送られてきたのだろう。それならば仕方がない、と。そう思うし。それに、
「もし、気になるというのであれば、少し時間はかかるかもしれないが、別の人間を――」
「いえ、大丈夫です。アルベール様は、彼のことを信頼しているのでしょう?」
私がそう尋ねると、アルベール様は少し驚きつつも、ああ、と。肯定をされる。
名前も、顔も知らない誰かではあるのだが。しかし、アルベール様が信頼しているのであれば、私もそれに準じない理由はない。もっとも、彼の言葉を全てそのまま飲み込む、という意味合いではないが。しかし、
「立場を考慮すれば、彼はアルベール様に忠義を誓った身であり、そして、主から信頼もある。となれば、少なくとも主の婚約者に対して、不埒な行為を行うようなことはないでしょうし」
「ああ、それについてはこちらからも徹底するように言っている」
「では、やはり大丈夫です」
そもそも、時間都合の云々はあれど、それを加味しても異性である彼にこの仕事を任せたのであれば、それほどにアルベール様にとっての確実性のある人間なのだろう。
先日の夜会の件や私の夢によって不安要素が多い現状なのだ。可能な限り、確実性のあるものは残しておきたいのだろう。
ならば、問題ない。
「……そうか、いや、そうだな。ああ、君は、そういう人物だ」
アルベール様は、そう合点しながらに。そして、少し笑った。
「そういえば、手紙の件だが。今回君が理解してくれたように、可能な限り、すぐに補充できるようにしている」
「はい。ありがとうございます」
正直、この手紙の使いどころで悩んだ節があるといえば、まさしくそのとおりだった。
だからこそ、この配慮はかなりありがたい。
私はアルベール様に深く礼をしつつ、感謝の意を述べる。
そうして、私が顔を上げると。アルベール様は軽くひとつ、咳払いをして。
「さて。……ここで長話をしていては、待たせてしまうだろう。そろそろ、案内を頼んでもいいかな?」
「はい、わかりました。では、こちらに」